◆106
随分と昔の話だ。カートゥーンキャラクターのお面を被った男。山の中で出会った。今でも覚えている。耳元でささやかれた言葉を。
【あなたは死なねばならないんですよ】
そうして、殺されそうになった。
それから――もっともっと時が経った今、よみがえってくる記憶。一緒に戦った仲間たちにも知られてしまった。けれども、向けられた目は白い目ではなかった。それが嬉しかった。レジスタンスに入らないか、と言われたときと同様に。
「以前の戦いの記憶からいくと、『――――君』は厄介だと思っていた。だから、記憶消去をした。それでも、厄介な敵として存在してしまった」
肩を竦め、「どれこもれも全部あの人のせいなんだぜ」ともう一人の自分は呆れ返ったように片眉を上げた。
「レジスタンス側にこいつの心動かせるようなそれを置くからなぁ」
視線は赤い水たまりの上で横たわっている少女にいく。もう一人の自分はレーラを嫌悪感ある目で見てはいなかった。むしろ、どこか喜々としている。そこが意味不明。なぜなのか。しかし、イアン・アリスは止めろなんて言わないし、言動と顔が違うとも言わない。彼女と自分の好きな子は全く違う存在なのだから。
それでも、自分が楽園側というならば、どうしてあのときに攻撃を仕掛けてきた? 気になったイアン・アリスはそれについて訊ねた。すると、意外な答えが返ってくる。
「いいや、結果オーライなんだよな。これがまた」
死体を指差しながら不気味な笑みを浮かべた。
「完全な世界の果てを実行させるためにはどの道、楽園を壊滅させる必要がある。俺にとっては中途半端な理想郷だしな。だから、わざとレジスタンスにとって有利な駒として、スパイとして置いてあげたんだ」
そう言った直後、女王の間にグーダンたちレジスタンスたちが勢いよく入り込んできた。その場に緊張感が走る。
「エンジェルズか!?」
「もっとも、そんな姿をしている時点ではもう何も信じてもらえないだろうな」
グーダンたちレジスタンスはイアン・アリスを見た瞬間に銃器とフォーム・ウェポンを構え出した。これには慌てて「俺です」と止めに入ろうとする。自分であることを必死に訴えた。もう目は覚めた。今は理解不能なことを知ろうと必死になっているから落ち着いている。今は自分をレジスタンスとして見てもらいたいから。
――でなくても、そう見えるでしょ? そう見えるはず。『俺』は『イアン・アリス』として存在している。まだだ、まだなんだ。それだからこそ、グーダンさんたちの仲間であると認識してくれるよね?
だがしかし、イアン・アリスの言葉に耳を貸そうとはしなかった。
「お前たち、死ぬなよ!」
逆に敵と見なして、攻撃態勢に入る。どんなに待ってくれと叫んでも、聞こえていないようだった。いいや、これは――ふりなのか。もう一人の自分の言葉が嫌に頭に残っているから、そう思わざるを得なかった。
うるさい金属音が広間に響き渡る。どんなに自分が敵ではないと否定しても聞き入れてくれない。ああ、悲しい。嫌だ。つらい。見覚えのある哀れな状況。
「よくもレーラちゃんを!」
確かにレーラを殺したのは自分だ。
戦いの最中、レジスタンスたちはもう一人の自分に気付いていないらしい。耳元でささやいてくるのだ。
「忘れるな。こいつらは敵だ。本来の敵。ためらうことはない。殺せばいい」
まるで悪魔のささやきのようだ、と思う。その言葉は止まることを知らない。
「『――――君』に味方は一人もいない」
「目の前にいるのは『――――君』の敵」
「誰も彼も敵」
「もちろん、『――――君』の大好きなあいつだって敵」
「言っていたじゃないか、『嘘つきには教えない』って」
「あいつは、名なしは『――――君』を利用していたんだ」
「あの人だって同じ」
「じゃあ、利用されないためにはどうしたらいいんだろうな」
――うるさいっ! 黙れっ!
イアン・アリスが気付いたとき、赤く染め上げられた女王の間は更に真っ赤になっていた。その中心に立つのは自分だけ。何も残っていない。手からするりと抜け落ちるようにして、なくなってしまった感覚がひどかった。
グーダン、レーラ、オクレズ、エルダ。全員が苦痛に満ちた表情で動くことはない。何も言葉が思い浮かばない。思い出すのは彼らが「死ね」と言ってきた言葉だけ。
確かに言われたことはある。この時代でも、記憶の奥底に眠っていた幼い頃からも。何度も言われ続けた「死ね」
あの子にも育ての母親にも言われた「生きていい」と「死なないで」
それを胸に、存在の糧として持っていたのに。あの子も誰も彼も敵。そう聞いて泣きたくなってくる。こちらを哀れんだ目で見てくるもう一人の自分の存在が苛立つ。殺したいくらいに。その哀れみが「死ね」と言っている気がしてたまらなかった。
――まだこの期に及んで「死ね」と言ってくるやつがいるとは。死ねという奴が死ねばいい。
怒りのボルテージが最高潮に達したのか「お前が死ねっ!」と右手を振りかざした。この攻撃は見え見えの攻撃だったらしい。軽々しく避けられる。なんとも涼しそうな顔をしているものだから余計に苛立つ。ああ、早く死んで逝け!
死ねと言われたもう一人の自分は「冗談キツイな」と余裕のある顔を見せていた。
「俺はお前なのに。俺が死ねば、お前は死ぬのに」
「うるさい、黙れ!」
その場で激しい戦いがあった。床に倒れている死体なんてお構いなし。血を肉を踏みつけようが知ったことではないとでも言いたげ。だって、敵だもの。誰にも文句は言わせない。この鬱陶しい自分を殺すまではっ!
「俺を殺すか。これまでの存在を」
流石に回避だけではどうしようもないらしい。もう一人の自分は楽園の女王の白い刀で防いだ。殺意に満ちた攻撃に苦戦することもなく、「あはは」と笑ってくる。
「お前、大丈夫か? 誰が言葉とやらを習得させてあげたと思っている? 誰のおかげで大好きなあいつに会わせてあげたと思ってんの?」
イアン・アリスによる大きな攻撃。それは必死にならずとも、よく見える太刀筋である。だからこそ、もう一人の自分は眉一つの表情を変えないで避けた。
「それは紛れもなく、俺が最初にこの世界を書き変えたからだろ? 俺が企てた『オリジン計画』と『MAD計画』をやっていたからだろ?」
違うか、と設問してくるが「それでも」と憎悪を膨らませる。
「『――――君』がいなかったら、こんな未来にはならなかった!!」
――すべては世界を変えた存在、世界改変者が事実を変えまくってしまったからあいつは戦わなくてはならなかった。『――――君』はこんな風につらい思いをしなくてもよかった。それならば、あいつとは会わない未来で生きていたかもしれないけれども、苦しい未来になるくらいならば、何も知らない未来で生きたかったというのに!
「何もかも、『――――君』のせいだ! 『――――君』がこの本にいたずらをしなかったら……!!」
「『イアン・アリス』はこの世に生まれていない」
もう一人の自分の言う言葉はもっともであり、動きを止めさせるのだった。




