表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/44

11.Catch me if you can

「孫を連れ帰る」獰猛な肉食獣の唸りにも似たものものしい声で、そう宣言するマルス伯エルンスト・ヴィルヘルム・ヴォルフに対し、古賀はあっさりとこう答えた。


「ならば、そうされよ」


 マルス伯とヒルデガルドが、物音に驚いた鳩のような顔で古賀を見た。


「伯と殿下はそっくりだ。家族の問題は家庭で解決すべきだろう。神聖皇帝の御落胤は殿下お一人ではない。私はやんごとなきご身分のお方が、奴隷に身をやつしておられたというその憐れさから、殿下を次期皇帝にと考えておったが、殿下を想うマルス伯の姿を見れば、殿下がこれまで、どれほど幸せであったか、知れようというものだ」


 古賀はそう言うと、船頭に指示して、小舟を岸に着けさせた。


「ヒルダ……!」マルス伯エルンスト・ヴィルヘルム・ヴォルフの口から、安堵とも焦燥ともつかない声が漏れる。


 ヒルデガルドは小舟が岸に着くのも待たず、その縁から飛び出すと、足が濡れるのにも構わずマルス伯に駆け寄った。


「じじ様、ヒルダは……」そこでヒルデガルドは一瞬言葉に詰まった。「ヒルダは、じじ様に肩車されるのが、大好きです」


「そうか。そうして帰ろう」とマルス伯は言った。


 しかし、ヒルデガルドは首を横に振った。「いえ。しかし、ヒルダは、じじ様のお城を出ます」


「何故だ。もう、儂は選帝侯の地位など必要ない。そんなものは、エルフにでもドワーフにでもくれてやる。もう、お前が城を出ねばならぬ理由などないのだ」


 古賀は深く頷いた。


「いえ、じじ様、私は、奴隷でした。人狩りに拐われ、奴隷にされました。そして、奴隷商から、じじ様に売られ、そしてマルス伯領姫となりました。私は、何一つ、自分では選んで来ませんでした。じじ様、ヒルダは、ヒルダの本当の人生を生きたいのです。

 じじ様は、ヒルダを、本当の孫のようにして下さいました。

 ヒルダを、立派なお城に住まわせて下さいました。ヒルダに、綺麗な服を着せて下さいました。ヒルダの頭を撫でて、手をつないで、そして、肩車をして下さいました。ヒルダはそれが全部、大好きでした。

 けれどヒルダは、本当の自分になりたいのです。誰に偽ることもない、本当の人生を生きたいのです。自分のやりたいことをやり、行きたいところへ行き、欲しいものを手に入れたいのです。たとえ、望んだものが手に入らなくとも、それに向かって生きていきたいのです」


 隣で鼻をすするような声が聞こえ、そちらに目をやった古賀はギョッとした。


 ゴドーが目尻を拭っているのである。「俺ぁ、ダメだ。こういうのは」


「いい話だなぁ……」と隣にいる魔族も目を赤くしている。


 地獄の鬼も裸足で逃げ出す戦いぶりからは想像も出来ない弱点だ。


 しかしマルス伯は、意外にもヒルダの必死の願いをすげなく却下した。


「ヒルダ、それは、もう少し大きくなってからの話だ」


「そうそう」とこれには古賀も思わず頷く。


「じじ様! ヒルダはもう、子どもではありません!」と声を荒げるヒルデガルドをマルス伯は抱き上げた。


「お前くらいの子どもは、みんなそう思っとる。お前はその年頃にしては、少し賢すぎるからの、その分強情じゃ。だが、気持ちが少し幼いところがあるぞ。13にもなると、じじに肩車される娘はあまりおらんそうだ。

 まあ、儂くらいの歳になると、普通のじじは腰がイってしまっとるからな。その点、お前のじじはご覧の通り、まだまだ壮健だ。ほれ、肩車してやろう。じじと一緒に帰るぞ」


 ヒルデガルドは古賀を振り返り、憎々しげに口を開いた。「カリオストロ、貴様、こうなることを読んでおったのか……」


 古賀は彼女に歩み寄り、耳元に囁く。「私は稀代の大嘘つきだ。知ってるだろ?」


 抵抗するヒルデガルドを肩に担ぎ、マルス伯は古賀に背を向けた。


「マルス伯!」と古賀は声をあげた。「殿下の御即位の件は、初めから無かったものと申し伝えておく」


 マルス伯は振り向くと、古賀を睨んだ。「当たり前だ。今回はしてやられたということにしておいてやる。だが、次儂の前に現れた時には、その素っ首刎ね飛ばすぞ」


 マルス伯の肩の上で、手足をバタつかせながら、ヒルデガルドが叫んだ。「カリオストロ! 必ずお前をとっ捕まえてやるからな! 覚えてろ!」


「これ、そういう口をきいてはイカンといつも言っておるだろう」マルス伯はヒルデガルドを叱った。


 古賀は声をあげて、短く笑った。「もう少し、不自由を楽しんだらいい。いくつかの条件が揃えば、案外、そいつも悪いもんじゃないらしい」







 彼らが兵を退いて去って行くと、ゴドーは舌打ちをしてその場に胡座をかいた。彼にしてみれば結局大した戦いにもならず、いささか消化不良だったものと見える。「下らねえ。俺らは一体何と戦ってたんだ?」


「さてね。今回は全く、割りに合わない仕事だった」と古賀もため息をついた。


「珍しいね」と藪の中から不意に声がした。ドワーフの王にして、泥棒のクオンである。彼は服に付いた雑草を払いながら、藪から這い出して彼らのそばに座った。


「これじゃあ、ただの慈善事業だ。このメルクリウス選帝侯国から、戦を終わらせただけ。正義の味方じゃあるまいし」


「ミネルヴァは、城に火がついてんじゃねえのか?」


 ゴドーがそう尋ねると、古賀は短く笑った。


「我々が最初に目を覚ました漁村、プロメテウスは、丁度ここヴェスタ回廊とミネルヴァを結ぶ直線上にある。あの街にはこの時期、『火祭り』って行事があってね、歴史的な船乗りを讃えて船を燃やすんだ。こことミネルヴァの間にはいくつもの丘陵があって、その間にある村や街はほとんど見えない」


「つまり、プロメテウスの村で燃やした煙が、ミネルヴァを燃やしてるように見える?」クオンは呆れたように言った。


「その通り。上手くいくかは半々だったが、思いの外ハマったな。当然、多少の小細工として、日程を調整したり、大きな船を寄贈したりということは必要だったが。

 とにかく、人間以外の部族が手を結んだなんて事実は最初から存在しないし、当然、誰もマルスやミネルヴァに挙兵なんかしていない」


「マルス直轄領の土地を暴落させて買い漁ったっていうのは?」


「あれはお姫様を誘き出すためのエサだ。とんでもなく頭のいい孫娘が、内政や軍事に口を出すって聞いてたからね。マルス伯をここに誘い出すのに利用しようと考えたわけだ。事実、彼女は土地の値動きが始まると、すぐに私を見つけ出した。ただ、あれほどのじゃじゃ馬だとは聞いていない。あれが私の失敗の元だな」


「思い通りに操れるようなタマじゃねえ」とゴドーが愉快そうに笑う。


 古賀もつられるように苦笑した。「『頭がキレるおてんば』ってだけなら良かったんだがね。測りきれなかったのは、彼女とマルス伯の関係性だ。あれは悪党の天敵だよ」


 古賀は当初、ヒルデガルドを次期神聖皇帝に仕立て上げ、各領地からの朝貢(ちょうぐ)を掻っ攫う腹積りだった。


 ところが、『運良く手に入った頭の良い奴隷とその主人』という関係は、古賀の想像に過ぎず、実際には実の血縁にも劣らぬ絆が、彼らの間に結ばれていたのである。


 ヒルデガルドは、マルスとミネルヴァの間に起きた戦争を止めるためには、自身の立場を失っても構わないという覚悟を決めていたし、自由を得て本当の人生を生きたいという気持ちも本物だったろう。


 だが、何を捨てても孫を連れ帰るというマルス伯の覚悟もまた、本物だった。古賀は、彼女を抱えたままでは、あの場を収めることが出来なかったのである。


「まったく、悪党の天敵だよ」と古賀は改めて呟いた。


 それと同じものが、エルフの小さな女の子リズと、気に食わない奴を見つけては無軌道に暴力を振るうだけだった【喧嘩屋】後堂との間に結ばれ、彼をエルフの客将キトラ・ゴドーにした。


 そしてまたそれは、ふらふらと街を飛び回っては、手当たり次第に金を盗むだけだった【泥棒】久遠と、気立ての良いドワーフの女セルピナとの間に結ばれ、彼をウルカヌス王シンタ・クオンにした。


「そうは言って、お前この展開も予想してただろ。そうじゃなきゃ、マルス伯の爺さんに、孫を返す決断が早過ぎる」


「まあ、展開の1つとしては」


 古賀が詰まらなそうにそう答えると、クオンはからかうように古賀の顔を覗き込んだ。


「血の繋がりなんてものが無くても、あの2人の間に、あるいはそれを超える繋がりが結ばれ得ることを、アンタは知っていた」


「私は、“それ”について詳しい。何せ、これまで多くの女性と“それ”を結んできたからね」


「だが、爺さんと孫の間の“それ”は、一瞬燃えてすぐ消えるようなもんじゃなかった」


 古賀は笑った。「女性と私との間に結ばれる“それ”を、マッチの火に例えたのは、我ながら冴えた比喩だった。あれは炎のように、適切に扱えば身体や心を温めるが、一つ間違えれば全てを飲み込んで灰になるまで焼き尽くす。マルス伯はあの時、そうなる寸前だった」


「俺の後ろに控えてたエルフたちもだ」とゴドーは言った。


「ドワーフたちも」とクオンが頷く。


「そういう炎を、私のような悪党は一番に恐れなくてはならない」


「だが、あのお姫様を爺さんに返したのは、何もそれを恐れてのことではねえだろう」とゴドーが言った。


 クオンもそれに同意する。「情が移ったんじゃん?」


 古賀は眉を寄せてため息をついたが、その態度は彼が今までついたどんな嘘よりも、芝居がかって白々しかった。


「これからもアレと一緒にいる苦労を想像したら、うんざりしただけだよ」


 いつの間にか、日は高く登っていた。


「さて、君らはそれぞれ、エルフの里と、ドワーフの国に帰るんだろ?」と古賀が尋ねると、2人は頷いた。


「まあ、この近隣には、気に入らねえ金持ちがいくらでもいる。そいつらをブチのめして回るさ。それに、今回の会戦は防いでも、エルフの姫様が選帝侯となりゃまた戦もあるだろう」とゴドーは言ったが、

「いや、しばらく戦はないよ」とクオンはそれを否定した。「戦争ってのは金がかかるんだろ? マルスもミネルヴァも、国庫は空だ」


「盗んだのか?」と古賀が驚いて尋ねる。


「ドワーフはメルクリウス中の地下に、下水道を巡らしてる。当然、マルスやミネルヴァにも。そこにはトロッコが、エゲツない速さで駆け巡ってる。ドワーフは脚が遅いけど、それを使えば軍隊なんか相手にならない速さで移動出来る。もうやりたい放題さ。それに、僕にはエルフの道具袋がある」


「なんだてめえ、一人勝ちじゃねえか」ゴドーは顔をしかめる。


「まったく、悪党どもめ」と古賀は笑った。


 クオンは詰まらなそうに口を尖らせる。「デマで地価を落として買った土地、どうするつもりなのさ」


「そりゃ売るさ。戦が終われば地価も上がる。正当な権利だ」


「てめえが言うな、ど悪党」とゴドーは鼻で笑った。「で? お前はこれからどうするんだ?」


「エルフのカテリーナ・イズマイロヴァ殿下を、勝手に選帝侯にしてしまったからね。しばらくはその始末に方々飛び回るさ」


「その後のことだ。スノッリ辺境伯領姫の周辺はこれから忙しくなる。近くにいられちゃ鬱陶しいが、幸い森は広いからな。お前にその気があるなら口をきくが」


「僕のところでも、なんせドワーフは書類に疎いからね。外交とか、貿易とか、まあ、多少はアンタの懐に入るとしても、古賀さんみたいのは重宝すると思うけど」


「有難い申し出だが」と古賀はそれを断った。


「そうか。お前みたいな女たらしが、エルフの里を選ばねえのは意外だけどな」


「まあ、古賀さんとドワーフは合わないだろうね。なんせ彼らは人が良すぎる」


「エルフもドワーフも、美しい人たちだ。それぞれの在り方に純粋で、愛する価値がある。

 だが、私は人間の世界で生きるよ。時に獰猛で、狡賢く、嘘つきで欲深い、人間がそういう生き物であることを、私は愛しているんだ」


「よく分からねえ感覚だな。変態か?」とゴドーは首を傾げた。


「君はエルフに染まり過ぎてしまったんだよ。今となっては、あの豊かな森が、君の居場所なのさ。クオンにとっては、ウルカヌスがそうだ。

 この世界に来てから、私は痛感したよ。

 人間っていうのは、誰しも善性と悪性を併せ持ってる。誰もが善人になり得るし、悪党にもなり得る」


「アンタは?」とクオンが尋ねる。


「根無し草の悪党であり続けるさ。何せ、『世の中をひっくり返す』なんて大口を叩いてしまった手前、エルフを選帝侯にするくらいじゃ、少々物足りなくて格好がつかない。

 口先三寸で世の中を引っ掻き回す。誰かが私を捕まえるまでは」


そう言って、古賀は抜けるように高く、青い空を仰いだ。


「もっとも、誰かにそれが出来るならね」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 戦争の決着は、下水道の糞ギミックを使うかと思ってましたが外れましたね。悪党どもがみんなまとめてウンコまみれになりアホらしくなって終了てな感じで
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ