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【エピローグ】祭りが明けて

「はあ?」


 夏休み半ばの部活動。千恵先生の呆れ声が、僕らに重くのしかかる。

「あんねぇ~、この前二人してサボッたかと思えば、今度は二人して風邪引いた? 一体どうなってんのよ、お二人さん」

 どうなってんのよと言われれば、「夏祭りの夜に二人で衣服を着たまま長時間水浸しになってました」と答えるほかないのだが、まさかそんなことは口が裂けても言えない。

 本来、このことは千恵先生に露呈してもおかしくない事態だった。なにせ、とどのつまり僕らのしたことは、男女二人が学校のプールに忍び込んだってことなのだから。

 僕としても、目が覚めて病院のベッドに横たわっていたときは、すべてバレたのだと覚悟した。

 しかし、そこは流宮のご両親が根回しをしてくれたようで、このことは両家族間だけの秘密ということで留めておいてくれたらしい。僕の方も症状は軽く、退院もすぐだったから、学校側には本当に何も伝わっていない。

 娘に妙な噂が立たないように、ってことなんだろうけど……しばらく彼女のご両親には顔を見せられそうにない。

「もー、怒んないでよ千恵ちゃん。この前サボッたのは悪かったけど、今回のは不可抗力だしぃ……」

「どうだか。二人同時に夏風邪なんて、考えられるとしたら二人一緒にクーラー効いた部屋で……いやこれセクハラ案件か、やめとこ」


 ぼっ。


 僕らは顔を見合わせると、真っ赤になってうつむいてしまった。

 いや――いやいや、二人してそんな反応したら!

「……え? え何その反応。もしかして本当に?」

 ほら! こうなる!

「千恵ちゃん! セクハラッ!」

 流宮が真っ赤になって、翼をバサバサと羽ばたかせ抗議する。

「あーちょっとエラが! エラ乾くから! 分かりました分かりましたよ、深くは追及しないことにします」

「あと、千恵ちゃんが想像してるの、それ絶対違うから!」

「あら、ほんとかなぁ~?」

「あるじゃん、同じ状況にしても勉強会とか!」

「勉強会ぃ~? アンタが?」

「失礼な!」

「失礼も何も、真面目に勉強会なんて開くような子ならテストで赤点ギリギリなんて取らないのよ」

「ひ、ひどい! したもん! 勉強会もちゃんとしたよっ!」


「も」


「ウグーッ!」

 墓穴を掘る天才か、彼女は。

「今のは違くて、言葉の綾で……」

「はいはい、もういいわよ何でも。この機会だし、二人は上手い人の泳法でも観察してなさい」

「……はぁ~い」

 流宮は不服そうに返事をした。無理もない。この感じだと、確実に誤解は解けていないままだ。

 とはいえ、風邪の真相を知られるのもそれはそれで厄介なのだが。

「しっかし、あの江原君がねぇ……」

「いや先生、だから違いますって!」

 千恵先生は最後までニヤつきながら、プールに戻っていった。



「なんだかなぁ」


 残された僕らは、プールサイドの日陰の下、体操着で体育座り。

「千恵ちゃん、まさか他の人に言いふらしたりしないよね……」

「いやさすがに、教師だし、そんな悪趣味なことは……」

「だ、だよね」

「でもさ」

「なに?」

「似たような勘違いする部員は、たぶんいるよね」

 勘違いしそうな部員筆頭、南乗。


「……は~あ」

 流宮が深く項垂れる。

「しょうがないよ。後ろめたいことがあったのは、まあ、本当のことだし」

「そうだけどさぁ」

 大人しくプールの方を眺める。でも人間の部員は少ないから、あまり参考になりそうな人はいない。

 今泳いでいる人で参考になりそうなのは、南乗くらいか。彼が得意なのはクロールだっけ。僕もせめて、今シーズン中にクロールくらいはモノにしたいな。


「ねえ、信じられる?」


 不意に流宮は、こっそりと僕に問いかけた。

「何が?」

「私たち、ついこの間の夜、このプールにいたんだよね」

「そうだね」

 あの夜と今とを頭の中で見比べてみようとした。けれどその二つの光景はあまりにも遠くて、上手く重ねられない。

「ほんと、嘘みたいだ」

「たはは」

 流宮が笑う。

「とんでもないことしちゃったよねぇ」

「うん、その、いろいろとね」


 いろいろと。

 自分で言って、自分で照れて、彼女から目を逸らしてしまう。

 本当、とんでもない。年頃の男女が、プールの真ん中で抱き合って。普段の僕からは考えられない行動だ。というか、未だに本当は夢だったんじゃないかって疑うくらいだ。

 だけどそれが夢じゃないことは、ほぼ同時に僕から目を逸らした流宮が証明してしまっている。

「あー、そのぉ、いわゆるアレだよねぇ、吊り橋効果ってヤツ」

「まあね、たぶんそんな感じのアレだね」

 お互い、なんだかよく分からない言い訳。

 だけど分かってる。

 この胸の鼓動がおかしいのは、危機に瀕した時の動悸だとか、そんな一時的なものじゃない。

 その前から、その後も、今も、ずっと。

 ずっと僕は。

 ……だけど、そんなことをパッと言えるような僕ではない。

 吊り橋効果、勘違い、青い暴走。

 そういうことにしておこう。少なくとも今は。

 ただ、それでも、今言っておかなきゃいけないこともある。

「あのさ」

「ん?」

 本当は今日、流宮に会ったら、すぐに言おうと思っていたこと。



「楽しかったね、夏祭り」

 流宮は少しの間目を丸くして、そしてすぐ、くしゃりと照れくさそうな笑顔になった。

「うんっ。楽しかったね!」

「また来年も、さ。一緒に行こうか」

「うんっ」

「今度は一緒に花火を見ようよ」

「うんっ!」

「それで、今度はあんな危険なこと、しなくていいから。また君の龍星を、見てもいいかな」

「もちろんっ! 何度だって見せてあげる!」

 流宮は大きく頷いた。

「よかった。その、」

 これも言うって決めていた。

 よし。言うぞ。言ってやる。

「とても、綺麗だったから。君の龍星が」

「あ……」

「あまりにも明るくて。あまりにも熱くて。その熱量が、僕に燃え移って。僕は、僕が生きていることを思い出した」

「……そっか」

 君と同じ星になれるなんて、今はまだ思えないけど。

 君に触れるためなら、何度燃え尽きたってまた翼を作ってみせるって、そう思えたんだ。

 そこまで夢見がちな台詞、面と向かって言ったらまた「ロマンチスト」だって笑われるだろうから、さすがに言わないけどさ。


「そっか。うん、そっかぁ」

 流宮は何度も頷くうちに、涙がほろほろと零れだした。

 それに気づくと、彼女はすぐに顔を膝にうずめた。

「へ、へへ。おかしいね」

「おかしくなんか、ないよ」

「……そうかな。そうかぁ。泣いても、いいんだよね」

 吹っ切れたように、ぐすぐすと泣き出す。

「目が痛いや。君があんまり眩しくて」

 泣き笑う君の声。

 僕はゆっくりと、ゆっくりと手を動かして、彼女の膝の上に置かれた指に触れた。指は一瞬ピクリとこわばり、やがて再び力を抜いた。

「大丈夫。今度は僕が、手を伸ばすから」

 膝にうずまったまま、彼女がクスッと笑うのが聞こえる。


「ロマンチスト」

「……うるさいな」

 結局言われるらしい。



 互いを星に例えてみたり、イカロスと太陽に例えてみたり。

 いつか人でも飛べるかも、とか無根拠に思ってみたり。

 花火や龍星に、特別な意味を持たせてみたり。

 考え方はあまり噛み合わないけど、高校生にしては夢見がち、ってところは一緒のようだ。

 そう考えると、僕らは案外お似合いかもしれない。

 とはいえ、しつこいようだけど、そんなことをパッと言える僕ではないので。



 とりあえずは、今手を繋いでいることが周りの人にバレませんようにと、願った。

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