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第百十八話 作戦会議

 ・一九八六年 七月二十九日 午後七時 認識力研究所一階リビングスペース五号室


「それで、ここから出る方法についてだけど……」

 確かめるようにして隣の弥生に言う。

 ぼくと一緒にベッドの縁に腰掛ける彼女の表情は、ぼくのこのひと言で緊張に引き締まった。

 弥生の真剣な表情を前に、ぼくは少し思うことがあった。

 それは、ぼくが彼女の本当の名前を聞いた時に“神の視点”で見聞きした光景だ。

 もう一度、ぼくはそれを思い出す。

 ぼくが見たのは、医務室のような狭い部屋。そして、白衣姿の男女。二人は向かい合って立っている。

 顔は、よく見えなかった。ぼくの視点は、室内の天井に取り付けられたカメラの映像みたいに、二人の姿を斜め上から見下ろすようにして固定されていたからだ。

 二人のうち、ひとりは、背の高い、痩せた大人の男性で、もうひとりの方もまた、大人の女性――といっても、もう一方の男性に比べればだいぶ若いように感じた――は、何か、意味深なことを話していた。定点観測よろしく、自由の利かない視点の中、二人の声だけはハッキリと聞こえた……。


   *    *    *


()()()()

「はい、先生」

「お前には引き続き、()を監視する役目を与える」

「はい」

「私立瀬津大学附属病院に入院する()が、我々が投薬した『IMAGE(イマージュ)』によって植え付けられた偽りの記憶を発現させるように取り計らえ。くれぐれも、我々の計画や正体が露見するようなことがあってはならない。心しておくことだ」

「はい」

「頼んだぞ、神崎弥生。我が人形“No.3”」

「はい」


   *    *    *


(あれが、あの言葉が、二人のあいだで交わされた会話が、ぼくの聞き間違いでないのならば……)

 確かに、白衣の男はこう言っていた。『No.3』、そして、『神崎弥生』という固有名詞を、対面する女性に向けて――。

(しかも、『IMAGE(イマージュ)』と言えば……)

 投与した人間の記憶を改ざんするという、浅間有一が作り出した薬品……。

(じゃあ、やっぱり、あの二人は……)

 ぼくは現実の『No.3』……『神崎弥生』を見る。

 目の前の女の子は、とても神妙な顔つきだ。「待て」を命じられた子犬みたいに、行儀よく、丸めた両手を膝の上に揃える彼女は、時おり、そわそわと身をよじりながら、中断した言葉の続きを待つように瞳を輝かせ、上目遣いにぼくを見つめている。

 あの光景の中で見た白衣の女性とは、似ても似つかない。歳や背格好が今の彼女と正反対なのだから、当然なんだけど。

(それなのに、なぜ……)

 どうして、痩せた白衣の男性は、対面する白衣の女性に向けて、『No.3』とか、『神崎弥生』、そして、『IMAGE(イマージュ)』という言葉を用いたのだろう……?

(彼女は……、弥生は、ぼくを信じると言ってくれた。もちろん、ぼくも、その期待に応えたい。ここから一緒に……脱出したい。しなきゃ、ならない)

 だけど……。

(なんなんだろう? この不安は……)

 それは、恐ろしい疑惑――猜疑だった。あろうことか、ぼくという最低な男は、こうして胸襟を開いて全面的な信頼を寄せている弥生を、心の底では疑っているのだ。

(せっかく、ぼくを受け入れてくれたのに……)

 実際問題、弥生に対する違和感というか、得体の知れなさは拭えない。彼女の従順な態度でさえ、見方を変えれば、何か裏があるようにすら思えてくるのだから、つくづくぼくは自分が嫌になる。

 浅間に洗脳されていた今までが今までだったから、こういったアンビバレントな感想を抱くのは、仕方のないことなのかもしれないけど。

(でも……あまり細かいことを気にしてもいられない)

 後ろ髪を引かれる思いで迷いを吹っ切り、ぼくは改めて弥生を見る。

 彼女の方は言わずもがな、すでに準備万端といった具合だ。

 だったら、いい加減、ぼくも覚悟を決めなければ。

「よし……」

 と、肺に空気を入れ、意気込んだ時だった。

 何の前触れもなく、“それ”は起きた。


 ズキン、と――。


 胸をえぐり、心臓が握り潰されたかのような激痛が、ぼくを不意打ちした。

 あまりの衝撃に絶句し、カッと目を見開く。

 彼女の方に動きはない。不思議そうにぼくを見上げる無垢な瞳があるだけだ。

 痛みの原因は、他でもない、ぼく自身にあった。

(また……心臓が……っ)

 滲む視界の中、浅く息を吐き、辛うじて現状を把握する。

 拘禁生活が長く続いているからか、はたまた、“神の視点”を手に入れた代償か、ぼくの身体はすでにボロボロだった。こうして誰かと日常会話を交わせるだけ、奇跡に近い。今さらながら、ぼくはそのことを痛感した。

 一度、自覚してしまえば、それがぼくにとっての『普通』になってしまう。全身を貫く、この『異常』は、なんら特別なことじゃない、皮膚を裂けば血が流れ出すように、ごくごく自然の成り行きなのだ。

 それが証拠に、今まで何ともなかったのが嘘みたいに、あばら骨の浮いた肉付きの薄い胸板の内側にある心臓を中心として、ナイフで刺すような痛みが断続的にぼくを襲い、もはや平静を装うことすら困難に状態に陥っていた。

 少しでも気を抜けば、意識がすぐにでも飛んでしまいそうになる。ぴんと張った糸がちぎれるみたいに。プツンと。

「ど、どうしたの?」

 ドクドクドクとやかましい心音にまじって、弥生が心配そうにぼくを呼ぶ声が聞こえた。さすがに異変に気付いたらしく、その表情が不安に歪んでいる。

「いや……だいじょうぶ、なんでも、ない」

 精いっぱい強がってみせるが、当然のように声が震える。これじゃ無事を伝えるどころか、むしろ逆効果だ。

 今にも泣きだしそうな弥生の顔つきを見て、ぼくは事態の深刻さを悟った。

「どこか痛むの? それとも、気分が悪くなったとか?」

「だから、だいじょうぶだって……」

 そこで、弥生の表情がみるみる驚愕に変化した。まるで、幽霊か何かでも見るように、サーっと血の気が引いていく。

「すごい汗……! 服がびっしょりじゃない……!」

「それは、ここが蒸し風呂みたいに暑いからだよ……、何も、おかしなことじゃないって……」

「それにしたって、これは異常よ! 顔色だって悪いし……! 唇も紫色で……! ああ、どうして今まで気が付かなかったのかしら……!」

 ヒステリックに声を張り上げ、身体をぷるぷると震わせる。

 瞳孔を開いて唇をわななかせた弥生は、にわかに冷静さを欠こうとしていた。

 まずい……。

「だから、もとからだって、そんなの……、今さら、騒ぐほどのことでもないよ……」

 どうにか弥生を安心させようと、薄っぺらい作り笑いを顔面に貼り付ける。

「ほら、ぼくは、平気だからさ。なにも、心配はいらないよ、はは、ははは」

 と、いくら虚勢を張ろうが、所詮は砂上の楼閣(ろうかく)。顔が引きつり、口角が痙攣し、一秒たりとも表情を維持することができない。

 それは笑顔というより、もはや苦笑いだった。

「平気って言ったって……、でも……!」

 依然、弥生は取り乱した様子で泡食っていた。意味をなさない言葉を吐き出し、無意味に視線をさまよわせる。目の焦点もまた、合っていない。

 完全に、自分を見失っていた。

(まったく……どっちが病人か、わかったものじゃない)

 本当、世話の焼ける子だな……。

(まあ……、ぼくだって、人のことは言えないか……)

 乾いた笑いが込み上げる。

 恐慌状態寸前の弥生を見ていると、妙に冷静な気分になる。

 きっと、自分よりも遥かに弱くて脆い存在を守らなきゃならないという庇護欲でも働くのだろう。

 ぼくは、飼い主の異変を察知して、その場をくるくると円を描くようにして回る子犬の姿を想像した。

 健気な少女。

 他人を思いやれる心の優しさに付け込まれ、卑劣な大人の傀儡として利用された。

(弥生は……、ぼくが、守らないと……)

 彼女を救うことができるのは、ぼくだけなのだ。

(だから……、ここで、倒れるのは……)

 ()()()()

「弥生」

 彼女の名前を呼ぶ。

「……っ」

 ビクンと、彼女の身体が跳ねる。揺れる瞳がぼくの方に向き、真っ直ぐに固定される。

 分散した意識を繋ぎ止める、眼差し。

 ふっ、と体が軽くなり、不思議と胸の痛みが和らぐような、そんな気がした。

「だいじょうぶ」

 ぼくは震える弥生の肩を掴み、その澄んだ目を見ながら言った。

「ぼくは、だいじょうぶだ」

 目の前の弥生というより、ぼく自身に言い聞かせるように。

「何も、心配することはないよ」

 石像みたいに硬直した弥生の全身から、徐々に力が抜けていくのがわかった。

「だから、ぼくがこれから言うことを聞いてほしい」

 もう、あまり時間は残されていないのだ。そろそろ本腰を入れて現状打破に注力しないと、手遅れになりかねない。

「いいかい?」

 弥生は、潤んだ瞳でぼくをジッと見つめながら、やがて、「うん」と頷いた。

「ありがとう」

 ぼくはそう言って弥生の頭を撫でる。汗ばんだ指先に、なめらかで柔らかな感触が伝わる。

「ん……」

 彼女はくすぐったそうに目を細め、恐怖と混乱に強張った頬をほころばせる。

「二人で、ここから脱出するんだ。それまでは、他のことなんて気にしなくていい」

「うん……」

「全ては……これからなんだ」

 つぶやいて、ぼくはそっと、弥生の髪を()いていた手を離した。

 弥生は「あ……」と声を漏らし、ぶるっと身を震わせ、名残惜しそうにぼくの指をボーっとした表情で見ていたけど、やがて、もとの落ち着きを取り戻したのか、神妙な顔つきになる。

 ぼくは彼女の様子を確認して、小さく、息を吐く。

 身体の調子は、やはり、万全とは言い難い。満身創痍と言い換えた方が正しいのは火を見るよりも明らかだ。

 でも、この際、空元気だっていい。

 どの道、研究所から脱出しなければ根本的な解決には至らない。ここで対症療法的な処置を施しても、結局はジリ貧だ。いずれにせよ、ぼくは実験動物として、死ぬ。脱出の際に力尽きて野垂れ死のうが、結末は変わらないのだ。

 命を削ってでも……やり遂げなければ。

「じゃあ……、まずは、簡単な確認からいくね」

「うん」

 互いに視線を交差させ、頷き合う。

 それが、作戦会議開始の合図だった。

「弥生は、このリビングスペースにあるセキュリティドアのロックを全て解除できる権限を持っている。そうだね?」

 声を潜め、慎重に問いかけると、弥生はこくんと頷いた。

「うん、わたしのカードキーなら、あなたのと違ってリビングスペースの部屋全部と、フロアの外に繋がるドアのロックを解除できるわ。もちろん、そのためのパスワードだって、わたしは知ってる」

 弥生は得意げに小さく笑って、「ふん」と息巻いた。

「だから、あなたが望むなら、今すぐでもここから出ていけるわ」

「なるほど……わかった」

 つぶやいて、ぼくはちょっと思案する。

「なに? 何か、気になることがあるの?」

「ああ……」

 不安そうにこちらの顔を覗き込む弥生を一瞥して、ぼくは答える。

「もう一度聞くけど、弥生が解除できるのは、リビングスペースのロックだけなんだよね?」

 尋ねると、弥生は眉間にしわを寄せ、何事か考える仕草を見せる。

「そうね……、わたしが自由にできるのは、リビングスペースの部屋と、外のパーソナルスペースに続くセキュリティドアだけ。それ以外の場所は、なんと言うか、ちょっと、条件があって……」

「例外が、ある?」

 この問いに、彼女は「ええ」と答えた。

「たとえば、食事を用意したり、食器を片付けるための食堂とか、そういう特別な場所だと、職員以外の人間は、朝の六時から七時までのあいだとか、決められた時間帯でしかロックが解除できないようになっているのよ。一応、わたしでも開けられなくはないけど……」

「弥生の行動には、ある程度の制限が課せられているってわけか」

 となると、やはり……。

「そのカードキーだと、研究所の外に続く正面玄関のロックは……」

 弥生の首に下がるカードキーを見る。

 すると、彼女は申し訳なさそうに顔を俯かせた。

「……お察しの通り、セキュリティを解除することはできないわ」

「…………」

「それに、わたし、そこのパスワードも知らないの……」

 目を伏せ、悔しそうに唇を噛む。

「ごめんなさい……、偉そうなこと言っておきながら、わたし、大した力になれそうもなくて……」

「いや、そんなことはないよ」

 気遣いじゃない、本音の言葉。

「……でも……」

 おずおずと顔を上げた弥生が、不安げな眼差しで上目遣いにぼくを見る。

「じつを言うと、ぼくがきみを頼りにしている理由は、セキュリティ関係のことより、もっと別のところにあるんだ」

「え……?」

 驚きに目を丸くし、ポカンと口を半開きにする。

 今までの彼女からは想像もつかない無防備な姿は、やっぱり、まだ、慣れてこない。

「じゃあ、どうして……、どうして、わたしを?」

 しきりに問いかける彼女を前に、ぼくはいよいよ決意を固める。

 そろそろ、潮時だな……。

「弥生に協力を頼んだ最大の理由、それはね……」

 そう、最後の言葉を言いかけた時だった。

「……うっ!」

 極限まで両目を見開き、うめく。

 右腕で胸を押さえ、苦しげに顔を歪める。

 弥生の短い悲鳴が、五号室の狭い室内に反響した。


   *    *    *


 ・一九八六年 七月二十九日 午後七時七分 認識力研究所二階 会議室


 ほとんどの職員が出払った、夜の認識力研究所。

 長方形の長机を部屋の中央に据えた会議室には、四人の白衣姿があった。彼らはそれぞれ対角線に向かい合うように席に着き、黙然と居尽くしている。

「まだ、我が父上……久三(きゅうぞう)氏は来ないのですか?」

 立てかけられたホワイトボードの前に座る、認識力研究所所長拝戸幸伸(はいどゆきのぶ)が、その片眼鏡(モノクル)越しの瞳を用心深げに細め、しびれを切らしたように言った。

「もう予定の時刻を七分も過ぎているのですがねえ……」

 ちら、とアナログの壁掛け時計を一瞥し、聞こえよがしにため息を吐く。

 とはいえ、不満げな口調とは裏腹に、表情はどこか楽しげだ。蛙のように裂けた口角は醜悪に持ち上げられ、「クッ」と奇妙な笑いを漏らす。

 会議の開始は、夜の七時。そう、事前に伝えてあるはずなのに、一向に姿を現す気配がない。

 欠席するならいざ知らず、連絡ひとつ寄越さない。

 他の顔ぶれは全員そろっているのに会議を開始できないのは、そのためだった。

「本当に、仕様のないお人だ。昔から、()()は自分勝手が過ぎる。相手のことなど、微塵も考慮に入れようとしない」

「まあまあ、所長、いいではないですか」

 幸伸の正面に座る、太鼓持ちの芥川伶一(あくたがわりょういち)が、ヤギのような顎鬚を指で撫でつけながら言った。

「もとより、あの人は部外者。今回の合同研究にも、さほど思い入れがないのでしょう」

 入り口近くの席に座る春日井大和を瞥見しながら、嫌味っぽく含み笑いを漏らす。

「私としては、久三氏の着席に先んじて会議を始めてしまっても一向に構わないのですが、いかがです?」

 慇懃無礼(いんぎんぶれい)を地で行くような皮肉屋の芥川は、一同に同意を促すようにして尋ねる。

「私も、彼の意見に賛成ですね」

 冷静な浅間有一が、腕組みしながら静かに言った。

「このまま手をこまねいて待ったとしても、先方から連絡がない以上は時間の無駄。さっさと会議を始めた方が合理的と言えるでしょう」

「なるほど。では、春日井くんは、いかがですかな?」

 場を取り仕切るのは年長者の務めとばかりに、幸伸が、この中で一番若い春日井に意見を求めた。

 春日井は、その整った顔に困惑の表情を浮かべながら、「異存ありません」と小さく答えた。

 幸伸は鷹揚(おうよう)に頷く。

「わかりました。会議の開始に必要な役者の頭数が足りないのはいささか遺憾ではありますが、これもまた民主主義に(のっと)った多数決の結果ですので、どうか、ご容赦いただきたい」

 この場に居合わせない久三に向けた当てつけのように言った。

「では、これより、会議を始めたいと思います。皆さん、お手元の資料を――」

 と、宣言したところで、ドアの外からノックがあった。

「なんです、タイミングの悪い……」

 水を差されて気分を害した幸伸は、軽く舌打ちしてドアを見る。

「入れ」

 声を低くして言うと、夜勤の研究員が血相を変えて部屋に入ってきた。

「ほ、報告です!」

「なんだ、騒々しい……用件を言いなさい」

「はい! No.5のことなのですが……」

 研究員がその識別子を口にすると、部屋の空気が一変した。辺りは水を打ったようにして静まり返り、席に着いた四人の意識が、一斉にドアの前に立つ研究員の方に向かう。

「……()()が、どうかしたのか?」

 幸伸も例に漏れず、普段の演技臭い口調をやめ、神妙に尋ねる。

 研究所を支配するようなそうそうたる顔ぶれの注目の的になった研究員は、緊張に顔を強張らせながら、その震える口を開く。

「No.3の報告によりますと、配膳した夕食の食器を片付けに五号室に入ったところ、No.5が倒れている姿を発見したとのことです」

「なに……?」

「まさか……!?」

 浅間と春日井が口々に声を上げる。

「それで、No.5は?」

「No.3によれば、意識不明の重体らしく……」

「ふむ……」

 何かを思案するように宙の一点を見据えた幸伸は、やがて、その視線を春日井の方に向ける。

「春日井先生」

「は、はい」

「客人にこんなことを頼むのは非常に恐縮なのですが、一度、()()の容体を確かめにいってくれませんか?」

「と、おっしゃいますと?」

「早い話、No.5の様子を見てきて欲しいのです」

 突然の申し出に春日井は面食らった。一体、何を企んでいるのか……そんな疑問を挟む余地のない有無を言わさぬ言葉に、呆気に取られる。

「浅間先生も、それで構いませんかな?」

 戸惑う春日井の向かい側に座る浅間を見た幸伸は、被験者を管理する立場にある彼に尋ねるが、この質問が形式的なものだということは誰の目から見ても明らかだった。

 そのことを理解しているのだろう、浅間は「ええ、いいですよ」と返事した。

「そういうわけですので、春日井先生、お願いします」

「……わかりました」

 うまく話が飲み込めないが、ここで疑義を呈しても仕方がない。

 春日井は立ち上がり、ドアまで進む。

「ああ、それと、ついでで構いませんので」

 ドアのロックを解除した春日井の背中に、幸伸が言う。

「できれば、久三氏にひと声かけていただけると、当方としては助かるのですが」

「……はい」

 そう返事して、春日井は会議室を後にした。

 重苦しい空気が漂う場所から解放されて、少し、気分が晴れる。

 この先に起こる事態など、彼はまったく想像していなかった。

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