◆104
信じる気持ちが、思いを実現させる。なんという美しい論であろうか。どんなに信じがたいものであっても、信じる。純粋だ。それが本来あるべき人の在り方なのかもしれない。そうだとしても――。
「ログギィ メグロッポッシェ ノゥ、ライッ ガガド ヴィッローロ ハァ」
(※あいつに逢えないなら、お前たちを殺すまで)
黒い鎧は笑う。声に出していないというのに、空中に飛ぶ血飛沫に紛れ込むようにしてケタケタケタケタケタとせせら笑う。
ここまでにおいて純粋な思いがあるだろうか。これが、イアン・アリスが信じている思い。好きな子に会うために、どんな犠牲は問わない。それはたとえ、この世界を変えようと誓い合った仲間であったとしても。好きな子に似ている子であっても。
血肉を辺りに撒き散らし、何かを伝えたくても伝えられない少女は口だけを動かす。何を言っているのか、イアン・アリスにはわかっているのか「うるさいっ」と声音が憤りを感じている様子。
――うるさい、うるさい、うるさいっ! その口を開くなっ! お前が……お前たちがいなければ!
彼女たちがいなければ、どうだというのだろうか。かろうじて致命傷だけは逃れた楽園の女王は手に握る白い刀を振るわせながらも、黒い鎧を睨みつける。
その楽園の女王の視線に「なんだよ」と目で憤怒した。
――こっち見ている暇があるなら死ねよ。『俺』たちはお前を相手にしているほどヒマじゃない。早くあいつに会いたいから。ここでくたばりかけているそっくりさんとわいわいしている気になんてなれない。だが、この深い傷を負わなかったこいつはなかなか死なないだろう。絶対に自分から死に逝かないだろう。
――それならば、『俺』が殺してやる。
黒い鎧の足が一歩動き出した。傍らで床に転がるレーラを無視して。床に広がった血の海すらも無視して。
「冗談じゃないっ!」
黒い鎧という存在に恐怖心でもあるのか、ようやく楽園の女王は口に出せたその一言。ただの人間だと思っていた。『彼』が遣わせてきた、可哀想な人形だとばかり思っていた。実際はそうではなかった。本当は人の皮を被った「バケモノ」だ。気狂いした人間でもない、本物の「バケモノ」。
心の奥底に存在していた負の念や感情が表に出てきて、それは誰かが受け止めようにも受け止められない強い思念。どんなに誰も頑張って受け止めようものならば、その思いに押し潰されるだろう。
楽園の女王はその思いに気圧されているのだ。こんなやつの相手をしていた彼らもそうだが――。
――『彼』が異常なまでに干渉できないこの世界を狙ったのがいけなかった! 『彼』はどこまで狙ってやったのだろうか。このねじが外れた者の存在を寛容する気か? そう考えているとするならば、正気とは思えなかった。
死の直前で思う。
この世界では事実を捻じ曲げたり、歴史を改変することが当然の結果である、と。つまり、楽園の女王が言いたいことは、絶対にこの世界に救世主は現れない。この世界はこうしてぐずぐずになるがオチだということだ。
その憶測はすぐに当たることになる。
赤色の水たまりを作った楽園の女王が倒れ、イアン・アリスは玉座にある何かに気付く。それが気になるのだろうか。ゆっくりとした足取りでその何かの目の前にやって来る。そこにあったのはピンク色の分厚い本だった。この本がどれだけ昔からあるのかは古びているし、紙の部分が黄ばんでいるからわかる。
血まみれの手でその本に触れる。この本は何かであるのか見た瞬間すぐにわかった。
そう、これこそがこの世界を構築する『書』だ。
――あいつは『神様の日記』って言っていたな……。
その名に違わぬ本の効力。これがあるから、この世界が存在する。これがあるから、自分という存在がある。彼らの存在もある。
――『――――君』と『イアン君』が言いたいこと、わかるか?
まじまじと『書』を見る度にちらつく自身の右腕。視界の端に映る自分の格好。ここまで醜くなってしまった。それは十分に理解していたこと。
――何だろうか、この世界は。そんなに『俺』が嫌いか。そんなに『俺』たちが嫌いか。そんなにこの世界は夢を見せるほど『俺』たちを嫌うか。前もそうだった。似たような出来事だった。『――――君』たちが嫌いだからこそ、『――――君』たちに幸せなんて言葉を譲ろうとしなかった。『――――君』たちの願いなんて聞き入れる気なんてなかったのだ。
何を期待していたんだろうか。何に待ち焦がれていたのだろうか。戦って得た物は何もない。虚無だけだ。空っぽの心が寂しい。この世界に希望なんて存在しない。こんなくだらない世界に平和なんて存在は意味があっただろうか。『書』を握る手が震えている。これを床に思いっきり叩きつけたい。だが、そうしても何の得にもならないのは知っていた。ただ、固い床と本がぶつかる音が虚しく聞こえるだけ。何の意味もないのだ。どんなに喚こうが、泣こうが 事実や歴史は変えられてしまった。時があまりにも経ち過ぎた。心が苦しい。もう嫌だ。こんな世界で生きるなんて耐えられるものか。
『――――君』の心があるイアン・アリスは思う。こんな物があるから……。




