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第四話:グリコとキョロ(その6)

 さて。


 と、ここで場面はすこし切り替わって、森永久美子 (24)と江崎曽良 (24)のふたりはこの時、『伏倉』という、シネコンとは反対側の駅裏から更にちょっと行ったところにある中華料理店の、ひとの群れからは離れた小さなテーブルに向かいあってすわっていた。


 ここは、江崎が勤める会社の主に食通と呼ばれるおじさま・おばさま方にも人気の店で、四ツ谷界隈には不案内の江崎が、いつもの笑顔と強さでもって彼ら彼女ら食道楽からさりげなく訊き出した場所でもあった。


 壁には、店主の直筆でもあろうか、お世辞にも達筆とは言えない――どころか金釘流の宗匠とでも言いたげなメニューがところ狭しと掲げられていて、はじめてこの店を訪れたグリコらふたりには『東坡肉』の文字が『毛沢東』にすら見えたのだが――、


「それでも味は絶品なのよ」と、設計管理部のご意見番・望月多香子女史 (49)のお墨付きもある。「相手の子もよろこぶと想うわ」


 で、そんな『伏倉』の片すみで、グリコは桂花陳酒のお湯割りを、江崎は同じ桂花陳酒のソーダ割りを、互いに言葉もなく、むずかしい顔をしつつ飲んでいたワケだが、もちろん。彼と彼女の会話をうばい困難な表情をさせているのは、お酒の味でも店の雰囲気でも先ほど観た映画の感想でもなく、もはやトンパ文字然としてきた壁のメニューのせいであった。


『あれは“傷心凉粉”と読むのかしら?』と、グリコが想い、


『なんでメニューに“枯樹生華”なんて言葉があるのだろう?』と、江崎が疑問を感じたところで、


『あ、また食事メニューを渡し忘れていました』と、この店のフロアー担当・柳珠蘭 (来日7年目)は気付いた。


「すみません、おふたりさん」と、黒い冊子を江崎に渡しながら彼女は、「こちらがパソコンで打ったメニューですね」と言った。「オーナーの文字、達筆すぎて誰にも読めない言われます」


     *


「なんだ、それで真琴と連絡が取れなかったのか」


 と、三尾漱吾 (31)は言った。


 更に場面は替わって、ここは千駄ヶ谷のとあるスーパー『スーパー・ドラゴンズ (注1)』のお豆腐コーナー前であり、彼はただ今、この格安スーパーでの買い出し&佐倉伊純女史 (29)との電話の真っ最中であった。


「いや、俺もアイツのツイッター見てさ、ヒマが出来たんならボウリングにでも誘おうかって想ったんだけど――、

 え?いや、樫山は知り合いのところに行くとかでいなくて――、

 あ?うん。なんかイギリスだかドイツだかから警察?なんとかパトロール?の知り合いが来てんだとさ――」


 ――相変わらず意味不明かつ広範囲な交友関係ですね、樫山先生。


「え?おれ?……それが食器棚の奥から『麻婆豆腐の素』を見付けちゃってさあ……そうそう。これがまたホコリかぶっちゃってて。

 うん。そう。で、いまはスーパー。どっちの豆腐にするかで悩んでる」


 ……普通は木綿じゃないの?


「ああ、それが、うちの実家は絹だったんだけど、ヒナノさんとかリコちゃんは木綿で作ってくれ……、え?水気が少なくて型くずれし難いから木綿のほうが良いの?さすが料理人は言うことが本格的だなあ――」


 ちなみに、“ヒナノさん”も“リコちゃん”も漱吾くんの元ガールフレンドね。――どちらとも1シーズンもたなかったけど。


「あー、うんうん。じゃあ、まあ、お邪魔するのもなんだし真琴には連絡入れないように……って、詢子ちゃんは同じ映画三回も観てつまんなくないのか?」


     *


 ぐすっ。


 ズビビ。


 ズッ。


 うっ、うっ。


 ずびっ。


 うぐ。


 えっ、えっ。


 ズビズバー。


     *


 と、いうことで。


 こちらはさらに場面切り替わって、例のシネコン映画館『四ツ谷フォレスト6』の、4番スクリーン内である。


 こちらの劇場では、観客席の老若男女……って男はほぼいないけど、観客席のお姉さま方の涙や嗚咽や鼻をかむ音が小さくおごそかに響き渡っており、件の樫山詢子 (27)も――、


     *


 うっ、うっ。


 えぐ。


 ずびび。


 ズッ。


 うぐ、うぐ。


 えっ、えっ、えっ。


 ズビズビズバー。


     *


 と、涙と嗚咽と鼻擤みの真っ最中であった。


 なので勢い、先ほど急いで塗り上げたお化粧も現在いそいで流れ落ちて行っているところなのだが……、


 ――ってか詢子さん、この映画観るの三回目なんですよね?


「いい映画はなんど観ても新たな感動があるものなのですよ」


 ……はあ。


「ああ、もう、新作カットが尊くて尊くて……」


 ……はあ。


 あー、で、まあ――なんだっけ?そうそう。


 で、まあ、映画開始から早や10分。『四ツ谷フォレスト6』4番スクリーンは彼女たちの感動と汗と涙と鼻水で床も水浸し……、


 ――って、まだ開始10分なんですか?


「だって、いきなり子ども時代の回想を入れ込んでくるんですよ?これで泣くなってほうが無理じゃないですか?」


 ……はあ。


 ――ってか、これテレビの再編集版なんですよね?


「さきほど述べた新作カットに加えてセリフの録り直しなどもあり、これはもう新作映画と言っても過言ではないようにわたくし愚考致したい所存でございますおじゃります」


 ……はあ。


「ああ、もう、自分の語彙力のなさがしんどすぎて筆舌に尽くしがたい……」


 ……はあ。


 ――ってか詢子さん以外の他のお姉さま方もスッゴイ泣いてますね。


「あちらの真ん中の席に居られる三人組の方々などは昨日もお見かけ致しました――二度とも」


 …………はあ。


     *


「あー、じゃあ、まあ、そういう映画ってんならそれで詢子ちゃんは良いとしてさ」と、こんどは精肉コーナーに移動しながら漱吾。「付き合わされる真琴は大変かもな?――女のひと向けのアニメなんだろ?」


     *


 うっ、うっ、うっ。


 グス、グス、グズゥ。


 ずっ、ずっ、ずっ、ずっ。


 ズッ。


 ずびび。


 うぐ、うぐ。


 ズビズビズビズバー。


     *


 と、ふたたび『四ツ谷フォレスト6』では、こちらもこちらでキレイなお姉さまが汗やら涙やら鼻水やらを流しておりますが……って、きみ真琴くん?!


「だ、だって、だって、だって……ああ、あの主人公とライバルの、た、た、対決、対決シーンがぁ……」


 ずっ、ずっ、ずっ、ずっ、


 ずっ、ずっ、


 ズビズバー (二回目)


 ――はじめて観るアニメなんだよね?


「いや、でも、まさか、こんな、こんな、こんなに熱いスポーツドラマだ、だ、だとは…………」


 ずっ、ずっ、ずっ、ずっ、ずっ、ずっ、ズビズビズビズバー (三回目)


 ――きたないなあ。


「はい、真琴さん、ティッシュ」


「あ、あり、ありがとうございます」


「いい映画でしょ?」


「いい映画ですねえ……」


     *


『今度は俺が見せてやる……見たことの無い景色を!!』


     *


「あー!!」


 ズビズビズビズビズビズバー (ふたり同時に四回目)


 ――まあ、仲良さそうでなにより。



(続く)


(注1)

 こちらのオーナーは商売においても草野球においても『スーパー・タイガース』のオーナーとは良好――とは言い難いライバル関係にある。

 まあ、御商売的にはタイガースのほうがかなり優勢であるようなのだが、草野球においてはその逆で、今期もすでに5‐1でドラゴンズの勝利が続いているらしい。

 うん。ほんとどうでも良い情報だなってのは作者がいちばん分かってます。はい。


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