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灰色の煙の中で  作者: 鈴埜


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8.梔子の狩人2

 とんとんとん、と規則的な音が台所に響く。立ち上る湯気。ほうれん草のおひたしに、豆腐とわかめの味噌汁。みりん干しの香ばしい香りが腹を刺激した。

 誰もが想像する幸せな朝の風景に、深沢はそれらを作り上げた功労者の背中を見やった。

 しかし、そこにあるのは柔らかな笑みを浮かべる母親ではなく、愛しく可愛らしい妻でもなく、――渋面を貼り付けた男。


 エプロン姿の白川は、それはもうどこから見たって完璧としか言いようがない。それがたとえどんなに不機嫌でも女性から見ればその怒った姿も格好いい、だろう。


 だが残念なことに深沢にとっては先輩でありなおかつ家主である彼が誰に当たるでもなく一人イライラとしている様子は、居心地が悪くてたまらなかった。なんとか慰めようとするが、一向に改善されなかった。それでもめげずに再チャレンジ。


「あんまり気にしない方が良いですよー」

「……」


「寝ぼけてたらいつも通りの行動に出てしまって当然ですから!」

 その瞬間、包丁を握ったままの白川がくるりとこちらを向いて尋ねた。


「卵はどうする?」

「はい、目玉焼きでお願いします」

「ん」

 その話題に触れることすらタブーとなっているようだ。

 



 昨夜、仕事帰りに高熱を出した黒崎を、仕方なく白川の家に運んだ。彼にしてみればものすごく、とんでもなく、嫌だったのだろうが、病人ならば仕方ないと彼のベッドを黒崎へ貸したのだ。


 そして、夜中トイレに起きた白川は寝ぼけた頭のまま、いつも通り、己の寝床へ戻った。朝、けたたましく鳴る目覚ましを同時に止めるというお約束的シチュエーションに陥ったのだ。


 男の悲鳴にリビングのソファーで寝ていた深沢は何事かと跳ね起き、その悲鳴の元へと向かってみれば、白川はフローリングの上で泣いてるし、黒崎は黒崎で再び夢の世界へと旅立っている。一瞬何かとんでもないことが起こったのかと状況をつかむのに苦労した。

 

「朝飯はきっちり食えるか?」

 白川が炊飯器の前で深沢へ茶碗を見せる。


「あ、はい。大丈夫です!」

「あいよ」

 ふっくらと炊きあがった白米が目の前に出されると、深沢の腹の虫は限界に達した。それを聞いて彼は苦笑する。


「いいよ、もうできるから食べろ」

「うー、いただきます」

「はいどうぞ」

 だが、最後の仕上げと運ばれてきた目玉焼きに思わず声を上げる。


「目玉が潰れてる!!」

「え、あ。もしかしてサニーサイドアップがよかった?」

「い、いえ……いただきます」

 これだけの朝食を準備してくれた相手に、あの黄身に箸を突き立てる瞬間が好きだったんだと言うのは忍びない。


「すまんすまん。俺が黄身半熟なのが嫌いだからいつも両面焼きしちゃうんだよね」

 そう言って向かいの席に座った彼の手には醤油。


「胡椒は振ってあるけど、マキは何つけて食べる?」

「マヨネーズで」

 目玉焼き論争をするつもりはないが、主張できることはしておきたい。


 白川も特に何を言うわけでもなく、そっと眉をひそめてから冷蔵庫へそれを取りに行った。


「いっつもこんな豪華な食事なんですか?」

 マヨネーズを受け取って、それを目玉のてっぺんに絞り出す。本当はとろとろの黄身とマヨネーズのコラボレーションが、といいたいところだが今日は我慢だ。

 それにしても、先ほどから次々当然のように出てくる調味料がすごいと思う。食材は普通に食べきってしまえばいい。だが、調味料の類は一度に全部使い切ることなどできないうえに、ある程度の頻度で使用しなければだめになってしまう。ちらりと覗いた冷蔵庫は男の一人暮らしとは思えない内容だった。


「いや、平日はさすがに無理かな。状況にもよるけど。でも休日くらいはちゃんとしたいから」

「自炊してるだけ偉いと思います」

「お前は? 実家?」

「いえ。一人暮らしですよ。というか施設から出てきたばっかりでそのまま配属です。家の周りに何があるかもあんまり知りません」

 ああ、と白川は少しだけ嫌そうな顔をしてみりん干しをバリバリと食べる。


「一応用意してもらったところに住んでますけど、一人分の食事って作る気になれないからついついコンビニとか外食になっちゃいますよね。だからユキ先輩はすごいなぁって思いますよー」

 にこにこと目の前の青年に褒められた白川は、照れるでもなくがっくりと肩を落とした。何か変なことを言ったかなと思い始めたころに、彼はぽつりと呟く。


「お前が可愛い女の子だったらなあ。なんで野郎に飯作ってやらなきゃならないんだ」

 確かに。


 先ほど自分が抱いた幻想の反対。


 けれど、まあ仕方ない。深沢にできるのは作ってもらった朝食を美味しく食べることだけだ。

 もくもくと口を食べることだけに動かせば、ほんの二十分たらずで準備されたものをすべて平らげることとなった。締めの熱いお茶を飲み干して、深沢は両手をあわせた。


「ごちそうさまでした」

 白川の方も終わっていたので、皿を流しへと運ぶ。


「いいぞ? 置いておけば」

「いいえ、洗い物ぐらいさせてください」

 そうか、と言って白川はソファーへ移動し、テレビをつける。適当に流すが、結局ニュースで止まった。政治、経済、芸能と、たいして目新しくもない情報がアナウンサーによって披露されていく。


「そういえば、ユキ先輩も施設入ったんですよね?」

「そりゃーな。見つかれば能力者は誰でも入る。そうだろ?」

「ええ……」


 彼らのような能力者は、世間にそれを隠すようにしている場合が多い。

 人は、自分たちの常識に当てはまらないようなモノを気味が悪い、危険だと強制的に排除しようとする。誰にでも予想が付くその事態に、彼ら能力者は身を縮めて生きて行く。


 しかし、その能力を最大限に生かして自分の利益へ結びつけようとする者がいるのも事実だ。おおっぴらではなく、そんな輩は自分の持てる能力をフルに使って、ばれないようにと、もしくはばれても構わないと力を振るう。


 人々にとって不利益にとなることは、悪目立ちする。

 そして最終的には一部の悪がすべてが悪いとなっていくのだ。


 全人口に対しての能力者の割合は微々たるものだ。いかに強く多才な能力を持つとはいえ、数の暴力の前にあっけなく押し潰されるだろう。


 そうならないためにも、彼らはその能力を世間のために使わなければならなかった。いつまでも永遠に隠し続けることはできない。能力者の人口が増えれば、自ずと世間へその存在が明らかとなっていく。そういったときに彼らが今までしてきたことが重要なのだ。


 受け入れられるか否か。


 特殊警防課は、いわば彼らのための救済でもある。

 ――施設で何度も何度も叩き込まれる思想。

 そんな風に言われずともわかっている。自分のこの能力が何かの役に立つならそれもいいと思う。だが、そうやって押しつけがましい理論を展開されるとどうも反抗したくなった。


 結局厳しい監視付きではあるが、普通に人混みに紛れ、普通の人間と変わらぬ生活を送っている能力者を何人も知っている。月に一度施設を訪れること。勝手な転居はもちろん許されない。他にも細々とした規約を守りながら普通の暮らしをしている彼らは、それでも施設や警防課で働くよりマシだと言う。


「マキは見つかったクチ?」

 少しためらった様子を見せながら、白川が尋ねる。


「そうです。一年ほど前に」

 深沢は相手に罪悪感を持たせないよう自然にうなずいて笑う。


「そりゃご愁傷様」

 極力能力を使わず、普通に暮らしてきた。上手く、まぎれていると思っていたのだが、見つかるときは本当に突然で一瞬だ。


「PKのトレーニングは結構きっついって聞くしな」


 洗い物の手を止めずに、深沢は流しに向かって笑う。

「いえ、むしろ使い方や制御の仕方をいろいろ教えてもらえて、俺は良かったですよ」

「へえ……まあ、そっか。今までの経験からのノウハウを聞けるってのはためになるのかもな」


「そうですね。……ユキ先輩は何かして見つけられたんですか?」

「いや、俺の場合はなんだ……スカウト、かな」

「スカウト?」

「端的に言えば、課長によって捕獲された」

「……なんか、大変っぽいです」

「まあな。もう、とんでもない――」

 二人の会話に割って入ってきたのは、その今まさに話題に上っていた藤本課長だった。テーブルに置いてあった携帯電話が鳴り響く。

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課長さんはいろいろと覗きしてる人。

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