10.悪党の天敵
「控えよ。次期【神聖皇帝】陛下の御前である」
その言葉に、マルス、ミネルヴァ両軍は、応えるでも罵るでもなく、ただ足を止めて様子見を決め込んだ。
彼らの心境をあえて言葉にするならば、「は? 何を言ってるんだコイツは?」といったところだろう。
それはそうだ。何せデタラメを言っているわけだから。彼らは万が一を考えて態度を保留しているに過ぎない。一つ間違えればその時点で脳天を射抜かれることになるだろう。結構。自分の仕事はここからだ。
「私は、ユピテル帝国の極秘諮問機関『血統諮問会議』の長、宮中伯アレッサンドロ・ディ・カリオストロである」
古賀はそう名乗ったが、マルス伯エルンスト・ヴィルヘルム・ヴォルフはそれを一顧だにせず声を上げた。「ヒルデガルド!」
ヒルデガルドがそれに応えようと口を開きかけたのを遮るように、古賀は強い口調で言葉を連ねる。
「左様! マルス伯エルンスト・ヴィルヘルム・ヴォルフ、其の方は、今日まで、奴隷商から買った女児を、自らの孫と偽ってきた。何故ならば、息子を戦で失ったマルス伯には世継ぎがおらず、また、その娘が類稀な才覚を持っていたからだ。
だが、その娘こそ、崩御された先代神聖皇帝陛下の御落胤ジャンヌ・ド・ラ・モット殿下である」
ヒルデガルドがマルス伯の血縁にないという事実は、もともとメルクリウス領内では噂になっていた。何せ、跡取りが戦死した直後に降って湧いたように現れた孫娘である。
王や貴族に隠し子がいるということは、この世界ではさして珍しいことではないが、それはマルス伯の子息ばかりでなく、神聖皇帝の隠し子の可能性も否定しないということだ。
「バカな! その娘は、儂の孫だ!」とマルス伯は叫んだ。そして、ほとんど懇願するように、その少女に向かって語りかけた。「ヒルダ……何をしておるのだ。お前が家を飛び出して、爺がどれほど心配したと思うておる。こんなところにいては危ない。ここは戦場だぞ。家に帰って、爺を待て」
それを聞いたミネルヴァ伯は、声をあげて笑うと、マルス伯を罵った。
「見苦しいぞ、マルス伯! その娘が神聖皇帝陛下の御落胤であるとする、その真偽はさておき、卿が世継ぎを失った途端に、都合よく現れた娘を、真に卿の孫だなぞとは誰も信じておらぬ!」
古賀は眉間にシワを寄せてミネルヴァ伯を睨んだ。「控えよと、私はそう申したはずだが?」
その語気に、両伯爵は口を閉じた。それを確認するように、双方に睨みを利かせながら、古賀は続ける。
「マルス伯、殿下は、これまで自身の孫として殿下を育てた卿の愛情を、しかと感じておられる。殿下を我が孫と偽って、周辺所領を謀った卿の罪は重い。だが、殿下がこの後、神聖皇帝に御即位あそばされた暁には、卿の愛情深さに免じ、その件を不問にするとの仰せである」
「ヒルダ……」マルス伯は、ほとんど嗚咽のようにそう漏らしたきり、言葉を失った。
「マルス伯、其の方は、殿下の類稀なる知性に、疑問を感じたはずだ。『これほどの知性は、一体どこからやって来るのか』と。これこそが、神聖なる皇帝陛下の遺産に他ならない」
古賀は高らかに言った。
貧しい村で攫われた戦災孤児の奴隷が、卓越した知性を持っていたことは、古賀にとって痛快だった。血統が知性を保証するなら、世に暗君は生まれない。
「恐れながら、こちらの立場から申せば……」と口を挟んだのはミネルヴァ伯ルイ・マルシャンである。「知性とは、目に見えぬもの。それだけを以て、そのお方が神聖皇帝陛下の御落胤と申されましても、『はい、分かりました』とはいきますまい。相応の根拠をお見せ願えねば」
「宜しかろう……」と古賀が懐に手を入れたその時である。
不意に、それも、マルスとミネルヴァ両軍の睨み合うそのど真ん中、青白い光の柱が天を突くように伸びた。
古賀は顔をしかめた。実は彼が名乗りを挙げたのを、マルス伯が無視した辺りから薄々思っていた。
今日は調子が悪いかもしれない。
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ゴドーは周囲を見回して、「いや、何でだよ」とため息をついた。
ヴェスタ回廊と平原の際、両軍の対峙するど真ん中に、突然放り出されてしまったのである。
「何でって、お前、『今だ!』って言っただろ」隣でアグが、とんでもない理不尽に晒されているとでもいうように抗議した。
「言ってねえよ。『ヒマだ』っつったんだ。話が長えから。それも、そんな元気な感じでは言ってねえ」
「そうだったか? じゃあ、『今だ……』って感じか」とアグはゴドーの声色を真似た。
「いやだから、そもそも『今だ』って言ってねえんだって。まずな、仮に言ったとしても、一回確認しろよ。誰がこんな両軍のど真ん中に来たがるんだよ」
「それは、ちょっと失敗して……」
「ほら出た。てめえ、このタイミングでこの失敗はマジで洒落になってねえからな」
「けど、その前はほとんど成功してただろ! お前、全部『まあ、いいか』って言ってたぞ! これは本当に言った!」
「『まあいいか』を成功に数えてんじゃねえ!」
「何でそういうふうに言う! 優しく言えっていっつも言ってるだろ!」
「うるせえっつうのバカ! 知らねえんだよ!」
マルス、ミネルヴァ両軍は、言い合う2人を呆然と眺めていた。何が起きているのか全く分からなかったからである。ミネルヴァの兵の1人が、「野盗連合、キトラ・ゴドー……」と呟いた。それはそうだ。この朝方までミネルヴァの陣中で大暴れしていた男である。
湖上に浮かぶ小舟から、アレッサンドロ・ディ・カリオストロなる男が口を挟んだ。「ちょっと、いいかな」
「手短に頼むぜ。お前の話は長えからな」とゴドーが言うと、両軍に騒めきが起こった。湖上の男と野盗連合の間に繋がりがあると判明したためである。
「私が今日のために、どれだけの準備をしてきたと思ってるんだ。君が来るといつも話がややこしくなる」
「ややこしいのはお前の話だろ。こんなもんはな、両方やっちまえやいいだけだ。殴って奪う。手っ取り早いってのはそういうことだぜ」
マルス、ミネルヴァ両軍が、どよめきたって身構えた。
カリオストロこと古賀は、ほとほと呆れ果てたというふうにため息をつく。「何でそう、血の気が多いかね。すぐそうやって殴る蹴るじゃあ、まとまる話もまとまらんだろう」
「そいつぁ、話をまとめたがってるAさんとBさんが、テーブルについた時に初めて考えるべきことだぜ。
ここにいるのはな、Aさんをぶっ殺して自分が選帝侯になりてえBさんと、Bさんをぶっ殺して自分が選帝侯になりてえAさん、そして、Aさんも、Bさんも、テーブルも選帝侯も神聖皇帝も、初めからありゃしねえ、マッサラな更地になっちまえば、ことはシンプルだと考えたCさんがいるだけだ」
ゴドーは鉾を構える。
「まったく、Cさんには手を焼かされる……」と古賀が愚痴を漏らした時、そこに口を挟んだのはマルス伯エルンスト・ヴィルヘルム・ヴォルフである。
「話が済んだなら、そろそろ孫を返してもらおう。
野盗連合首魁キトラ・ゴドー、貴様は今ここで誅戮すべき狼藉者であるが、共感出来る点も無いではない。
すなわち、ミネルヴァも野盗連合も『血統諮問会議』とやらも、ここには初めから何も存在しなかった。ここはただの更地で、儂は、無邪気な悪戯心で家を出た、おてんばな孫娘をつかまえて、肩車をして帰るだけだ」
詐欺師、古賀 敏景が目を細めるのを、ゴドーは見逃さなかった。実に愉快だ。
「ソイツがテメエの弱点だ」とゴドーは古賀に向かって笑いかけた。
複雑にこんがらがって入り組んだ利害関係の中から金につながる糸を手繰り、ごっそり掠め取る、そういうことにかけてこの男の右に出る者はそういない。だが、欲や利害を超越して、ただ真実から発した真っ直ぐな行動には、彼の術策の入り込む余地は無いのである。
マルス伯は、この時、ただ『孫を連れ帰る』という一点に、自らの目的を定めた。もう、選帝侯も神聖皇帝も眼中にない。こういう時、彼にはなす術が無いのだ。
マルス軍の陣中に、また騒めきが起こった。兵を供出した諸侯の中に、陣を離脱する者が続出したのである。
その中の1人が言った。
「マルス伯、我々は、メルクリウス選帝侯国の未来を思えばこそ、伯を選帝侯に押し上げんと兵を挙げた。しかし、今の伯は、孫娘の奪還に目を奪われ、もはや選帝侯国の未来など見てはおられぬ。
無理もない。それが真の血縁にあるか否かなど、我らには知る由も無いが、それでもあの歳まで育ててこられた娘御でありましょう。愛より出し、美しい行動だ。我らは卿を誹るつもりはない。
ただ、そのような私事に兵を費やすわけにも参らん」
マルス軍の陣中からは続々と兵が馬首を翻し、ドワーフの布陣を避けて帰隊の列を作った。
これに勢いを得たのはミネルヴァである。
「良いザマだな、マルス伯!」ミネルヴァ伯ルイ・マルシャンは声を上げた。
ゴドーは彼の背後を眺めてやや呆れ気味に言った。「いや、お前んとこ、城燃えてんぞ」
「黙れならず者が! マルスもろとも貴様らを捻り潰した後で、我が城に手を出した身の程知らずどもは、その城門に残らず首を晒してくれるわ」
ゴドーはそれを鼻で笑った。「だってよ、カリオストロ卿。どうするよ」
奴には確かに弱点があった。だが、これで終わるような男ではない。
古賀は湖上に浮かんだ小舟の上で、静かに微笑んでいる。「博打は、裏目を引いてからが面白い」
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「マルス伯、ミネルヴァ伯、共に、憎き仇敵を前にして息巻いておられるが、その実、内心はさぞ困惑しておられることだろう。
西を見れば、マルス直轄領の土地およそ8割は、このアレッサンドロ・ディ・カリオストロが買い取った。すでにヴォルフ卿の領地は、ほとんどヴォルフ卿のものではない。
一方、東を見ればミネルヴァ伯の城塞がよく燃えている。ここからでも暖を採るのに丁度いいくらいだ。ここで一悶着終えたとして、果たして帰るべき城が残っているのか怪しいところだろう。
さて、両伯は、ユピテル帝国の宮中伯であるという、このアレッサンドロ・ディ・カリオストロ、そして神聖皇帝の御落胤であるとするジャンヌ・ド・ラ・モット殿下、この2人の身分、その真偽について、さぞ頭を悩ましていることだろう。
ペテンに引っかかって兵を退いたとなれば末代までの恥、といって、これが真実だった場合、我らに弓引いたとなれば途方もない大逆である。
そこで、私はそんな両伯に大変な朗報を用意している。すなわち、もはやそんなことは問題ではないということだ」
古賀の声は、湖上からヴェスタ回廊を渡り、ノルド大森林の木立の間を響いた。
「仰る意味が、よく分かりませんな」ミネルヴァ伯ルイ・マルシャンは苛立ちを隠さず吐き捨てる。
「いや、卿らは薄々、その予感を感じておられるはずだ。そうでなければ、なぜ、両伯は、目の前にいるならず者共の首領、キトラ・ゴドーに手を出さず、私とのやり取りを眺めておるのかね。
答えは明白だ。そして、それこそが正解でもある。
両伯が『野盗連合』と呼ぶその一団こそ、このメルクリウス選帝侯国における、第三勢力の実行部隊であるからだ」
「エルフども……!」ミネルヴァ伯ルイ・マルシャンが憎々しげに呟いた。
エルフたちに通行を許されたノルド大森林に、野盗連合が待ち構えていたことは、そう連想させるには十分な事実である。
「マルス伯の背後をよくご覧になるべきだ」と古賀は言った。そこには3000のドワーフが陣を敷いている。
マルス伯が顔をしかめた。「まさか、ドワーフ共がそうだとでも?」
古賀は、やれやれといったふうに冷笑した。「両伯とも、もっと広い視野でものを見るべきだ。ミネルヴァ伯、其の方は、スノッリのエルフに唆されて、ゴドー卿による手痛い伏撃を喰った。マルス伯の背後にはドワーフ。卿らは、ここが人間の土地だと傲っていた。その傲りが、卿らをこの窮地に立たせているのだ」
「バカな……亜人どもが、手を組んで……?」ミネルヴァ伯の顔からみるみる血の気が引いていく。
「実に旧態依然とした言い回しだ。同じ帝国諸侯として、誠に嘆かわしい。卿らが、『亜人』と呼び、帝国の封建制度の中に巻き込んできた諸部族が、このメルクリウスにどれだけいると心得る。
エルフのスノッリ辺境伯オーベロンと、同女伯テイタニア、ドワーフのウルカヌス王シンタ・クオン、獣人のセクメト女伯、竜人のサルコテア王、リザードマンのケクロプス卿、ドライアドの女王エウリュディケー……まあ、数え挙げればキリがないが、卿らの争いに辟易していたのは1人や2人ではないということだ。
卿らが『亜人』などと呼び、蔑ろにしてきた者たちが、手を結んだ時、さて、このメルクリウスは、いや、この世界はどうなるだろうな。ミネルヴァ伯の背後に映るのは、そのほんの一例に過ぎない」
「既に……亜人どもは挙兵している……」マルス伯はミネルヴァ城砦を覆って立ち昇る煙を眺めながら、額に青筋を立てた。
「本来、そうした諸部族は、文化も、利害も、イデオロギーも異なる、互いに相容れぬ者たちだった。そうした者たちを結びつけたものは何か。
それこそ、卿らの長ったらしい小競り合いだ。それこそが、彼らの間に、『マルス、ミネルヴァの継承権争いに付き合うくらいなら、立場は違えど他部族と手を結ぶ方がマシ』という共通の利害を生んでしまった。それは、神聖ユピテル帝国にしても同じことだ。選帝侯が空位にあるということは、神聖皇帝の空位を埋める手続きが取れぬということだからな。
帝国はすでに、スノッリ辺境伯領姫カテリーナ・イズマイロヴァを次期選帝侯候補として承認している。
エルフの森に手を出したマルスの領邦、ウエスタの顛末はご存知だろう。
さて、確認するが、今日、ここに最後まで立っていた者が、このメルクリウスの新たな選帝侯だ。カテリーナ姫はそのことを承知している。彼女がここに着くまで、そう時間はかからんだろう。
彼女がここに辿り着いた時、今ここにいる両軍は、果たしてどういう末路を辿るだろうな」
「……退け。撤退だ」ミネルヴァ伯ルイ・マルシャンが、部下にそう命じた。ミネルヴァの兵たちは、その命令が何を意味するのか、飲み込むのに幾ばくかの時間を要したが、やがて、めいめいに肩を落としながら馬首を翻し、とぼとぼと引き下がって行った。
「マルス伯、其の方は如何にする。ここでカテリーナ姫のエルフ軍、後方のドワーフ軍、また続々と結集する異種族混成軍と、ここで選帝侯の椅子を争うかね?」
「言ったはずだ」マルス伯は表情を崩さなかった。「儂は孫を連れ帰ると」




