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獣医の涙  作者: 森好子


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最終話 エピローグ

 獣医になってから、何匹もの命を見送ってきた。

 そのたびに、「獣医は泣いてはいけない」と自分に言い聞かせてきた。

 飼い主が泣くとき、医者まで一緒に泣いていては、頼りにならないからだ。


 けれど、今夜ばかりは、どうしてもその決まりを守れなかった。

 タマが、震える前脚を何度も何度も差し出していた姿が、まぶたの裏に焼き付いて離れない。

 「お手」と「おかわり」をするたびに、娘さんの笑顔を探していたであろう、その健気さが。


 気がつくと、視界がぼやけていた。

 頬を伝うものを、もう拭おうとは思わなかった。


「タマ……」


 誰もいない診察室で、私は小さくつぶやいた。


「よく、頑張ったな」


 それは、10年を生き抜いた一匹の猫への、獣医からのささやかな敬意の言葉だった。

 同時に、自分に言い聞かせるようでもあった。

 泣いてもいい。

 この涙は、獣医としての敗北ではなく、タマと森家が積み上げてきた時間への、ささやかな祈りなのだと。


 関西から越してきた一つの家族と一匹の猫。

 10年という時間は、決して短くはない。

 その終わりに立ち会えたことを、私は静かに誇りに思った。

 それでも涙が、あとから、あとから流れてくる。

 この仕事を選んだときから、いつかは流すことになっていた涙なのだろう。

 命に寄り添い、その終わりを見届けるということは、そういうことなのだ。


 私は目を閉じ、深く息を吸い込んだ。

 そして、ゆっくりと吐き出す。


 獣医の涙は、誰にも見せるためのものではない。

 けれど、その一滴一滴が、自分の中で何かを育てていく。

 次に出会う命のために、少しでも優しく、少しでも強くあれるように。


 そして10年後も、20年後も、何かの拍子に、ふと思い出すのだろう。


 タマという、古風な名前のペルシャ猫。

 そして、最期の夜に「お手」と「おかわり」をしてみせた、小さな前脚の感触を。


実話です。ちょっとソフトに書いてますが

「奇跡を信じて最後まで看取るのが、飼い主のつとめではないですか」のくだり、

かなり厳しく言われました。

目の前で弱っていく小さな命をみるってすごく辛い。

そして、一緒に涙してくれた獣医さんに、私はお礼のひとつも言えなかったけど

感謝しています。

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