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軋轢魔法少女イリーガル・ストライプ  作者: 井土側安藤
エンドレス・フェイト
31/37

参拾――不安

「お姉ちゃんが……死んだ?」


 絶望は伝播する。

 頼んでいなくてもやってくるそいつ等は、土足で心の中に踏み込んで滅茶苦茶に壊していく。どれだけ抗おうとしてもそれらは全て無為。

 メルシィ・クレンドロスが死んだ。

 礫砕同盟の核であり、決して折れない諦念の希望で戦い続けてきた柱が折れた。

 私はメルシィが戦っているところを直接見た事がある訳ではないが、その力は世界そのもの穿てるほどに強力だったと洋から聴いた。洗礼教会が一番に恐れる存在だったと。


「……お姉ちゃん」


 それは誰を呼んだのか。

 私に対してか?

 それとも、本当の姉に対してか?


「嘘だ……そんなの嘘だ!! また洋が嘘ついてるだけなんでしょ!? お姉ちゃんが、お姉ちゃんが死ぬなんて……!!」


 涙を流しながら、私の肩を掴んで強く揺さぶった。

 答えるべき言葉はあまりにもデリケートすぎる。今は、どんな優しい言葉でさえも背人の心を簡単に破壊してみせるだろう。

 どれだけ自分を見捨てていた姉であっても、唯一の肉親は大切なものだ。その死を知らされて、正常でいられる人間はきっと強い人間なんだろう。でも背人は違う。背人は決して、『強い』人間じゃない。


「嫌だよ……そんな、の……」

「背人……」


 少女の手が肩から離れ、力なくずるずると下に降りていく。電池が切れたようにカーペットの上に座り込んだ背人は、まるで亡霊のようにその感情を枯渇させていた。

 悲しみの先にあるのは虚無だった。

 自分にはもう何もないと。そんな風にさえ思えるほどの虚ろ。

 もはや泣く事すらなく、ただ『姉が死んだ』事実を噛みしめるだけの機械と化していた。


 そんな少女が求めるモノを、一々問う事すら馬鹿馬鹿しいほどに、私はそれがなんなのかを理解しているはずだ。

 だが、もしこの手を差し出してしまえば、私は本当に奪ってしまう事になるだろう。

 これは代わりの手ではない。私ではもう代替品にはなれない。差し出そうとするこの手は本物になってしまう。全てを失った少女に対する一番の優しさは、少女の一番大切だったものを完全に破壊して、塗り替えてしまうだろう。

 少女の心がこれで救われるのであれば、それは正しい事だ。

 だがもし、ここで私が手を差し伸べないのであれば、彼女の中でメルシィは生き続けられる。


 だが、迷っている時間は私にはない。

 このまま無為に時間が流れ続けたとて、少女の心の中にあるのはきっと虚無。生き続ける姉の亡霊を追い続けるだけの何もない扉も窓も蛍光灯もない灰色の廊下だ。


 延々と続くその渦の中から、少女の心を救う為には、私は殺すしかない。

 背人の心の中のメルシィを。

 差し伸べるべき手はここにある。

 この場で、背人を救える可能性のある手は、この手だけなのだ。


「――背人。大丈夫、私が着いてる。ずっと私が傍にいる。だからもう、苦しまなくていいの」


 心を包み込もうと背中に回した手を、背人は拒否しなかった。

 簡単に受け入れた。

 それがまるで、まるで私が本当にメルシィを殺しているように感じて泣きそうになったが、背人の為に死ぬほど堪えた。


「お姉ちゃん……お姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃん――!!」

「――――――」


 抱き締められた小さな少女は、まるでスイッチが切り替わったかのように泣きじゃくった。

 そうして、メルシィは死んだ。

 この世からも、大切な人の心の中からも。

 他でもない、私が殺した。



「リョウナさん」

「……ッ!? セブン、どうしたのこんな所で」


 泣き疲れた背人を寝かしつけ、部屋を出ると扉のすぐ横でセブンが壁にもたれかかっていた。

 いつもと同じくおどおどと笑っていたが、様子がおかしい。

 この顔を、どこかで見た覚えがある――あの時、セブンの資料を、いや、パンドラの資料を見つける直前に背人についてセブンに尋ね、別れる時に……


「いいえ、ただ」

「リョウナ、セブン。丁度よかった」


 何かを言いかけたセブンの言葉に丁度被さる形で、洋が現れた。


「どうした二人とも、何か話していたのか?」

「大丈夫ですよ還崎さん。特に何も。で、どうしましたか?」


 だが、まるで何もなかったかのようにセブンは洋へ向き直った。腑には落ちないがこの状況では無理に追及する余裕もない。仕方なく洋の話に耳を傾けた。


「メルシィが死んだ今、礫砕同盟は俺達だけだ。だからもうこれ以上ここを存続する意味は薄れつつある。メルシィの側近の姿も見えないしな……まあ、そういう訳だから、ここからは全員自由行動だ」

「自由行動?」


 突然のコミカルさを思わせる単語に思わず聞き返す。


「ああ、その言葉の通りだ。後は勝手に自分のやりたいようにやれって事だ。どうせここにいても、その内教会に潰されるだけだしな。各々のやるべき事を、自分で考えてやってくれ。話は以上だ」

「分かりました。わたしは、いつもと同じく、皆さんを護るだけです」


 セブンが力強くそう言った。いつものセブンとはやはり違う。どこか、言葉に力が感じられる。以前のようなおどおどとした雰囲気は感じられない。

 セブンに感じた違和感はそれが原因だったのか?


「お前はどうする、リョウナ」

「私もいつもと変わらない。背人を守って、洋に哉江ちゃんを会わせる。それだけよ」


 ふ……と、洋が不敵に笑った。


「つまり、いつもと変わらんな」


 嬉しそうな洋の顔を見ると、さっきまでメルシィの死で絶望していた心が、希望へ戻っていくような気がした。

 ただ、気がかりなのは、


「リョウナ。杞憂だ、それは」

「へ? 私まだ何も……」

「顔を見れば分かる。だがな……俺はもう決めたんだ。もう悩まない。メルシィは確かに、もしかしたら俺のせいで死んだのかもしれない。俺の軋轢魔法(ジンクス)のせいでな。ただ、それで一々悩んでたら、枕元にメルシィに立たれそうな気がしてな。アイツはずっと俺のせいではないと言い続けてくれていた。その思いを無駄にしない為にも、俺はもう悩まない」


 その信念は硬かった。

 そう、絶望はどこにもなかった。

 全員、その目は希望に満ち溢れていた。


「そうね。分かったわ」


 それでもうやる事は決まった。

 後は、それをやるだけだ。


「ああ、もう一つ言う事があった。これからまたリョウナには戦ってもらう可能性がでてくる訳だが、体のチェックをしておきたいんだが……生憎おっちゃんに呼ばれていて時間がない。だからセブンに任せようと思ったんだが、いいか?」

「はい。任せてください」

「私もそれでいいよ」

「分かった。じゃあ頼んだ。出発は今から一時間後だ」


 そう言って、洋は(せわ)しなく走っていった。

 後に残ったのは、セブンと私。


「では、行きましょう。リョウナさん」

「う、うん……」


 やっぱり、今日のセブンはどこか、恐怖を感じる要素さえあった。

 何が、あったのだろうか?



 以前、チラッとだけ見た事はあったが仲間では入った事はなかった『医務室』へやってきた。

 小学校に通っていた時の記憶の中にある保健室そのままの様相だ。

 簡易的な回転椅子に私は座る。

 セブンは周りの謎な機械を触って画面を見ていたが、私にはそれが何かを理解できなかった。


「体のチェック、とは言っても、軋轢魔法による”影響”を調べるだけの簡単な検査です。すぐ終わります」

「”影響”――って?」

「魔術の発動……その為の魔力を作る機関、つまり内臓、それについては聴きましたよね?」


 セブンにそう言われ、記憶の中から探し出す。

 そう言えば、魔導アーマーの話の時に洋に聴いたのを思い出した。


「子宮が……どうとかこうとか……?」


 中々どうして自分で言うのは気が引けるが、恐らくそれがそういう事なんだと思う。うん。


「『ディスヘイト』が発動したみたいですから、還崎さんはそれを心配しての事だと思います。アレは本来の軋轢魔法以上に、使用者の体に悪影響を及ぼしますから。それでも、元の悪影響が普通の魔術と変わらない上に些細なものですから、そこまで気にする事はありませんけど」

「へぇ~、そうなんだ」


 思わず普通に関心してしまう。今までセブンを見くびっていたかもしれない自分を恥じた。普通にセブンはすごかった。

 『パンドラ』という呪われた力をその身に宿していようとも、こうして笑って生きていられるほどに、心が強いのだから当たり前だろう。


「ディスヘイトが出たのなら、言ってくれればよかったのに……」

「ごめん、余裕がなかったからさ……」

「………………………………………………」

「どうかした?」

「いえ」


 今、一瞬――いや、気のせいか。


「ああ、それと、リョウナさんはパンドラに手を出してしまったそうで」

「え? ああ……でも、アレは私には手に余るものだったよ。やっぱり、セブンちゃんが――」

「何が、『でも』なんです?」

「え――?」

「いえ、何も言っていませんよ」


 気のせい、気のせいなのか? 少しずつ、言いようのない寒気が、悪寒が、背中の底から這いあがってくるような感覚が現れ始めているような……


「じゃあ、服を捲ってください。大丈夫です、補聴器のようなものです。お腹のところを見るだけですから」

「う、うん……」


 静かな気迫に私は言及できないでいた。

 セブンは、もしかして私が『パンドラ』を使った事を怒っているのだろうか?


「ねえ、セブン……」

「私は、皆さんを護るだけですよ。私が」


 数分間の無言が続いた。


「はい、これで終わりです……特に異常はありません」

「そう。じゃあ、私……行くね?」

「はい。頑張ってください。そして、帰って来てくださいね?」


 その笑顔だけは、本当に純粋に私の帰りを待つものだったと思う。

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