花火と龍星の憧憬
綿あめを口の中で溶かしながら、僕はふと空を見上げた。
「どしたの? まだ花火の時間まで結構あるよ?」
「いや、そろそろ岸の方に行って場所取っとくべきかなって」
「なーに言ってんの! 都会の夏祭りじゃあるまいし、そんな焦らなくてもそこそこの場所取れるよ。それより、もっと楽しもうよ屋台!」
「まだ楽しむ気なのか……」
僕は結局、最初に焼きそばを奢ってもらったのと、そのしばらく後綿あめを買った以外は何もお金を使っていない。それと比べて流宮は、とにかく目に入った屋台全て遊び尽くす勢いだ。
食べ物はじゃがバターにたこ焼き、お好み焼き等々、好き放題買って全部きっちり食べ切っている。そのうえでヨーヨーすくいや型抜き等々定番の縁日遊びも全てこなす豪遊ぶり。
「そんなに遊んで、お金大丈夫なの?」
「大丈夫大丈夫、このためにお金を貯めてきたんだからね~」
「バイト?」
「うん、駅のとこの居酒屋のホール」
「居酒屋か……なんか流宮らしいね」
「えぇ~、それどういう意味?」
「いや単純に、よく通る声してるしさ。酔っ払いの相手も上手そうだし」
「まー、それはそうかもね。うちは両親が呑んべぇだからさ、その辺の他種の酔っ払いなんて可愛いもんだよ」
「へぇ……そういえば、龍種は酔うとすごい人が多いって聞くね」
「そぉーなんだよねぇ」
確かにあの父親が酔って暴れ出したら、諫めるのは随分苦労しそうだな。
そんなふうに想像していると、不意に勉強会のときのヘコみを思い出した。ちょっとだけ気まずく思い、反対側の屋台に目を逸らすと――そこには、タイミング悪く南乗がいた。
さらにタイミングの悪いことに、ばっちりと目が合ってしまう。
「お?」
「う……」
「あっ南乗! ばんわ~」
三者三様の反応を見せる。
南乗は恋人らしい人間の子に一言断りを入れて、こちらに寄ってきた。
「おい哲司ぃ! なんだよ、あれからどうなったのかずっとごまかしてたくせに、結局誘ってたんじゃん!」
小声で僕に茶々を入れてくる。
「だってお前、正直に言ったら絶対うるさかったじゃん……写真撮れとか実況しろとか」
「うん、そうしてた。そうする」
「嫌だからね」
「なんでだよっ」
「なんでだろうね」
たぶん南乗なら、流宮の写真を見てどうするってわけでもないんだろうけど。なんとなく嫌だった。
「ちょーっと、こら! 私も会話に混ぜてよ!」
流宮が僕らの間に割り込んでくる。
「あー、ごめんごめん流宮さん。でも俺、彼女と一緒に来てるからさ。あんまり待たせるのも悪いから、この辺で」
「え、あ、そなの? 分かった、じゃあまた学校でね」
わざとらしく南乗が退散する。「彼女」の存在を匂わせたのも分かってやってるんだろう。本当におせっかいな奴だ。
とはいえ、偶然目が合ったのが南乗でよかった。これが他の……たとえば、中学時代の知人とかだったらと思うと、寒気がする。
やっぱり祭りは好きになれない。流宮の浴衣姿が見られたことを差し引いても、だ。
早く花火の時間にならないだろうか。
花火は――花火は、好きだ。
花火を見るときは、みんな空を見上げているから。
「…………」
「ん、何? 流宮」
いつの間にか流宮が僕のことを見つめていた。かと思えば突然、にっと笑う。
「へへ。ね、江原。ちょっとこっち来てよ」
「ぉわっ、な、なに? どこ行くの」
また彼女は僕の手を引いて駆け出した。そして屋台の路地を外れ、生い茂る草木以外何もない場所に抜けた。途端に、音も光も人の気配もずっと少なくなる。
たぶんここは、この夏祭りが祀っている神社の近くなのだろう。お祭りを一番楽しむべきはここの神様だろうに、肝心のここ周辺が静かなのは少し寂しい。
「で、何、どうしたの? こんなところに来て」
夏祭り、人混みを抜け、人気のない神社の傍、とくれば、男として期待が高まらないでもないけれど、彼女の表情を見ればそういう類のイベントでないことはすぐに察する。
不思議な表情だった。遠くを見ているような、近くを見ているような、判然としない目。口元も緩んではいるけど、にこやかというほどではない。今の彼女が何を考えているのか全く読めない。とはいえ、少なくとも思春の熱に浮かされた表情ではない。
「ここで花火、待とっか」
「え?」
僕の戸惑いは構わず、彼女は草の茂った地面に座り込んだ。
「どうしたの、唐突に。それに、こんなたくさん木が生えてるところじゃ――」
そう言いながらとりあえず隣に座ってみて、僕は静かに驚いた。
木々の間から、ちょうど海岸側の空が開けている。
「ね。ここならよく見えるでしょ? 練習でこの辺を飛んでる飛空部くらいしか知らない穴場なんだ~」
「……そうだったんだ。でも、どうしていきなり? 屋台は?」
「さーてと、江原クン」
「な、は、はい?」
彼女がおどけた調子で言うから、僕もついそれに合わせてしまう。
「さっき君が何を考えてたのか、正直に話してごらんなさい」
「……あー」
なるほど。彼女の意図が分かった。
さっき少しだけ沈んだ顔をしてしまったところを、見られていたらしい。
「……つまらない話になるけど」
「いーよ、話して」
流宮は優しく笑いかけて、ごろんと横になった。話をするまではここを動かない、という意思表示だろうか。
まあ、彼女がいいと言うのだから、いいか。花火が始まるまでは、どうせまだ時間がある。
「僕はさ、正直、お祭りってあまり好きになれないんだ。あの一体感みたいなのが苦手でさ。遠くで眺めている方が好きなんだ」
「うん」
その相槌からは、あまり感情が見えてこない。けれど、とりあえず、求められていた言葉を素直に続ける。
「……ここの夏祭りってさ。祭りが始まる前の昼に、地域の子どもたちが集まって、神輿を引っ張っていって街を練り歩くだろ。そのとき、ずっと『わっしょい、わっしょい』って、声を張り上げなきゃいけない。
それが僕には、どうしてもできなくて。でもちゃんと声出さなきゃ、法被着たおじさんに怒鳴られてさ。いや、怒鳴られたっていっても、こっぴどく叱られたとかじゃなくて、『坊ちゃん、声小っちゃいよ!』って、背中叩かれて軽く言われる程度のことだったんだけど。でも幼い僕には、それがすごく怖くて。
でもこれは年に一度の楽しいお祭りで、おじさんも、一緒に来てくれてた母さんも楽しそうで、それなのに僕がいきなり泣き出すわけにもいかないだろ。それでずっと、我慢してた。その苦い思い出が、今でもちょっとトラウマになってるんだよね」
「そっか。そうだったんだね」
「……あっ、でも、もちろん流宮と一緒に夏祭りを巡ったこと自体が、嫌だったわけじゃない。楽しかった。本当に久しぶりに、楽しい夏祭りになった。これは本当」
「うん」
まだ流宮の反応が薄いので、僕はだんだんと不安になってきた。僕は一体、何を話しているんだろうって。こんな昔のトラウマの話なんてしたって、何にもならないのに。
「……ごめん。ちょっと余計なことまで喋りすぎたかも」
「いんや? そんなことないよ」
「でも、こんな話したところでさ」
「そういうのも、たまにはいいんじゃない?」
いよっし、というかけ声と共に流宮は起き上がった。
「じゃ、私もお返しにひとつ、苦手なものの話をしよう」
そんなお返しは全く要求したつもりがないのだが、彼女は構わず話し出した。
「私、実を言うと、アーティストのライブが苦手なのです。だからね、私には大好きなロックバンドがいるんだけど、ライブには一度きりしか行ったことないんだ」
「あっ……なんか、分かる気がする」
僕もそうだ。好きなアーティストはたくさんいるけど、ライブには行ったことがない。興味がないわけじゃないけれど、怖くて。そう、まさにさっきの、夏祭りと同じような理由で。
「あの空気感、どうにも馴染めないんだよね。私マイペースだから。立ったり座ったり、手拍子したり手を振ったり、一緒に歌ったり黙って聞き入ったり。そういうの上手く合わせられないし、いちいち曲ごとにどうすべきか必死に覚えてまで行くものでもないかな、なんて」
「分かるっ。僕は、僕の好きな曲を僕の好きな声で聴きたいだけであって、別に会場にいる大量のファンと心を一つにしたいわけじゃないんだ。僕自身は、ただ静かに三角座りしていればそれで満たされるのに」
「そうそう、そうなの。心を一つに! とか、みんなで一体に! とか、そんなん無理じゃんね~って」
「分かるっ……!」
僕は深く深く頷いた。
「でも、意外だな。流宮はそういうの、むしろ率先して参加するタイプかと」
「そう言う江原は、意外と偏見でものを語るよねえ」
「う」
「みんなと仲良くしたがるからって、みんなとひとつになりたがってるわけじゃないよ。運動は好きだけど本も好きだし、普段明るくしてるからって憂鬱にならないわけじゃないし」
「……ごめん」
人間は何かと偏見を持たれがちだから、自分では気をつけているつもりだった。それだけに、この指摘はなかなかに響く。
「いいのいいの。私だってそういうのあるもん。怒ってるわけじゃないよ?」
流宮は手を振ってやんわりとフォローした。
「それで、どうだった?」
「え……何が?」
「私はこうして、苦手なものをひとつ存分に語ったわけだけど。それで私のこと、ヤなやつだな、みたいに思った?」
「……いや、そんなことは」
「ね。いいんだよ、別に、嫌なものは嫌って言っても。私は君の好きなものも嫌いなものも知ってみたい。そしたらその分、君に近づけるでしょ」
「僕に近づける、っていうのは?」
「ほら、あのときの言葉だよ。私は手を伸ばしてるの。今は、お互いの光が眩しくて何にも見えないから」
なるほど。「人はみんな星」という、前に彼女が語っていた自身の人類観に沿った話らしい。
今さら逐一その考え方を否定する気にはなれないけれど、それはそれとして自分のことを「星」などと例えられると、相変わらずむず痒い気持ちにはなる。
「でもさ。僕の嫌いなものが、君の好きなものだったりすることもあるだろ。そのときは、むしろ距離が離れるんじゃないの」
「そのときは、君の嫌いなもの一個知れたって嬉しさがプラスでプラマイゼロ。嫌いが被ればプラス一、好きが被ればプラス百近づける! つまり、言うだけ得!」
「そうかねぇ……」
相変わらず独自の世界観で生きている人だ。
そして同時に思う。
彼女は、どうしてそうまでして、僕に近づこうとしてくれるのか――
『ただいまより、地域の龍種飛空部の皆さんによる龍星パフォーマンスです』
「お?」
遠くのスピーカー群から、ぶれた声が響く。
スピーカーの声が止んでしばらくした後、龍星が始まった。
本物の流れ星のように、空にいくつもの光の軌道が現れては消える。赤、青、緑、金、龍種の鱗の色に合わせて様々な光がまばらに落ちていく。
「おー。そっか、今年からうちの夏祭りも龍星やるんだっけ」
「他人事みたいに……君の全国三位の成績のおかげで、この地域全体に飛空奨励の空気が漂ったんだと思うよ」
「そりゃー他人事だもん。そんなの私、関係ない。パフォーマンスの出場も断ったしね」
「そうだったんだ。どうして?」
「だって夏祭りは地上で楽しみたかったから。パフォーマンスしてからじゃ思う存分夏祭り楽しめないしさ」
「流宮、花火好きって言ってたもんね」
「うん! そういえば、江原は?」
今までなら、正直に答えるのを躊躇っていただろう。
だけど、うん。今はそうでもない。そうだ。好きなものを好きって言うくらい、なんてことないじゃないか。「言うだけ得」、なんだから。
「――うん。僕も、好きだよ。大好きだ」
「よかったよかった。へっへ、プラス百だね」
「はいはい」
そんなことで実に嬉しそうにニッカリ笑う彼女を、適当に受け流す。
「あ、もちろん龍星も好き!」
流宮が龍星を見上げながら言う。
そうだな、せっかくの龍星なのに花火の話で気を逸らしていてはもったいない。
「僕も。花火と同じくらいにはね」
「そうなんだね。じゃ、やっぱり私も参加しとけばよかったかなぁ」
「いや、まあその、結果的に流宮と一緒に夏祭り回れて、楽しいし。別にいいよ」
「へへへ~っ、そだね」
……なんだ、なんだこの、この青い感じ?
僕は照れくさくなって龍星に集中することにした。
今は一つの金色の光が、まるで星と星の間を丁寧に縫っていくように、ゆったりと旋回しながら舞っている。ソロということは、きっとこの龍星パフォーマンスの目玉選手だろう。確かに、細い月のように朧げで穏やかなあの光は、つい見惚れてしまうほど美しい。
流宮の龍星とは逆位置といえる、幻想的な美しさだ。
「綺麗だね」
そうだね、と答えつつ、僕は流宮からの視線を感じていた。
「私、君のその眼が好き」
「え?」
「なんでもない」
振り返ってみれば、流宮は既に空を見上げていた。
……なんだか気恥ずかしいことを言われた気がする、けど。
「私さ、飛空やろうって最初に思ったのは、私の龍星を褒められたからなんだ」
「そうなんだ」
今度は二人して龍星を見上げながら、ぽつりぽつりと話を交わす。
「夏祭りの夜、その場の戯れで親戚の龍種が飛んでみせたの。そのときの龍星がすっごく綺麗でさ、私もできるかなって、真似して飛んでみたの。そしたら両親も友達も、すごく明るいね、綺麗だね、って、もてはやしてくれて」
「実際すごく綺麗だしね、流宮のは」
「へへ、ありがと。それでさ、ああ、私が飛ぶとみんな喜んでくれるんだ、って思ったんだよね。だから、それならもっと飛ぼう、って」
流宮が少しだけこちらを向いて、僕に笑いかけた。
「単純だよね?」
「きっかけなんて誰でもそんなものだと思うよ」
僕に比べれば全然、なんて言いかけて、なんとか押し留める。そうじゃないだろ、今は。
「でもね、一生懸命飛んでたら、いつの間にかみんなの視線が重たくなってて」
彼女の意味するところは、僕でも容易に想像がつく。中学生にして、全国から注目を集める期待の飛空アスリート。彼女にとって空を飛ぶことは、ただ単純に楽しく自由な行為ではなくなってしまった。
「飛空は好きだったし、今でも好きだけど……私が飛ぶとき光ることなんて、しばらく忘れてたよ」
とん、と肩にわずかな重みがかかる。
彼女が寄りかかってきたのだ、と気づいた瞬間、身体にこそばゆい緊張が走った。
「――久々に褒められたんだぁ。あのとき、君に」
遠く向こうの景色を愛おしむような声で言う。
「あのとき、そんなふうに思って私を見てくれてた人がいたんだ、って。そしたらなんか安心しちゃって。なんだ、じゃあ大丈夫だ、って思ったの」
「大丈夫って、何が?」
「ん、分かんないけど」
「なんだそれ」
僕らは糸が切れたみたいに笑い合った。
身体の緊張がほぐれて、彼女の身体がさらに深く寄りかかる。
「はー、綺麗だね」
「そうだね」
龍星はもう締めに入っているだろうか。これまで飛んでいた全ての龍種が登場し、色とりどりの光が空を縦横無尽に飛び交う。まるで虹の糸が編まれていくみたいだ。
やがて全ての龍星が集合し、一つの点になり――一気に弾けた。
弾けた星々は花火のように地上へと散っていき、パフォーマンスは終了。屋台の通りの方で拍手喝采が沸いたから、僕らもそれに合わせて小さく手を叩いた。
「地域の飛空部だから」と、心のどこかで高をくくっていたことを心の中で謝罪する。とても綺麗な龍星だった。花火の前座扱いなのが惜しいくらいに思う。
「次、花火だね。楽しみだ~!」
余韻に呆けてる途中で流宮が呟いた。
「そうだね、僕もこんな近くでは久しぶりに見るから、なんだかんだ楽しみ」
「花火はどこから見ても綺麗なのがすごいよね~。私が初めて飛んだときの花火もすごく綺麗だったんだよ」
「へえ、そっか」
「うん! あのときは屋台を歩きながら見たんだ。あ、そのとき私はりんご飴を食べててね、それがまた美味しくってさ~! それ以来、未だに花火はりんご飴食べながら見ることに」
そこで流宮は停止した。
そして停止した顔のまま自分の身体のあちこちを触り、
「ちょっちょっ、ちょっと! なんだよ!」
なぜかついでに僕の甚平もまさぐり、
「私のりんご飴どこぉ⁉」
突如として痛切な表情に切り替わった。
「手に持ってなきゃどこにもないんじゃないですかね」
僕は乱された甚平を整えながら投げやりに答える。
「あ~も~~うっかりしてたっ! りんご飴まだ買ってないじゃぁん!」
「そんなにりんご飴好きなの?」
「うんっ、りんご飴って綺麗だし美味しいし、最強の食べ物だと思わない?」
「なんなんだ最強って」
「はぁぁぁ……最強が……最強ちゃんが……」
彼女の悲しみようは、それはもう酷いものだった。とても食べ物ひとつの騒ぎとは思えない。
「……で、買いに行きたい、と?」
「……あぃ」
流宮は、ばつが悪そうに笑った。
「え、えへへ。りんご飴だけ! それだけ、ちょっと買ってきていい?」
言いながら流宮はずりずりと後ろに下がっていく。
「パッと行ってパッと帰って来るからさっ。ここで待ってて!」
そして彼女は屋台の路地へ駆け出していった。
相変わらずの自由奔放さだ。……いい感じの雰囲気だっただけに、ちょっと惜しいなとは思う。だけど、そもそも彼女が早めに屋台を切り上げてここに来た原因は、おそらく僕にあるのだ。そんな僕に、彼女を止める権利はないだろう。
とはいえ、そろそろ花火が始まってしまうだろうか、と僕は空を見上げた。
「あれ、江原じゃね?」
「あ、本当だ」
「……っ」
聞き覚えのある声が空から降ってきた。
間違いない。中学飛空部の同期の男子たちだ。背の低い鳥種は戸林、茶髪の鳥種は錫木、それに緑鱗の龍種は空山。忘れるはずもない、三人グループ。
そうか。この辺りの飛空部の穴場ってことは、彼らも。
彼らは僕の前に降り立って、軽く手を上げた。
「よ、久しぶり」
「……久しぶり」
なんとか最低限、声を出す。大丈夫だ、わざわざ突っかかることはない。向こうだって僕のことなんか何も気にしちゃいない。
「いやびっくりしたわ。なんでここにいんだ?」
「誰か教えたのかよ、この場所」
「……違うよ、高校の友達から」
「へぇー。また飛空部入ったの?」
「いや、違うけど」
早くここから離れてくれないだろうか、と思う。いや、でも考えてみれば彼らもこの場所が目的なんだ。
「変わってないよなあ、お前。つってもまだ一年しか経ってないから当然か」
「……まあ、ね」
「飛空部じゃないって言ったけど、なに、今何かやってんの」
「水泳部だよ、今は」
「あー、なる。いいじゃん水泳」
なんとか笑みを浮かべようとしたそのとき、
「それにしてもお前、まぁだ空見上げてんのな」
「それな。どんだけ好きなんだよ」
三人が笑った。腹の底がズンと重くなったような心地がする。
もう、笑えない。
「いいだろ、別に」
「いいんだけどさあ。なに、まだ空飛びたいとは思ってるわけ?」
「…………」
僕は黙った。何と言うべきか、何と言えば正しいのか、分からなかった。
フラッシュバック。
「またそうやって黙るし……」
「なあ、俺らがあのとき『諦めろ』って言ったのはさあ、確かに悪かったかもしんないよ? でもあれはさ、別にお前をイジメてやろうとかじゃなくて、ただの善意じゃん? それをいつまで根に持ってるわけ」
「……僕を笑ってたくせに、今さら、善意かよ」
「だって、それはさあ。じゃあ顧問みてーに真面目くさった顔してなきゃお前にアドバイスしちゃいけないんかよ」
少しずつ、空気が悪くなっていくのが分かる。ひょっとすると最初からこうなるのを狙っていたんじゃないか、僕を追い出すために。そんなふうに邪推してしまう。空気を悪くしているのは僕なのに。
いいよ、だったら僕が立ち去ってやるよ、あのときみたいにそう吐き捨ててしまいたいけど、まだ流宮が戻ってきていない。
「もう、いいだろ」
「え、何が」
「やめてくれ。君らだって、今さら僕と仲良くしたいわけじゃないんだろ」
「そういうことじゃないじゃん。なんでお前ってそう、なんつうかさあ」
「――キミら、何してるの?」
流宮の声。
その場の誰もが停止して、彼女だけがりんご飴を齧っていた。
その場を切り裂いて、彼女は平然と僕の隣まで歩いてきた。
僕は、そのことに安堵してしまった自分が許せなかった。
「え……っと、誰すか?」
その静寂を切り開いたのは、錫木だ。その声色は困惑と下心が半分ずつ入り混じっている。
「江原の友達だけど。キミらは?」
「あ、俺らも江原の友達っすよ。中学のとき一緒に飛空部入ってて」
「へえ。私もね、中学の時飛空部だった」
「あ、そうなんすか。お姉さん体格いいすもんね――」
「あっ⁉」
空山が叫ぶ。
「この人あれじゃん、フープスルーリングの龍種女子で全国三位だった、」
「え、流宮嶺央奈? マジで? 本物?」
「そうだよ。よく知ってるね」
「そ、そりゃあここらの飛空部じゃすっかり有名人ですよ」
「それで」
またりんご飴を一齧り。ガリッ、と大きな音が横で響く。
彼女は強く、強く、飴を噛み砕いた。
「江原に、何の用だったの?」
彼女はまた僕の知らない顔をしていた。星は星でも、冥王星みたいに冷たい顔。彼女は別に怒鳴っているわけでも凄んでいるわけでもないのに、三人は後ずさった。僕まで少しぞくっとする。
「えっと、二人はどういう関係……」
「バカ掘り下げんなっ、行くぞもう」
空山が錫木の頭を叩き、手を引いた。
「あ、その、お邪魔しました~……」
流宮の並々ならぬ気迫に三人は早々に退散していった。
残されたのは、再び僕と流宮の二人だけ。
「なんかよく分かんないけど、面白くない連中だったね」
そう言ってこっちを見る流宮は、かわいらしく唇を尖らせて、いつものような雰囲気に戻っていた。
「江原? 大丈夫?」
「ああ……うん、大丈夫。ありがとう」
「そ。よかった!」
「……すごいね、流宮」
「べっつに。あの三人が勝手に逃げてっただけだよ」
僕には分かる。その気があろうとなかろうと、彼女には大の男三人を相手取って怯ませるだけの力があったのだ。
「でも、悪いことしたな」
「どうして?」
「奴ら、そんなに悪い奴じゃないはずなんだ」
「……ふうん?」
「奴らは、本当にどうしようもない、救えない奴ってわけじゃない。つまりは、犯罪とかしても平気な顔してるような、そういう連中じゃないんだ」
どうして僕が彼らをフォローしてるんだろう。誰のために、何のために?
自分でもわけが分からないけど、苦笑いと言葉を止めることができない。
「基本的には、人を簡単に傷つけたりすることもない。そういう性根のところは、今も変わってないんだと思う。そりゃちょっと、意地の悪いというか、品のないところはあるよ。でも奴らが僕に突っかかってきたのだって、本当は過去の僕に原因がある。だから」
「だから――江原は、どうしたかった?」
どうしたかったんだろう。
僕は閉口した。大人しくこの場を彼らに譲るべきだった? 過去の確執を謝るべきだった? 怒るべきだった? それとも過去のことは水に流して、彼らと和やかに談笑でもするべきだったのか?
僕は、どうしたかった?
「さっき言ったじゃない、江原。嫌なことは嫌って言ってもいいって」
「でも、だから、あの三人は別に間違ったことは言ってない。全部、その通りだ。僕だって分かってるんだ。だから、僕がそれに文句を言っていい理由なんて」
「正しくなきゃ、何も言っちゃいけないの?」
流宮はあっけらかんと言った。
「少なくとも私は、君が『嫌だ!』って叫んだときは、真っ先に君の隣に立つよ。その後どうするかは、そこから考えても遅くないでしょ?」
はは。
込み上げたのは冷笑だった。
なんてこった。彼女はまるでヒーローじゃないかよ。
だとしたら、その隣で震えていた僕は一体何者だというのだろう。
情けない奴。女の子に守ってもらって。
ただの女の子じゃない。彼女は、流宮は、僕の。
「ごめん。僕もう帰るよ」
「……え?」
僕は彼女の顔を見なかった。とても見られなかった。
「ちょ、ちょっと江原! どうしてっ?」
「……ごめん」
彼女に追いつかれないよう早々に人混みに紛れ、僕は祭りの喧噪から抜け出した。
『続きまして――花火の――』
後ろの方で、スピーカーが鳴り響いていた。




