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戦国時代 敗者の言い分  作者: 杉勝啓
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朝倉義景

わしはは越前を領する朝倉家5代目当主にして、最後の当主だ。


わしが一体、何をしたというのだ。

越前にこもっていて、わしから戦を仕掛けたこともない。圧政をしいたこともない。

織田信長が天下布武の旗のもと、天下統一をめざすなら、やればいい。邪魔をするつもりもなかった。なぜ、この越前の地をどうしてほっておいてくれなかったのか。


足利義昭様に叛意がある。なぜ、そのようなことがいえるのだ。かっては義昭様のお世話をしたこともあるわしだ。義昭様に叛意などあろうはずもない。


織田信長が攻め込んできた時、浅井長政殿が私に味方してくれた。浅井長政殿が味方してくれなかったら、このとき、朝倉家は滅びていただろう。織田信長の妹を妻にしている浅井長政殿が味方してくれるとは思わなかった。


志賀の陣で、浅井長政殿は徹底抗戦を主張していたが、主上や足利義昭様の仲介を無視することができようか。それに雪に覆われている越前の国だ。男手を返してやらねば、女、子供が難儀するから和議を受け入れた。それが間違っていたというのか。


我らが比叡山を去ってから、織田信長は比叡山を焼き討ちして、僧たちだけならず、女 子供まで、容赦なく殺戮したという。どうして、天はこのような男を選ぶのだ。


私の考察

小説やドラマなどで愚将と描かれることの多い彼だが、越前国はちょっとした小京都のようだったという。そのような国を作れる彼が愚かとはいえまい。越前は雪と一向一揆に悩まされている国だ。そのため、重大な場面でも義景自身が動けず、朝倉景健などを派遣せざるをえなかったのではないだろうか。

志賀の陣で、男手を国に返してやらねば、女・子供が難儀すると和議を結んでしまう心根も優しい。これが信長を討ち漏らし、朝倉氏滅亡となっていくのだが。

風雅を愛し、家族を愛し、領民を愛した彼は、平和な時代に生まれていれば仁愛深い名君と讃えられたかもしれない。



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