Case26. 絶体絶命
『こちらです』
あと少しで日付が変わろうとしていたが、表通りはまだ人で賑わっていた。ごった返す人集りを横目に、藍は和音のナビに導かれるまま、駆け足で裏路地に飛び込んで行った。たちまち光源が遮られ、まるで別世界に迷い込んだかように周囲が暗くなる。藍はスマホを取り出し、ライトで路地の先を照らした。和音が目を光らせて囁いた。
『この先に、おそらく真実さんが』
藍は黙って頷き、小走りに先を急いだ。狭い路地だった。陽の当たらない場所特有の、重く、ひんやりとした空気が頬にまとわり付いてくる。進めば進むほど、表の喧騒が音量を絞ったみたいに遠ざかって行った。名探偵の顔にも、いつになく緊張の色が浮かんで見えた。
『AIによる未来の犯罪予測は、未だ実験段階ですが』
藍の手のひらの中で、和音が言った。
『スマホの位置情報、カメラの映像、SNSの呟きなど……複数のデータを分析すれば、特定の人間の行動予測を立てることはさほど難しくありません。それに今回は容疑者が絞られている』
「だけど……映像はほとんど残ってないんだろ?」
走りながら藍が尋ねた。犯人と見られる二人組は神出鬼没で、一切の痕跡を残さないので警察も手を焼いていた……という話だったはずだ。
『ええ。ですから今回は主に被害者の方を分析しました』
和音がほほ笑んだ。
『今回は連続殺人です。今まで犠牲になった方の特徴、さらに殺害現場、時間、方法などを分析し……言葉は悪いですが、次に犯人が狙いそうな獲物をピックアップしていく。犯人の癖を炙り出したのです』
「癖?」
『はい。”無くて七癖”ということわざをご存知ですか?』
「分からない……”無くて七癖 検索”」
『”どんな人でも多少は癖があるものだということ”。髪をいじる、耳を触る、瞬きをするなど……人間は、本人も気づいていない癖が無意識に思考や行動に現れるものなのです』
「へぇえ。ちょっと怖いね。そういうの、やっぱり見られてるんだ」
『AIには感情も心もありません。でも、だからこそ、人間の無意識下の……あるいは巧妙に隠している……癖をあくまで客観的に見ることができます。感情のある人間には知覚できなくても、AIになら出来る。それらを分析すれば、警察より先に次に犯人が取りそうな行動も』
「なるほど。難しいことは良く分からないけど……この先に真実君がいるってことか!」
『はい!』
しばらく走らないうちに、やがて藍たちは行き止まりに突き当たった。目の前には、マンションの背中部分だろうか、見上げるほどの高い壁が聳え立っていた。藍はライトを向け、周囲を見渡した。横にわき道もない。完全に行き止まりだ。
「誰もいない……本当にここであってる?」
『シッ……先生、あれ!』
和音が前方の壁を指差した。そちらの方にライトを向けると……
「え……!?」
藍は目を疑った。暗さで今まで気が付かなかったが、よくよく目を凝らすと、壁の中央付近に小さな黒い渦状のシミが有った。黒いシミはみるみるうちに、溢れた水のようにジワジワと壁全体に広がっていったかと思うと……その渦の向こうから、突然ズ、ズズ……! と巨大な手足が生えてきた。
「え!? え!?」
周囲の空気が歪み、軋んだ音を立て、凍てついて行く。藍は危うく腰を抜かすところだった。
これは一体どういうトリックなのだろう?
確かに行き止まりだったはずの壁の向こうから、穴を潜り抜けるみたいに、巨大な男がゆっくりと姿を現したではないか。
壁抜け……いや、瞬間移動だろうか。正に怪奇としか言いようがない現象が、目の前で起こっている。謎の空間から現れた巨大な男は、浅布で顔を覆っていた。藍は息を呑んだ。TVで公開された犯人の容姿と瓜二つだ。男は肩に気絶した女性を担いでいた。まるで人形みたいに軽々と持ち上げているのを見るに、よほどの怪力があるに違いない。
「あ……あ……あ……!?」
「ん? 誰だお前は?」
大男が藍に気がついて立ち止まり、眉を釣り上げた。藍が言葉を失っていると、男の背後から、黒渦から、もう一人がゆっくりと顔を出した。
「……真実君!」
「お前……!」
藍の姿を見つけるに、真実は驚いてそのままの姿勢で固まった。
「真実君! こんなところで何やってるの!?」
「…………」
「何だ? 知り合いか?」
大男が低い声で唸り、藍と真実を交互に見た。真実は黙ったまま、指先一つ動かそうとしない。今まで見たこともない、全身真っ黒な衣装に包まれた彼女は、腰の辺りに日本刀のようなものをぶら下げていた。藍が叫んだ。
「真実君! 君は……君は一体!?」
「…………」
「……フン」
薄布の男が、薄布の向こうから、藍を値踏みするように見下ろした。
「人間。貴様はどうやら大いなる勘違いをしているようだ」
言いながら、男はドサリと肩に担いでいた女性……恐らく今夜の獲物であろう……を地面に落とした。
「この娘は真実という名ではない。本当の名はエクリプス……貴様らが俗に言う、あの世からやって来た我が娘よ」
「あの世……!?」
藍が目を白黒させた。
「娘だって!?」
当然の反応だった。突然そんなことを言われて、そうなんですねと受け入れられるはずもない。
「ふむ。一体どうやってこの狩り場が分かった? この世の人間には、知覚すらできないはずなんだがな……」
黒渦はいつの間にか、壁全体を覆うほどにまで大きく広がっていた。まるでブラックホールの中にでもいるような感じだ。男が顎に手を当て、興味深そうに怯える藍の瞳を覗き込んだ。
「エクリプス、頭の弱そうなこの男は?」
「……探偵だよ」
男に尋ねられ、真実がようやく固い口を開いた。
「売れない探偵。AI探偵とかいうふざけた奴。あっちの世界で隠れ蓑にしてたんだ」
「真実君……!?」
普段とは違う口調に、藍は戸惑った。
「真実君……君は一体どうしてしまったんだ!?」
「…………」
「事務所にいた時の君は、そんな子じゃなかったじゃないか!? ツッコミが好きで……漫画が大好きで……」
「……うるせぇな!」
真実が苦虫を噛み潰したような顔で藍を睨んだ。
「別に好きでツッコんでたわけじゃねぇ! 元々私は、テメーが思ってるような奴じゃねーんだよ!」
黒ずくめの真実が、腰に手をやり、慣れた手つきで抜刀した。ギラリと光る銀色の切先が、藍の目と鼻の先に突きつけられる。光の篭らない絶対零度の視線で、真実が藍を睨みつけた。
「二度と私の前に姿を現すんじゃねー! その首斬り落とすぞ!」
「ま……真実くん……!」
『先生! 危ない!』
「え? う……うわぁっ!?」
和音が警告するのと、藍の足元に黒渦が広がるのと、ほぼ同時だった。落とし穴に嵌るみたいに、藍は黒渦に飲み込まれ、腰まで浸かってしまった。
「ククク。AI探偵とやら。冥土の土産に教えてやろう」
謎の空間に捕えられ、上半身だけ地面から生える形になった藍を見下ろし、薄布の男が嗤った。
「そう怯えた顔をするな。なぁに、あの世も寂しくないぞ。喜べ、もうじき貴様の仲間が大量に増える」
「な……何!?」
「戦争が始まるんだよ」
男が心底嬉しそうに嗤った。
「正義の戦争が! 自由への解放が、気高き聖戦が! ははははは! これがその御約束だ!」
そう言って男は藍に分厚い資料を掲げて見せた。藍は知る由もなかったが、それはいつぞやの『未来の世界史年表』に他ならなかった。
「何……どういう……!?」
「まだ分からんか。足りない頭を使って良く考えてみろ。全ての殺人が、全ての戦争が、衝動的に突発的に起こるものだとでも?」
男がニヤリと唇の端を釣り上げた。
「そうじゃない。もう何年も前から事前に秘密裏に計画され……つまり貴様らの未来は、貴様らの死はもうとっくの昔に決められていたんだよ。貴様らの命は売られたのだ、同じ人間にな!」
「……!?」
「もちろん貴様がここで死ぬことも……な」
大男が背中に担いでいた金棒を掴み、高々と頭上に掲げた。
「殺人なんてチンケなお遊びじゃあない。死ぬ。大勢死ぬ。ケケ、ケケケケケケ!!」
「う……!」
『せ、先生……逃げて!』
藍の手を離れ、草むらに転がったスマホの中から、和音が声を震わせた。男が一歩、また一歩と藍に近づいていく。動けないまま、上半身だけの藍が睨み上げた。
「……ない」
「ん?」
「させない! そんなことは!」
藍が叫んだ。伸び続けた黒渦は天まで届き、今や完全に周囲一体を飲み込んでいる。
「僕は……僕は探偵だ! 目の前で人が殺されようとしているのに、黙って見ているわけにはいかない! 僕が止めてみせる!」
「ほぅ」
男が金棒を振り被りながら、嗤った。
「面白い! だったらやってもらおうじゃないか! ククク。たかが人間ごときが、あの世の主であるこの私に勝てるとでも思っているのかァアッ!? ほらほらどうした、この状況で貴様に何が出来るッ!? AI探偵ェッ!!」
『先生ぇーッ!? い……いやぁぁああああっ!?』
和音が泣き叫んだ。真実が思わず視線を逸らす。次の瞬間、藍の頭上に、重たく巨大な金棒が振り下ろされた。




