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アーシャームエル ~ 神の罪  作者: 小説の人
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0話 神の罪

未来、アーシャームエルと云う神の申し子がいた。神とは、名前がある神、ない神、両方の事である。名前がある神とは、主と呼ばれるイスラエルの神である。ない神とは、知られない神と云う言葉と云う神である。

その両方が1つと成って、神と呼ばれる者に成る。つまり、名前の有無、有名人の中でも有と無があり、それを問う神を神と呼んでいるのである。

過去の人の名前の有無とは、正しさの事である。つまり、有であるなら、正しい。無であるなら、間違っている。つまり、名前が付けられるか、否か、で正しい正しくないが決まるのである。それは、はっきり言うなら、名前が付けられる様な人間であるか、否かで有無が問われるのである。それはつまり、名前がないのが神に認められなかった者である。ヒトラーやネロがそうである。これらは、人間としての名前より、行いとして覚えられている。つまり、名前がないのである。逆に、名前があるのが神に認められた者である。つまり、行いを覚えられている、名前も覚えられている人間なのである。例えば、イエス・キリスト、後はムハンマドとかである。

要するに、神に認められた者は人々に名前を覚えられる。しかし、神に認められなかった者は、知られないか、それとも、行いとして覚えられているか、である。

覚えられているとは、いつも思い出す様な覚えられ方をしている事である。いつも思い出す様な事なら、問題なく、思い出す事と言えば、名前か?行いである。キリスト教徒等の覚えられると云う意味で言えば、行いが悪ければ、名前は覚えられない。

しかし、行いが良ければ名前も覚えられると言った所である。

要するに、全否定される者と全肯定される者とがいる訳である。

まあ、極端な例であるが。

アーシャームエルは過去の人ではない。

今の人間である。つまり、神に認められるかまだ知られていない人間なのである。過去の人に成って初めて神に認められる訳である。

アーシャームエルは正しい人であった。しかしながら、神によってではなく、人によってである。しかし、神も又、彼を申し子と思っていたのである。しかしながら、アーシャームエルは人間であった。神の子ではなかったのである。すなわち、真に義人(正しい人)ではなかったのである。

故に、罪を犯すのである。これは神の罪と呼ばれるアーシャームエルの悲劇の物語である。


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