第十一話:おとぎ話と夢物語(その1)
これまでのあらすじ――。
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そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。
主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。
そのとき、人は言った。
「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。
男から取ったものだから、これを女と名づけよう」
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さて。
この右の文章は、以前 (第十回“その1”)にもご紹介した『聖書』とかいうこの惑星の超ベストセラー本、その第二章第21~23項をそのまま抜き出して来たものである。
であるが、古くから様々な物議を醸し出して来たこの書物においても (注1)、特にこの箇所は、古くから様々な物議を醸し出して来た箇所のようである。
と言うのも、この文章をそのまま読めば、
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①女は男から造られた。
②女の原材料は男の肋骨である。
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と云うことになってしまい、現実の生命の創造――皆さまご存知のとおり、普通は男も女も、女の腹から生まれる――との間に大きな隔たりを見ることになってしまうからである。
というか、『聖書』以前の神話、『聖書』以外の神話では、生命を造り出すのは――考えてみれば当たり前のことだが――もっぱら女性神の役割であった。
中国の神話では“女媧”という蛇身人首の女神が泥をこねて人類を造り、シュメールの神話ではヘビを伴なった女神がその地を訪れた男に“生命の実”を与えている。(注2)
そう。
“女をば 法の御蔵と 云うぞ実に
釈迦も達磨も ひょいひょいと生む”
と、例の一休禅師も詠まれたように、本来、生命を代表するのは女であった。
が、しかし。
この『聖書』のこの箇所ではその役割が逆転されており、更に、それに続く箇所では、最初の女性 (イブ)とヘビによる楽園追放の物語が語られることになるのである。
この『聖書』もそうだが、件のお釈迦様やダルマさんもどうも女性を蔑視、差別されておられるように見えるのだが、これはいったいどういうことなのだろうか?
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「そんなん、あたしに訊かれても知らんよ、なんでもかんでもこのお姉さんなら答えられる想うっとったら大間違いやで?」
――え?いえ、べつに貴女に訊いたわけじゃないんですけど…………。
「え?ウソ?ごめん。なんか勘違いした?」
――勘違いっていうか、なんでまだいらっしゃるんですか?
「あー、ほら、買って来た上海ガニ。あのジャグラーだかパントマイマーだかのお兄さん、けっこう残して行っちゃったからさー、ひとりで黙々と食べてんのよ」
――はあ。
「よかったら食べる?」
――いや、僕、それ苦手なんですよね。
「なんや、あんたもかいや。ヘンなところで似てんなあ、あのツンデレと」
――えーっと、すみません。本編にもどってもいいですか?
「ああ、ごめんごめん。――で、あたしやないんやったら、誰に訊くの?」
――ああ、それはですね……。
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さて。
この作者の素朴な疑問に対して、右のカニ臭い女神さまはさておき、アメリカ合衆国の神話学者だった故ジョーゼフ・キャンベル老師 (1904年3月26日 - 1987年10月30日)がビル・モイヤーズ (注3)との対談本『神話の力』のなかで、とても分かりやすい回答を用意してくれていたので、すこし引用してみたいと想う。
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モイヤーズ:しかし、そういう (ヘビや女性が生命の象徴であるような)イメージと、「創世記」におけるヘビのイメージとの相違をどう説明されるのでしょう?
キャンベル:実は歴史的な説明があるんです。ヘブライ人がカナンにやって来てカナンの人々を隷属させた、という歴史に基づく説明です。カナン人が主として信じていたのは女神です。そして女神にはヘビが伴なっていました。(中略)男性神を崇めつづけてきたグループはこれを排斥しました。(後略)
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「あー、なるほどねーー」
――ね?わかりやすいでしょ?
「そもそもあの本って歴史書だもんね。ユダヤのひとたちの」
――そうそう。
「え?でも、これだけやったらほかのお釈迦さんとかダルマさんとか例のデンマーク王子とか (注4)のおんな嫌いの説明にはならへんのちゃう?」
――あ、で、老師のお話はまだ続いててですね……。
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モイヤーズ:この (『聖書』にある楽園追放という)物語はエバに人類堕落の責任を負わせることによって女性に対してはなはだ迷惑を及ぼしているように想えてならないのですが?堕落というと、どうしていつも女性に責任があると見なされるんでしょう。
キャンベル:女性は生命を代表するものです。人間は女性によることなくしては生命を与えられません。そこで、多くの対立項と苦難とでできているこの世にわれわれを投げ込むのも女性というわけです。(後略)
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「あー、うんうんうんうん。なるほどねーー」
――そうそう。わかりやすいでしょ?
「“世界は悲しすぎる”から、そこに産み落とした女が諸悪の根源って理屈な」
――まあ、キャンベル老師のお話はここから時間とか永遠性とか神とはなにか?みたいな話に拡がって行くんですけど……、
「ま、いろんなひとの女ギライはそもそもがこれやろうな」
――だからさっきの一休さんの歌も皮肉が効いてるでしょ?
「あー、そっかあれ皮肉なんだーー――ってゴメン」
――はい?
「まいどのことやからあんま気にならんようなっとったけど、このはなし、どっかでちゃんと本編につながんの?」
――あー、そっか、本編のことすっかり忘れ…………いや、なにかに繋げようとして始めたんだったような――、
「はあ」
――あ、そだ、“イブ”だ。
「はあ?」
――前回、泰仁くんにばっかフォーカスしちゃって、あの彼の相方 (予定)の話をスッカリ書き忘れてたんですよ。
「“相方 (予定)”って、巨乳の?」
――そうそう。もう秋ですし。
「あー、え?なに?あいつらまあだ付き合っとらんの?」
――フェンちゃんから聞いてません?
「え?あー、いや、だって、でも、……あのエロメガネがあの巨乳のお姉ちゃんに会ってもう3年ぐらい経つんちゃうの?」
――だから、それから互いに“ええなぁ”って想う出来事なんかがあったり、互いが互いに惹かれ合ってるってのも確からしいんですけど、それでもずーっと、モヤモヤモヤモヤアイマイアイマイしたまま、今日に至っているっぽいんですよね、あのふたり。
「え?チューとかは?」
――まさかあ、手もにぎってないのに。
「はあ?バッカやないの」
――ねー。で、ですから今回は、ちょっと私の確認の意味も込めてですね、そもそものふたりの出会いみたいな部分を書いておこうかと想いまして。
「いまさら?」
――書いてなかったですからね。
「頭のなかにはあったの?」
――もちろんありましたけど、それは“シュレディンガーの猫”と一緒で。
「書いてみんと分からんわけね。――大丈夫かいな」
――まあでも、過去のことは確定してるハズですから。
「――はあ」
――あ、なんなら一緒に見に行きます?
「――へ?」
――遠くから見るだけですから、歴史が変わることもないでしょうし。
「いやまあ、注意しとけばエエんやろうけど――」
――で、また僕が脱線しそうになったら止めてくださいよ。最近とくに脱線がひどくて――、
「あー、まあ、たしかにサッサと話を先に進めてもらわんとあたしも出番ないしなあ」
――じゃあ、決まりで。
「――カニ持ってっていい?」
――どうぞどうぞ。僕は食べませんけど。
「――時間は?」
――出会いのすこし前から見ておきたいんで……2016年の9月ごろですね。
「あー、ならまあ行ってみますか」
――はい。よろしくお願いします。
ブブブ。
グオン。
シュン。
(続く)
(注1)
ここでは、話の流れ的に“古くから様々な物議を醸し出して来たこの書物”と、書物のほうにのみ責任をなすり付けた書き方をしているが、作者個人としては、書物の書き方以上に読者側のリテラシーのほうが“様々な物議を醸し出して来た”原因となっているように感じられる。
だってさあ、物語を書いてたらさあ、ちょおっとばかり筆がすべっちゃったりさあ、ポリコレ無視した書き方になっちゃったりさあ、設定の矛盾が出て来ても気付かず話を進めることってさあ、普通にあることじゃないですかあ――あるんですよお。
それを微に入り細を穿ってツッコミ入れて来やがってさあ、ほんと先ずはちゃんと最後まで書き切った作者の努力を評価してやれって話ですよ。――しかもあんな大長編を。
長編ってさあ、読む側が想っている以上にさあ、頭使うしさあ、とにかく続けるための体力も半端ないしさあ、その割には「短編のピリッとしまった感じが好きだったのに――」みたいなことを平気で言って来ちゃったりさあ、うる (以下略)
(注2)
ここで興味深いのは、どちらの女神にも“ヘビ”のイメージが付いて来ることだが、これは多分にヘビがその古い殻を脱ぎ捨て身体・生命を新たにすることから来ているものと想われる。
そう。『聖書』ではなにかと嫌われ厄介者とされる彼ら彼女らであるが、そもそもは、彼ら彼女らこそが時間と永遠の象徴である“中心の木”の王である主神であった――と考えるほうが自然なのである。
(注3)元ホワイトハウス報道官。テレビドキュメンタリーを中心に活躍した米国を代表するジャーナリストで、『オースティン・パワーズ』シリーズのマイク・モイヤーズとは何の関係もない (多分)。
(注4)おんな嫌いのハムレット王子のこと。




