◆102
松明の火だけで灯された薄暗い広間。そこへとやって来たのは険しい顔をしたイアン・アリスである。右半身を黒い鎧に侵食され――今では残りの左半身も鎧に飲み込まれようとしていた。
――そんなの関係あるものか。
ともかく、楽園の女王を殺すために。盗まれた婚約指輪を取り戻すために。
この松明の火だけの明かりで灯された広間の真ん中には玉座があった。そこに金色の長い髪を一つに束ねた見覚えのある少女が小さくなっている。肩を小さく震わせて、どうも怯えている様子。何に怯えているかなんてどうだっていい。どちらにせよ、彼女に用があるのだから。
床と靴がぶつかる音が広間中に聞こえた。コツコツコツコツコツと。聞いていて鬱陶しさはあるが、不思議と心地良いと思う。
玉座にいる彼女から数メートルほど近付いたところで、その少女はゆっくりと不安そうな顔を覗かせた。
「……イアン、なの?」
その少女はレーラだった。彼女は元々大きな目を更に大きくしてこちらを見る。驚くのも無理はない。今のその姿を目に映すならば、だ。どうしたらいいのか、どう声をかけたらいいのか、どのようにして接したらいいのかわからなかった。こちらへと歩み寄る相手の面持ちや雰囲気がただならない様子であるのがわかるから。
「ねえ、その格好は……」
どうしたの? その好奇心の質問をぶつけようとするのだが、レーラの言葉を遮るようにして「レダヴィ」と一蹴される。この声音は明らかに低い。いつもの穏やかな雰囲気ある声音は存在しなかった。何かに対する怒りがあるようだ。その憤りはこちらに向けられているようにも見える。
「えっ? い、いきなり……」
「フォーレィ ロググチェ ノゥ」
(※その声で何も言うな)
口を開いて欲しくないらしい。レーラの声は耳障りだ、と今にも耳を塞ぎそうなくらい眉間と鼻にしわを寄せていた。
「イッフィーノ ロググチェ バッグォ。テトテポ ライッ イッセーゲレ ノゥ バー」
(※その声はあいつだけの物。お前が軽々しく声に出していい音じゃない)
何かしらに執着があるようだ。その思いは気味が悪いほどこちらに伝わる。それでもレーラはイアンに落ち着いてもらいたかった。近付いてくるその足音が怖いから。右手にある武器にも感情があるように思えたから。
「コントルセ 『――――』 イズォ ノゥ。テトテポ ライッ コーバッテモェ シビルニァ ケゥ オーバンカ」
(※その姿を『俺』の目に映すな。お前が軽々しくそんな格好をしてもいいと思っているのか)
「イアン? 言っている意味がわからないよ? また私を誰かと――」
「ログギィ ライッ モーテヴィヴィロ ノゥ!」
(※あいつとお前が一緒なわけないだろっ!)
残り二メートルぐらいのところで立ち止まると、そう怒声を上げた。武器を握る手、握っていない手――どちらも震えている。黒い鎧に隠されていない左目からはぎろりとレーラを睨みつけていた。
――こいつとあいつが一緒なものか。全然似ていない。髪の毛の色も、長さも、目の色も。性格だってそう。あいつがこいつみたいにアクセサリーを作るのが趣味なわけない。あいつは割とがさつだ。適当だ。それでも、それでも『――――君』のことを好きでいてくれた、『俺』が大好きな女の子なんだ。
――似ていないのに、どうしてこいつを見る度にあいつの顔がちらつくのだろう?
イアン・アリスが願うのはレーラの存在否定。認めたくなかったのだ。彼女たちがあまりにも似過ぎているから。それだからこそ、苛立ちは止まらない。瞬きをする度に映るその姿。煩わしい。次々に飛び込んでくるあの子との楽しい思い出。一緒にいるだけで優しい気持ちになれた気がする。いつかは本当の自分を見せて、それすらも優しく包み込んでくれると思っていたのに――。
「オレゴゥ オー、テテバチェッソメル」
(※頼むから、消えてくれないか?)
イアンはレーラに対して、真っ黒な刃先を向けた。松明の小さな火の光がそれに当たって、赤く見える。彼女は困惑した顔を見せながら「何を言っているの?」と一歩だけ後ずさる。
「意味がわからないよ? 怖いよ、イアン」
「ブレバンシェ ライッ ジャー」
(※お前が邪魔だから)
問答無用。斬り捨てる気なのか、高く真っ黒な剣を振りかざすのだが――レーラはどこから出したのか。その武器とは対極的な色をした白い刀を逆手に持って攻撃を防いだ。
小うるさい金属音がその場に響く中、レーラは顔を笑い歪ませる。
「一筋縄ではいかんようだな」
そう、彼女はレーラではない。彼女は、彼女こそは――楽園の女王にして、レーラの名前と存在、記憶を奪った者である。
「イアン・アリスはこいつのことが好きのようだから、油断すると思っていたんだがね」
こいつ――それはあの子のことではない。イアン・アリスはあの子ではなく、レーラ。今は存在なき者のことに好意を持っているらしい。
なんというばかばかしい話か。なんという冗談キツイ話か。
「……『――――』?」
(※……『―――君』が?)
「今は存在なしとしているけどな」
存在なしという言葉にイアン・アリスの眉の端が小さく動いた。何だって? 本当に冗談じゃない。
「ガンバ オロチェッシィ ディース!? バー 『――――』 ノゥ! ウジャウジャグルジ グリィガッキ、ヒンビルギェ ドーダンデェ ロゥ!」
(※誰がディースを好きだって!? 『――――君』は嫌いなんだ! 吐き気がするほど、虫唾が走るほど!)
――嫌いだ、嫌い。嫌いったら大嫌い。そんな存在なしを好きになるのは頭がイカれた奴ぐらいだ。『俺』は、頭はイカれていないし、正常だ。普通にあいつのことが好き。今すぐにあいつに会いたいし、抱きしめたい。柔らかそうな唇にも触れたいし、白くて長い脚にも触れてみたい。あいつのすべてが好きなんだ。誰にも渡さない。誰にも邪魔をされたくない。
――今の言葉を取り消せっ!
今にも楽園の女王に噛みつきそうなイアン・アリスはその白い刀を捌いて、距離を取った。そして、息つく暇もなく、武器を彼女へと仕向ける。
――本気の本気で殺してやる。そんな言葉、お前が簡単に口にしていい言葉じゃないから。
猛攻撃。見た目はデタラメな太刀筋ではあるが、これらの攻撃をまともに受ければ、無事で済むという話ではないのがわかっていた。イアン・アリスがどういう人物であるかぐらい、楽園の女王は知っていた。見ていた。『書』で。
世界を構築するために存在する世界設定が書き綴られた『書』。最初にオリジン計画を立てていた者が倒されたとき、『彼』は『書』に書いた。
自分を守るために嘘をついた者が倒した、と。
その文章を見て、震え上がった。苦手なのだ。嘘というのが。他人がついた嘘を見抜くのは苦手ではないのだが、それは生ぬるい。誰もがよくする「嘘」なのであるから。
楽園の女王が恐れるのは「他人にも自分にもつく『嘘』」と「事実さえも捻じ曲げる『嘘』」である。目の前のやつがどれだけの大嘘をついていたのか、わかるほど書かれていた。だからこそ、彼女はこの世界の設定を大幅に変更することをした。そこまでしてこの世界を手に入れたかったから。ここまでしないと、次なるイアン・アリスを欺けなかったから。
今回のイアン・アリスは簡単じゃない。それぐらいはわかっている。知っている。ただの人として見るべきではない。きちんと計算してやらないと、計画がパーになってしまうから! 彼は『彼』と同等に見るべきなのである。
ようやく我が手中に収めたこの世界を手放したくなかった。このようなところで負けていては――!
『彼』は恐ろしい。それだから、逃げるようにしてここにきた。『彼』は永遠と世界を変えた存在を許そうとしないが――ここならば、『書』はこの世界にあるし、自由に書き変えもできる。『彼』はこちらに来られない。
思うがままの自由が欲しい。それが楽園の女王の願いだった。
それでも、そのような切実な願いはどうでもいいと思っているイアン・アリスは右半身だけだった黒の鎧を全身にまとい始める。そこまで先ほどの言葉に業を煮やしているのだ。
――誰が許すものか。あの言葉を撤回しやがれっ!




