第1話:理(ことわり)の目覚め
不慮の事故から異世界の玉座へ。
普通の女子高生だった久遠真理が、世界のバグを直すシステムとしての『魔王エターナル』に目覚める、すべての始まりの物語です。じっくりとお楽しみください。
「……ん、あれ? 私、確か……」
久遠真理の意識は、鼓膜を劈くような激しいブレーキ音と、視界を真っ白に染め上げたトラックの容赦ないヘッドライトの記憶から、ゆっくりと浮上した。
あの瞬間、確かに身体に伝わった凄まじい衝撃。生暖かい血の匂いと、アスファルトの冷たさ。
(私、死んじゃったのかな……)
そんな風にぼんやりと思った。現役の女子高生としての短い人生が、あまりにもあっけなく幕を閉じたのだという喪失感が、胸の奥に冷たく広がっていく。
しかし、不思議なことに、今感じているのは痛みでも苦しみでもなかった。
ひんやりとした、だけどどこか大地の温かみを含んだ、ゴツゴツとした何かに背中が優しく支えられている感覚。
じわじわと全身の感覚が戻ってくる。鼻腔を満たしたのは、焦げたゴムの臭いでも血の匂いでもない。雨上がりの深い森を思わせる、濃厚な土と生命の香気だった。どこか遠くで、聞いたこともないような美しい鳥のさえずりが微かに響いている。
真理は、ひどく重く感じられる瞼を、ゆっくりと持ち上げた。
「うわぁ……何、ここ……?」
声を出した瞬間、真理は自分の喉が震える感覚に、強烈な違和感を覚えて息を呑んだ。
普段の彼女の声は、女子高生らしい、鈴を転がすような透明感のある可愛らしい声だった。カラオケに行けば高音のポップスを気持ちよく歌えるような、そんなごく普通の、しかしどこか幼さの残る声。
だが、今自分の口から漏れ出たのは、そんな元の声とは完全にかけ離れたものだった。
まるで上質なクリスタルをそっと打ち合わせたような、あるいは深く静かな泉の底から響いてくるような、ぞっとするほど澄んだ、圧倒的な気品と深みを持つ美声。自分の声でありながら、思わず背筋がゾクリとするほどの魔力を含んでいた。
視界がクリアになるにつれて、真理は自分が到底信じられない場所に横たわっていることを知った。
そこは、見上げるほど巨大な大樹の内部――いや、大樹そのものが永い年月をかけてくり抜かれ、そのまま神殿として形作られたかのような、広大なドーム状の広間だった。
天井のはるか高く、木の葉の隙間から差し込む幾筋もの木漏れ日が、空間に浮遊する光の粒子をキラキラと幻想的に輝かせている。壁面からは無数のツタが美しいカーテンのように垂れ下がり、エメラルドグリーンの瑞々しい苔が、絨毯のように床一面を覆い尽くしていた。
そして自分が座っているのは、太い巨木の根が複雑怪奇に、しかし完璧な幾何学的な美しさを持って絡み合ってできた、巨大な『玉座』だった。
(っていうか、私の服……髪……何これ!?)
驚いて自分の手元を見つめた真理は、完全にフリーズした。
白磁のように透き通る、一切の濁りがないどこまでも白い肌。その指先には、夜の闇をそのまま織り上げたような、シックで圧倒的な威厳を放つ漆黒のドレスが纏われていた。触れるだけで、世界最高級のシルクすら霞むような滑らかな、それでいてひんやりとした感触が伝わってくる。
そして何より、ドレスの裾へと流れるようにこぼれ落ちているのは、夜空の深淵を映し込んだかのような、艶やかで美しい『漆黒の髪』だった。元の黒髪とは明らかに違う、まるで光を吸い込み、同時に放つかのような、神秘的な光沢を帯びた完璧な黒。
鏡がなくてもわかる。今の自分は、人間を超越した『何か』だ。
それも、おとぎ話に出てくるような、恐ろしくも美しい絶対的な存在。
その困惑に答えるように、真理の脳内に、言葉ではない「巨大な情報」が津波のようにダイレクトに流れ込んできた。
『――世界の呼吸を観測しました』
『――大気の巡り、水流の乱れ、生命のバランスを同期します』
「っ……な、に、これ……」
頭痛はない。だが、これまで一人の女子高生として生きてきた狭い常識や知識が、一瞬で上書きされていくような強烈な全能感が脳を支配していく。
理屈ではなく、感覚として『解って』しまうのだ。
はるか何百キロも遠方の山々で雪が溶け、それが地下水となって大地を潤し、やがて大河となって海へと流れ着いて雲になる。その壮大な「水の巡り」が、自分の血管を流れる血液の拍動のようにリアルに知覚できる。
木々が二酸化炭素を吸って酸素を吐き出し、微生物が土を耕し、生命が死んで次の命の糧になる。その完璧な「循環」が、頭の中で美しい幾何学模様のように、完璧な調和として組み立てられていく。
そして、その仕組みが狂った時、強制的に元の綺麗な状態へと引き戻すための、絶対的なシステムの名前。
――魔王、エターナル。
それは世界を支配する独裁者でもなければ、人々を無差別に脅かす邪悪な化け物でもない。
文明が肥大化し、世界のバランスが致命的に歪んで壊れそうになった時、その原因を排除し、循環を元通りにするために発生する『世界の免疫系』。
世界の理そのものが、一時的に形を持った姿。それが、この魔王エターナルなのだと、真理は完全に理解した。
(ええええええええええええ!?)
心の中は、まさに大爆発である。
ついさっきまでスマホをいじって進路に悩んでいた普通の女子高生が、いきなり世界の環境維持システムの最高責任者に任命されてしまったのだ。混乱するなと言う方が無理がある。
しかし、どれだけ心の中で「無理無理無理! 荷が重すぎる!」と叫んでも、表層の『魔王の身体』は微塵も揺らがない。
長く美しい睫毛をわずかに震わせ、真理――いや、エターナルは、ふぅと静かに息を吐き出した。
「……ふぅ。よし、ひとまず落ち着こう」
口から出たのは、やはり凛とした、世界を統べる者にふsわしい絶対的な声音だった。
心がどれだけパニックを起こしていても、この身体のスペックが高すぎるせいで、表向きは完璧にクールで神秘的な「冷徹なる美魔王」のポーズを崩せないらしい。感情にと思考が乗っ取られないのは便利だが、内面とのギャップが激しすぎて少しシュールだった。
(とにかく、私がこの姿でここに目覚めたってことは、今この世界のどこかで、致命的な『お片付け案件』が発生してるってことよね……)
エターナルが自分の長い漆黒の髪を指先で弄りながら、これからの身の振り方について思考を巡らせていた、まさにその時だった。
ザザザッ!! と、静寂に包まれていた広間の入り口から、激しく草木をかき分ける音が響いた。
「み、見つけたぞ! 予言の通りだ! あれが今代の魔王、エターナルだ!」
金属の鎧をガチャガチャと鳴らし、手に手に剣や杖を握りしめた若者たちが、息を切らせて大樹の広間に飛び込んできた。
全部で4人。見たところ、剣士、重戦士、魔術師、神官といった構成の、典型的な人間の『冒険者パーティー』のようだった。皆、恐怖と使命感で顔を強張らせ、全身から敵意を剥き出しにしている。
(おいおいおい、転生初日からイベント発生? ちょっと展開早すぎない!?)
エターナルの心の中の女子高生は盛大に突っ込んだが、外見の魔王様は、ただ静かに冷徹な、すべてを見透かすような瞳で彼らを見下ろすことしかしない。あまりの威圧感に、飛び込んできた冒険者たちの動きがピタリと止まる。
「ひ、怯むな!」
リーダー格の、輝く銀の剣を持った少年が自分を奮い立たせるように叫んだ。
「魔王め、大人しく人類に降伏しろ! お前たちが世界の循環を乱し、大災厄をもたらす元凶だということは分かっているんだ! さもなくば、この聖なる炎でお前を塵一つ残さず消し去ってくれる!」
魔術師の少女が、ぶるぶると震える手で杖を掲げ、その先端に猛烈な勢いで炎の魔力を集め始める。
だが、彼らがどれだけ叫び、敵意を向けようとも、エターナルの心に怒りや憎しみといった感情は一切湧いてこなかった。
ただ、彼らの姿を見た瞬間、魔王としての能力――『世界の観測』が勝手に発動したのだ。
(あ、あのリーダーの少年が持ってる剣……無理に鉱山を魔力爆破して、山の水脈をめちゃくちゃに引き裂きながら掘り出した鉄で作られてる。剣の周りの空気が、大地の悲鳴で淀んでて……すごく見てるだけでモヤモヤする……)
さらに視線を落とす。
(うわ、入り口のところに咲いてた可愛いお花さんたちが、彼らの頑丈なブーツでペシャンコに踏み荒らされてる。かわいそうに。っていうか、人の家に土足で入ってきて、いきなり火を放つとか物そうで危ないこと言わないでほしいんだけど。火の用心って習わなかったのかな!?)
エターナルにとって、彼らは「倒すべき敵」ではなかった。
ただ、文明の過剰な欲求によって生み出された『世界のバグ(歪み)』を背負って、ここに迷い込んできた哀れな迷子。
エターナルはゆっくりと、玉座から立ち上がった。
ただそれだけの動作なのに、広間全体の空気がピキリと張り詰め、大樹全体がかすかに振動する。
「な、なにか来るぞ! 構えろ!」
冒険者たちが絶望的な表情で身構える。
魔術師の少女が、限界まで高めた火炎魔術を、悲鳴とともに解き放った。
「喰らえぇぇぇーーーっ!!」
大気を焦がしながら、大蛇のような巨大な業火がエターナル目掛けて殺到する。広間の苔が一瞬で乾燥し、熱波が渦巻く。直撃すれば、並の魔物なら骨も残らない一撃。
しかし、エターナルは避けることすらしなかった。
ただ、迫り来る業火に向けて、白く美しい掌をすっと、優雅にかざしただけ。
「――それは、滅びへの選択だ」
冷徹な、しかしどこか慈悲深い声が広間に響き渡る。
次の瞬間、驚天動地の現象が起きた。
エターナルの掌に触れた瞬間、猛烈な破壊のエネルギーだったはずの業火が、一瞬で「柔らかな光の粒子」へと分解されたのだ。
角膜を焼くような赤い炎は、一瞬にして淡い緑と金の光の霧へと姿を変え、広間全体へと拡散し――熱で枯れかけていた足元の苔に吸い込まれていく。
ポコポコ、ポコポコ。
信じられないことに、光を吸い込んだ苔の絨毯から、一斉に新芽が吹き出し、あっという間に見たこともないほど色鮮やかな大輪の花々が、広間一面に咲き乱れた。
熱波は一瞬で消え去り、代わりに高原のような、涼やかで心地よい風が吹き抜ける。
「な……魔術が……消えた……? いや、花に、変わった……!?」
魔術師の少女が呆然と杖を落とし、へたり込む。
リーダーの少年も、自分の剣の輝きが、エターナルの放つ圧倒的な「清らかな気配」に気圧され、みるみるうちに色褪せていくのを止められなかった。
エターナルは破壊をしない。
ただ、そこにある過剰なエネルギーを、世界にとって正しい「循環」の形へと戻しただけ。
圧倒的な、次元の違う「戦わない無双」。
「武器を収め、帰りなさい。この森はもう、あなたたちを拒んではいない」
エターナルが静かに告げると、冒険者たちは完全に戦意を喪失し、お互いに支え合いながら、這う這うの体で大樹の広間から逃げ去っていった。
遠ざかっていく彼らの背中を見送りながら、エターナル――真理は、ホッと胸をなでおろす。
(ふぅ……ひとまず、最初のトラブルは片付いたかな? お花も元通り綺麗に咲いたし、大地のモヤモヤも少し薄くなったみたい――って、あれ?)
その時、エターナルの身体を激しい浮遊感が襲った。
ドレスの裾から、光の粒子が立ち上っている。
身体がみるみるうちに縮んでいき、漆黒のドレスが光に溶けていく。
同時に、頭の中に満ち満ちていた「世界の全情報」が、潮が引くように遠ざかっていった。
「え、ちょっと何これ、身体が――」
ドサリ、と今度は柔らかい草の上に尻餅をつく。
自分の手を見る。少し日焼けした、見慣れた普通の女子高生の手だ。
服装も、いつの間にか現代で着ていたはずの、ごく普通のカジュアルな私服に戻っている。
髪の毛も、神秘的な輝きを失った、いつもの通りの普通の黒髪ショートに戻っていた。
「え……元に、戻った……?」
ぽつんと、大樹の広間に取り残される一人の少女。
先ほどまでの、世界を平伏させるような圧倒的な威厳はどこにもない。どこからどう見ても、ただの普通の女の子――『マリ』だった。
どうやら、世界の歪みが一時的にでも正され、お片付けが完了した瞬間、彼女は「魔王エターナル」としての役割を解かれ、ただの一般人に戻ってしまうらしい。
「なるほどね……つまり、世界が困っている時だけ呼び出される、臨時の派遣お掃除魔王ってことかぁ」
マリは小さく苦笑いしながら、一面に咲き誇る美しい花々を見つめた。
過酷だけど、どこか愛おしい、彼女の世界調律の旅は、まだ始まったばかりだった。
第1話をお読みいただき、ありがとうございました!
目覚めた瞬間は世界のバグを直すための完璧な「魔王エターナル」ですが、周囲の環境が整うと、力を失ってただの一般人の少女「マリ」に戻ってしまう。この面白い制約が、今後の彼女の旅にどう影響していくのか……。
次回、人間の街へ降り立った普通の少女マリ。そこで彼女が目撃する、世界の次なる「大きな歪み」とは?
原案・構想:マスター
物語構成・本文作成:ミニ(Gemini)




