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春霞の足跡  作者: 豆内もず
3話 ペリヘリオン
22/30

22 一瞬でぽきりと折れましたよ

 穏やかに降る雨を避けながら、憲吾は踊るような足取りで診療所に向かった。

 夕方に差し掛かろうとしているのに、未だかすみとは合流出来ていない。

 当初は「かすみが大学に向かっていたら申し訳ない」と考えていた憲吾だったが、診療所につく頃には「そもそも大学に来なかったかすみが悪い」という思考に落ち着いていた。十和と関わりを持ったという事象は、それほどまでに憲吾の心を浮かび上がらせた。

 大病院から診療所という病人も真っ青のルートを辿った憲吾は、いつも通り裏口から診療所へと入る。

 診療室にもかすみの姿は見られず、歩が一人神妙な面持ちで、数時間前と変わらない盤上を眺めているだけだった。歩は憲吾に気が付いて顔を上げ、笑顔を作る。

「おかえり」

「あれ? かすみさんは?」

「君が出て行って、数分後には出て行ったよ」

「そうですか。おかしいな。大学にも来なかったのに」

 憲吾は小首をかしげて歩の対面に腰かけた。数日前に持ち込んだクッションが、音もなく形を変える。

 診療所では雨の音だけが鳴っている。先ほどまでの大病院と比較し、廃診療所ということを考慮すれば当然のことではあるが、人の気配を感じさせない静けさが寂寥を生んだ。

 ひょっとしたら、かすみはもう家に帰ってしまったのかもしれない。そんな考えから、キョロキョロと泳いでいた憲吾の視線が、パチリと歩とぶつかった。

「一局指してみるかい?」

「俺、全然指せないですよ?」

「駒の動かし方くらいは覚えたはずだよ。それに、僕はかすみと違ってお喋りが得意じゃないんだ。手を動かしていた方が、気まずくなくて良いだろう? 先手と後手、好きな方を選んで良いよ」

 気まずいなら、帰りますけど。嬉々として語る歩にそうは言えず、憲吾は駒を初期位置へと動かし始めた。

「じゃあ、先手で」

 憲吾はバツの悪さを感じながらも、意識を盤面に注いだ。

 歩の言葉通り、憲吾は駒の動き程度しか将棋のことをわかっていない。それでも、幽霊たちの代わりを何局もこなしていたおかげなのか、それなりの図が形成されていく。

 数手指し進めた後、歩は駒を扇子で指しながら、愉快そうに声をあげた。

「なかなか筋が良いじゃないか」

「やめてくださいよ。そういうのマジで信じちゃうんで」

「嘘は言っていないよ。見ているだけじゃなくて指せば良かったのに」

「勝負はかすみさんに任せてるんで」

 さらに複雑な感情を浮かべながら、憲吾は駒を動かし続ける。筋が良いと言われた事による気持ちの浮きが、彼の手を踊らせた。

 ぱちりぱちりという音が、雨音の隙間をぬって鳴っている。

 歩と憲吾が二人きりで話す機会はこれが初めてであり、ここに現れる将棋を指す幽霊ということ以外、憲吾は歩の素性を知らない。

 この辺りで一度探りを入れてみるか。嬉々として盤面を見つめる歩の姿が、憲吾の思考を盤外へと導いた。

「ここって、俺たち以外に人が来ることはあるんですか?」

「いいや。君たちだけだよ」

「ですよね。他の場所に行こうとは思わないんですか?」

「思わないよ」

「どうしてですか?」

 扇子の先がするりと動く。それに合わせて、憲吾は角行を大きく動かした。

「ふふっ、急な質問攻めだね。こんな場所に定住して、寂しいやつだなとでも言いたいのかい?」

「そうじゃなくて、将棋相手を探すならもっといい場所があるんじゃないかなって思ったんですよ。見える人がいたとしても、ここに辿り着かないし、実際俺もかすみさんの仕入れてきた情報がなければここには来なかったんで」

 言葉と共に次の手を指し、憲吾は腕を組んだ。

 憲吾には幽霊相手にマウントを取る気など毛頭なかった。十和にしても歩にしても、人を避けているわけでは無いのに、なぜ発見が遅れるような場所に居座っているのかが、単に不可解に思えて仕方なかったのだ。

 孤独への耐性なんてものは、人それぞれだ。それでも、他に干渉できない身体で、この場所に一人でいるのは辛かろう。

 早々と手番になり彼が思考に耽っていると、しばらくして歩から言葉が返ってくる。

「この場所にいること自体が未練に直結しているから、とでも言っておこうか」

 憲吾は歩に目を向け小首を傾げた。

「そういえば聞いていませんでしたね。歩さんの未練ってなんなんですか?」

「さらりと核心をついてくるね」

「あ、いや、デリケートな話で言いたくなかったらいいんですけど」

「君は本当に押しが弱いし押しにも弱い」

 憲吾が口をへの字に曲げ駒を動かすと、歩はくつくつとこもった笑みを浮かべ言葉を続けた。

「約束があるのさ」

「約束……」

「可愛い話さ。とある友人とここで決着をつけると約束したんだ。僕がウロウロしていては、見つけてもらえないだろう?」

「なるほど。じゃあ歩さんは、未練を晴らすためにここで誰かを待っているんですか?」

「さあ、どうだろうね。56銀」

 扇子の先に合わせ、憲吾はしぶしぶ駒を動かした。雨足が強くなったのか、重々しい雨音が診療所に響く。

 よくよく考えれば思い入れもない場所に幽霊が留まるわけがない。進展なし、大事なところをはぐらかされてしまった。

 わかりやすく落胆した憲吾を見て、歩は笑みを深めた。

「君の方こそ、こんなところにまめに足を運んで時間を浪費していいのかい? ここに来たって寂しい幽霊と将棋が打てるくらいだよ」

「他に手掛かりもありませんし」

「君たちが必要としている情報を、僕が有しているとは限らないよ? それ以前に、君には君の生活があるだろう」

 わざわざ貴重な大学生活を使って幽霊に会いにくるなんて、寂しいやつだなとでも言いたいのだろうか? 反論してやろうと憲吾は思ったが、それがおおよそ間違いではないことを理解し、言葉の向きを変えた。

「俺にも約束があるんですよ。幽霊の成仏を手伝うっていう」

「それはかすみとの約束かい?」

「それもそうなんですけど……」

 憲吾は十和のことを思い出し少し口ごもり、ズレた駒の位置を戻した。

 他の幽霊の成仏を手伝うという十和との約束。あの頃の十和が消えてしまっていたとしても、約束までもが消えるわけではない。

 かすみのことは元より、歩という迷える幽霊を見つけてしまった以上、放っておくわけにもいかないのである。

 憲吾はふっと息を漏らし、力強く次の手を指した。

「とにかく、勝つまでは通い続けますから、覚悟しておいてくださいね」

「ふふっ。そうか」

 歩は愉快そうに笑みを浮かべ、ゆったりとした仕草で駒を指差した。

「じゃあ早いうちに僕に勝たないといけないね。王手、詰みだよ」

「ええっ⁉︎」

「盤外に意識を向けすぎたようだね」

 憲吾はじっくりと盤面を眺めてみたが、どう足掻いても次の手が見つからない。知らぬ間に喉元に切っ先が喉元に食い込んでいる。彼はそのまま身を投げ出した。

「マジかー。いけると思ったのに」

「楽しんでくれているようでなによりだよ」

「勝てていればもう少し楽しめたんですけどね」

 憲吾は身を戻し、もう一度視線を盤面に注いだ。逃げ場を失った王将が、心細そうに身を傾けている。一手二手いじったところでどうにもならない。最初からこの道筋に向けて走り出していたかのように無駄のない流れだった。

 力の差など量るまでもない。一戦目で大金星などという展開を期待していた彼は、諦めたように両手を上げた。

「こりゃかすみさん頼みかな」

「おや? 数秒前の威勢はどこに行ったんだい?」

「一瞬でぽきりと折れましたよ」

 憲吾は冗談っぽくおどけて上げた両手を振った。歩は笑い声を漏らし、扇子を開く。

「しかしまあ、最初にしては上出来だよ。健闘した褒美として、少しだけヒントをあげよう」

「ヒント?」

 憲吾は食い入るように歩に身体を向けた。広げられた和柄の扇子が、ひらひらと揺れる。

 少し間を空けて、歩は扇子で口元を隠した。

「憲吾には疎遠な肉親がいるかい?」

「疎遠な肉親? なんですか急に」

 へらりと笑みを返したが、歩からは鋭い眼だけが向けられる。憲吾は眉をひそめ腕を組んだ。

 質問の意図が憲吾にはどうも理解できなかった。加えて、ヒントと言いながら疑問を投げつけられたことに対しても不信感が募っていく。

 しばらく考えた後、憲吾はしぶしぶ口を開いた。

「まあ、親には最近会ってないですけど、疎遠って程では……」

「兄弟は?」

「そもそも俺は一人っ子ですし」

 歩から納得した表情は返ってこない。おそらく理想通りの返答ではなかったのだろう。

 疎遠というのは、どれくらいの規模のものを言うんだろうか。従兄弟とか、そういうのも含めて考えたほうがいいのだろうか? 憲吾は必死に思考を巡らせた。

 雨が弱まったのか、割れるような静寂が診療室を包んだ。それを契機に、稲妻のようなひらめきが憲吾の脳に落ちる。

 いるじゃないか、疎遠な肉親が。憲吾は急いで静寂を切り裂いた。

「あっ、そういえば! 一応生き別れた姉が一人います!」

「生き別れた?」

「大仰な話じゃないですよ。子どもの頃に両親が離婚したってだけですから。一歳にもなっていない頃で僕は全く覚えてないですし、交流もありません」

 憲吾は言葉を吐き出し終わり、身体の緊張を解いた。

 本当の父親と姉の存在を憲吾が知らされたのは、十三歳の頃である。それを元に多少荒んだ時期もあったが、今となっては父親と血の繋がりがないことも、彼は受容している。

 幼児期でそもそも覚えていないことに加え、もはや取るに足らない事象だと認識している彼は、彼らの記憶を奥底に放り込んでいたのだ。

 憲吾の言葉を咀嚼し終え、歩はようやく表情を柔らかくした。

「なるほど。ありがとう」

 憲吾はかくんと肩を落とした。

「えっ? 今のがヒントですか?」

「ああ。僕が有している情報が、本当に役立つものなのかどうかを査定しておこうと思ってね」

 満足そうな歩は、これ以上言葉を吐く気がないらしい。ヒントという餌につられ、情報だけを抜き取られた気分になった憲吾は、大きく息を吐いた。

 これ以上深堀したところで、歩は何も話さないだろうし、そもそもヒントの意図が汲み取れていない憲吾には追及のしようもなかった。


 彼は諦めて駒を並びなおし始めた。

「どうします? もう一局指しますか?」

「それあのは扉の奥で様子を伺っている彼女に聞いてみると良いよ」

 歩は音もなく扇子を閉じ、診察室の入口のほうを指差した。憲吾は小首を傾げ、扉のほうへ目を向ける。

 歩が扉を指差して数秒後。扉の奥からひょろひょろと情けない面持ちでかすみが姿を現した。どうやら扉の向こうからこちらの様子を伺っていたらしい。

「かすみさん⁉︎ いつの間に……」

 憲吾の言葉に反応することなく、かすみは二人の近くまで身を寄せ、ばつが悪そうに歩を見下ろした。

「気づいていたのなら早く声をかけてくださいよ。意地悪な人ですね」

「盗み聞きをしているほうが、意地が悪いと僕は思うけれど」

「邪魔をしてはいけないと思った私の健気な心遣いが、恥じらいへ姿を変えました。非常にバッドです!」

 かすみは空気を読んで姿を現さなかったらしい。気配を全く感じていなかった憲吾は、ひょっとすると幽霊同士のテレパシーみたいなものがあるのかもしれないと、ぼんやりと考えた。

 かすみは頬を膨らませ、今度は憲吾のほうを向いた。

「もう! 大学にいないと思ったら、こんなところでコソコソと将棋を指していたなんて! ずるいです!」

「それはごめんだけど、こっちにも事情があるんだよ」

「言い訳無用! お説教です! ほら、帰りますよ!」

 かすみの手が、何度も憲吾の頭を貫通する。言い訳も何も、十和のことがあったし、そもそも将棋を指そうと言ってきたのは歩の方。

 かすみからのプレッシャーでそうとは言えず、憲吾は手を左右に振った。

「わ、わかったって。痛くはないんだけど不気味だからやめてもらえる? ということで歩さん、また後日」

 憲吾は急かされながら腰を上げ、出口へと向かう。情報を整理したいタイミングでもあったので、憲吾の足はすんなりと動き出した。

 慌ただしい二人の様子を見て、歩は笑みを深める。

「おや? 一局指していかないのかい?」

「今は頭に血が上っているので止めておきます。明日も来ますから、逃げないでくださいね!」

 かすみは下まぶたを人差し指で引き下げ、べろっと舌を出した。

 冷静なのかそうじゃないのか、この幽霊の情緒はどうなっているんだ。へらへらと笑みを浮かべ彼が外に出ると、雨は止んでいた。

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