7.梔子の狩人1
玄関から普通に靴を脱いで入ろうとする岸本を後ろから小突いて、下駄箱の上を無言で指さす。図体と声がやたらとでかいこの後輩は、慌ててシューズカバーをして中へと進んだ。初めての現場で緊張するのは仕方ない。捜査を混乱させるようなポカをやらなければ、何事も経験だ。それも良いだろう。そのポカをやらないように見張ってやるのが先輩だ。
「慌てるな。ここまで来たら証拠が逃げるわけでもなし」
現場へ来るまでに状況は聞いている。不審死ということだが、もし殺人となれば犯人逮捕が第一となる。だがそれも、現場を調べて証拠を探ってからだ。その間、実は捜査官である我々が一分一秒を争わねばならぬような事態はほとんどない。むしろ、焦って見落とす方が拙いのだ。じっくり的確に。それが事件解決への近道となる。
しかし、そんな松阪と岸本へ声がかかる。
「逃げるよ。早くおいで」
玄関から少し入って右側に、人の顔だけが見えている。何度か顔を合わせている監察医の佐川だ。痩身で、きびきびと手際の良い、見ているこちらの背筋も伸びてしまうような医師だった。
「写真は一応撮ったけど、生も見ておいた方がいい」
いつも思うのだが、彼らは状態をやたらとストレートに表現する。遺族に対してはとても丁寧に説明するのに、なぜ我々捜査官にはこう容赦がないのだろう。的確に表現することが間違いを生まない第一歩であることはわかるが、それにしてももうちょっと言いようがあるのではないか?
「待て、岸本」
「はい?」
前を行くでかい図体が一時停止する。
「お前、遺体を見たことは?」
「えー、制服の時に何度か。ホームレスのお爺さんが凍死していたり、あとは自殺された方とか」
「そうか。いいか? 気分が悪くなったらダッシュで外へ行け。現場を汚すな」
「あ……了解です」
「大丈夫。きれいなもんだよ」
二人の会話に佐川の横やりが入る。しかし、監察医や検視官のこういった言葉は大概信じられないことが多い。
松阪も十分警戒して彼が手招きする方へ向かった。
せせこましいことこの上ないが、男が三人。監察医の佐川と、鑑識三班の山田、そして被害者。それが脱衣所にぎゅっと詰め込まれている。それ以上人が入り込めば証拠が破壊されると山田が火を噴くので顔だけ突っ込んだ。
被害者は腰にタオルを巻き付けた状態で床にうつぶせに倒れていた。
「これ、珍しいから」
その体を指さす。
初めはなんのことを言っているのかわからなかった。全体的に赤みが差した被害者の体。しかし、目を凝らすとそれは非常に細かい筋になっていた。そこが赤いのだ。
「雷紋とか電紋って言ってね。つまるところ火傷なんだ。数時間すると消えてしまうから、よく見ておいた方がいい」
それがどんな物なのか、松阪は知らなかった。隣の岸本を見れば、彼も興味深そうにその珍しいと言われる現象に見入っている。
今回は被害者がうつぶせだったのも幸いしているのかもしれない。表情があるのとないのでは受け取るショックも段違いだ。
松阪はあらためて室内を見回す。
典型的な脱衣所。洗面台と洗濯機があり、風呂場へ通じるドアがある。押したらちょうど真ん中がへこんで開く折り戸と呼ばれるタイプのものだ。
換気扇を回しているが、湿度が高い。風呂の後だったということだろうか。
ヘッドが引き出せてシャワーになる大きな洗面台に、紺色のヘアドライヤーが落ちている。離れているのではっきりとはわからないが、コードが少し溶けているように見えた。男はその洗面台の方へ頭を向けて倒れている。
「さあ、いいかな。ざっと説明する」
「お願いします」
ポケットからメモを取りだして構えると、岸本もそれにならった。
「被害者の三十代後半男性。詳しいことはリビングの女性に聞いてくれ。腹が出てる。メタボリック間違いなし。体全体に雷紋。解剖してみないとはっきりは言えないが、心停止だろう。原因は――これまたなんとも言えない」
「原因はあれじゃないんですか?」
岸本がドライヤーを指さす。
なかなか良いところに気付く。
佐川も頷いて被害者の右手を取った。
「ペンだこから見てだが確実ではないが、被害者は右利きだ。君が――」
「岸本裕一郎です! 宜しくお願いします」
大音量で敬礼する様子に佐川は苦笑しつつも頷く。
「佐川です。こういった場面で今後もお世話になると思います。それで、岸本さんの言う通り、ドライヤーをコンセントに差そうとして接触事故を起こした。この遺体の向いている方角と――」
ごろりと遺体を仰向けにする。カッっと見開かれた瞳を突然見せつけられて一瞬たじろぐが、すぐに体勢を立て直す。岸本も、少しだけ眉を寄せたまま大人しく脱衣所の入り口に直立している。
「遺体の顎の部分に打撲痕がある。これは崩れ落ちたときにできたものかもしれない。それか感電している途中、体が痙攣けいれんを起こした際にぶつけたかも。とにかく最近の皮下出血だ」
「じゃあ、ガイシャは風呂上がりに髪を乾かそうとしてコンセントを差し込む。その際端子に接触。感電して、亡くなった」
松阪の立てた道筋に岸本が疑問の声を上げた。
「でも、家庭の電気で人って死ぬんですか? よく火花が散ったとか、びりっときたってのは聞きますが」
コンセントを睨みながら言う。太い眉毛が印象的な強面である彼に、そんなまなざしを向けられたら結構な人数がすくみ上がるに違いない。頼もしい半面上手く立ち回らなくてはマイナスになる面もあるだろう。
「漏電事故に注意しようと、あれだけ騒がれているんだ。体調や状況によっては亡くなることもあるだろう」
「そうだね。低電圧感電での死亡者は、年間二十人前後確認されている」
「でも、それは工場などでの200ボルト電源とかがほとんどでしょう? 家庭用は100ボルトですし、その半分だから――」
確かに、コンセント差込口に小さくではあるが100V電源と書いてある。
かの姫〇亜弓も無事だったなぁと、某少女漫画を思い出した。松阪には姉が一人いる。無理やり読まされたはずなのだがはまってしまった。ちょっと懐かしい。
「それなりの知識はあるようだが、岸本さん。少し勘違いをしている。感電死する際、重要なのは電圧ではなく、電流だ。どんなに電圧が高くとも、流れる電流が微弱ならば人は死なない」
「電流、ですか」
家庭用の電気機器類には常に電圧、Vの表示が溢れている。
「そうだ。そして一定の電圧に対して流れる電流の量を決めるのは、抵抗。オームの法則を覚えているか? 中学校の物理でやっただろ?」
「電流イコール電圧割る抵抗。I=E/Rですね」
松阪は昔理科の実験でやったことを思い出していた。電流を測定するには直列につなぎ、電圧は並列に。電流はよく水の流れに、電圧はその水が落ちてくる高さにたとえられる。
物理は得意だったので、松阪は頭の引き出しからすんなりとその知識を取り出せた。しかし、岸本の方は困惑気味だ。
「物理が苦手になる第一関門だな、あの辺の授業は。まあ、とにかく人は個人差はあれども20から50ミリアンペアで感電死の危険が出てくる。今回は多めに見積もって50ミリアンペアとしよう。家庭用コンセントの電源は100ボルト。それで抵抗の値が出てくるな?」
慌ててメモに計算をし出す岸本の手元を覗き込んで、松阪は初歩的なミスを指摘する。
「お前、50ミリアンペアの単位そろえろよ。ミリは千分の一だから0.05アンペアだろ」
「りょ、了解です。抵抗はええと、2000です」
「そう、2000オームだ。ようはそれを下回らなければよい。体格や体調、状況によるが、人の抵抗値はだいたい5000から10000だといわれている」
「じゃあ……」
「それはあくまで通常の状態」
佐川が遺体を指差す。
「人間がずぶぬれの状態だとその抵抗は500オームまで落ちる」
岸本が目を丸くした。一気に十分の一にまでなるのかと。
「彼は状況を見るに風呂上りだ。ずぶぬれとは言わないが、身体が湿っている状態ではあるな。低電圧感電の死亡数が圧倒的に多いのは、夏だ」
「夏は汗をかきますからね」
「そう。だから体調と状況によるがと言ったんだ。皮膚が湿っている状態では、人間の抵抗はだいたい2000オーム。ようは彼があのドライヤーで感電してしまったのなら、死ぬ可能性はあったということだ」
三人の視線は倒れている遺体へ集まる。
一人山田だけが黙々と証拠の採取に当たっていた。
「それじゃあ、事故の可能性が高いということですか? 状況に不自然な点は見当たらない。他に何か不審な証拠でも出てこない限り」
松阪がそうまとめると、佐川はうなったまま首を縦に振らない。
「何か出たんですか?」
佐川だけでなく山田へも視線を向けると、床にしゃがみこんでいた彼は、肩をすくめる。
「今のところはまだ採取している段階だからなーんともいえまっせん」
証拠の正確さを売りとする山田が回答拒否。口元をひんまげている佐川に視線を移すと彼も山田と同じように肩をすくめる。
「言ったろ? 珍しいものだと」
そういって遺体を指差した。
「ああ、ライモンでしたっけ?」
初めて聞いた名前なのだから、彼が悩んでいることもわかりかねる。
「んー、とにかく持って帰って検死解剖してみる。詳しくは報告書を見てくれ。君らにはリビングにいる発見者を任せるよ」
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CSI科学捜査班とかをめっちゃ見ていたときに書いたものでこうなります。
視点移動大丈夫かなぁと思いつつ。




