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輪廻の果てへ  作者: 葉和戸 加太
三章 アルジャーノン計画
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114 浪漫、そして現実の無常

 一見ではファンタジーかと思える物語も、史実が基になっているケースがあり、全てを創り物だと切り捨てる事は出来ない。


 シュリーマンのトロイア発掘がその代表だ。


 ホメロスが書いた叙事詩、イーリアスの記述を信じたシュリーマンの手により、古代都市が発掘されたのは有名な事実である。


 アトランティスやムー大陸伝説にも、一部の真実が隠されているかもしれない。個人的意見に過ぎない事を言わせてもらえば、ムー大陸は完全な作り話と思うが、アトランティスにはわずかな希望が残されている。


 大西洋に大陸があったというのは信じがたいが、ミノア文明のような現実に存在し、滅び去った文明が、アトランティス伝説に影響を与えた可能性がある。


 だが、オリハルコン等の超古代文明、ロストテクノロジーは眉唾ものだと思う。真偽は不明だが、実際のオリハルコンは真鍮だったという説もある。


 「奇巌城攻防記」はどうなんだ?


 内容を読まずば批評など出来ないが、少なくとも、首都に住む酔狂な商人が興味を持ち、商いがてら調査に訪れる程度には価値があったのだろう。


 失われた文明や古代都市ってのはロマンに溢れている。オカルトに過ぎない場合がほとんどだが、なにより僕自身が、そのオカルト部分を面白く思っている。


 娯楽としてのオカルトは、とても優秀なコンテンツだ。


 しかし、現実の滅び去った文明について、あえて否定的意見を言うなら、いくらロマンがあるからといえ、所詮しょせんは滅んだ文明だ。淘汰された負け犬以外の何ものでも無いとも言える。


 そこんトコどうなんですかね。


 多様性を維持できず、淘汰が起こるのは何故なのか。


 強いものが生き残るのか。(強者生存)


 環境に適応したものが生き残るのか。(適者生存)


 運の強いものが生き残るのか。(運者生存)


 強くて環境に適応し、運に恵まれれば最強なのだろうが、盛者必衰という言葉もあり、繁栄を維持するのは難しい。変化を許容する、ゆとりこそ大事だという考えもある。


 明日は我が身となる可能性を、いったい誰が否定できるのだろう。


 日本人の記憶があるせいか、敗者に抱く感情は、否定的なものばかりではない。日本人は無常という概念を、古くから文学で表現してきた。


 兵どもが夢の跡。もののあはれ。


 わびさびを感じる松尾芭蕉の句と、日常生活で哀愁を表現した紫式部の小説は、日本が誇る文学だ。旅に暮らした芭蕉と日常を見つめた紫式部。男女の違いを見るような気がして、とても面白いと思う。


 勿論もちろん、海外の文学で世の儚さを表現した文学はある。詩聖と呼ばれた中国の詩人杜甫は、変わりゆく世の中と、変わらない大自然を対比した詩を詠んだ。


 国破れて山河在り …… と始まる有名な漢詩、春望。


 芭蕉も杜甫について言及しており、彼から受けた影響は少なくないだろう。


 物事の変化は悪い事ばかりではないが、急激な変化は時に破壊をもたらす。国が無くなる程の事態となれば、民間の被害は想像を絶するだろう。ましてや中世だ。現代の常識は通用しない。


 杜甫は滅びゆく儚さを際立たせるため、山と河を変化しないものと表現したが、方丈記は、川の水すら常に入れ替わり、同じものなど無いという。作詩テクニックもあるだろうが、その背景には、微妙な思想の違いがあるのかもしれない。


 生存競争に敗れ去ったものたちと、生き延びたものたちとでは、決定的な何かが違っていたのか?


 次元が違う異世界において、地球と同じような生物が誕生したのは必然なのか。よくよく考えてみれば、まさに奇跡としか言い表せない。しかも、同じような文明が発達しているなど、あり得ない程の確率だ。


 生物が進化し、人間という種が誕生するまでに、様々な選択肢があったという。ひとつでも違った道をたどっていたのなら、人間の姿は、現在と全く異なっていた可能性がある。


 進化は神がデザインしたものなのか。


 最先端の知識を誇る学者が、必ずしも神を否定しない理由のひとつが、この問い掛けだろう。


 何故、このような進化を遂げたのかは分かる。


 だが、無数にある選択肢の中で、その道を選んだのは神の意思か?


 進化が神の意思ならば、神が人をつくりたもうたという教えと、進化論は矛盾しない。一部の原理主義者たちには受け入れ難いだろうが、ここら辺が宗教と現実が折り合えるポイントだと思う。


 また、頭で分かってはいても、心から認める事は出来ないという感情も分かる。こういうのは理屈じゃないんだよ。


 例えば、世界の食糧問題を改善するものとして、昆虫食が提案される事が有る。昆虫はタンパク質やミネラル類に優れ、効率の良いタンパク質の供給源とされる。ゴキブリすら食用に適したものがあるという。


「農耕や畜産ばかりでは、自然が破壊され、取り返しが付かなくなります。今後は昆虫こそが、人類を救う救世主となり得るでしょう。さあ、ゴキブリを食卓へ並べましょう。Let's eat!」


 食えます? ゴキブリ。


 珍味として、好んで食する人もいるだろうが、大多数の一般人には無理だろう。論理的に考えると、これが正解なんだと言われても、心理的にあかんやつはあかんのですよ。意識を変えるには時間もかかる。


 ゴキブリ食はともかく、急激な変化への対応は難しい。この辺が、かつて優秀であった人が、老害と化す理由でもある。ましてや、これまでは自分のやり方で通用したという、成功体験に裏付けされていれば尚更だ。


 何が正解となるか、明確な答えを出すのは難しい。

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