22.深緋の痕9
「これ終わったら、研究所行きましょうね」
後ろに声をかけるが、返事はない。
深沢は前を向いて座り直すと、今度は黒崎の方を向いた。
「藤本課長にとにかく行けって言われたんで、何があったのかまったくわからないんですけど」
「ああ。そうなのか。すまないね。……うちの課の子がやっかいごとに巻き込まれた。最近女性の遺体が見つかって連続殺人だと言われていた事件があっただろう? その犯人に彼女が捕まっているんだ」
「それって――」
「だから白川が頑張ってくれて、居所はわかった。藤本さんが視て、無事でいることもわかっている。後は正攻法でその犯人を捕まえるだけだ」
ハンドルを握る手に力がこもった。藤本の言葉が蘇る。これまでの白川の努力を無にするなという台詞がなければ、有無を言わさず突っ込んで行っただろう。
「用事があっただろうに、すまないね、呼び出して」
黒崎の言葉に深沢はぶんぶんと音がするほど首を振る。
「そんな心配しないでください! 僕の方は単なる月に一度の健康診断です。終わっていたし、全然構いません」
むしろ、そんな重大な事件に関わっていたのならもっと早くに連絡をくれてもよかったのにと大変読みやすい彼の表情が物語った。
「健康診断、月に一度なのか」
寂しそうな表情を見て、黒崎は話を変える。深沢はええ、とうなずいた。
「僕らはそれが義務になってますからね。先輩もこのあと行かないといけないだろうなあ。能力使った後にこんな風に身体へ影響が出るようじゃ、かなり徹底的なものに――」
途中で手が伸びてきて、深沢の頭をがしっと掴んで揺する。
真っ白な顔をした白川が運転席と助手席の間だから顔を出していた。
「言わなくていいことべらべら喋るな馬鹿者」
「うわあ、すみません! 大丈夫ですか?」
「どぎつい頭痛は収まったから、後は時間が経てば治る。それで課長は? なんか言ってた?」
「正攻法で捕まえろと」
「とーぜん。そうでなければ裁判で負ける。あくまで偶然を装わなくてはいけない。上手いことマキも来てくれたし、一番高い可能性に合わせて、こうしよう」
制服を着た警官が、何度かチャイムを鳴らす。玄関から門扉まで歩いて数歩の家だが、東京都内の坪当たりの価格もだいぶ高い一帯でこれだけの面積を所有しているのはそれなりの金を持っている証拠。左手の方にはかなり広い庭と、黒のバンがあった。
白川は黒崎を見て頷く。
待つこと十分。チャイムを押すこと二十回以上。ようやく出てきた男は、どこにでもいそうな平凡なサラリーマン風で、普通の休日を過ごしていたように見える。警察官の制服に驚きの表情を見せたかのように思えたが、眉をひそめて門扉へ近づく。
「なんでしょう?」
不審を露わにした彼の言葉に、警官二人は警察手帳を提示した。
「間宮徹さんですね?」
「そうですが、何かあったんですか?」
警官の後ろに並んでいる三人にちらりと目をやりながら、警察手帳を食い入るように見つめる。
「あちらにいる白川さんが、あなたの車に危うく轢かれるところだったと通報が入りまして。すみませんが署へ同行願えますか?」
考えていたのとはまったく違った台詞だったのだろう。初めの驚きは本物だ。
「轢かれる? 何かの間違いじゃありませんか?」
「あなたの車のナンバーはこれですよね? 黒のバン」
プリントアウトされた紙を目の前に突きつけられて、彼はさらに眉をひそめる。
「確かに私の車ですが、しかし、人を轢きそうになったらさすがに私だって覚えてますよ。しかもあんな背の高い人。いったいどこでなんですか? 何かの間違いです、きっと」
だんだんと険しい顔つきになり、白川を睨む。対する彼は顔色は相変わらず最悪だが、少し笑っていた。
普通の、身に覚えのない厄介ごとに巻き込まれた男の姿。その模範的な反応に、彼の知能の高さが窺えた。うろたえることなく、ずいぶんと普通の反応をする。
「ええ。目撃者がいませんから、まずはお話を聞きたいんです。こんなところで立ち話をする内容ではありませんので、一度署の方にご同行願いたい」
相手が怒り出すのを恐れてか、警官はゆっくりと、だがはっきりとした口調で彼に状況を説明する。
だがそれをぶちこわすのは白川だ。
「えー、でも今日、渋谷の方に車で行ったんでしょう? そこで僕をひっかけた。随分急いでいるようで、降りてもこずにそのまま走り去っていった。それってひき逃げって言うんですよ。立派な犯罪だ」
「あんた、なんなんだ。言いがかりはよしてくれ!」
「渋谷に行ったんですか? 行ってないんですか?」
相手を小馬鹿にしたように顎を上げて問う。それでなくても背が高く、人を見下ろす形となりがちな白川のその態度に、警察は慌てて一歩前に出た彼を押し戻した。
「白川さん、署でお話を聞きますから」
「いいじゃないですか、行ったか行ってないか聞くぐらい。答えられないってことは行ったってことですよ。そして、僕をひき殺すところだった」
口の端を上げて皮肉な笑みを浮かべる。間宮の頬がひくりと動いた。だがそれは一瞬で、すぐに冷静な仮面をかぶる。
「もしかして、母を妬む類の方ですか? いるんですよね。彼女が生きている間は敵わなくて、他界してしまったが故勝ち逃げされたような状況に。仕方なしにその息子である私に何かと因縁をつけてくる輩が。もう一年経ちますし、ここのところはそんなことがなかったんですがね」
それが身に覚えのない彼の中で一番可能性の高い真実だった。しかし、白川の次の反応は、間宮が期待してるものではなかった。怪訝な顔をして首を傾げる。
「間宮さんのお母さんは、ピアニストとして有名な間宮麗子さんですよ。ご存じないですか?」
警官の一人がそう取りなすと、白川は思い当たった風に頷いた。
「それでグランドピアノか。――いや、残念ながら音楽には疎くて。……あれは? おい、あれ、桜子ちゃんの携帯じゃないか?」
突然白川が間宮の後ろを指さして言う。
「確かに。似ているな」
黒崎が彼の言葉に同意した。
桜子という名前に、間宮の方が大きく動く。白川の指先を慌てて見た。
「僕らは今日、江藤桜子を迎えに渋谷に行ったんですよ。彼女の学校があるんで。けれど彼女が見つからなくて、さがしていたんです。なんで彼女の携帯があそこにあるんですか?」
押し戻された一歩分にさらに二歩追加して、白川が間宮へ迫る。
「どういうことですか? 間宮さん」
警察の二人も彼に近づいた。間宮の間はほんの数歩。玄関の扉脇に落ちている携帯と、彼らの視線が交錯する。
「おい、黒崎。桜子ちゃんの携帯に電話してみろ。それが一番わかりやすい。もし、渋谷で姿を消した彼女の携帯ならば、なぜこんなところにあるのか――」
白川の台詞の途中で軽快な音楽が響き出す。
「詳しいお話をお聞きしなければなりませんね」
警官二人の瞳にも、疑惑の色がのぼる。
門をはさんであちら側にいた間宮の視線が外れる。
次の瞬間、彼は後ろを向いて走り出した。
「マキトっ!」
白川の言葉に呼応して、彼が飛び出す。胸の辺りまである門を軽々と飛び越え、後を追った。
「黒崎は桜子ちゃんを!」
内側に手を伸ばして門を開け、黒崎は鍵のかかっていなかった玄関から土足のまま家に踏み込む。白川と警官は間宮の後を追った。
どんなに深沢が機動性に富んでいるといっても、ここは勝手知ったる間宮の庭だ。ごちゃごちゃと植わった植木を上手くよけてあっという間に離されて行く。
「マキト! 足だ!」
白川がそう叫ぶのと、間宮が突然何かに躓いて転ぶのとはほぼ同時だったと、後から警官二人は証言した。
すぐさま深沢が犯人の腕を掴み、追いついた警官が手錠を掛けた。
間宮は地面に押し付けられながら、痛いと悲鳴を上げている。しかし、観念しているのか暴れる様子はない。
署に連絡を取る警官二人を置いて、白川と深沢はすぐに玄関へ向かった。
「お手柄だな。気付かれずに上手くあそこまで携帯を移動できたのはなかなかポイント高いぞ。あれぐらいのモノなら壊さずに行けるんだな」
「いえ、先輩が話をして注意をそらしてくれていたからですよ。……その代わり、犯人の足、折ってます、俺」
だからあんなに痛がっているのか。
「……まあ、平気だろうそれくらいは。うん」
なんとかごまかせる範囲だ。それよりも携帯をPKで移動中に壊してしまって、着信音が鳴らなかった場合が一番問題だった。
「後は携帯電話の位置データの改竄と、俺の通報記録か。それくらいなら課長にかかればお手の物だ。あ、桜子ちゃん!」
建物の角を曲がると、ちょうど玄関から黒崎と江藤が現れるところだった。しっかりと肩を抱かれた彼女は、少しだけ潤んだ目をしている。二人に気づくと頭を下げた。
「大丈夫? 怪我は?」
「ありがとうございました。少し腕を擦っただけです。後はどこも、なんともありません」
「そう。良かった」
無事な姿を見て、あらためて胃のあたりに溜まっていた不安が解ける。
「犯人は?」
黒崎が間宮の走っていった方を見ながら尋ねると、白川は深沢を見てうなずいた。
「あっちで取り押さえられてる。手錠も掛けられたし、もうすぐ警官や鑑識ががどっさり来る。……桜子ちゃん? 大丈夫? 気分が悪いなら、どこか、そう、黒崎の車にいるといい」
急に俯いて肩を振るわせる彼女を覗き込むと、ちょうど一筋涙がこぼれるところだった。
なんと声を掛けて良いかためらう。
「あと少しで」
突然連れ去られ、どれだけの恐怖の中この数時間を過ごしたか。最後の姿を知っている彼女だからこそ、なおさら絶望していただろう。
白川は彼女の腕をしっかりと掴む。
「もう大丈夫だから、安心して。犯人は捕まった」
何も心配することはないのだと、思いを伝える。
だが、彼女をは首を振った。
「江藤、もういい」
黒崎が白川から引きはがすように彼女の身体を抱く。だがその腕の中で、江藤は両手で顔を覆った。
「あと少しで、――殺すところだった」
くぐもった、それでもはっきりと彼女は言った。
「もういいんだ。それは起こらなかった」
思いがけない言葉に、黒崎の顔を見る。だが、彼も首を振り、彼女を庇うように背を向けた。
「ありがとう。白川、牧人君。あとで話を合わせよう。だが今は、そっとしておいてくれ」
ぽつりと、雨が白川の頬を叩く。
朝は晴れていた空がいつの間にか分厚い雲に覆われて、今は梅雨なのだとあらためて思い出させる。肩を叩く雨粒の数が次第に増して、二人は玄関先で地面が黒くなっていくのを、ただ黙って見ていた。
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ということで深緋の痕は終了。




