21.深緋の痕8
頭がぐらぐらする。一度にこんなに多くのものを視るのは、研究所で能力確認と訓練という名の研究の一環として一日中サイコメトリーをやらされたとき以来だ。
現実の風景と、視た風景が混ざってまともに歩くことさえ困難になる。
「白川、少し休んでくれ!」
「嫌だ。まだ見つからない」
江藤の通う学校へ行ってみると、彼女はもう帰った後だという。平日仕事で休むことが多い彼女のための補講だった。他にも何人か生徒がいたが、今はもうみんな帰っている。
そうなれば彼女の性格から捜査の状況を聞くために黒崎へ連絡を取っただろう。霞ヶ関の特防課へ何度も来たことがあるのだ。直接現れたっておかしくない。
連絡を取れば来るなと言われることはわかっていただろうから、最初からそちらを選択する可能性の方が高い。
どちらにしろ、あのまま家に帰るような少女ではないのだ。
彼女の自宅にも連絡を入れてみたが、両親は出ていて、誰も電話を取らない。彼女が姿を消して二時間。何か起こったのは間違いない。
黒崎も自分の部下に連絡を取るが、こういった場合彼女を見つけだすことができそうな手駒は運悪く京都にいるという。急いでこちらへ向かうと言っていたが、それをじっと待っていることはできなかった。
自分の導き出した結論は最悪の事態を示唆している。
「いてぇ」
指先まで熱を持っている。接触するその場所へ負荷がかかっているかのようだ。
学校の周りの彼女が触れそうなあたりへ片っ端から右手をつくが、たくさんの制服がちらつくだけで確かな映像は取れない。
それが今日のものであるかも保証できない。
川底から小石を一つ見つけるような作業で、正直何かしていないといてもたってもいられないから、無理矢理見つけようとしている感は否めない。黒崎にもそれがわかるのだろう。ふらつく白川の肩を後ろから掴んで引き留める。
「もうやめろ。藤本さんの連絡を待とう」
無言でその手を振り払おうと肩に力を込める。だが、黒崎の力の方が上だった。どんな風に押さえれば、片手で自分より背の高い男の動きを封じることができるのだろう。
思い通りに行かないこの状況に、白川は敵意をあらわに黒崎を睨みつけた。
頭が、痛い。目の裏が、熱い。
闇雲にサイコメトリーをしていても、成果を上げることは難しい。
いざと言うときに正常な状態でいることの方が重要だ。それまで待っているのが一番だとわかっている。
わかっているのだ。
だがそうやって、正しいことを言う男に苛つく。
八つ当たりだ。己の能力の限界に、自分自身に苛立ちを押さえられずに相手にぶつけようとしているのはわかってる。
気づくべきだった、気づくことができたはずの自分の愚かしさに震える。
サングラスの奥の瞳は焦りを映しているのかもしれない。だが、表面上はそれを取り繕い、最善の判断をしている彼が憎かった。それだからお前は子どもなんだと言われているようで腹が立つ。
だから、自分でも、言うつもりなんてなかった言葉がつい口をつく。
「俺はお前とは違う!」
乱暴に腕を跳ね上げ、触れることを拒絶する。
「目の前で助けを求めている奴がいるのに、それを見ない振りなんてできない!」
その瞬間、息を止めた黒崎はまったくの無表情だった。
一秒にも満たないその一瞬の後、彼は少しだけ笑った。口元だけに笑みをのぼらせる。
「視たのか」
白川の能力。人とは違う、特別な能力。
こんな風に知っているのは、能力という卑怯な方法を使ってのことだ。本来なら知らずに済んだことだ。それを理由に動いてはいけないと、自分に言い聞かせていた。
「それが俺を嫌う理由か」
さらに、口の端を持ち上げて笑う。
違うとは、言えなかった。
それがすべてだから。それが正しい答えだから。
中途半端に開いた口を、閉じる。
でも、何かを言わなくてはともう一度息を吸ったとき、スマホが鳴った。
重苦しい雰囲気が少しだけ晴れる。ぎこちない動作で取ると、藤本の厳しい声が耳の奥まで鳴り響く。
『お前のいる場所から三百メートルほど南へ下った右手の草むらに彼女のスマホがある。それを視ろ』
「スマホが?」
尋ねながらも走り出す。
『ああ。もう少し右。そう、その辺りに』
指示を受けながら草むらを探すと、たくさんのストラップがついたブルーのスマホがあった。
後から来た黒崎の方を見ると頷く。
「江藤のだ」
『マキもあと五分ほどで着く』
「ありがとうございます」
『礼は見つかってからしっかり航君に請求する。お前はさっさとお前のやるべきことをやれ』
電話を切ると、黒崎の車に戻った。その時間も惜しかったが、さすがに道ばたで倒れるわけにもいかない。後部座席に乗り込むと、すぐ指先を携帯へ這わせる。
痺れるような感覚と共に、脳裏に情景が広がった。
江藤の横顔。
少し遠くにある背中に傷のついた人間の姿。
そして、黒っぽいバン。
目まぐるしく世界が回り、雑草の中に放り出される。
映像の途切れとともに目を開くと、間近に黒崎の顔があった。
「また、幽霊だ」
「幽霊?」
「ああ。髪の長い、背中に大きなバツ印のついた女が見えた」
江藤はそれを学校帰りに見つけ、思わず追ったのだろう。そして――、
「黒いバンに引きずり込まれた」
ちょうど電話を取り出して連絡を入れようとしていたのかもしれない。咄嗟のことか、偶然か、スマホは彼女の手を放れ、犯人はそれに気付かなかった。
「犯人の車か? 藤本さんに――」
自分のスマホを開く彼の手を上からつかんで止める。
「まだだ。こんなんじゃ手がかりになんてならない」
車種もはっきりしないというのに、日本一人口密度の高いこの東京に、黒のバンがいったいいくつあるというのか。
再び手をかざした白川に、黒崎が何かを言いかけてやめる。
その気配を感じ、また同じことを繰り返すのかと、顔を上げた先にバックミラーがあった。そこへ映りこんだ自分の顔色に呆れを通り越し笑いしか起こらない。紙のように白いとはこんなことを言うのかと。これじゃあ何か言いたくなっても当然だ。
「大丈夫。情報をお前に伝えるくらいの余裕は残す」
目を閉じ、携帯からさらなる情報を引き出そうと映像を絞る。
見えるのは画の羅列。
彼女の黒い髪。赤い髪飾り。そして、彼女を連れ去った車。
そこで止める。車種は――それよりも、もう少しだけ角度が、あとほんの少しだけ角度が変わっていたら、そうすれば、視える。
車のナンバーが、視えるのに。
こんな風に視ているものを停止させることも初めてなら、その映像を動かそうと思うことも初めてだった。
そんなことをやりたいと思ったのも初めてで、できるかもしれないと望んだのも初めてだ。
しかしそこで、黒の車体が少しだけ。視点が少しだけ動く。
自分のこのサイコメトリーの能力は、見えていたものだけを映し出す能力だとそう理解していたのに、動いた。
「視える」
全身が震える。己が決めつけていた能力の壁を越える瞬間。
「白川?」
サイコメトリーをしているとき、途中でこんな風に言葉を発することはなかった。異変を感じ取った黒崎は、彼の肩を掴む。しかし、白川は右手はしっかりと江藤のスマホを握ったまま離さない。
十秒ほどだろうか、じっと動かない彼が、ようやく薄っすらまぶたを上げる。瞳の奥には濃い疲労の色が窺えた。
「課長に連絡を。調べてもらってくれ。ナンバーが視えた。ナンバーは――」
「わかった」
それだけ言うと、後部座席に倒れこむ。黒崎が手を出そうとすると、ぴしゃりとはたかれる。心配するなという彼なりの表現なのだろう。言葉を発することが辛そうだ。
両手で頭を抱えて丸くなっている白川に目をやりつつ、藤本に話を通す。すぐ折り返すと言われたとき、運転席の窓が叩かれた。
「なんか、急げって言われて」
ヘルメットをかぶったままの深沢だ。彼はバイクでやってきたようだ。車内をざっと見回し、一点で視線を止める。
「ユキ先輩、大丈夫ですか?」
後ろでまったく動かない白川を見つけ、気遣わしげに尋ねる。
「無理をさせてしまった。――牧人君、あそこのパーキングにバイクを止めて、こっちに乗ってくれるか?」
「わかりました。すぐ戻ります」
それを待つ間に藤本から連絡が入った。
『持ち主がわかった。江藤が地下にいる。大丈夫そうだ』
S級の透視能力。その彼女が保証する。
『住所を言うから急行してくれ。ユキは生きてるか?』
「無理をさせてしまったようで」
大丈夫か、大丈夫でないかもわからない。彼らの力はどこか身体に負担をかけているように見える。
『あれが望んでやっていることだ。気にするな。――車の持ち主の家には警官も送っている。ユキが危うく轢かれかけたと話しているから、後はうまく家の中に侵入するかボロをださせろ。正当な手段を踏まなければ後々問題になる。彼女のことが心配なのはわかるが、絶対にいままでのユキの努力を無駄にするな。いいか?』
「はい」
答えるのと同時に深沢が助手席に乗り込む。
エンジンをかけると、一気に加速した。
「先輩、サイコメトリーしたんですか?」
シートベルトを締めながら、身体を後ろへ向ける。すると白川は、邪魔だといわんばかりに深沢の顔の前で手を払う。意識はあるようだ。それを見て、彼はほっと胸をなで下ろす。
「今、警官が持ち主の家に向かっているそうだ。白川がその車に轢かれそうになり、ナンバーを覚えていたので通報した流れになっている」
小さく、うんと返事が聞こえた。
「うまくやれと藤本さんが言ってた。あと十分くらいで着く。動けるか?」
返事の変わりに、スマホが差し出される。深沢がそれを受け取ると、白川は再びこめかみに両手を当てて静かになった。
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