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夜会当日ーー。
「もう目を開けていいわよ」
コトリと小さな音を立てて麻里が鏡台にメイクブラシを置くのと同時に、セレンティーヌが恐る恐るといったようにゆっくりと瞼を持ち上げていく。
それまで少し離れて静かに見守っていた侍女達が、興奮しつつも嬉しそうにワッと声を上げた。
「素敵!」
「まるで魔法みたい!」
そして鏡には驚きを隠せずに直視したまま固まっているセレンティーヌと、満足そうに笑みを浮かべる麻里の姿が映っている。
「これが、私……?」
信じられないと呟くセレンティーヌの両肩にポンと手を置いて、麻里はあえて鏡越しに話し掛けた。
「フフフ、ゆっくり浸らせてあげたいのはやまやまなんだけどね。急いでドレスに着替えて行かないと、公爵様とサイラス様が首を長〜くして待ってるわよ」
「あ……」
すっかり忘れていたという顔で慌てて立ち上がるセレンティーヌに、後ろで待機していた侍女達があれよあれよという間にドレスに着替えさせていく。
麻里も侍女が待ってきたドレスにササッと着替えると、
「さあ、行きましょう!」
セレンティーヌの手を取り扉を開け、公爵達が待つ応接室に向かって歩き出した。
◇◇◇
キラキラと目に眩しい光を放つシャンデリアの元、色とりどりの衣装を纏う紳士淑女達が楽しそうに舞い、語らい合う。
公爵とサイラスは次々と湧いて出るように挨拶に来る貴族達の対応に忙しく、麻里はセレンティーヌと早々に壁際に避難し、果実水の入ったグラスを片手にクルクル回しながら、前回の夜会で賭けをした『土下座男』達が来るのを今か今かと待ちわびていたのだが……。
王宮主催の夜会には社交デビューを済ませた伯爵家以上の紳士淑女が招かれ、余ほどの事がない限り欠席するという選択肢はない。
ともすれば、この広い会場内にどれだけの人が集っているのかは推して知るべしである。
この人混みの中、自分から探しに行くつもりは全くないので、彼らにはぜひとも頑張って私達を見つけてほしいものだ。
『ま、頑張って探してくれたまえ』と顔には出さず心の中で嘲笑しまくる麻里の視界に、ブッフェコーナーが映りこむ。
「ねえねえ、セレン。せっかく来たんだし、ちょっと食べていかない?」
セレンティーヌがフワリと微笑みながら頷くのを確認し、麻里は空になったグラスを使用人に渡すと、セレンティーヌの手を取りブッフェコーナーに移動した。
美しく並べられた料理やデザートを前にして、麻里とセレンティーヌの顔に満面の笑みが浮かぶ。
幾つか選んだ料理を使用人に皿に盛り付けてもらい、空いている椅子に並んで腰掛けた。
生ハムフルーツやアボカドをローストビーフで巻いたもの、仔羊の煮込みなど数々の手の込んだ料理に舌鼓を打つ。
「ん、美味しい!」
「ええ、とても丁寧なお仕事をされていますわね」
ご機嫌に料理を堪能している二人の前に影が掛かり、思わず顔を上げると、そこには二人の令息がニコニコと笑顔で麻里とセレンティーヌを見下ろしていた。
「これはこれは麗しいご令嬢達、私はオルフェ伯爵家次男のエミリオと申します。よろしければお名前を伺っても? そして私達と一曲踊って頂けませんか?」
麻里が夜会に出るのは二回目なので顔を知られていないのは理解出来るが、彼らが公爵令嬢であるセレンティーヌの顔を知らぬはずはない。
まあ、彼らが知っているセレンティーヌと今のセレンティーヌは全くの別人と言ってもいい程に変わっているから、分からなくても仕方がないのだけど。
でなければ、爵位が低い伯爵令息から公爵令嬢に声を掛けるなどありえないことだ。
……そのありえない事を土下座男達はやってたんだけどね。
本当、面倒くさいと心の中で嘆きながら小さく嘆息する麻里の隣で、セレンティーヌの瞳が不安げに揺れる。
麻里が申し出を受け入れたら、自分は今までのように公爵達が社交を終えて迎えに来るまで、一人寂しく壁の花でいなければとでも考えていそうだ。
きっとダンスのお誘いにセレンティーヌも含まれているだなんて、コレっぽっちも思っていないのだろう。
「名乗るほどの者ではありませんし、今忙しいのでダンスは他の美しいご令嬢とどうぞ」
YouTube撮影のために散々鏡の前で練習した自分史上一番と言える営業スマイルでお断りするも、その後も代わる代わる令息達がダンスのお誘いにやって来る。
「マリ様、大人気ですわねぇ」
麻里が隣にいてくれることに安心したらしいセレンティーヌが、感心したように呟いた。
「いや、違うから」
麻里は疲れたようにツッコミを入れ大きく息を吐きながら、夜会やお茶会は相手のいない貴族にとっては出会いの場、一種の婚活パーティーのようなものだと習ったことを思い出す。
「そういえば、サイラス様とセレンには婚約者はいなかったよね?」
「ええ、おりませんわ。ですがお兄様の婚約者候補となるご令嬢は数名に絞られているようですから、近いうちに決まるのではないでしょうか」
「そうなの? まあ公爵家の嫡男だし、まだ婚約者が決まってない方が不思議だよね」
「私も詳しくは聞いておりませんので内容までは分からないのですが、どうやらお兄様は婚約者を決めるにあたって、お父様に幾つかの条件を出したのだとか。その条件を満たすご令嬢を選定するのに時間が掛かったらしいですわ」
「ふ〜ん、条件ねぇ……」
いったいどんな条件を出したのやら。
なんて思っていたところに、ようやく待ちに待った土下座男達が現れた。
「こんなところにいたのか。探したじゃないか!」
保存したつもりが出来ておらず、データが消えたショックにやさぐれてました。
更新が遅れ、申し訳ありませんm(_ _)m




