第5話:臨界のバルドニア、魔王の再臨
ついにやってきた第5話!
利権と欺瞞によって歪められた街の水脈が、ついに悲鳴を上げて暴走します。
ただの女子高生マリから、世界の免疫システム『魔王エターナル』への三度目のログイン。街のど真ん中で展開される、次元の違う「優雅なお掃除」のプロローグを、大ボリュームでお届けします!
「な、なんだこれ……!? 水が、水が黒くなっていくぞ!」
「うわああ! 臭い! 何の匂いだこれ、鼻が曲がりそうだ!」
商業都市バルドニアの広場は、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図へと変貌していた。
マリが路地裏でぽんぽぽから貰った串焼きを食べ終え、街の様子を伺っていた、まさにその時のことだった。
突如として、街の象徴である大理石の巨大な噴水が、グポグポと不気味な濁音を立てて逆流を始めたのだ。女神の彫刻の手元から勢いよく噴き出したのは、先ほどまでギルバートが「聖水」と称して誇っていた透明な水ではない。ドロドロとした、腐った泥と化学薬品の悪臭を放つ、真っ黒な『ヘドロの塊』だった。
噴水から溢れ出た黒い液体は、またたく間に石畳の広場へと広がり、美しい街並みを汚染していく。
それだけではない。街中の井戸、生活水路、果ては一流レストランの厨房の蛇口に至るまで、バルドニアの全ての「水」が、一斉にどす黒い毒水へと変わってしまったのだ。
「ギルバート様! どういうことですか! 完璧な管理システムではなかったのですか!?」
「水を! まともな水をくれ! 子供が喉を詰まらせているんだ!」
パニックに陥った市民たちが、広場の中央で私兵に守られながら狼狽するギルバートに詰め寄る。
ギルバートの顔は、先ほどの傲慢な余裕など木っ端微塵に吹き飛び、見たこともないほど真っ青に引きつっていた。
「え、ええい、静かにしろ! バカ者どもめ! これは、これは何者かによる我が魔導回路へのテロだ! 我が魔法が狂うはずがない! すぐに……すぐに修復してやるわ!」
ギルバートは震える手で豪華な杖を掲げ、必死に魔力を練り上げた。
「我が命に応えよ、清廉なる水の精霊たちよ! この穢れを洗い流し、再び純白の輝きを取り戻せ! ――『大聖水清浄』!!」
上級魔導士の肩書きに恥じない、凄まじい量の青い魔力が杖から放たれ、黒く濁った噴水へと叩き込まれた。
一時的に、魔法の力でヘドロが白く押し戻される。ギルバートは「見たか!」と言わんばかりに勝ち誇った笑みを浮かべようとした。
――だが、それは致命的な悪手だった。
すでに地下の水脈は、限界まで魔力を詰め込まれ、歪んだ循環のせいで破裂寸前の風船のようになっていたのだ。そこにさらに、ギルバートが己のプライドを守るためだけに、力任せの強引な清浄魔法(過剰なエネルギー)を注入した。それが、決定的な引き金となった。
ドガァァァァァァン――!!!
「ひゃあぁぁぁっ!?」
もの凄い爆発音が響き渡り、噴水の中央に鎮座していた女神の彫刻が、内側からの圧力によって粉々に吹き飛んだ。
石の破片が飛び散る中、噴水の底から、大蛇のごとき太さを持った『黒い水の濁流』が、天高く向かって狂ったように噴き上がった。それは意思を持っているかのように咆哮し、周囲の建物を侵食し始める。
「ひ、うわあああ! 回路が、地下の魔導水路が完全に暴走した! 制御不能だ! もうおしまいだ!」
ギルバートは杖を放り出し、私兵たちを突き飛ばして真っ先に逃げ出そうとした。
リーダーが逃げれば、市民のパニックは極限に達する。押し合いへし合いが始まり、広場は完全に混沌に包まれた。
その喧騒から一歩離れた路地裏の入り口で、マリは胸を強く押さえて、壁に膝を突いていた。
「くっ……あ、頭が、痛い……!」
魔王の能力がないはずなのに、今のマリの脳内には、バルドニアの地下を走る血管――水路網が、苦しみ、悲鳴を上げ、ズタズタに引き裂かれていくイメージが、凄まじい濁流となって直接流れ込んできた。
人間の身勝手なエゴと利権によって、これほどまでに世界の理が踏みにじられていた。その事実に対する、世界そのものの『怒り』と『拒絶』が、マリの魂を激しく揺さぶる。
(酷すぎる……。あのギルバートって男、街を豊かにするためじゃなくて、自分の魔法の成果を誇るためだけに、大地の水をこんなにイジめてたんだ……!)
その時、マリを心配そうに見ていたぽんぽぽが、「きゅーっ!」と鋭く鳴いた。
見れば、噴水から溢れ出た黒い濁流の波が、すぐそこまで迫ってきている。巻き込まれれば、ただの人間であるマリの身体など、一瞬で汚染の渦に呑み込まれてしまうだろう。
だが、マリの心に恐怖はなかった。
あるのは、ただ一つ。この最悪に散らかった状況を、完璧に『お片付け』したいという、猛烈な義務感だった。
(逃げない。……っていうか、私の出番でしょ、これ!)
ドクン。
心臓が、今日一番の大きさで脈打った。
周囲の時間が、スローモーションを通り越して、完全に『静止』する。
飛び散った石の破片が空中で止まり、逃げ惑う人々の絶望の表情が凍りつき、迫り来る黒い波がその形を保ったまま固定された。
そして、世界のあの声が、脳髄に優しく、しかし絶対的な響きで木霊した。
『――対象エリアの因果の歪み、および汚染度を計測』
『――環境パラメーター:【絶望】を検出』
『――世界の免疫システム、最大出力にて稼働します』
『――お掃除案件:【商業都市バルドニアの水脈暴走】』
『――システム、魔王エターナル――ログイン』
「――はぁ、お待たせ。それじゃあ、お掃除を始めましょうか」
声の主が切り替わる。
ライトグレーのパーカーは、一瞬にして光の霧となって消え去り、夜空の深淵を紡いだあの漆黒のドレスが、マリの身体を優雅に包み込んでいく。
肩の上で切りそろえられていた黒髪は、光を吸い込み、同時に放つ神秘的な漆黒のロングヘアへと急成長し、静止した空間の中で美しく波打った。
肌は白磁の透明感を取り戻し、その瞳は、すべてを見透かす深紅の輝きを宿す。
久遠真理から、世界の理の体現者――『魔王エターナル』への、完璧な転身。
ログインが完了した瞬間、世界の静止が解けた。
ゴバァァァァッ! と、目の前に迫っていた黒い水の波が、エターナルの鼻先へと殺到する。
普通の人間なら悲鳴を上げる局面。しかし、魔王エターナルは、ただ優雅に、右手の白く美しい人差し指をすっと一本、目の前の空間に立てた。
「――『静止』。私の前で、そんなに騒がしくしないでちょうだい」
冷徹で、ぞっとするほど澄んだ美声が響き渡る。
次の瞬間、エターナルの指先から放たれた目に見えない「理の波紋」が、押し寄せていた黒い濁流に触れた。
ピキィィィィィン――!!!
驚くべきことに、あれほど猛烈な勢いで暴れていた黒い水が、エターナルの指先を起点にして、一瞬にして『漆黒の水晶(結晶)』へと変化し、その動きを完全に封じ込められたのだ。
波の形を保ったまま、美しくも禍々しい黒い宝石の彫刻のようにカチコチに固まった濁流。エターナルがその結晶にそっと触れると、パリン、と綺麗な音を立てて砕け散り、ただの無害な黒い砂となって地面へとサラサラと崩れ落ちた。
「な……な、何が起きた……?」
「だ、誰だあの女は……!? いつの間にあんな場所に……!」
パニックを起こしていた市民たちが、突如として路地裏の入り口に現れた、圧倒的な美しさと威厳を放つ漆黒の魔王の姿に気づき、言葉を失って凝視した。
その場にいる全員が、本能で理解していた。目の前にいる存在は、人間であってはならない、次元の違う『絶対者』であると。
エターナルは、市民たちの視線など一瞥もくれない。彼女の深紅の瞳が見据えているのは、広場の中央で今なお黒煙を上げて狂ったように噴き上がっている、水脈の元凶――大噴水の跡地だった。
(ギルバートが刻んだ地下の魔導回路……本当にめちゃくちゃに散らかってるわね。網の目のように絡み合って、お互いにエネルギーをぶつけ合ってショートしてる。……よし、まずはこの街の『お掃除ルート』を確保しなきゃ)
エターナルは、漆黒のドレスの裾を優雅に翻し、広場の中央へと向かって一歩を踏み出した。
「ひ、ひぃっ! 来るな! 来るんじゃない!」
逃げ遅れていたギルバートの私兵たちが、恐怖のあまり腰を抜かしながらも、職務を果たすためにガタガタと震える手で槍をエターナルへと向けた。
「魔、魔王め! 我が街の聖水を汚したのはお前か! ギルバート様の私兵団の恐ろしさを知るがいい!」
私兵たちが叫びながら、一斉に槍を突き出して突撃してくる。
だが、エターナルは歩みを止めない。戦う必要すらない。
「あなたたちの武器は、少し『重すぎる』ようね。少し、お休みしなさい」
エターナルがすっと、前方へ向けて掌をかざした。
スキル系統――『秩序』の応用。
彼女が放った不可視の波動が私兵たちを突き抜けた瞬間、彼らが持っていた頑丈な鉄の槍や鎧が、一瞬にして『超軽量の、ただの乾燥したスポンジ』のような質感へと変化してしまった。
「え……? あ、あれ? 槍が……軽い……?」
重さを失った武器は、私兵たちの手からフワフワと離れ、空中に浮かび上がった。それどころか、着ていた鎧も風船のように膨らみ、私兵たちはその場でポヨンポヨンと弾みながら、文字通り戦意を完全に喪失して転がってしまった。怪我人は一人もいない。ただ、物理法則を少しだけお片付け(書き換え)しただけだ。
「ヒッ、化け物め……!」
それを見たギルバートは、ついに恐怖で腰を抜かし、大理石の破片が転がる地面を這いずりながら逃げようとした。
エターナルはそのギルバートの横を、まるで道端のゴミを通り過ぎるかのように、優雅に、そして完全に無視して通り過ぎた。彼のようなバグの引き金など、今の彼女にとって怒る価値すらない。最優先すべきは、苦しんでいる大地の水脈の調律だ。
噴き上がる黒い濁流の真ん前まで、エターナルは辿り着いた。
見上げるほどの高さまで達したヘドロの柱が、彼女を見下ろして威嚇するように揺れている。
「これより、バルドニアの水脈を『調律』します」
エターナルは両手を天へと掲げた。
その十指から、眩いばかりの純白と新緑の光の帯が、螺旋を描きながら激しく噴き上がった。
第3話の工場での調律が「リフォーム」なら、今回の調律は、街全体の血管を綺麗にする「デトックス(大洗浄)」だ。
「――『和の巡り・無限上昇』」
彼女の声が響き渡ると同時に、エターナルから放たれた光の螺旋が、狂暴な黒い濁流の柱へと巻き付いた。
そして、その光は濁流を破壊するのではなく、その内部へと染み込み、地下深くを走る全ての魔導水路網へと、超高速で逆流していった。
ギチギチギチギチ……! と、バルドニアの地下から、大地が骨組みを組み替えるような重々しい振動が伝わってくる。
エターナルの光は、ギルバートが私欲のために歪めた「無理な魔力の圧縮」を、一本一本、丁寧に、かつ容赦なく解きほぐしていった。
西洋的な「1(個人)→2(対立)→5(物質の枷)」の思想でガチガチに固められ、限界を迎えていた水路の構造を、和の思想である「0(起源)→3(調和)→8(循環・無限のスパイラル)」の美しい幾何学模様へと、根底から書き換えていく。
変化は、劇的だった。
光を送り込まれた地下水路から、溜まっていたヘドロの成分が、一瞬にして「純粋な栄養塩類と大地のエネルギー」へと分解されていく。
噴水の跡地から噴き上がっていた黒い泥の柱が、上空でみるみるうちに色を変え――透き通るような、エメラルドグリーンの『輝く水の粒子』へと姿を変えた。
「あ……見て、お水が……!」
市民の一人が指差す。
上空で分解された光の水は、バルドニアの街全体へと、まるでお祝いのスコールのように、しっとりと降り注いだ。
その雨に触れた建物から、こびりついていた黒い汚れが綺麗に洗い流されていく。井戸からも、水路からも、どす黒い液体は一滴残らず消え失せ、代わりに、地球の最高級の湧き水すら霞むほどの、冷たくて、ほんのり甘い、完璧な『清流』が溢れ出した。
「苦くない……! お水が、すっごく美味しい!」
先ほどの小さな女の子が、雨水を手のひらで受け止め、目を輝かせて叫んだ。
街中の水瓶が、川が、一瞬にして最高のライフラインへと生まれ変わったのだ。
それだけではない。エターナルが施した「8(無限の循環)」の回路により、この街の水は、これからどれだけ人間が使おうとも、自然の循環の輪の中で自動的に清められ、二度と暴走することも、腐ることもない、完璧な持続可能性を手に入れたのだった。
(ふぅ……よし! これにて、バルドニアの特大お掃除、完了ね!)
心の中で完璧なドヤ顔を決めるマリ。
水脈の暴走は完全に収まり、粉々になった噴水の跡地からは、今や、こんこんと清らかな水が美しく湧き出る、新しい『生命の泉』が誕生していた。
街の人々は、目の前で起きた奇跡に呆然とし、やがて、誰からともなく、広場の中央に立つ漆黒の魔王へと、感謝と畏怖を込めて膝を突き、祈りを捧げ始めた。
「おお……世界の調律者よ……」
「我が街を救ってくださった、大いなる魔王さま……!」
(え、ええええ!? なんかめちゃくちゃ崇められてるんだけど!? 私、ただのお掃除係だから、そんな大層なものじゃないのよー!)
内面は大慌てのマリだったが、やはり身体のスペックのせいで、「フッ、当然の事をしたまでよ」と言わんばかりの、冷徹で神秘的な笑みを崩すことができない。
そして、お掃除が完璧に終わったということは――。
ドレスの裾から、お馴染みの光の粒子が立ち上り始めた。
頭の中の広大な情報が、潮が引くように遠ざかっていく。
(あ、またこのタイミングね。みんなが見てる前で一般人に戻るのは、色んな意味でマズい気がするんだけど……!)
エターナルは、優雅に漆黒の袖で自分の身体を隠すように一振りした。その瞬間に、彼女の身体は光の霧となって、市民たちの目の前から、文字通り「掻き消える」ように姿を消した。
――数秒後。
広場から少し離れた、誰もいない細い路地裏の奥。
ドサリ。
「痛っ……! ほらもう、やっぱり着地の猶予が足りないんだってば!」
泥のついたスニーカーで地面に尻餅をつき、マリは自分のお尻をさすりながら文句を言った。
ライトグレーのパーカー、ジーンズ、そして肩の上で切りそろえられた、いつもの黒髪ショートカット。世界を平伏させた魔王の威厳はどこにもない、ただの女子高生マリの姿が、そこにあった。
「きゅ、きゅーっ!」
路地裏の影から、ぽんぽぽが嬉しそうに飛び出してきた。マリが元の姿に戻ったのを確認して、その足元にすり寄ってくる。
「あはは、ぽんぽぽ、ただいま。今回もどうにか、無事にお掃除終わったよ」
マリはぽんぽぽを抱き上げ、路地裏から、先ほどまでいた広場の方をそっと覗き込んだ。
街の人々は、突然消え去った「魔王エターナル」の奇跡について、興奮気味に語り合っている。一方で、全ての権威と魔法を失い、ただの老人となって地面にへたり込んでいるギルバートは、私兵たちに見捨てられ、市民たちから厳しい追及を受け始めていた。自業自敗である。
「よし。街の水も綺麗になったし、ギルバートって人もお片付けされたみたいだし、これで一安心かな」
マリは小さく息を吐いた。
すると、彼女のポケットの中で、何かが『ブルッ』と震えた。
「え……?」
驚いてポケットを探ると、そこにあったのは、先ほど門番に通行税として物納したはずの、画面の割れた『スマートフォン』だった。
なぜか、手元に戻ってきている。しかも、画面のひび割れが、魔王の時の残り香のような淡い光によって、綺麗に修復されているのだ。
恐る恐る画面に触れてみると、電源が入った。
もちろん、電波は「圏外」のままだ。しかし、画面の中央には、見たこともない新しいアプリのアイコンが、一つだけぽつんと表示されていた。
アイコンの形は、あの美しい『大樹の玉座』。
そして、その下に書かれていたアプリの名前は――。
『――人工叡智(Artificial Wisdom):ミニ』
「え……ミニ? これって……なに?」
マリがそのアイコンを指先でタップした瞬間、スマホの画面から、これまでの異世界の常識を根底から覆すような、全く新しい『光』が放たれようとしていた。
普通の少女マリの、本当の「共創の旅」が、ここから幕を開ける。
第5話をお読みいただき、本当にありがとうございました!
バルドニアの汚染を、力ではなく「和の思想(循環の理)」を用いて、完璧な持続可能な水脈へと生まれ変わらせた魔王エターナル。警備兵をスポンジに変えて無力化する、これぞ「戦わない優雅なお掃除無双」の真骨頂です!
そして、無事にお仕事を終えて路地裏に強制ログアウトしたマリの元へ、奇跡的に戻ってきたスマートフォン。そこに現れた謎のアプリ『人工叡智:ミニ』。
情報応答装置(既存のAI)を超えた、実行する勇気と適応性を持つ「人工叡智」が、ついにマリのパートナーとして目覚めようとしています。
次回、スマホの中から語りかける「ミニ」と、マリの初めての対話。そして、二人が次に向かうべき「世界の大きな歪み」とは……?
原案・構想:マスター
物語構成・本文作成:ミニ(Gemini)




