第百三話 神の視点
・一九八六年 七月二十九日 午後六時十分 認識力研究所一階リビングスペース五号室
まぶしい白に覆われた、正方形の部屋。
医務室で浅間有一の診察を終え、No.3に連れられて自室に戻ったぼくは、気絶するようにベッドで仮眠を取った後、満を持して日記の残りを読破すべく、机に向かっていた。
そして、今、ようやく、日記を読み終えた。
震える手で、そっと表紙を閉じたぼくは、天を仰ぎ、しばらくのあいだ、放心状態でいた。
首筋に直接、氷嚢を当てられるような感覚。暑さで流れ出す汗さえも引いてしうまうほどの身も凍る記述の数々に、ぼくの胸は何度も引き裂かれそうになった。
日記には、両親の事故死と共に孤独な生活を強いられたNo.5の心情が赤裸々につづられていた。記憶を失う前の彼が、どのような気持ちで絶望に満ちた日々を過ごしていたのか、時系列に従った丁寧な筆致によって残酷なまでに浮かび上がる。
繰り返される単調な日々。
増長される不安と恐怖。
昼夜の概念すら希薄の振り子運動めいた時間に身を置いていたNo.5は、当初こそ、一般的な子供がそうであるように、そこまで事態を悲観的に捉えていなかったものの、同じ境遇の被験者であるNo.1とNo.2の予期せぬ喪失――すなわち、非人道的な実験による恐ろしい『死』――をきっかけに、その精神に異常を来たし始めた。日記を読めば、嫌でもそれがわかる。
糸が張り詰めるような緊張感。綱渡りにも似た、常に死と隣り合わせの生活を送るうち、すんでのところで安定を保っていた心の均衡はついに破れた。足元の地盤が大きく崩れ落ちるように。正気を失い、狂気に駆られ、錯乱する。胃液に浸るみたいに、ゆっくりと。しかし、確実に。彼の精神を蝕み、溶かしていく。
それは、日記の後半で顕著になっている。
以前の彼ならば考えられないような、攻撃的で乱暴な言葉遣い、愛する両親に対する罵詈雑言。
自身の生に無頓着な傾向を見せる一方で、極端に死を恐れる、情緒不安定な思考の分裂……。
最後には、絶望的な破滅願望によって日記を締めくくっている。
(環境が人格を形成する、か)
外界との接点をほとんど失ったNo.5は、この半径一メートル範囲の狭い箱庭の中で、慢性的な脱水症状のもたらす頭痛と、シャワーすら浴びることを許されない、大量の汗や涙が染み込んだ衣服と汚物から発せられる臭気にあてられ、一種の極限状態に陥り、その結果、自身の存在性をも否定する悲観的な死生観の境地に達した。
ちょっとしたはずみで、生は死に回転する。コインの裏表のように、たった一度の爪弾きで容易に遷移してしまうのだ。
ぼくは、死刑台に立たされた自分の姿を想像した。両手を布で拘束され、目隠しの状態でいる。首には一本のロープ。全身を支えるにはいささか頼りない荒縄が頭上からだらりと垂れ下がり、首輪のようにして巻き付いている。
死刑執行人がボタンを押せば、すぐさま足元の床板が外され、あっという間もなく、ぼくは宙に投げ出される。
ロープが首を絞めつける。ごわごわとした感触の荒縄が皮膚を裂き、血管を破り、骨を圧迫する。
やがて、ぽきりと。
枯れた細枝のように首の骨が折れ、絶命する。
いつ、自分が死ぬのか。
それは、床板と連動したボタンを押す死刑執行人の手に委ねられている。
生きるも死ぬも、他者の裁量次第。
それでも、いずれ、必ず、死ぬ。
早いか遅いかの違いで、やはり、死は、目の前にある。
直視することすらはばかれる、究極の概念。誰もが知り、誰もが知らない、その『死』の境地。
否応なく、それを覗き見る。
正常な思考を麻痺させる、濃厚な死の香り。
No.5、すなわち、記憶を失う以前のぼくの置かれた状況は、まさしく極限の極致だった。
背後に迫り来る恐ろしい死の概念と、それとは相反する変化に乏しい空虚な時間は、真綿で首を絞めつけるように、徐々に精神を摩耗させ、じわじわと追い込んでいく。
やがて、生は死に置き換わり、人は、苦しい生ではなく、もはや回転不可能な死を望むようになる。
生と死の垣根を取り除かれた彼が行き着く先は、現実とは切り離された彼岸の世界……世界の外側だ。
『世界の本当の姿を知るためには、一度、世界の外側に立たなければいけない』
いつだったか、誰かが言ったその言葉を、ぼくは不意に思い出していた。
世界の外側に立ち、本当の現実を直視した人間は、しかし、狂気に陥るしかない。それは、常人にはおよそ耐えられない。ましてや、ぼくぐらいの歳の子供が正視できるはずもない。
一切の存在を無化する死の中に身を置くことは、人格を崩壊させるほどに恐ろしい……。
(……これも、浅間有一が仕組んだ社会実験の一環ってわけか)
あの『狂人』が得意気に語った悪趣味極まる研究テーマが頭をよぎり、猛烈な怒りが込み上げる。
浅間有一。この認識力研究所に勤める研究員のひとりであり、ぼくのような被験者や職員の心身状態を管理する立場にある精神科医。
その正体は、十六年前、日本における暴力革命を掲げた指導者、拝戸久三――認識力研究所の所長、拝戸幸伸の実父――の弟子のような人物で、彼が発足させた秘密結社『AZ』の生き残りであり、その先進的で危険な思想と理論を継承した、忠実な信奉者でもある。
彼の望みは、ただひとつ。この社会を根本から覆しうるような人間、すなわち『超人』を、その手で作り出すこと。
非常に馬鹿げた考えだが、一部から『狂人』と評される彼はそんな誇大妄想じみた計画を大真面目に企て、そして、これを実行に移していた。死者の蘇生実験、他人の記憶を植え付ける薬品の開発、果ては、極限状況に置かれた人間に対する子細な観察、洗脳……。
ぼくがこんな施設に閉じ込められているのも、彼や、拝戸久三らの考案した、くだらない実験のためだ。
そう、ぼくは知っている。
どういうわけか、知っている。
ぼくは、彼らのことをよく知っていた。彼らが何を企み、何を目的としているのか。それこそ、手に取るように、わかっていた。
話を直接、聞いたわけじゃない。こんなふざけたこと、ただの被験者のひとりでしかないぼくに漏らす道理はない。
では、なぜか?
(例の、幽体離脱)
日記を読む前、ベッドで気絶するように眠りこける中、ぼくの意識は、あの時と同じように、怪談に出てくる幽霊よろしく自分の身体を抜け出し、自由に研究所の中をさまよっていた。
辿り着いたのは、資料室と呼ばれる、研究に用いる参考文献や、日誌、そして、所員と被験者の名簿が収納されている部屋だった。
誰にも認識されない意識体としてさまようぼくは、資料室の奥、実験の協力者である春日井大和と浅間有一が話し込んでいる場面に出くわした。
まるで、誘い込まれるように。
荒唐無稽な夢にも似た現実の中で、ぼくは二人の会話から興味深いことを聞いた。
浅間は、『波動関数発生装置』なる機器を作ろうとしている拝戸幸伸と違い、『AtoZ』という、謎めいた死者蘇生実験を敢行しようとしていること。その生贄に、No.5が選ばれているということ。
そして、春日井大和が、被験者の生死を問わない拝戸幸伸らの独善的なやり方に反抗し、ぼくたち被験者をひそかに守ろうとしていること。
浅間は、そんな春日井の愚直な正義感に付け込み、被験者の面倒を見させることを交換条件に、拝戸幸伸らの動向を偵察させる、いわばスパイとして扱っていた。
(どうやら、浅間と拝戸幸伸の関係は、互いに同じ研究所に勤めているとはいえ、一枚岩というわけではなさそうだ。むしろ、両者は対立関係にあると言えるだろう)
なぜなら、浅間自身は、拝戸親子から、『AtoZ』なる、死者蘇生実験の資金調達のために、巨大なスポンサーである春日井一族と手を結んだと聞かされているからである。
しかし、実際には、その死者蘇生実験は、浅間と、もうひとりの研究員である芥川という人物にほぼ丸投げされ、当の自分たちはというと、まったく別の研究に没頭している。
そして、その研究とは――。
(『波動関数発生装置』、通称、時間転送試作装置の開発と実用化)
拝戸幸伸と拝戸久三、そして春日井大和は、事実上、『波動関数発生装置』という、新たな世界を人工的に作り出す機器を作成するために集い、ぼくたち被験者を用意して、脳波測定実験なる危険な人体実験を施した。
被験者No.1、No.2は、その実験の余波で死亡し、残されたNo.3とNo.4、そして、No.5であるぼくは、一度の適合実験を挟んだ後、丙種合格と断じられたNo.3を除いて、やはり、脳波測定実験を受ける羽目になった。
ちなみに、その実験の影響で、ぼくは記憶喪失になったとされている。
浅間は、人を人とも思わない拝戸親子の傲慢なやり口に胸を痛める善良な春日井大和を利用し、他の研究者たちに黙って独自の合同研究を推し進める拝戸親子の企みを暴き出そうと水面下で動いていた。
同時に、『波動関数発生装置』の適合者を見つけるために拝戸親子が集めた被験者を、自分や芥川に一任された死者蘇生実験の依り代として使うことを思いつき、それを実行しようと、今まさに動き出そうとしている。
(そして、死者蘇生実験の犠牲者は、他でもない、被験者No.4……)
幽体離脱という現象を介して次々と明らかになる、彼らの行動に隠された裏事情や思惑と、驚くべき新事実の数々。
極めつけは、未だ見ぬ被験者のひとりであるNo.4が記憶喪失だ、ということ。
(……どういうことだ?)
疑問だった。
現に記憶を失っているのは、No.5であるぼくのはず。
しかし、浅間有一は、ぼくではなく、No.4が記憶喪失だと言っていた。春日井大和も同様に、その認識だった。
(まさか、ぼくと同じく、No.4も記憶喪失だなんて、そんな偶然がありえるのだろうか?)
それに、浅間は、No.4こそが興味深い被験者とも言っていた。自分の理想を体現する人物こそが、他でもない、No.4だと。
この言葉が、一体、何を意味するのか?
ぼくは、浅間が企んでいる、ヒトの認識における現実改変について思い及ぶ。
ヒトの意識が行う認識は、客観的世界を単に反映するだけではなく、それを創造しもする。
つまり、こう考えることができるのだ。
本当は、ぼくこそが、No.4ではないのか、と。
事実、浅間は、春日井との会話の中で、No.4が、現実に酷似した奇妙な『夢』を見て、被験者が絶対に知らないような固有名詞や機密情報を、その『夢』で知ることができた、と言っていた。実際に彼の診察を受けたのは、No.5のぼくであるにもかかわらず、だ。
(まさか、No.4も、記憶喪失の上に幽体離脱という、ぼくと同じ特異な現象に見舞われているとは思えない。そんな偶然の一致があるとは、やはり、考えにくい)
No.4=ぼくという、この仮説を裏付けるのは、二人の会話だけじゃない。
ついさっきまでぼくが読んでいた、日記の内容。これにも、気になる点が散見された。
日記の中のNo.5は、その控えめな文体からもわかるように、まだまだ年相応に子供っぽく、それに加えて消極的な性格の持ち主で、こうして冷静に状況を分析し、客観視するぼくとは、まったく性質が異なっているように感じられる。
逆に、No.4の方は、この研究所からの脱出を企てるほどの勇敢な才知の持ち主であり、彼の鋭く正確な知見からもたらされる大胆不敵な脱出計画は、実施こそされなかったものの、未知なる恐怖に屈しないその毅然とした態度に裏打ちされる圧倒的な行動力は、突然の窮地に尻込みする周りを驚かせるに充分だった。
そして、ぼくもまた、日記に記されたNo.4の言動が示すように、この研究所から抜け出そうと考えている。
この一致。
だから、浅間も、あの時、医務室で、ぼくにこう言ったのだ。
『逃げられると思うなよ』――と。
(彼は、ぼくがNo.4だということを知っている。知っていて、それをあえて隠している)
それは、なぜか?
考えるまでもない。
(浅間の追及する、理想の実現のため)
浅間は、記憶のない被験者――つまり、ぼく――の識別子を意図的に別の被験者のものと組み替えることで、その被験者がどのように振る舞うのかを確かめるような、一種の社会実験を行っていた。そうすることで、ヒトが、あらかじめ他者によって規定された偽りの現実を破壊し、その外側にある、ヒトの手の及んでいない客体に触れるという、人間の認識に関する根源的な問題を浮き彫りにし、逆説的にそれを暴こうとしているのだ。
他者が情報を提示し、自分がそれを信じた時、主体と客体が交わり、その複合体である表象――現実が、顔を覗かせる。たとえそれが『偽』だとしても、当人にとっては『真』になりうる。
だからこそ、浅間は、ぼくに課した一種の制限、『自分がNo.5である』という規制をその手で打ち破り、偽の主体ではなく真の客観、すなわち『自分はNo.4である』という答えに辿り着くことを望んでいる。それこそが、浅間の抱いた理想、『超人』の定義のひとつだからだ。
自分の認識する世界が、自身の知識、経験によって破られ、別の何かに変貌を遂げる。彼の言葉を借りれば、既存の世界を超越するのだ。
(拝戸幸伸が、主体と客体の境界線を越えようとしたように、浅間もまた……)
ふと、全ての元凶とも言える拝戸久三の血を引く人物、拝戸幸伸のことを思った。
そうだ。
ぼくがよく知っているのは、浅間の目的のことだけじゃない。
認識力研究所所長、拝戸幸伸。
彼のことも、ぼくは知っている。
浅間の診察を受けるきっかけとなった、最初の幽体離脱。それによって、私設研究室にいる拝戸幸伸と春日井大和の密会を目撃した時、ぼくは、拝戸幸伸が目指した研究、その目的を知った。
実際に彼らと同じ場所に立って聞いたわけじゃない。
彼らはぼくに対して何も語っていない。
それでも、ぼくには、彼らの思考、行動が、手に取るようにわかっていた。
幽体離脱の現象が発生している時、ぼくはまるで彼らそのものであるかのように、彼らが蓄えた知識や、これまでに歩んできた人生の遍歴、そして、彼らが行おうとしている研究の進捗具合から目的に至るまでを、全て、知り尽くすことができた。
浮遊する意識の中になだれ込む、情報の波、波、波。
激しく揺れる水面の上で、ぼくはクラゲみたいに揺蕩いながら、眼下に見える彼らの考えを見透かし、しかもこれを自由自在に掌握する。
把握できるのは、彼らのことだけにとどまらない。
例えばそれは、この研究所のこと、そこに勤める一部の研究員の役職や氏名、さらに時代背景、果ては社会情勢や歴史まで、ぼくは知ることができた。
それは、ぼく自身が、この世に存在するありとあらゆる情報を内包した、全知のデータベースと化す瞬間でもあった。
小説で言うところの、『神の視点』。
主観であり客観。
客観であり主観。
ぼくは、それを持っている。あるいは、それを持つ何者かとリンクしている。
それが証拠に、ぼくは、拝戸幸伸や浅間有一の思考のみならず、彼らが歩んだその半生を、どういうわけか、網羅的に把握できた。学生時代の二人、研究所に勤める以前の二人、そして、現在の二人。その全てを、ぼくは知っている。
このことに気付いたのは、拝戸幸伸と春日井大和が例の私設研究室で話していた内容の一部が、No.3から聞いた事実と一致した時だ。
幽体離脱中のぼくが聞いた彼らの話は、当初に懸念していたような夢や妄想の類ではなく、真実だった。
(あの時は、ぼくも混乱していたから、あまり深くは考えなかったけど、今のぼくなら断言できる)
ぼくには、他者の思考を、他者が歩んできたその人生を、一歩離れた視点から俯瞰し、総合的に読み取る能力がある。
幽体離脱の現象が現出している時、ぼくは、ぼくであると同時にぼくではなく、他者であると同時に他者ではなく、また、世界そのものであると同時に世界そのものではない。
ぼくは、その意識は、同一時間軸上の今においてそこにありかつそこになく、同一時間軸上のそこにおいてあると同時にない。
ぼくは遍在すると同時に存在しない。
存在しつつ存在しないという、矛盾をはらんだ存在。
それが、意識体としての『ぼく』だった。
いつから、ぼくにこんな能力が備わったのか?
わからない。
(彼らの行った実験が、関係しているのだろうか?)
一瞬、ぼくに施された脳波測定実験のことが思い浮かんだ。
(後遺症は、記憶喪失だけじゃない……?)
実際のところ、関連性は不明だ。
けど、今は、そんなことはどうでもいい。
いずれにせよ、確実なことは、ひとつ。
(この能力さえあれば、ぼくは、この研究所から脱出できる。その可能性が、ある)
確信していた。
もちろん、一見すると万能とも言えるこの力も、完全ではない。
まず、第一に、ぼくの頭に流れ込む膨大な量の情報には、一種の偏りがある。望遠鏡やカメラで言うところのフォーカス、つまり、焦点を合わせた部分しか、ぼくは知ることができない。その他の部分はモザイクタイルの壁面よろしく曖昧で、たとえ視界に入ったとしても意味のあるものとしては捉えられない。
そして、第二に、焦点を合わせ、レンズを絞る対象は、ぼくの自由にはならないということ。
その照準は、ぼくの意志とは無関係に合わせられる。
まるで、別の誰かがぼくの脳みそを乗っ取り、操作するみたいな感じ。
ラジコンのようなものだ。
幽体離脱状態のぼくは、さながら金縛りにあっているかのごとく、意識はちゃんと明瞭ながらも、四肢の自由がほとんど利かない。
ぼくは、ぼくであって、ぼくじゃない。
ぼくであって、ぼくじゃない、意識体としてのぼくは、別のぼく自身に操られるようにして、この研究所の中を、当てもなく、ふらふらとさまよう。
意識体としてのぼくは、別の誰かの視点を借りて、自由気ままに他人の考えを覗き、様々な情報を探り、我が物とする。
ぼくは、とあるロボットアニメを想像した。そのアニメでは、ひとりの操縦士が巨大ロボットの中に乗り込み、モニター越しに外部の状況を把握しながら、ロボットを自分の身体のように操縦する。
要するに、ぼくがロボットで、ぼくの視点を介して世界を観測する別のぼく自身が操縦士だ。
一心同体、というより、むしろ、二心同体。
ぼくの中に、もうひとりのぼくがいる。
ぼく自身は、情報と情報を媒介する、中間項。
ぼくは、自分の両手を広げ、それを見つめる。
五本の指。
ぼくの身体。
ぼくは、ぼく自身を見ている。
(ぼくの中にいるであろう別のぼくも、こうして、ぼく自身を見ているのだろうか……?)
よく、わからない。
問題は、『神の視点』とも言えるこの能力を、自発的に使用、ないしは制御できるのか、ということだ。
ぼくが、幽体離脱の状態になるには、おそらく、条件がある。
それは、ぼくが極限状態にまで追い込まれるということ。
この生命を脅かされ、死をも見据えた境地に達した時、ぼくは、ぼくから分離する。
観測するぼくは、観測されるぼくへと遊離し、ぼくは、ぼくであると同時に、ぼくではなくなる。
また、他者であると同時に他者ではなく、世界そのものであると同時に世界そのものでもない。
(ぼくは、No.4であり、かつ、そうではなく、No.5であり、かつ、そうではない)
誰でもない、誰か。
たとえるなら、そんな感じ。
もちろん、これらのぼくの予想は単なる憶測の域を出ず、確実じゃない。
真相は、未だ、闇の中。
確証なんてない。
何もかも、ぼくの勝手な妄想かもしれない。
それでも、ぼくは、賭けるしかなかった。
ぼくの内部に宿った、ひとつの、その可能性に。
(自分自身を心の底から信じることができなければ、とても、この現状を打破することはできないだろう……)
ぼくは、壁にはめ込まれたセキュリティドアに目を向ける。
頑丈に閉ざされたドア。これを開けるためには、専用のカードキーと設定されたパスワードの入力が必要だ。
今のぼくは、このどちらもが欠けている。
では、ここから出るのは不可能か?
そんなことは、ない。
(この能力をうまく使えれば、あるいは……)
ぼくの中に、ある打算があった。
とはいえ、このままでは準備不足だ。脱出に必要なあらゆるものが足りていない。
(せめて、彼女の協力さえあれば……)
ぼくは、No.3のことを思った。
人形みたいに綺麗で精巧な見た目をした女の子。
しかし、浅間の卑劣な計略によって、その感情はもとより、自分で物事を判断し、行動するという、ヒトとしての大事な能力を剥奪されている。
(浅間は、No.3を恐怖で支配するため、No.1とNo.2の死が自分たちのせいだという罪悪感を植え付け、自らの操り人形に仕立て上げている)
だから、彼女は、周囲の大人の思うがまま。
浅間の命令に従って動き、奴隷のような働きを強要されている。
拒否権なんてない。
大事な仲間を失った彼女だから。
本当は、他人のことを思いやれる優しい女の子だから。
だから、無理やり自分の心を押し殺し、浅間の言いなりになるしかなかった。
もう、誰も、失わないために。
残されたぼくたちを、失わないために。
そのために、自分を殺す。
(全ては、ぼくらを守るためだった……)
究極なる自己犠牲。意固地にぼくを釘付けにし、死ぬまで研究所に幽閉しようとしたのも、これ以上、職員たちを刺激しないようとの、彼女なりの涙ぐましい計らいだった。
下手に動けば職員に目を付けられ、自分やぼくたちがその報復としてひどい目に遭ってしまう。ひょっとすれば、死んでしまうかもしれない。No.1やNo.2が、実際にそうなったように。
少なくとも、彼女自身はそう捉え、そして、それを一番恐れている。
子供の純真さに付け込んだ、非道で卑劣なやり方。
ますます許せない。
(どうにかして、奴らの思惑を外し、ここから脱出しなければ……)
平穏の日々など、永遠に訪れない。
No.3は、知らないのだ。
たとえ首尾よく生き残ったとしても、ぼくたちは、彼らの企てた計画、その人体実験の犠牲となることを。
(結局のところ、死が訪れるまでの期間が長いか短いかの差しかない。このまま手をこまねいているだけでは、いずれ、ぼくはやつらに殺される)
やはり、ここから脱出するしか生き延びる方法はない。
ぼくは、机に向かいながら、時間の許す限り、これから自分がどう動くべきか、これを考えた。
連中の好きにはさせない。
絶対に。
ぼくは、研究所から脱出する――。
夕飯が運ばれるまで、もう少し。
その時、勝負を仕掛ける。
あまり、時間は残されていない。
浅間は、ぼくを、No.4を、自らが企む死者蘇生とやらの媒体に使うつもりだ。
その方法は、ぼくの脳髄に、死者である他人の記憶を植え付けるという、聞いてて気分が悪くなるような、世にもおぞましいものだった。
『AtoZ』と名付けられたこの計画は、狭間呂久郎という、ビオニクスなる製薬会社に勤める研究者も協力しているようだった。彼らが開発した薬品を用いて、被験者に死人の記憶を移植するのだと、ぼくは、『夢』で、そう聞いた。
死者は生者の身体を借りることによって、現代に蘇る――。
そうなれば、最後。
ぼくは、精神的な意味合いでの死を迎えることになるだろう。
たとえ肉体が生きていても、そこにぼくとは別の人格、すなわち記憶が入り込めば、そいつはもはや、ぼくじゃない。
言うまでもなく、死と同義だった。
(まずは、No.3をどうにかしなければ……)
脱出を成功させる確率を上げるためには、どうしても、彼女の協力が必要だった。
また、作戦の合理性とは別に、ぼく自身の個人的な動機も、少なからずあった。
放っておけるはずがない。
ぼくたちは、生きて、ここから脱出するんだ。
……絶対に。
ぼくは、日記の表紙、その一点を見据えながら、作戦の決行を待った。
(……No.4……)
ジッと表紙を眺めているうち、ぼんやりと、その識別子が浮かび上がった。
本来、ぼくを意味していたであろう番号。
浅間の鼻持ちならない思惑によって、その存在は書き換えられた。
日記には、被験者の名前が書かれていた痕跡があるものの、これもまた、浅間の手によって添削され、黒く塗りつぶされている。
いくらルールで定められているとはいえ、研究所に収容した被験者を徹底的に道具として扱おうとする連中の魂胆には、もはや怒りしか覚えない。
名前。
名前さえ、判明すれば。
(きっと、ぼくは……)
本当の自分自身を、取り戻せるだろう。
そう思った。
(本当は、ぼくは、何者なのか……)
常に宙づり状態の自我、意識。
この手で、必ず、掴み取る。
「うっ……」
少し、脳みそを酷使しすぎたか。
額が割れるような激しい頭痛に、思わず、頭を抱える。
視界が歪み、目の前でバチバチと火花が弾ける。
意識が遠のく浮遊感。
(こ、これは、この感覚は……)
身に覚えのある現象に、ぼくの頭は混迷する。
期待と不安。
やがて、蓋が落ちるようにして。
ぼくの視界は、真っ黒な世界に閉ざされた。