断章1『動き出すもうひとつの歯車』
屋上に立つと、目が眩む。なんだか、異常な力が働いているみたいだ。ぴりぴりと鳥肌が立ってきて、歯が浮くような感覚がする。【キラー】と呼ばれる少年は、屋上の金網に手を置いて眼下の景色を眺めていた。
「なんでしょうか、すごく、居心地、悪いですね」
リーダー格を気取っている【メガホン】が、この学校の周囲ならばウィルスがまったく存在せずガスマスクを取っても生きていられると言っていた。その通りで、マスクを外しているキラーもまた発症することはなかった。
メガホンの能力は自分の声量を自由自在に調節できるというものだ。志向性もあるようで、司令官としては確かに向いていると言えるだろう。だがキラー本人は、面倒なまとめ役を名誉のためか引き受けようとした彼を見下していた。トップに立つのは、馬鹿のやることだ。僕は、好きなように暴れて、好きなように犯し、好きなように殺す。そのために、チームに入った。
別に《山猫の集い》とかいうコミュニティに興味はなかった。名前だけは知っていたが、かといって個人的な恨みがあるわけでもない。世界が崩壊した後、彼はずっと一人で生きてきたのだ。今さら、群れる意味はない。
ただ、都合がいいからという単純な理由で、キラーは特攻隊長を名乗り出た。誰も彼を信じている者はおらず、また一緒に行動したくないという輩が大多数だったために単独行動を許された。もちろん、すべてが筋書き通りだった。仲間を殺したら、それはそれで動きづらい。能力の範囲を考えると制御するのは面倒だし、それは流儀に反するのだ。
やりたいように、やる。
世界が滅びる前からの、彼のポリシーだった。
「キラー。そろそろ準備をしなさい」
「……あの、あなたはこの屋上になにかを感じませんか?」
呼びに来たのは、女だった。顔に切り傷が入っている。まだ完治していないところを見ると、どうやらつい最近できたものらしい。
ぞくりと、背筋を何かが這い上がってくる感覚がした。
「さあ……まあ、気分は、良くないわね」
「ですよね」
この学校にウィルスがいない理由は未だわからない。誰かの能力だとメガホンは言っていたが、あまりに都合が良すぎるというものだろう。
屋上にきっと何かある。
キラーはそう、直感していた。
「あなたの名前は?」
「……【キリガクレ】よ」
ふうん、とキラーは特別興味なさそうに頷いた。ただ、ハスキーで低めな声が少しばかり彼の好みにあっただけのことだ。もう少しだけ、喋って欲しいと思った。手を伸ばして、キリガクレの肩を触る。
強く握ると、肩が霧のように消滅した。感触はない。
「あれ……」
「メガホンに言われたのよ。あんたに近づくときは、実体を隠せってね」
「なるほど」
まったく、面倒なことをしてくれる。噂だけ広まってしまった。さすがに派手に行動し過ぎたか。それでも、姿は見えずどこからか話しかけてくるキリガクレの声に、キラーはぞくぞくと震え上がるなにかを感じていた。
「キリガクレ、さん? あなたはこの世界、好きですか」
ただ彼女の声が聞きたい。本当ならば、対話する必要もなく切り刻んで悲鳴を上げさせてやれば良いだけのことなのに、世間話で繋ぐ必要があるのだから面倒臭い。すべてが終わったら、メガホンもろとも殺してやる。
「嫌いに決まってるでしょ。あたしの顔に、傷を付けた」
「あれまだ完治してないですよね。治癒能力者、いませんでした?」
「治させるわけないじゃない。あたしは、あたしの顔をこんなにした女を忘れないの。そう、決めたのよ」
くだらない理由だと、キラーは思った。きっとその誰かが《山猫の集い》にいるというオチだろう。しょっぱい復讐譚だ。誰でも思い付く。
「そうですか。僕は、興味深いと思いますよ、この世界」
「……だろうと思ったわ。このキチ◯イ」
異常者のレッテルを貼ることは、おかしいだろう。だって、彼女は疑問に思わないのだろうか。こんな馬鹿げたパンデミック、誰かのお粗末な妄想でもない限りあり得ないだろう。まるで、お伽話の世界だ。
「知りたいんですよ。この異常事態、どうして起きたのか」
はじめは、世界が自分を肯定したのだと思った。今まで起こしてきた犯罪行為が、警察機構の死亡と同時に赦された。この世界では何をしたって誰も文句を言わない。人を殺しても、犯しても、それはすべて弱いからいけないのだ。妄想が現実になったのだと、確信した。
でも、まだこの世界は未完成だ。
あまりに居心地が悪い。ガスマスクをしないと外に出れなかったり、銃はぜんぜん見つからなかったり……中途半端に現実と整合性を取ろうとした余り、くだらない悲劇へと格が落ちている。
違うだろう。
キラーはこの世界の創造者に向けて言ってやりたかった。
「誰がこんな世界を生み出したのかはわかりませんが、でもいつか、そんな人に会ったとしたら……絶対に、言ってやりたいんです」
お前は作者失格だ。
僕だけが、理想の世界を生み出せると。
「世界を生み出したって……あなた、何を言ってるの?」
「この学校が……いや、きっとこの屋上が鍵なんですよ。僕にはわかる。きっとこの世界の創造者は、重度の中二病患者だ。中二病と言えど、世界を一つ作り上げてしまうのだから頭が本気でイッている。でも、まだ甘い。きっと彼は、人を殺したことも、動物を嬲ったことも、ないんでしょう」
児戯に過ぎないとキラーは創造者を断罪する。彼の重度な妄想は、キリガクレに不信感を募らせるには十分過ぎるほどだった。気づけば彼女の気配は消えていて、屋上にはキラー一人になっていた。
それでもキラーは続ける。
まるで、誰かが聞いているとでも言うように。
「レディース・アンド・ジェントルメン。物語をご覧になっている皆様、僕はキラーと申します。くだらない三文芝居に付き合わされて、さぞかし退屈していることでしょう」
滴る涎を拭う。犬歯をむき出しにして、両手を広げ空に向けてさらに叫ぶ。
「これからは、僕が主役です。こんなくだらない劇は、すぐに幕を閉じてあげましょう。メタ・フィクション? いいえ違います。これは僕にとって間違いなく現実です。さあ、お客様、もうしばらく、お付き合いください。僕は――必ずや、そいつの物語に終わりをもたらしましょう」




