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このまま夜会が終わるまで大人しく時間が過ぎるのを待ちたい気分ではあったが、さすがは公爵家の当主と次期当主。
挨拶に訪れる人達がどんどんと増えていき、麻里とセレンティーヌは仕方なくセイロン公爵とサイラスから離れて壁の花になっていた。
「あ〜、面倒くさい。コルセットきつくて死にそう。早く帰りたい」
周囲の人に聞かれないくらいの小さな声で愚痴っていれば、セレンティーヌがクスクスと笑う。
「マリ様が帰ってしまったら、先ほどからチラチラとマリ様に視線を向けられているご令息達が悲しみますわ」
「うぇ〜。私、珍獣じゃないんだけど。チラチラだかジロジロだか知らんけど、生憎と見られて喜ぶ人間じゃないし」
麻里は不機嫌顔で扇をサッと広げ顔を隠した。
これは扇を使った意思表示で、『好みじゃない』ことを示すのだとか。
他にも、閉じた扇の紐を右腕に掛けて持つと『彼氏(結婚相手)募集中』や、閉じた扇を左腕に掛けると『彼氏(婚約者)アリ』など。
合コンなんかでよくある『第一印象で気になる相手にジョッキの取手を向ける』『気になる相手がいなければ取手は自分側』の合図みたいで、初めて耳にした時には思わず笑ったものだ。
どの世界も考えることはみんな一緒なんだなぁって。
そんな麻里の様子に、セレンティーヌは苦笑を浮かべた。
「では、せっかくですからスイーツでも頂きませんか? 王宮のパティシエ達が腕を奮っておりますから、どれもきっと素晴らしく美味しいですわ」
「そうね、憎きコルセットのせいでたくさんは食べられそうにないけど、せっかく王宮まで来たんだもの。マリアからも王宮のブッフェは素晴らしいって聞いているし、美味しいスイーツくらいは食べて帰らなきゃね」
少しばかり機嫌が直った麻里が、セレンティーヌと豪華な料理やスイーツが並ぶブッフェへと足を向けた時、
「セレンティーヌ様」
可愛らしい呼び声に、セレンティーヌだけでなく思わず麻里も振り向く。
「まあ、クラリス様」
セレンティーヌが嬉しそうに声の主に笑いかける横で、麻里はその聞き覚えのある名前に記憶を掘り起こしていた。
「クラリス様って……ああ、セレンの(数少ない)信用出来るお友達!」
これまでに何度もセレンティーヌの口から耳にしたことのある名前。
公爵家という立場に擦り寄り利用しようとする者が多い中で、『フィルズ伯爵令嬢クラリス』と『オルブライト伯爵令嬢アイリーン』の二人は心から信頼出来る友人だと。
思い出してスッキリしたとばかりに破顔する麻里の前で、クラリスが嬉しそうに微笑む。
「とても光栄ですわ」
少し恥ずかしそうに頬をほんのり赤く染めたセレンティーヌが、慌てるように紹介し始めた。
「彼女はフィルズ伯爵令嬢のクラリス様ですわ。クラリス様、ご紹介いたしますね。この方は迷い人のマリ様で、縁あって我が公爵家が後援することになりましたの」
公爵家嫡男であるサイラスのエスコートで現れた正体不明の美女に興味津々だった令息令嬢達は皆聞き耳を立てており、セレンティーヌはあえて彼らに聞かせることで麻里に手を出すこと、それ即ち公爵家に手を出すことと同義であると知らしめた。
数十年ぶりの迷い人という存在に、周囲が騒めく。
そんな中、全く気にした様子もなくクラリスと麻里は和かに挨拶していた。
「フィルズ伯爵家長女のクラリスですわ。私のことはクラリスとお呼びくださいませ」
「ありがとう。私は迷い人のマリ。こちらの世界のことはまだ勉強中だから、もし粗相してしまったらごめんなさいね。それでもよかったら仲良くして欲しいわ」
「はい、よろしくお願いします」
ふわりと優しい笑みを浮かべるクラリスは特別美人というわけではないが、纏う空気が柔らかく可愛らしい。
もっとも、これを言うと『女の可愛いは信用出来ない』と男性陣からは言われてしまうのだけど。
チョコレートのような黒褐色の髪と瞳は地味と言ってしまえばそれまでだが、目に優しく落ち着くとも言える。
「セレンとスイーツを食べようって話していたのだけど、もし良かったら一緒にどうかしら?」
「よろしいのですか?」
「「もちろん(ですわ)」」
周囲の令息令嬢達の視線を無視して、三人は仲良くブッフェに向かった。
「ん、このドライフルーツのケーキ、美味しい!」
「こちらのチョコレートのケーキも美味しいですわ」
「バターケーキは甘すぎずソフトな食感が良いですね」
一口大にカットされた数種類のケーキを皿に盛ってもらい、壁際に並べられた椅子に仲良く腰掛け、それぞれに感想を言い合う。
美味しいケーキに弾む会話で、麻里のさっさと帰りたいと思っていた気持ちは綺麗さっぱり霧散していた。
「クラリス様はお菓子作りがとてもお上手で、お店に並ぶものにも引けを取らないほどなのですよ」
「へ〜、凄いね。私もクラリス様の作ったお菓子を食べてみたいな」
麻里の言葉に、それまで楽しそうにしていたクラリスの顔が曇る。
「……ごめんなさい。私、お菓子作りはやめたんです」
「え? あんなに楽しそうに作っておられましたのに、どうして……?」
「その、ゲオルク様に、恥ずかしいマネはするなと怒られてしまって……」
力なく俯くクラリスを見て、セレンティーヌも悲しそうな顔をしている。
ゲオルクというのはクラリスの婚約者であるベルク侯爵家の次男らしい。
結婚後に侯爵家の持つ爵位の一つである子爵家を継ぐ予定で、クラリスは子爵夫人となるわけだ。
婚約者の趣味を全否定するゲオルクをあまり良い婚約者とは思えなかったが、貴族の結婚は親が決めるもので、そのほとんどが家同士の利益によって結ばれる契約結婚である。
特に女性の意見は軽視されることが多く、悲しいかな、どんなに嫌な相手であっても我慢して嫁ぐしかないのが現状なのだ。
「愚痴ならいつでも付き合うからね」
クラリスは一瞬キョトンとした顔をした後、
「ありがとうございます」
と嬉しそうに笑った。
お皿の上のケーキがなくなり、もう一度ケーキを取りにブッフェに行こうと三人が立ち上がったその時――。
突如立ち塞がる不遜な顔をした令息が、腕にどこぞの令嬢を寄り添わせながら大きな声で言った。
「クラリス・フィルズ。お前との婚約は破棄する!」




