第九十九話 精神―ガイスト―
・一九八六年 七月二十九日 午後五時四十分 認識力研究所一階パーソナルスペース資料室
『ヒトを完全に支配する方法を、春日井、お前は知っているか?』
銃器による暴力革命を公然と標榜する秘密結社『AZ』の残党である浅間有一に問われ、春日井は緊張に喉を鳴らした。
「いえ……」
書架が整然と立ち並んだ静寂の資料室に、彼の小さく震えた声が弱々しく鳴り響く。
「簡単なことだ。恐怖を、植え付けてやればいい」
対する浅間は、不敵に口角を持ち上げた。壁際に追い込んだ春日井をぎょろっと見開いた目で見据え、毒々しくほくそ笑む。
反対に、春日井はクスリともしなかった。
浅間は静かに半歩ほど後ずさると、その爬虫類じみた目を思わせぶりに細め、せせら笑う。
「No.3の状態を考えてみるといい」
言われ、春日井はNo.3と名付けられた被験者の少女のことを思った。浅間の命令に対して忠実に従う、ちょうど、人形のような少女を。
「No.3が、どうして私のような男に隷従しているか、その理由はわかるな?」
「…………」
「それは、自分が苦しみたくないからだ。No.3は、私――というより、権力者――に逆らうとどうなるかを知っている。強大な力に抗うということ、それは、自分や、自分の大切なものが傷付き、倒れていくということだ。彼女はそれを学習している」
だから、No.3は、誰の言うことにも逆らわない。
「事実、No.3は、他の被験者が研究所から脱出しようと企んだから、その報復として彼らが死んでしまったと思い込んでいる」
春日井の額に嫌な汗が流れた。緊張に頬が強張り、苦しい喉の渇きを覚える。
「ヒトは、自らの過去に縛られる生き物だ。嫌な経験があれば、できる限りそれを避けて通ろうとする。No.3も例外ではない」
浅間は自信と確信に満ちた表情で言った。
「私の専門は心理学、それも、行動主義心理学だ。ヒトの行動原理については、それこそ手に取るようにわかる」
卑屈に口元を歪ませ、笑う。
「ヒトに自由意志はない。ヒトは環境に依存し、それに行動を制御される。ヒトは過去に生き続けるのだ」
その言葉は、皮肉にも、ヒトの自由意志を信じようとする拝戸久三の教えとは対極的だった。
「オペラント条件付けによる負の強化。罰という苦しみを味わいたくないために、No.3は他者の言いなりになる」
原理的には、親に叱られたという経験を持つ子が、次に怒られないよう必死に『良い子』を演じるのと同じだ。
その時、ヒトは外部に依存することになる。自分の考えを持たず、電気刺激による反応を示すだけの機械に成り下がるのだ。
現に、No.3は、そうなっているではないか。
刺激と反応。
罰と報酬。
心地良い快楽のみを追い求め、ヒトは行動し続ける。
「ヒトは簡単に支配できる。暴力による恐怖を与えてさえやれば、すぐに自我を失い、傀儡になる。なぜなら、自我を持つこと、それ自体が苦痛になるからだ」
出る杭は打たれ、無理にでも抑えつけられる。
自由は剥奪され、強者の言いなりになる。
要するに、この社会と、同じ。
「だから私は、あらかじめ、被験者たちの目の前で暴力をちらつかせてやったのだ。その身に、恐怖を植え付けてやるためにな」
春日井はハッとした。被験者が一堂に会した計画初日のことを、突然、思い出したからだ。
「まさか、あの時、職員の一人が被験者に殴りかかったのは……」
わなわなと声を震わせる。
浅間は、まったく動じずに答えた。
「無論、私の指示だ」
春日井はギュッと唇を噛み締めた。両手に握りこぶしを作り、歪んだ笑みを浮かべる浅間を睨み付ける。
全身にみなぎる義憤が、ついさっきまで浅間の剣幕に竦んでいた彼を突き動かした。
「浅間先生、あなたって人は……!」
思わず掴みかかりそうになったところで、春日井は、はたと気付いた。暗い光が宿った浅間の瞳に、ほんの一瞬、熱い炎が燃え上がったのを。
その輝きに不穏な気配を感じ、春日井の動きがピタリと止まる。
「ゆえに、私は、こう考える」
半歩、春日井から距離を置いた浅間は、その狂信的な眼差しでどこか遠くを見ながら、静かに言った。
「過去がヒトを規定するというのであれば、その過去さえ変えてしまえば、ヒトの未来を思い通りに変えることができるのだと、ね」
その言葉が意味するところを、春日井は持ち前の明晰さで正確に読み取った。
同時に、戦慄した。浅間有一から漂う圧倒的な威圧感に全身が凝固し、その場に釘付けにされたようにして身動きが取れない。
「あの被験者が記憶喪失と聞いた時、私の中に、ある物語が浮かんだ。それはまるで天啓のように私のもとに降り注いだ」
病的な眼差しを中天に向けた浅間は、役者じみた大仰な動作で両腕を左右に広げると、熱に浮かされたような恍惚の表情で言った。
「私は、この現実という鏡張りの世界の上に、一種の舞台を作り出す。哀れな被験者どもは、私がこしらえた脚本の中で、あらかじめ決められた役割を、ただ、演じるだけ」
春日井は恐ろしさのあまり小さく喉を鳴らした。
彼とこうして話すまで、拝戸幸伸こそが最も危険な人物だと位置づけていた。
しかし、やっとわかった。本当に危険なのは、拝戸幸伸などではない。
かつて、『AZ』なる秘密結社で暴力革命を熱烈に志し、そのゆえに殺人の容疑で逮捕、勾留された過去を持つ、この浅間有一という男こそが、最も注意を払うべき人物なのだ。
『狂人だ』――春日井は、血走った目で意味不明なことを口走る浅間をそのように断じた。
「No.4のことは知っているな?」
「え? ……ええ」
話題が思わぬ方向に向かったことで、春日井は上擦った声で返事した。
「あの被験者は、面白い」
言葉通り、心底、愉快そうに言った。
「例の、記憶喪失だという……」
「ああ」
ニヤリと笑みを深める。
「No.4、あの被験者はじつに不思議だ」
「……と、言いますと?」
「No.4は、本来なら被験者が知りえないような情報を、なぜか知っていた。自身や他の被験者に行なわれた脳波測定実験のことや、二階にある私設研究室のことなど、No.3さえ仕入れていない情報を頭に入れていた。お前と拝戸所長が、そこで話していたことさえも、あの被験者は知っていたのだ」
「…………」
「しかも面白いことに、それらは全て、『夢』の中で知ったという」
「夢、ですか」
「ああ」
浅間の中に、ある閃きがあった。
「もしも、人間に自由意志があるのなら……」
いつも自信満々な彼にしては珍しく、その声はいくらか控えめで、沈痛な響きを伴っていた。
学生時代、革命に燃えたあの日、“あの人”から聞いたことがある。ヒトは、“死”というある種の限界状況に晒され、絶体絶命の窮地に置かれた時、間近に迫る死を乗り越えようと自らの枠組みを『超越』し、世界を満たす『精神』という、神にも似た絶対的な概念と接触、ひとつに調和するという。
やがて、『精神』は、過去、現在、未来といった区別のない『絶対精神』にまで高められ、遠眼鏡のごとき驚異的な眼差しでもって現実の構造や世界の成り立ち、果ては歴史の出来事の全てを俯瞰、透徹するに至る。
主観と客観という、絶対的にも思われた壁はヒトの『精神』によって乗り越えられ、『精神』は双方の領域から得られた情報をもとにしながら、しかし、どちらの影響も受けることなく、現実が構築される過程もろとも、世界を正確に理解する。
No.4の状態は、それとよく似ていた。
「肉体的かつ精神的な死を疑似的に経験させることにより、ヒトの意識を人為的に『超越』させ、そのヒトに宿った『精神』を外化させる……」
なら……。
No.4は、まさしく……。
「……あの、浅間先生」
一種の恍惚状態にある浅間を横目に、春日井が不審げに眉をひそめながら顔を寄せ、丁重に尋ねる。
「……No.4が、その、夢と現実を混同しているのは、浅間先生がNo.4の認識を歪めているのと、何か関係があるのですか?」
「それについては、目下、調査中だ」
春日井に問われた浅間は、物思わしげな溜め息を吐いた。
「春日井、確かにお前が言ったように、No.4が記憶を失ったと聞いた時、私はある考えを思いつき、そして、それを実行に移した。そのことは、芥川にも報告済みだ」
ヒトは、本来の自分のものとは異なる識別子を与えられた時、どうなるのか?
「他者によって規定された道筋を、ただなぞるだけなのか、それとも……」
名は体を表す。名称は実体と不可分であり、互いに対応している。
だが、言うまでもなく、その『名』は外部が規定した人称である。子の名前を決めるのは子ではなく、親だからだ。
それはつまり、名を与えられたものは、名を与えたものの所有物であり、自らが被造物であることを意味する。
主人ではなく、奴隷。
その行動は奴隷の主体である主人に依存し、主人は奴隷を介して世界を手にする。
「ヒトは、この世に生まれた直後は遺伝子に、その後は環境によって人格及び人生を支配される」
つまり、永久の奴隷状態にある。
そして、この場合の環境、すなわち主人とは、国を形成する資本主義社会そのものである。
だが、仮に、その環境を破壊することができたら?
ヒトが自由を手にする契機。
それは……。
「果たして、ヒトは、既存の枠組みに疑問を抱き、これを否定し、傀儡たる奴隷状態から抜け出せるのか……」
誰に言うでもなく、つぶやく。
「私は、知りたいのだ」
浅間の目が、猟奇的な熱っぽい輝きを帯びた。
「本当に、ヒトに自由意志というものがあるのなら、彼はこの限界状況から脱しようと自らを超越し、その行動を不当に抑えつける奴隷状態からの解放を目指そうと躍起になることだろう。自らの命を危険に晒してなお、懸命に努力するだろう」
しかし、果たして、そんなことが本当に可能なのか?
「ヒトは過去に支配されている。自らの命を守り抜くために形成された経験則的な枠組みからは永遠に逃れられず、延々と繰り返される事象の再現性に対して頭を垂れて隷従するしかないという、私の思い描いた脚本通りにシナリオが進むのか、それとも、“あの人”が言うように、ヒトの意志は、自らを縛り付ける既存の規定を破壊しようと目論み、これを果敢に決行するのか」
偉大なる指導者だった拝戸久三と、彼から教えを受け継いだ浅間有一。果たして、どちらが正しいのか?
それが、これから明らかになる。
「春日井、きみはヘーゲル弁証法を知っているか?」
うわごとのようにつぶやいたので、一瞬、それが自分に問われたものなのだと、春日井は気付けなかった。
慌てて背筋を正す。
「……もちろん、承知しています」
言葉とは裏腹に、その声にはあまり自信がないように感じられた。
「では、説明してみせろ」
横暴とも言える浅間の要求に、春日井は不服そうに唇を歪めながらも応じる。
「……人間は、無垢な赤子という無差別的な自然状態に始まり、やがて、確固たる自己を確立するために、世界という、目の前に無限に広がる抽象的なものから自分だけの具体的内容を欲し、自分とそれ以外の区別をつけ、最後に、そうやって構築した自分自身を世界に向けて照り返す……」
春日井のたどたどしい説明に、浅間はしっかりと頷き返す。
「昔、“あの人”から聞いたところによれば、ヒトというのは、世界と世界を繋ぐための、いわば媒介の役割を担っているということだった」
「媒介、ですか」
「そうだ。キリスト教で言うところの父と子と聖霊の三位一体の関係のように、ヒトは個別的でありながら、他方で世界と完全に切り離されておらず、むしろ神という理性を通じて世界との繋がりを保ち、ヒトでありながら、同時に、世界でもあり、神であるという、『普遍』、『特殊』、『個別』という三つの要素からなる円環を形成する」
この場合の神とは、宗教的かつ人称的な神ではなく、知識という、客観的な物である。
「ヒトは言語、すなわち学問を通じて自分の外にある世界に触れようと接近し、これを手にする。そして、学を理解するのは悟性であり、知識であり、それらはまた理性を指す。ゆえに、現実とは理性的な物であり、理性的な物こそが現実なのだ」
「…………」
「だから、“あの人”は、世界は理性に、つまり『精神』によって満たされていると信じていた」
学生時代に聞いた“あの人”の演説を、浅間は今も克明に思い出すことができる。自分と同じように集会所に集まった労働者や学生たちが発する異様なほどの熱気を、今も感じられる。
「当然、ヒトも理性的存在である以上、『精神』を持ち、そして『精神』を介し、ヒトは、現実世界という『精神』に触れることができる」
主体と客体の対立は、こうして克服される。
「『精神』は世界であると同時に神そのものでもある。だからこそ、『精神』をその構成要素に含むヒトは、現在の世界に満足せず、これを退け、神になろうと決心するのだ。この既存の社会を破壊し、新たな現実を作り出そうと決意するのだ」
若かりし頃の浅間は、“あの人”の演説の内容に、聞き入っていた。ヒトは現実を変えられるという魔術めいた言葉がもたらす、胸を震わす高揚感。自分たちは社会の奴隷ではなく、それを支配する主人なのだと自覚させてくれた話術と理論に、深く、心酔していた。
酔いは、まださめていない。
「生と死の垣根を超越した時、そのヒトは神になる」
彼にとって絶対的な存在だった“あの人”の権威が地に落ちた今も、浅間は、神酒のごとき効能を持つ“あの人”の思想に酔い続け、そして、酔いが回った脳が見せる非現実的な幻覚に、今もまだ、囚われている。
もう、“あの人”の力を当てにはできない。
なら――。
「私こそが、神なのだ」
言っていて、笑いが込み上げた。
もう、自分は、無力な小僧ではない。社会を――世界を変えるだけの実力を手にしている。
自分がまだ『AZ』に所属していた頃、日本の地下活動家を通じて知り合ったソ連国家保安委員会の人間とは、現在もこまめにコンタクトを取っている。銃器や弾薬を個人的に密輸し、その見返りとして研究所の医薬品をソ連側に横流ししている。いずれは、この実験で得られた結果も、彼らと共有することになるだろう。
機が熟せば、再びの革命も不可能ではない。
だからこそ、今は、雌伏の時だ。
充分に検討と準備を重ね、満を持して行動に移す。死者を、『A』を蘇らせ、来たるべき革命の嚆矢とする。
失敗は許されない。
「私が正しいのだ……」
もはや口癖となったその台詞を口ずさみ、不敵にほくそ笑むと、得も言われぬ充足感が、虚栄心の塊である彼の内部を満たした。
彼は、浅間有一は、知らなかった。
気付いていなかった。
学生時代の彼が最も憎悪していた忌まわしき権威者として、今や自分の身が完全に染め上げられていることを、全然、自覚しようともしていなかった。
“あの人”は、ヒトの意識がどのようにして外界に影響を及ぼし、そして、いかにして現実を変えるのかというプロセスについて、極めてラディカルな見解を持っていた。
マルクスの提唱した史的唯物論は、“あの人”の理論とは対照的に決定論的で、人間が展開する意識の運動も単なる自然の産物だと断じ、人間の意識が社会を規定するのではなく、社会が人間の意識を制限するという、どこまでも受動的で抑圧的なものとなっている。
しかし、“あの人”は、持ち前の量子物理学的知見から、世界とは、主観と客観が相互貫入を果たし、可能性と不可能性をそれぞれ同時に保存しつつ破棄し、それを対立的に統一させるという可塑性から成立するのだと確信していた。
世界の構造は下から上への一方的な直線の流れではなく、緩やかな弧を描いて相互に浸透、循環する、無限のごとき円環なのだ。
「くっくく……」
思わず、笑いが漏れる。
愉快だった。
元々、マルクスのように徹底した決定論を支持しているはずの自分が、“あの人”の言うような伸び伸びとした柔軟性に富んだ考え方に影響され、その思想を徐々に軟化、変容させている。
それは、まさしく、“あの人”が提言していた通りに、ヒトの意志が『精神』を介して他者に接触し、そのヒト自身を、そして世界を変えるということの、何よりの証左ではないのか?
あるいは、こう言うこともできる。浅間有一という人間もまた、“あの人”、拝戸久三と同じで、人間の認識に秘められた可能性というものを、表向きは疑問視しつつも、その裏では愚直にも信じているのだ、と。
世界とは、何も、発展性のない、硬質な物質だけで形成されているのではない。一部の金属のように、しなやかな延性と展性を備えているのだ。
ヒトの意識もまた、これと同じように、自らに開示されている客観的世界を主観として単に反映しているのではなく、むしろこれを思考の運動や実践によって変えようとさえする。ヒトと世界を切り結ぶ『精神』が、互いに分離し、孤立しているとされる主観と客観に生き生きとした屈神性を与え、両者の接触と融和を可能とするのだ。
鉱物を自由自在に加工する職人のごときヒトの意識の可塑性が、世界の形を変えていく。
世界の在り方は、決してひとつきりではない。
世界は破棄されつつ保存され、また、次々と派生していく。
ヒトの意識は、開示されるその世界からひとつを自由に選び取ることができる。
無論、破棄することもできる。
破棄とは言っても、完全に消滅するわけではない。それは『あった』という形で維持されているのであって、再び、拾い直すこともできるのだ。
全ては循環であり、円環。
全ては繋がっている。
そう、それはまるで、“あの人”が提唱した、並列世界生成原理のように。
「“あの人”が、今回の研究でそのことを証明しようとしているのなら、私もまた……」
邪悪な表情を浮かべた浅間の口元が、もう一度、愉悦に歪んだ。