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第四話:グリコとキョロ(その8)

 シネマロビーの片すみに女がふたり。2人掛けのソファにかたまってなにかしらを行っている。


 ソファの左側――壁に近いほうの女性は、背筋をピンと伸ばしてその汗と涙と努力と友情と勝利と鼻水でグッシャグシャになった顔を、ソファの右側――通路側の女性のほうへと向け差し出している。


 そうして右側の女性――背が高くてスラリとしているほうは、左側の女性の顔――なみだの跡がまるで泣いたデーモン小●閣下のようになっているその顔を少しのあいだ確認すると、手持ちの“男性用”ショルダーバッグからコンシーラーやらスポンジやらフェイスパウダーやらを取り出しながら――、


「泣くのが分かってるんでしたら、ベースメイクは極力うすくしといたほうがいいですよ」


 と、言った。


 ――って、やっぱり君は真琴くんか。


「いつもはほぼノーメイクで見るんですけど……」と、もうひとりの、あんまりスラッとしていないほうの女性は、「きょうは、その、たまたま、なんというか……」と、言葉を濁しつつ応えた。(注1)


 ――って、やっぱりこっちは詢子さんね。


     *


 ――どーでもいいけど詢子さん、なみだとコンシーラーが混じって目のした大変なことになってますよ?


「わかってますよ、だから直してもらってるんでしょ?」


 ――なさけないなあ。


「世の中には2種類の女がいてですね」


 ――はあ?


「化粧の出来る女と化粧の出来ない女です」


 ――はあ。


 ――ってか化粧室でしてもらえば?


「真琴さんがいやなんですって?」


 ――なんで?


「“まがりなりにも男なんで”女性用トイレは倫理的に許せないんだそうです」


 ――はあ。


 ――って、その格好でトイレ行きたくなったらどうすんのさ?真琴くん?


「え?もちろん男性用トイレに行きますよ?」


 ――そっちのほうが問題じゃない?


「まあ、ときどきは変な目で見られますけど、基本は個室を使いますので」


 ――はあ。


 ――ってか、君のほうはそれほどグチャグチャになってないのね、メイク。


「ぼくのはウォータープルーフですし、泣くときもこすらず基本おさえてましたから」


 ――詢子さん、見習わないと。


「うっさいですね。いいから本編続けてくださいよ」


 ――ああ、そうか、そうだね。


 ――えーっと、


     * 


「はい。これでまあ、応急処置としては良いでしょう」


 と、山岸真琴 (28)は言い、


「あー、ありがとうございます」


 と、樫山詢子 (27)は応えると、コンパクトの中の当社比1.42倍キレイになった自身の顔を見て――、


「だから、“大負け”とか“女子としての自信を削られた”とか書かないで下さいよ?」


 と、この物語の作者を脅した。


「はい?」と、乳液付きの綿棒で顔を直しながら真琴。「なにか言いました?」


「いいえ、べつになにも」と、作者を舞台袖へと押しのけつつ詢子。「やっぱり上手だなあ、って想いまして」


「ま、仕事の一部ですから」


「わたしももうちょっとちゃんとしたいんですけどね――」


 ――なんでそんなウソ吐くの?


「詢子さんはべつにいいんじゃないですか?」と、なみだの跡を消しながら真琴。「そのままでも十分キレイですし」


「……はい?」


「下手につくるより、いつも程度に抑えておいたほうがベースの良さが出てて、ぼくは好きですけどね」


「あ……、ありがとうございます」


 と、塗り直して頂いたチークの下でさらに頬を赤く染めながら詢子は返すのだが――、


 ――こっちの美人 (男性)は天然なの?


「ホント、目のまわりとかあごの形とか、おでこの広いところとか、女の子っぽくてぼくは――」


 と、ここまで言って真琴は、やっと自分の不用意な発言に気付いたのでもあろうか、綿棒を持つ手を止めると、


「あ、あ、いや、あの、その、えー、ち、ちが、それはちが、あー、ちが……う?ワケでもないのですが――」


 と、作者の文章力が疑われるレベルでしどろもどろとしながら、


「ですから、それは、あの、その……学術的?職業病的?興味?感心?……と申しましょうか、あの、いや、興味があるのは……あー、その…………なんと申し上げればよろしいのやら――」


 と、自分の語彙力のなさがしんどすぎて筆舌に尽くしがたい感じで答えた。


 ――取り敢えず、落ち着け。


「でも、うん。ほんと、変な意味じゃなく、イイと想います。――はい」


     *


 駅構内の婦人用トイレは何年か前に改修がされていて、確かに以前にくらべ格段に広くキレイになってはいたものの、場所が場所だけに、それでも十分な広さがあるとは言い難かった。


 だから、と言うわけでもないのだろうが森永久美子 (24)は、すこしの罪悪感を感じつつも、出来るだけ広く長くひとりになれる居場所を確保したいとの想いから、となりに見えた多機能トイレのほうへと向かっていった。


 彼女がそこへ入る際、例えば赤ん坊連れの母親だとか、例えば車椅子に乗ったお年寄りだとかは周囲に見えず、そのおかげもあってか、彼女の罪悪感もいく分かは軽くなった様子であった。


 そうして、トイレの中に入ると久美子は、タイルの床の中央に立ち、しばらくの間、開いたままになっていたベビーシートを見詰めていた。額に汗の玉が出て来るのを感じ、口が力なく開いていくのが分かった。先ほどのお酒も抜けて来たのだろうか、顔からは赤味が徐々に消えかけている。


 それから彼女はだしぬけに、すばやく口を閉じると、その開いたままになっているベビーシートをパタン。ときつく閉じ、手に持っていたカバンをギュッと抱き締める格好を取ってから、洗面台の鏡のまえへと向かった。


 鏡のなかには、自分と似た背格好の女性が、すこしうわついた表情をして立っていた。


『だれ?これ?』


 と、久美子は想い、鏡の中の彼女がニコリと笑った。両手を目のうえに当て、手のひらの親指のつけ根で強く押した。視神経を麻痺させて、こちら側に立つ久美子を見えないようにしてしまおう――とでもするかのようだった。



(続く)


(注1)

 三つ前の“その5”を確認のこと。

 けしかけた僕も悪かったけど、“付け焼き刃は剝げやすい”ってのはホントですね。――詢子さん、ごめん。


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