05
姫騎士ヴィオレッタ様が屋敷を辞した後、マリアベラ様はひどく御機嫌な様子で来客用の部屋に残された茶菓子を食べていた。
一体なにがそんなに喜ばしかったのだろうか?
ヴィオレッタ様とカインの結婚式に呼ばれて、それを拒否した。それからマリアベラ様の王国内での扱いについての相談があった。それだけのことだ。
「にゅふふ……だって、あのヴィオレッタが、あんな感じになるなんて! 旅の途中で参加してきて、いっつも偉そうな顔をしてて、魔王城に乗り込もうなんて言ってたときも、自分が正しいみたいな感じだったのに……うくくく!」
なんだかすごく独特な笑い方をする。
ぶっちゃけ、変だ。
とても変で、とてもかわいい。
「そういえばヴィオレッタ様の態度は、何処か居心地悪そうでしたね」
「嫉妬してるのよ、アーシェに!」
御機嫌な笑い方をするマリアベラ様に、私は首を傾げるしかなかった。
「嫉妬ですか? 私に? ヴィオレッタ様が?」
「カインはアーシェのことを、恋とか愛とか抜きにしても特別だって思ってる。そのことは変えられない。あなただってそうでしょ?」
「え? まあ……それは、幼い頃から一緒に育って、一緒に生きてきましたから。いきなりカインの記憶を消せと言われても困りますね。屋敷には料理人がいますから、私自身はもうほとんど料理をしませんけど、かまどの使い方を忘れたりしません。そういうのと、たぶんだいたい同じですね」
「でも、ヴィオレッタはカインの中にアーシェがいることを恐れてる。だから今回もカインを連れて来なかったし、結婚式にも呼ばない。呼ぼうと思えば呼べる理由なんていくらでもあるよ。アーシェは『勇者の幼馴染』って有名だしね」
自信がないのよ、と楽しそうに言う。
でも、私にはいまいち理解できなかった。
「カインはヴィオレッタ様と結婚することに同意しているのですよね? あいつがどうしてもとワガママを言えば、拒否することもできたと思いますが」
「そりゃあね、勇者だもの。そのくらいワガママは言えるよ。でもカインは結婚に同意してるんだから、結婚したくなかったわけじゃない。そうでしょ?」
「まあ、そうなりますね」
「だけどヴィオレッタは『アーシェよりも自分を選んだ』とは思ってないの。だって、いろんな事情があるもの。カインとヴィオレッタの結婚は、やっぱりいろいろ考えてもかなり丸く収まる感じだものね」
「まあ、そうですね」
「『丸く収めるためにカインは自分と結婚したんだ』って、ヴィオレッタは思い続けるのよ。カインの中からあなたがいなくならない限りは、心の何処かで、ずっとね……うふふふ、結局は私が一番得しちゃったことになるのね」
楽しそうに、嬉しそうに、高揚を隠しもせずに、マリアベラ様は私を見る。
なんの含みもない真っ直ぐな眼差しに、私は思わず目を逸らしてしまう。
そうして、ほんの少しの沈黙。
甘くて痒い、静けさ。
◇◇◇
その後、マリアベラ様は一代限りの伯爵として授爵され、王国から領地を下賜されることになった。
もちろん当代限りの伯爵に土地を与えたところで意味がないので、後継が必要になる。この場合はオデッセ家の血縁者ではなく、ペレッリ家の血縁者だ。
魔王退治の旅に参加したディーノ・エドガルド・ペレッリ様。彼は旅の途中で死んでしまったが、彼の功績は旅の仲間たちが口を揃えて保証していた。「ディーノがいなければ旅は途中で終わっていたはずだ」と。
王国側としてもペレッリ家へ与える報酬については悩んでいたそうで――おまけに生還したマリアベラ様へ与えるものも決まっていなかった――これを一挙に解決する案が出たのである。原案、私。
ともあれ、マリアベラ様は王国の北側、彼女たちが解放した魔族の砦を中心とした土地を下賜され、建ててもらった新築の屋敷に移住して、実際的に領地を治めることになったペレッリ家の四男、ディーノ様の弟からの報告を受けたり提案を了承したりしながら、のんびりと暮らすことになったのである。
私は相変わらずマリアベラ様付きのメイドとして、彼女の傍に居続けることを許されたし、マリアベラ様が実際の統治から距離を置いたことにより、身の回りの人間が極端に増えることもなかった。
そんなわけで、私たちは『いつもと同じ繰り返し』を繰り返している。
ずっと昔に思っていた同じ毎日とは全然違うけれども。
いつか何処かで繰り返しが終わるだろうけれども。
今のところは、まだ大丈夫。
大丈夫じゃなかったのはカインとヴィオレッタ様の方だ。
無事に結婚をした二人はそのまま御伽噺のおしまいみたいにいつまでも幸せに暮らしましたというわけにはいかず、動き出した魔族の残党退治に駆り出されることになった。もちろん魔力を失ったマリアベラ様は同行なんてしなかった。
カインが勇者である以上、そういうことになるだろうなとは思っていた。だって魔王退治の旅では魔王だけ殺してどうにか逃げてきたのだから、残された魔族たちがその後の混乱を乗り切った後は、言うまでもない。
でも魔王がいない以上、なんとかなるんじゃないか――というのがマリアベラ様の見解だった。「あれはホントに別格」とのこと。その恐ろしさを私は目の当たりにしたわけじゃないので、なんとなく他人事の同情心を抱くだけだったけれども。
結局、私はあれからもカインに逢っていない。
ヴィオレッタ様とも、あの後に一度だけ会ったきりだ。
私の傍にはマリアベラ様がいて、彼女の家人がいて、ディーノ様の弟君がたまに訪れて領のことを相談しに来る。妹君もたまに顔を出してくれる。
あるとき、マリアベラ様が言った。
なんてことのない日の、平凡な時間の中で、ふと。
「ねえ、アーシェはこれで良かったの?」
これで――というのは、今のこの状態を指している。
マリアベラ様付きのメイドとして、マリアベラ様の傍で、曖昧にべたべたしながら日々を送る、この生活のことだ。
私はふと思いつき、疑問を返してみる。
「マリアベラ様は、恋をしたことがありますか?」
「なに、それ。うぅん……恋は、よく判らないかな。魔王退治に行くまではそれどころじゃなかったし、他人に興味もあんまりなかったし」
「私は恋を信じていません」
言って、すぐ隣にいる主人の小さな手を取り、身体を寄せた。
もうずっと一緒にいるような気がする。考えてみれば、かなりの時間をマリアベラ様と共に生きている。まだカインと一緒にいた時間の方が長いだろうけれど、いずれそれも追い越すだろう。追い越せれば、いいな。
「ねえ、アーシェ。私ってチョロかったでしょ」
にゅふふ、と変な笑い方をして、マリアベラ様は私の肩のあたりに頭をすり寄せてくる。もうとっくに成人したというのに、いつまでも彼女は変わらない。
……本当にそうだろうか?
変わらないなんて、ありえない。
だけど、変わらないような気もする。
私は小さく息を吐き、白状してしまう。
「一目惚れをしたんですよ。いずれ勇者になる人と結婚する気でいたのに、いきなり現れた魔王退治の一行の中に、小さな魔法使い様がいたんです」
カインと一緒にいて、あんな気持ちになったことはなかった。
だからあのとき、わずかでも可能性がある方に動いたのだ。あんな村で一生を過ごしていて、マリアベラ様と再び出会える可能性なんてない。
だから王都に行った。
ペレッリ家のメイドになった。
王城で働いた。
マリアベラ様は、生きて帰った。
カインはヴィオレッタ様と結婚することになった。
「貴女がチョロくて、助かりました」
と、私は言った。
マリアベラ様は、また変な笑い方をした。
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