参拾弐――鋼の心、酸の言葉
闇夜に響く機械音――たがそれは程なくして停止した。
魔導アーマーが起動しないのだ。
「なんでこんな時に――」
だが、哉江も同じ状態らしく、驚いた様子で自身のアーマーを確認していた。
ただ、考えてみれば分かる事だ。
私達は軋轢魔法。軋轢魔法は他者の悪意がなければ発動しない。故に、この場にそういうマイナスの感情がないのだとしたら、軋轢魔法が発動しないのも道理だろう。
「なるほど……そういう事か。ならば簡単な話だ」
哉江が自身のアーマーの強制停止ボタンをぶっ叩いた。もうこんな鎧は必要ないとばかりに鉄塊を脱ぎ捨てる。
その瞳の闘志が真っすぐに私を捉える。
ああ、ならば私もその思いに答えなければ。
アーマーを維持する右腕のブレスレットに力を籠める。鉄の鎧は収納され、いつもの私服の姿に。
互いの身を護るモノは何もない。
同時に、互いに互いを傷付ける武器を何も持たない。
ただあるのは、ぶつけるべき熱い想いのみ――!!
「あああああああああああああああああああああああああ!!」
「はああああああああああああああッ!!」
クロスする咆哮。
何も考えずに敵に向かって前へ駆けだす。拳を強く握りしめ風を切って、前に――
哉江の右ストレートに合わせその外側から右ストレートをぶつける。
クロスカウンター、初めて殴った人の顔の感触に一瞬身の毛がよだつが、同時にぶん殴られた顔の痛みでそんなものはどこかへ吹き飛んだ。
血と汗が飛ぶ。
少し後ろへ重心を向けたと思うと間髪入れずに哉江の右拳が下から襲う。
このままこれを後ろに避けると必ず次が来る。それを避けるには重心が足りない。私は動かずにそのままアッパーを顎で受ける。割れるような衝撃で頭が揺れる。後ろへ反る頭の勢いを反動に――ヘッドバットを打ち込んだ。
混濁して混ざったかのように感じる脳みそを振り切って隙の生まれた哉江の懐へ、鳩尾を貫くかの如く拳を叩きつける。
「カ――ァ、は……!?」
ただここで限界。
吐きそうな感覚に襲われて、思わず膝をつく。哉江も腹を庇うようにこちらの様子を伺っている。
「思っていたよりも……やるものだな。最初会った時は、ただの小娘だと思っていたが……」
「へっ、こちとら何十年も一人で生きてんのよ。これくらい当たり前でしょ」
「未だに分からない。お前を信用していいのかが。もし本当の意味で和解できたとしても、本当に信用していいのかが、分からない」
「信用ってものは確かに積み上げていくものかもしれないけど、最初の一歩を踏み込む事に悩むのは時間の無駄よ。無理なら無理。それでいいでしょ?」
嫌なモノを無理して呑み込む必要なんてどこにもない。
時としてそうしなければいけない場合もあるだろう。
ただ、嫌いな奴を無理に信用したって心が疲れるだけだ。
好きでいられるから、信用したいと思える。背中を任せていいと思える。コイツならやれると思える。
そんな期待を、どんなに小さいものでも背負っていると、こう……理屈ではない自信が湧いてくる。
私ならやれると。
「――――――」
哉江の体が揺らいだ。
目にも止まらぬ速さで眼前へ移動したかと思うと気が付けば吹っ飛ばされていた。腹を金属バットで殴られたような衝撃、それが幾つも重なって胃を圧迫していく。
あの一瞬の間に既に五発もの一撃を放っていたと言うのだ。
これが、哉江の本気。本気を出せば生き残る為の力しか持たなかった私など、拳一つで簡単に殺せてしまうだろう。今が正にそれだ。きっとこれでもまだ手加減をしている。あの時の、初めて会った時の気迫は比べ物にならないものだった。
力ではどう足掻いても勝つ事はできない。
だが――
「負けない……」
立ち上がる。
固いアスファルトに打ち付けられて全身を強打し、動きたくないと悲鳴をあげる肉体に鞭を打つ。
たとえ力で勝てなくとも、心で負ける訳にはいかない……これは哉江を、哉江の心を引きずり出す為の戦いだ――!!
「――ッ!!」
まだ動く。
まだ倒れない。
まだ歩ける。
まだ走れる。
まだ叫べる。
「本当にお前を信じていいのか? 信用する事はできても、信用されているとは限らない。ずっとお前に憎しみを抱かないとも限らない……そんな不安定な状態で、信じあっていられるのか?」
「心をぶつけ合えないのに信じあえるなんてものは幻想……互いを知らなければ、他人の恐怖が残ってしまう。人が他人に怒りを向けたり、憎しみを向けたりするのは普通の事よ。そうやって、互いの知らない部分を曝け出して、そうして『信用』の為の情報を集めていく。ちゃんと向き合わないと他人の事なんて分からないの!!」
たとえその過程がどんなに辛いものだったとしても、殺したくなるくらいに憎しみを向けるようなものだったとしても、ソイツが本当にいい奴だと分かったなら……もしかしたら許せるかもしれない。嫌いになれないかもしれない。
「憎しみを持たない人間なんていない。辛い現実を辛いと思わない人間なんていない……嫌なら嫌だと思えばいい……嫌いなら嫌いだと思えばいい、それを伝えるか伝えないかだけの事」
そう、か、それが……その思いを無制限に伝えてしまうものこそが、『軋轢魔法』。
信用の過程を破壊し、そのものさえも壊してしまう。
人々が『争う』その元凶。
傷付けられたから、傷付けられるのが恐いから、そんな心の奥底の小さな感情であったとしても、防衛本能として表に出てしまう。それを物理的に伝えてしまう。心の恐怖が生み出した……それが、これなのか。
「分からない……分からない!! 恐いんだ!! もし裏切られたら、そう思うと自分の力で前へ出られない!!」
「だったら引きずり出してやる……その心を……全部私にぶちまけろ!! 思いも、全て!!」
閃光が闇を引き裂いた。
軋轢魔法は発動しない。そのはずなのに……何故、私の両腕、いや、全身からこんな凄まじいの量の魔力が……?
本当なら私程度のパンチなんて受け止められるはずなのに、両腕で防御したはずの哉江を、数メートル先まで吹っ飛ばした。
「これは……」
体が軽く、体中に力が籠る。頭の中は透き通り、世界の先まで見通せるような、爽やかな風が吹き通る感覚がした。
私の中で何かが砕け、そして、何かが私の中で目覚めたのだ。
心の中の淀みを一切感じない。軋轢魔法のあの感覚が全くない。
「軋轢魔法が、消えた……?」
いや、今はそんな事よりも哉江が先だ。
吹っ飛ばされたまま、仰向けの哉江は動かない。気を失ってはいない事を確認してホッと胸をなでおろす。
「大丈夫?」
哉江の元まで近付いて手を差し出した。最高の笑顔で。
その手を優しく握った哉江は、ずっと空の先を眺めていた。
「お兄ちゃんが、初めて私の前からいなくなったんだ。ずっと、ずっと私の傍にいて、私を守ってくれていたお兄ちゃんが急にいなくなった。どれだけ泣いても、どれだけ呼んでもどこにもいなかった。帰って来てくれなかった。やがて待つのを諦めて、探す事にしたんだ。自分の力で。けど、どうやっても出会えない。私はずっとお兄ちゃんと一緒だったから、一人では何もできなかったんだ」
そんな時に洗礼教会に似た人物がいると聞き、向かったのだと言う。
辿り着いた時には既に兄はいなかったが、訳を話すと、ここにいればいつか必ず出会えると言われたそうだ。
教会で生きていく為に魔術師になった。強くなる為の努力に余念はなかった。兄の為だと思えば一人でも頑張れた。
ただ、ずっと兄に依存して生きてきた少女にとって、全く得体の知れない人間と接する事は地獄だっただろう。他でもない軋轢魔法から守る為に、洋は哉江の傍にいたのだ。傷つけあう人間から守る為に。
そんな、人間の肥大化された本性をずっと見てきた哉江にとって、知らない人間はどれだけ恐ろしいものだったか。
「私は、お兄ちゃんと一緒にいる事ができればそれで幸せだ。もっと早く……軋轢魔法だと言ってくれれば、それでよかったのに……と言うのは、身勝手すぎるな」
「ううん。そんな事はない。それも含めて全部、洋に伝えよう。兄妹喧嘩でもなんでもすればいいんだよ。感情を曝け出す事は、決して悪い事じゃないよ? そんな事、仲のいい人とじゃないとできないもの」
「……名前を、まだ、ちゃんと聴いていなかったな。感謝の言葉を伝えたい」
「私の名前は”縞違リョウナ”、よろしくね!」
「ああ、ありがとう。リョウナ――」
@
「はぁ……はぁ……」
大きく肩を揺らしながら、息の切れる自分を感じる。
何度も打ち合い、何度も殺し合った。
全ての一撃が相手を殺すものだった。
俺を憎み、俺を許さないと叫ぶその男の目が、アイツに似ているせいで、俺の心はもう限界だ。まるで、アイツが俺を憎んで殺そうとしているように見える。俺のせいだと、お前のせいで死んだのだと。
いや、むしろそれでいい。俺はずっとそれが欲しかった。
自分に対する断罪が欲しかった。
ただ一言、お前のせいで死んだと言ってくれれば、それで終われた。終われたのに。あんな優しさなんていらなかった。
それを、この男が与えてくれるのであれば、それでもいい。
ただ、ここで死んでしまったら、俺は二度と哉江に会えないだろう。
俺は断罪が欲しい、だが、それと同時に哉江にも会いたい。
なんて自分勝手で愚かしい願いだろうか。馬鹿馬鹿しい。自分と言う存在が馬鹿馬鹿しい。こんな人間が生きている事がそもそも間違いだ。生まれてきた事がそもそもの間違いだ。
だと言うのに、今もこうして生きようとしている。
死ぬ事に迷いを感じている。
リョウナとの約束を破りたくない。
「……………………」
閃光を帯びて襲う剣を両手で受け止める。
軋轢魔法で強化された腕は切り裂けない。
浅ましくも自分の命を守る盾。
男は何も言わない。何も言わず何度も俺を殺しに来る。それをただ受け止め、たまに反撃に出てそれを躱され、また受ける。
同じ事の繰り返し。
まるで、俺の人生のようだ。
俺の心は脆い。
たとえどれだけ強く決意しようと、そんなものは脆くて弱い。リョウナの前では虚勢を張っていたが、所詮はこの程度だ。
俺はもう迷わない。ああ、迷わないだろう。もう既にそんな所は過ぎている。俺がとるべき選択はとうの昔に決まっている。
アイツ等の為に俺は死ななければならない。
願わくば、アイツ等の手で殺して欲しい。
だがそれはできない。だから、代わりにこの男に殺してもらればいい。
哉江は? リョウナとの約束は?
……………………
なんで、そうやって俺を苦しめるんだ。
俺はただ哉江と幸せに暮らしていられればそれでよかったのに、なんで、俺は今こんな十字架を背負っているんだ。なんで俺がこんな目に合わなくちゃいけないんだよ……
「なんで……なんで俺なんだ……」
もっと他にいただろ?
俺よりも楽に生きている奴が。
だのになんで最初から苦しんでいた俺なんだ!!
幸せに生きる事すら息苦しかった俺が……哉江が……なんでこんなに苦しめられなければいけない!!
心の、どこかのネジがぶっ飛んだ。
ずっと、抑えていた、軋轢魔法が弾けるのを感じた。
亜木山将監。俺が殺した亜木山将花の父親、この男の憎しみが詰まった箱の蓋が外れた。
「や、め――」
もう遅い。
止められない。
「何か、勘違いしているようだな。還崎洋。楽に、死ねると思うな」
そんな、亜木山の声が聞こえた。
その声の主の下半身が吹き飛んだ。
「そうだ……それでいい、結局、貴様は自分を救う事ができず、誰にも救われずに生きていくしかない。貴様の妹も軋轢魔法だ。どれだけ目を背けても、やがて限界は訪れる。苦しみの中で、罪の中で、いつまで虚勢を張っていられる? 生きている限り、永遠に苦しみ続けろ。私すら殺してな」
「俺は……俺は……」
言葉を紡ぐ前に、残った亜木山の半身が吹き飛んだ。アスファルト上に血糊を残して。
亜木山将監には遭いたくなかった。
俺を憎んでいる事なんて馬鹿でも分かる。会っていなくても、絶対にそうだと確信していた。だから遭いたくなかった。会ってしまえば、きっと俺は、アイツの、将花の面影を見なければならない。
そうして、結局、俺はまた、将花を殺した。
将花の為の復讐を破壊して。
生きている意味を感じない。
苦しみ続けるだけの生、何の意味がある?
誰も救ってくれない。誰も、俺を。
誰にも俺を救えない。
リョウナ……お前には、謝っても謝りきれないな。
『……さん、洋さん!?』
「セブンか……? どうした」
切羽詰まったセブンの声が聞こえた。
それで我に返る。そうだ、まだ、こんな所で死ぬ訳にはいかない。俺は、リョウナと約束した、みんなで逃げようと。だから俺は……
『リョウナさんの体が……その』
「リョウナの体がどうした?」
『軋轢魔法が完全に、リョウナさんの体に融合して、彼女の体が……内臓も、何もかもが全て破壊されて、別の何かに置き換わっているんです』
軋轢魔法と、融合……?
「本当なのか……? それは……」
『先ほどチェックした際には何もなかったように見えたのですが、よく見ると、子宮の部分が黒く染まっていて……リョウナさんがアーマーを着用していた最後の状態を見ると、もうほとんどの臓器が黒い物体にすり替わっていたんです』
亜木山将花はどうやって死んだ?
アイツは、俺といた事で軋轢魔法に目覚め、それに体が耐えられずに死んだ。あの時はそうなる前に死んだのだ。今のリョウナのように、体が壊れてしまう前に。
『恐らく……長い間軋轢魔法を使い続け、強い憎しみの感情に晒され続けた結果でしょう……危険だからと言っても、私も着いて行くべきだった……』
悲痛なセブンの声。
セブンのせいじゃないだろう。俺はずっと、リョウナに任せっきりだった。何もかも。俺自身の事も、哉江の事も。あわよくばリョウナに全部やってもらおうなんて考えて、自分が辛い部分をリョウナに押し付けていた。ディスヘイトが発生したのも、哉江をリョウナに任せてしまったからで……全部、俺が……
その結果が、リョウナの体を……リョウナは、もう、人間として生きていけないのか? 俺のせいでだ。
俺の生きる意味は、なんなんだ。
結局、俺はリョウナすらも。
@
街は静かだ。
さっきまで洋がいた場所へ向かっているが、音の一つもしない静寂に包まれている。きっと戦いは終わったのだろう。
もし洋が負けていたら、そんな事は考えない。きっと洋が勝って、また会えると信じている。
約束した、みんなで逃げようと。その約束を、絶対に果たすまでは弱音なんて絶対に吐かない。
「大丈夫……?」
「ああ、心配ない」
先の戦いで傷を負った哉江の方を支えて歩く。私も馬鹿にならない怪我だったが、軋轢魔法、今はそうだった何かが体に馴染んでいるのか、傷は簡単に癒えた。
足取りも軽く、人を一人支えて歩く事も簡単だ。
「もうすぐだよ。もうすぐ会えるから」
そう、あと少し。あと少しだ。
それで、全部が全部とはいなかくても、ハッピーエンドを迎えられる。その後は何とかまとめて、みんなで、どこか遠くへ……
「お兄ちゃん……」
哉江がそう呟いた。
視線の先には人影があった。
「お兄ちゃん!!」
自分の体なんて気にせずに、哉江は洋の元へ走っていった。
抱き着いて、涙を流しながら、ずっとその名を呼んでいた。
「お兄ちゃん……お兄ちゃん……お兄ちゃん……!!」
「今まで、すまなかったな。でも、これで、終わりだ。辛い辛い旅は、もう……」
「え……?」
くぐもった、乾いた大きな音が辺りに響いた。何かが弾ける様な。
哉江の背中は煙を放ち、赤黒い穴が開いていた。
「お兄ちゃん……なん、で……」
「一人は恐いんだ……一緒に、死のう」
「お兄、ちゃ――」
哉江の体から力が抜ける、電池が切れたようにこと切れた。
「洋……なんで、こんな。どうしちゃったのよ……」
あまりに驚愕に体が動かない。
ハッと我に返り洋の持つ拳銃を奪おうと動く……だが、
「やめろ!! 分かってるんだ……俺のせいだ。お前の体はもう人間のものじゃないんだ。軋轢魔法を使い続けた事で、リョウナの全ての内臓や、何もかもが別のものとすり替わったんだ……」
それを聴いて、さっきの事を思い出す。
まるで何かが切り替わったかのような感覚。そうか、あれはそういう事だったのか。だが、それはつまり、私はもう、人間として幸せな家庭は築けないという事だ。
でもそんな事がどうした。私は洋と居れればそれでいい。
「関係ないよそんな事。気にしなくていい。だからそれを降ろして。今ならまだ哉江ちゃんの治療が間に合うかもしれない」
洋は、自分の蟀谷に銃を押し当てていた。
「お前はいつもそうだったな……そうやって、無理をして笑っている。今もそうだろう? 辛いなら辛いと言えばいいじゃねえか……なのになんで優しくするんだ……もう嫌なんだよ!! 俺のせいで、お前がそんな風に傷付いていくのは!!」
「それは違う! そんな事はない! 私は……」
私は、洋が好きだ。
「今まで、俺の為に、ありがとうな。もう遅いけどな……俺は、もう生きたくない。楽にさせてくれ……」
引き金が音を立てた。
洋は本気なんだと改めて感じ、無理やりにでも奪おうと前に出た。
赤い血と、硝煙――哉江と共に倒れていく洋の体。
頭を貫かれた洋の体はもう、一生動かなかった。
「………………違う、違う……私は、洋が、傍にいてくれれば、それで幸せなの……私の体なんて、関係ないのに。ぁあ……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――ッ!!」
喉が潰れるまで叫び続けた。
それでも、哉江は、洋は、生き返らなかった。




