◆101
「お前が嫌いだ!」
とにかく嫌いだった。こちらを見てくる灰色の目が。こちらを哀れんでくるのが。何もかもが嫌いだった。初めて見たときから。
そんな四人目のエンジェルズが消えてなくなればいい、とイアン・アリスは真っ黒で不気味な右半身だけの鎧を身にまといながら、突撃していく。武器の長さなんて自由自在。かろうじて避けようとした左肩を剣身だけ伸ばしたそれで貫く。
歪ませたその顔が更に歪む。一言で言うならば、不利だろう。それでもエンジェルズには使命がある。運命から逃れることができなかった、聞きたくもない命令に従わなければならない。
主は楽園の女王。その命令に伴う使命はイアン・アリスの殺害。
まるで自分は駒のようだ。ボードゲームに乗せられた自由に動くことのできない可哀想な駒。それはイアン・アリスも同様。結局、自分たちは都合のいいようにして動かされているお人形さんなのだから。
――ほら、見ろ。これがあいつが望んだ結果であるかは知らないが、『エンジェルズ』に対しての敵対心は誰よりも大きい。
――楽園の女王よ、見ているか? こいつは一筋縄ではいかないぞ。なぜって、俺は知っている。前から知っている。昔から知っている。
――あいつは以前のイアン・アリスと世界改変者の、両方の手駒だったんだからな。そんな伏兵が、今度はイアン・アリスとして登場するぐらいだ。自分に嘘をつくようなやつだ。バレないような嘘で塗り固められた存在に、バレるような嘘で塗り固めてきた俺は勝てない。
殺してやる、という殺気に四人目のエンジェルズは我に戻った。今一度、その半身黒に染め上げられた鎧を見たかったが、見られない。それでも思う。そろそろ、嘘のメッキがはがれ落ちてきているのではないだろうか、と。
――こいつには敵わないな。
エンジェルズには諦めが見えていた。もう勝とうとなんて思わない。戦おうとは思わない。それは相手を見ればわかっていた。
――だって、ほら……こんなにも可哀想だから。
失った目。静かに瞼を閉じる。そうすれば、イアン・アリスからの心の叫びが聞こえそうだった。こんな世界は嫌いだって。好きな子に逢えない世界なんか消えてなくなればいいって。それは自分にとっても同じような気持ちであったことを彼は知る由もないだろう。いや、これからも知ることはないし、知ろうともしないだろう。いいや、知らなくていい。
これから死に逝く自分の記憶を消したくなくて、ダムレカシス雪山の山頂に思い出と共に置いてきた。
もしも、この先イアン・アリスが独り生き残ったとしても、是非ともあの場所へと行って、自分の記憶に触れて欲しい。ずっと、ずっと誰にも言えなかった秘密がある。言おうと思っていたことが結局誰にも言えずに仕舞い込んでいた。
――どうせならあの人だけに言おうと思っていたことも言えず仕舞いだったから。やっぱり「何でもない」って言ってしまったから。
「教えてやるよ」
自身の秘密はあの場所で知って欲しいと思っていても、『今』、知ってもらいたいのだろう。頭の中とは裏腹に口が勝手に動く。それでもイアン・アリスは気にも留めない。第一にエンジェルズの息の根を止める以外頭の中にはないのだから。
「俺の本当の名前を……」
そこまできて、イアン・アリスが小さく反応を見せた。何かを察したように、それ以上は言わせたくなかったのだ。自分にとって、言えないような言葉を相手が言えるような気がしたから。言わせたくない、絶対にだ。その言葉は自分だけの物。それが自分自身であるから。
――言わせない。
その手は止まることない。言わせないことに必死だから。
右手に握った己にとって正義の剣は四人目のエンジェルズ――コードネーム、ミカエルの左腕と首を刎ねた。声は聞こえなくとも、口が動いている。それでもはっきりと聞こえた。その名前。聞きたくなかった。言わせたくなかった。
『――――』。
「うっ、わぁぁぁあああああああああああああああ!!?」
――言われた。聞いてしまった。あいつの本当の名前がそれだと!? 冗談じゃない。あの名前はたった一人だけの物。この世に生きる『俺』だけの物なのに。なぜに盗った? なぜに『俺』の名前にした!?
「返せぇええええ!!」
その言葉を口にされたことに腹が立つ。だから、胴体と首がつながっていないミカエルの口に、舌に真っ黒な刃を突き立てる。それは何度も、何度も。どれだけの時間が経とうが止めなかった。それだからと言って、イアン・アリスの心の傷が癒えるはずもない。
「『――――君』のっ! 『イアン君』のっ! 『俺』の名前ぇ! お前のじゃない! お前のじゃない! 絶対にお前のじゃない! これは『俺』たちだけの……あいつに呼んでもらうための名前なんだぁ!!」
悔し涙があふれ出てくる。
――どれもこれもあいつらのせいだ。『――――君』を殺さないで、生かしておいて……なんで殺さなかった。なんであの後死ねなかった? あいつのいない世界なんてつまらないにもほどがある。それこそ、独りで……。友達も大切な人もいない悲しい世界に生きるなんて。
――『俺』たちに何の恨みがあるんだろう? 『――――君』が何かした? 『イアン君』は何もしていないし、悪くないのに。
何度もそれを思い、メタメタにしたか。血も涙も一切出さないミカエルの亡骸にもう一度、胸に刃を突き立てた。地面に転がっている銀色の大剣からは「可哀想」と嘲笑された気分がした。それを手に取り、壁に向かって投げつける。それで気分が晴れたわけではない。今以上にむかつきは収まらない。
苛立ちは膨れ上がるばかり。それに伴い、黒い鎧はゆっくりとイアン・アリスの左半身へと蝕もうとしている。そう、これは『負の感情』によって作られし、彼を守るための鎧。そうそう簡単には取れまい。鎧は心とリンクしているのだから。しっかりと縫い合わせた糸のように。
ふと、左手を見れば――していたはずの婚約指輪がない。あの子と契った可能性がある大切な指輪のはず。きっと。
――約束した。あのとき、ずっと一緒にいるって。あいつのことを思えば、また逢えるって。
会いたい。会いたい。会いたい。是が非でも逢いたい。どれほどまで待ち焦がれていたか。何年も待って――別れて――それでも信じていれば会えると思っていた。
「ないから、逢えないんだ」
あの指輪はきっと楽園の女王が盗んでいるかもしれない。自分のことを知っているのだ。おそらくはレーラから盗んで――。
いや、違う。レーラも同じだ。あの指輪を楽園の女王に渡すためにわざとこのネックレスをちらつかせて、交換させたに違いない。きっと、あの子と同じ顔していたのも、わざとだ。
「取り返しに行かなくちゃ」
もうイアンにはレーラがレジスタンスの仲間であるという認識は一切なかった。




