〈閑話〉 ロディ
俺には、生まれた時から一緒に暮らしている姫様がいる。
俺の母親が、姫様の乳母をしていたんだ。
姫様は面白い子だった。
俺が姫様にいたずらをしても笑うだけで怒ることは無い。いつもいつも、俺の名を呼んでついてくる。
正直、いい加減にしろと思ったこともあったが、姫様の気の抜けた笑い顔を見たらどうでもよくなった。
狭い宮、狭い庭。正直息がつまった。
何でこんなところに閉じ込められなければいけないのかと母親に怒鳴ったこともある。
でも仕方ないのだと。
後宮という狭い世界では、権力のあるソクシツに逆らったらどうなるか分からないのだと。
実際、逆らったわけでもないのにどうなるか分からなくなってしまったのだ。
貴族の領地帰還に同行せよと言う命令だった。
-----姫様一人をおいて。
乳母の代わりに侍女がつけられると言う話だったが、誰が付いたのか確認は出来なかった。
俺は母親についてその貴族の領地まで行かなければならなかった。
俺の後をついて回ったあの小さな姫は今どうしているだろう。
毎日毎日、そのことだけが気になった。
連れて行かれた領地は幸い南方だった。北方だったら雪に邪魔されるから移動はできない。
でもここからなら。
母も気に掛っていたのだろう。俺が王都に帰りたいと言ったら反対はしなかった。
それどころか、決して裕福ではない中、片道分の馬車代を出してくれたのだ。
俺は王都に帰ることにした。
王都までの道のりは長かったが、馬車が使えたので思ったより早かった。それでも王都は既に雪が積もっていた。
あの小さな姫様はどうしているだろう。
狭い宮の中でもいい。
前のように笑ってくれていたらそれで良い。
そう思ったのに。
後宮の門番は俺の顔を覚えていてくれた。
門番に入れてもらえれば後は早い。
姫様のいるはずの宮に走ろうとした…… ところで、視界の端に見慣れた銀色が見えた。
「まさか-----------お姫?」
まさか。
そんなはずはない。
俺の大好きだった銀色の髪はごわごわしてて、顔色は真っ青だ。
何より、この雪の中。
ワンピースにサイズが合っているとはとても思えない汚い上着を羽織っただけで。
足ははだしだった。
その足も、手も最後にあった時から4カ月くらいしか経っていないのに半分くらいに細くなっている気がした。
そんなバカな。
そんなバカな。
俺は姫様を抱きかかえ、正妃さまに助けを求めた。
母からは、姫様の母親は昔正妃さまの侍女だったことを聞いたことがあった。
正妃さまはこの現状を知らなかった様で、すぐに姫様を保護してくれた。
そして、俺が乳兄弟だと知ると、俺がいた方が姫様が落ち着くだろうと、俺に姫様の隣の部屋をくれた。
もう大丈夫だ。
そう思ったんだ。
でも、そう簡単に大丈夫にはならなかった。夜になると姫様が泣きだすのだ。
さみしい、寒い。お腹がすいた。さみしい。そう言って泣きながら眠る。
見ていられなかった俺は、姫様を抱きかかえるようにして眠るようになった。
俺が一緒に寝る日は、姫様は泣かなかった。
安心して眠れる用になって。
食事も次第にしっかり食べられるようになって、やっと大丈夫になってきた。
正妃宮にも慣れ、社交シーズンには領地貴族と一緒に母親も帰ってきて、正妃宮に姫様付きの侍女として一緒に住むようになった。
一緒に住んでいる王子さま方とも仲良くやっている。
エドガー殿下とは一緒に剣を習い、そのうちに姫様の護衛をするように言われたのだ。
俺は剣の筋は悪くなかったらしい。
その時に騎士位も貰った。
それがどんな異例なことか、その時の俺には分からなかった。
それだけ、俺の護衛する姫様が異例だったのだ。
5歳の時正妃さまの暗殺を防いでからは魔術を習い始め、しかもそれがものすごいレベルらしい。
ついでに魔法陣なんかもよく書いているんだが、これがまたとんでもない物だと言うこと。
そう言う訳で、急遽護衛が必要になったらしいんだ。
でも、俺の前では何時ものお姫と変わらない。
何が嬉しいのか、俺の顔を見るとにぱーと笑い、新しい魔術が出来たと披露してくれたり、正妃宮の庭に今年初めてのバラが咲いたと言っては俺を連れ出し、一緒に食事をすれば、嫌いな物は俺の皿に乗せてくる。
妹の様な、でも俺の主人。
大事な大事な俺の主。
最近は前世の記憶があるとか、物語の通りに婚約者を作らないと奴隷落ちするとかいろいろ言っているが、基本やっていることは変わらない。
民に為に薬草園を作り、魔法金属を探し、……まぁ、ついでにドラゴンを捕まえちゃったりする面白い姫様だ。
ただ最近、切なそうな表情をすることが多い。
ラインハルト殿下から、好きな人と結婚して良いって言われてから特に考え込んでいることがある。
俺の大事なお姫。
----俺が貴族なら、プロポーズも出来るのになぁ。
何度もそう思った。
でも、今の位置も悪くは無い。
お姫に一番近い場所で守ることが出来る。
そう、思っていた。
------なのに一番肝心な時に何も出来なかった----!
国王陛下がお姫の婚儀の発表をした。
隣国、レオダニスの第一王子。御年40歳。
有り得ない。お姫はやっと14歳になったばかり。
ラインハルト殿下はもちろん、騎士団長や魔術師団長・宰相まで反対してくれた。
でも国王は全く話を聞いてくれない。
多分、ラインハルト殿下はこのままじゃ駄目だと思ったんだろう。
俺に、騎士団をすぐに動かせるよう騎士団長に話をしておく様にと伝言を預かった。
-----これは、殿下はいざとなったら王権を奪取するするつもりなのだろう。
俺もそのつもりで動かなくてはいけない。
騎士団長と魔術師団長を集め、現状の話を詰める。
殿下の命令があれば、即座に国王を北の塔に幽閉。
王の執務室にある御璽の確保を行い、王権交代を国民に宣言しなければならない。
騎士団長も魔術師団長も何の異論も唱えず、動いてくれた。
命令一下、いつでも動けるように、騎士団員・魔術師団員の全軍に指示が出された。
そうして殿下の王権奪取の準備を整えている間に。
-------お姫が連れて行かれた。
直前まで一緒だったと言うエドガー殿下の話では、俺がダリア妃に捕まったと聞いたお姫がダリア妃について行ったらしい。
----お姫!!
離れるんじゃなかった。一緒にいればよかった。
ダリア妃の後宮の前に行ってみると、白い石が散乱していた。
---これは?
「吸魔石だな」
と、一緒に来てくれた魔術師団長が言う。
吸魔石---?
「魔力を吸い取る特性のある石だ。ミスリルが魔力を放つ石ならその反対の特性がある。---これで鎖でも作られたらさすがにリディアルナ殿下でも魔術は使えまい」
----魔術が使えない。
それではお姫には身を守る手段が全くないことになってしまう。
そのせいで連れて行かれたのか-----
俺は、それまでの経過をすべてラインハルト殿下に報告した。
殿下の判断は早かった。
すぐに予定通り王権奪取を行い、その足でレオダニスに宣戦を布告する。
国王は数人の侍従と共に北の塔に幽閉された。
誰も反対する者はいなかった。
既に太陽は山の稜線に隠れている。
このままだと夜間の行軍になる。ただ、レオダニスへの街道は既に雪に閉ざされている。
このまま夜間に出征するのが最善かは分からない。
しかも、レオダニスへは通常なら馬車で三日ほどの比較的近い隣国だ。
そのため街道も一つではない。
「お姫の位置を確認しないと----」
騎士団をレオダニスへの全ての街道に配置し、ダリア妃が通った形跡を調べる。
しかし周到にも、少なくとも4本の街道に大型の馬車が通った形跡があった。
「----軍を分けるわけにはいかない。以前ロディから報告があった時に調べておいた砦--- あそこが一番可能性は高いだろうな」
と、ラインハルト殿下は考え込みながら言うが確証は無い。
既に夜明けは近い。
これだけ周到に準備されていたなら国境より向こうは除雪も済んでいる可能性がある。
時間がない。
お姫がレオダニスに着いたら---
無理やり婚儀を強いられたら------
頭の中が焼けるようだ。
その時。
「リディアルナ殿下の居場所の特定ですか?!」
と、魔術師団員が、ラインハルト殿下の執務室に駆け込んできた。
「----って、ディーン様?」
「ロディ、殿下の居場所を探しているんで間違いないよね!」
「はい、---間違いないです」
何でこの人がここに?
そう思っていたら、執務室の床にばかでかい魔法陣を広げ始めた。
「昔--- 殿下へのあこがれが過ぎた自分が作ってしまった、馬鹿な物です。---でも今なら、役に立ちます。この魔法陣は殿下の魔術パターンを解析し探査することのできるものです。魔法陣があまりに大きくなってしまい実用性に欠けるのですが、こんな事態です。自分の魔力を空にするつもりで使います。----ロディ、地図はあるかい?」
「あ、あります」
-----そうか、やっぱりこの人の探査魔法陣の最初の目標はお姫だったか。
しかし今は何も言うまい。
地図を取り出し、魔法陣と比べてみる。
魔法陣の方がはるかにでかい。
「では、殿下の通った道筋を出しますので地図で確認してください」
そう言った後、魔法陣は大きく光って、濃いブルーの線が一本北に向かって伸びている。
「中心が王都です。この線に対応する街道は---?」
「あります! 例の砦への街道です」
「でかした!ディーン・ロックウェル! すぐに出陣するぞ!!」
------お姫、あんなに嫌がってたディーン様の趣味がすっごく役に立ってますよ……
ちょっと複雑な気分になりながらも、騎士団・魔術師団共に出陣準備に入る。
騎士団のオリハルコンの剣には、お姫の重力魔法陣が刻印されており、鎧にはイージスが見える。
魔術師団は大量の矢を荷台に積んでいる。
-----爆裂魔法を仕込んだってやつだな。……役に立つなんて夢にも思わなかったが。
「ラインハルト殿下! お待ちください!!」
ディーン様が、別の魔法陣を覗き込んでラインハルト殿下と何か話をしている。
しかし出陣が取り消させることは無いだろう。
-----と、空を見上げた。
そこには見慣れた赤いドラゴンが泣きながら飛んでいた。
「ばーちゃん?!」
慌てて回収する。
「みゅーーーみゅーーー!!」
一生懸命自分の足を俺に差しだす。そこには手紙が付けられていた。
『ハルト兄様、エド兄様、ごめんなさい。リディアルナは北の砦にいます。吸魔石という魔力を吸い取る石につながれて体が思うように動きません。ハルト兄様、ごめんなさい、ごめんなさい----助けてください。
それと、ここを連れだされる時ロディが捕まっていると聞いたのです。ロディの無事も確認お願いします。----リディアルナ』
------お姫。お姫。
必ず助けるから。
ラインハルト殿下にその手紙を渡し、騎士団に戻る。
そして団長にばーちゃんに騎乗する許可をもらい先に出発することにする。
「良いかロディ。お前の役割は偵察だ。ドラゴンごとステルスを装備して砦の様子を見てくるんだ。決して一人で突入はするな。それはお前の大事な姫様を危険にするだけだ。いいな」
釘を刺されてしまった。
命令違反は、この先の作戦に参加できない可能性がある。
とりあえず、お姫が無事なら偵察だけにしておこう。----無事じゃなかったらその時はその時だ。
ばーちゃんに乗っての偵察は楽なものだった。
砦は完全に武装体制だ。しかしその先にはまだ馬車の轍がない。
ということはまだお姫は砦の中か。
それが分かれば十分だ。
すぐに城に帰り報告すると、出陣は明日の朝に決まったと言うこと。
正直遅いと思ったが、仕方ない。
俺にも仮眠をして来いと言う命令をされた。
確かに肝心な時に動けないのでは意味がない。
私室に帰って浅い眠りに着いた。
隣の部屋に人の気配がないのが、こんなに気になるとは思わなかった。
翌日の夜明け前、出陣の準備は整っていた。
先頭にラインハルト殿下---いやもう陛下だ。
エドガー殿下の姿が見えない。
----ここで戦力を分散させる必要があるのか?
そう思ったが仕方ない。
俺はばーちゃんに乗って斥候を務める。
ステルスを装備したばーちゃんに乗って砦の上を旋回する。
まだ、お姫は出てこない。
お姫が居るのと居ないのでは作戦が変わってくる。
本隊はまだつかない。おそらく夕刻だろう。
そう思いながら、旋回を続けていると、砦から馬車が数台出てきた。騎馬隊の後に豪華な紋章入りの馬車、これが多分ダリア妃が乗っている馬車だろう。その後ろ、簡素な屋根の着いた荷馬車の様なもの----白い石が積んでいる。ここにお姫がいる!
王都方面を見ると、もう本隊が見え始めた。
信号弾をあげて、お姫がもう砦にいない事を知らせる。
-------次の瞬間、砦が爆発した。
爆裂魔法の矢--- これ程とは。
そしてそれは一発で終わりではなかった。
お姫が連れていかれて怒っているのは皆同じ--- もちろん魔術塔の連中も烈火のごとく怒っていた。
爆裂魔法を連発され、砦は数分も持たずに瓦礫と化した。
その後は騎士団が入って、掃討戦になる。
俺はステルスを切った。
するとすぐに、お姫がばーちゃん気がついたようだ。
「お姫------!!」
お姫も何か言っているようだが、さすがに聞こえない。
隊列の上空を旋回すると、騎馬隊がクロスボウの様なもので打ってくる。
しかも弾が白い。例の吸魔石って奴か。
ばーちゃんがクロスボウからの弾をやり過ごすのにあちこち身体を傾ける。
さすがに落ちそうだ。いったん引くか----?
お姫がいるのに?
「お姫-----!! 待ってて! 必ず行くから!!」
聞こえたかどうかも分からない。
でも、いったん引かないとどうしようもない。
必ず行くから。
待ってて。
助けるから。




