弐拾玖――幸せを願って
私だってかつては、『霞の魔女』と呼ばれた魔術師の端くれだ。
銃弾の一つや二つ避ける事は容易いし、一発二発当たったところで頭さえ無事なら死ぬ事はない。亜木山将監もそれは分かっているだろう。だからこうして、追手から逃げる必要がある。私を生かしておいてはいずれ哉江の軋轢魔法に気が付いて世間に公表するなりするとでも考えて、抹殺しようしたのだろう。正直なところ、怖くてそんな事私なんかにはできるはずもないのだからはた迷惑な買い被りだ。
だがもう、お尋ね者になってしまった時点で終わり。私の平穏な日常は紙粘土のように崩れ去った。これからどうして生きていこうか絶賛路頭に迷い中。安住の地を求めて、先の戦いで廃墟と化した街を彷徨っていた。
「それにしても、派手に戦ったもんだなぁ……」
半分関心、半分呆れを込めてそう呟いた。
誰がやったかは知らないが、まるで隕石でも落ちたかのように街がボロボロだ。もう既に人が住めなくなってたとは言え暴れ過ぎだ。それだけ、教会と軋轢魔法の戦闘能力のシーソーゲームはインフレしてたって事だ。
まあ、今の私にはどうでもいい事だ。さっさと逃げて、さっさと雲隠れしよう。いや、霞隠れだな。
軋轢魔法に媚びを売って仲間になるのも考えたが……今の状況だと崩壊も近いだろうから無理だな。冷存千銅なら逃げだせるだろうから、ついていくのもアリか……いや、あの爺さんの性癖にはついていけんな。
「さてさてどうしたものか……」
「――いたぞ!!」
おっと、ヤバい。
私に戦闘能力はそれほどない。あくまで自身の体を霧状にするだけの魔術だ。なのに霞の魔女とか言うあってんだか間違ってんだか分からないような異名をつけられている時点で微妙なのだ。精々逃げるのが簡単になるくらいの役にしか立たない。だが今はそれが大活躍。霞の魔女の面目躍如と言いたいところだが、見てるのアイツ等だけだしな……
後方にはスク水型の魔導アーマーを着た魔法少女もとい魔術師が二人。
どうせ相手は、私が逃げ込める場所などない事を知っている訳だから無理に追ってはこないだろう。疲れ切るのを待ってから捕まえるか、殺すか……どちらにせよ、ここで諦めるという選択肢はない。私は今まで楽な方を選んで生きてきたが、死ぬのは嫌だ。生きる為なら辛い方だって選んでやろう。
さて、どれくらい逃げ回ったか最早数えるのも馬鹿馬鹿しいが、とりあえず一旦は撒けたようだった。
辺りは暗い。周りをビルに囲まれた裏路地なのだから当たり前だが。アスファルトの上は汚れていたが疲労が限界に達していてそんな事は考えていられない。綺麗な場所を選んで腰を降ろす。
「――――――」
どれくらい時間が経っただろうか。
今、自分以上に心配なのは哉江の事だ。哉江は軋轢魔法だった。亜木山の言葉からすれば、軋轢魔法が彼女の中で覚醒するという事だが……なんの為に亜木山はそんな事をした?
アイツは対軋轢魔法の部隊の隊長、司令官、最高責任者だ。そんな人間が目の前の排除すべき危険を見逃しておく事が信じられない。真面目な考えではないが、雪れぎなと同じように少女であるから情けをかけた……というのも全くない訳ではないだろう。
なにせ、あの男の娘は軋轢魔法に殺されて、もういないのだからな。
――裏路地の入り口、ビルの隙間の奥の方から物音が聞こえた。
私は咄嗟に身構えるが、それは決して敵ではなかった。
「哉江……哉江なのか!」
「――我久、さん?」
間違いない。見紛う事なき還崎哉江だ。ちゃんと哉江の魔力を感じる。追手が作り出した幻影などではない。
だが、その体は酷く傷つき、何より肌が黒く、くすんでいた。
「待っていろ……すぐ治療してやる」
「離れてください……私は……」
「んなもん知った事じゃない。それしきの理由で教え子を見殺すほど私は馬鹿じゃない」
哉江は面食らったように目を丸くしていた。
それもそのはずだろう。本来であれば、私のような魔術師……いや、世界中の人間が忌避する軋轢魔法だ。普通であれば寄せ付けようともしないはずだ。
それは、軋轢魔法の特性を知らない場合の話だが。
「ここに負の感情はない。ここにいるのは私とお前だけだからな。負の感情がなければ軋轢魔法は発動しない」
「……!」
なんとなくそんな気はしていたが、やはり知らされていなかったのだろう。
まあ、知っていようが知るまいが、負の感情を生きている内に持たない人間なんていないのだから、結局は変わらないのだが。
ん……? 待てよ、そう考えると、人間が負の感情を全く持たなくなれば、軋轢魔法は消えるんじゃないか?
いや、机上どころか床に叩きつけられるくらいの空論だな。そんな事ができるはずがない。理論上は。
「……?」
「いや、なんでもない。よし、これでいい」
簡易的だが、治癒魔術で傷は塞いでおいた。後は体が勝手に直してくれるだろう。
「ここが一番綺麗だ、ここに座っとけ」
「で、ですが……」
「いいから。はぁ……こんな時まで真面目だなお前は。まあ、お前がお前らしくてよかったよ」
亜木山の奴は『相互理解を得られない軋轢魔法の精神は脆い』なんて、まるで哉江の精神が壊れるかのような言い方をしていたせいで心配だったが、どうやら杞憂だったようだ。
相互理解……か。
軋轢魔法自身の負の感情では軋轢魔法は発動しないらしいが、哉江は私の事をどう思っているのだろうか。
他の魔術師と同じく、ただ『命令』という言葉を交わすだけの存在なのか。
落ち着いた様子の哉江が、突然口を開いた。
「我久さんは……優しいんですね」
「どうした急に、珍しいな。哉江から話しかけてくるなんて」
「すいません。今まで、お兄ちゃん以外とは、ちゃんと会話をした事がなくて……それでも、いつもお兄ちゃんから話しかけてくれていて、私から話しかけた事なんてなかったんです」
それを、今ここで破ったのか。兄ではなく、私に対して。
それだけこの少女は心の中に溜まった膿の捌け口を持っていなかったのだろう。あんな、仲間を道具だとしか思っていないような連中ばかりの場所でなら当たり前だ。
「直接戦いの指導をしていたのは、我久さんだけだと聞きました」
「ん? あ、ああ……まあな。他にやる事もないからさ、折角教え子ができたんだし、放ったらかしにする訳にもいかないだろ?」
「嬉しかった、です。私の事を、気にかけてくれた事が」
「……そうか」
他に頼る者がいなかった、その中で、私が哉江に対して唯一深く接していた。
別に目立ちたかった訳じゃない。他の奴らが揃いも揃って、自分の『生徒』を点数だとしか見ていないのが気に喰わなかった……訳でもないと言えば、嘘にはなる。
ただ、なんだろうな。自分でも何故そこまで哉江に肩入れしていたのかは分からない。娘や妹が欲しかった訳でもない。
「まるで、先生みたいでした」
「――――――っ」
「我久さん?」
「い、いや。なんでもない」
先生――。
そう言えば、私は、本当は学校の先生になりたかった……ような気がする。今となっては思い出せないが、高校を卒業する直前と直後まではそう思っていたような気がする。気がするだけだ。ただ、先生と言われて嫌な気分はしなかった。むしろ心地よかった。
私は、こんな風に人と触れ合いたかった、のかもしれない。
ああ……試験に落ちて、大人しく家業の魔術師を継いだだけだ。両親の仕事をする姿を見て、こんな人の心の温かさが微塵も感じられない職場では働きたくないと感じて、逃げようとしたんだろう。
だから私は、哉江という『生徒』を与えられ、嬉しかったのだ。
「なあ、哉江。今私は追われてるんだ。追手にな」
「確かに、そう言えば、なんでこんな所に……? まさか、私のせいで」
「いや、違う。別件だ。まあ話せば長い。それは後にして……なあ、もし追手から一緒に生き延びる事ができたら、お前の兄のところへ行こう。礫砕同盟にだ」
「……それは」
「このままでは何も動かない。哉江、お前もそれは分かっているはずだ。このまま逃げ続けても、お前は平行線を歩き続けるだけで、永遠に辿り着く事なんてできない。自分が軋轢魔法だから、なんてのは理由にならない。哉江は兄に会いたいんだろ?」
「……はい」
「だったら会いに行けばいい。ただそれだけだ。それを邪魔する奴がいるならこう言ってやれ。『私は家族に会いたいだけだ』、とな。家族に会う、そんなどう干渉しようもない自由を阻害する奴等なんかの事を一々考える必要はない。そんなもんはぶっ飛ばせ」
でも、と一つ置いて、
「それに協力してくれる奴がいるなら、迷わずその手を取れ。まあ、言うまでもないけど自分が信用できる奴の手をだ。なんでもかんでもほいほい着いて行けばいいってもんじゃない」
「そんなの、分かりません。私にはそれを見分ける手段など……」
「簡単だ。心の中からそう叫んでる奴は良い奴だ。自分や相手が誰だろうと関係なく、信念を貫いてる奴は信用できる」
「………………」
「あんまり先生っぽくないけど、私から言えるのはそれだけだな」
少し……いや、かなり気恥しい。
だがまあ、これでもうやる事はやった。気がかりな事はもうない。これで伝わらなかったとしても、それはそれで仕方がないだろう。
「分かりました、やってみます。それに、一人だけ心当たりがいます」
「ほう、それは幸先が良いな! ああその調子だ。そうやって、兄貴以外にも慣れていけよ。さあ、そろそろ行くか。追手も馬鹿じゃないしな」
「はい……」
そう言って立ち上がる。
体力も十分に回復できたはずだ。哉江の傷は浅くないが、補助してやれば走る事はできるだろう。さっさと、こんな所はおさらばして、哉江の兄貴のところへ向かわないとな。
「キャっ……」
「おっと、大丈夫か」
「すいません。足を、くじいただけです。大丈夫です、歩けます」
「無理はするな――よ……?」
青く光る細い光線が、私の肩を貫いた。
よかった。もし、哉江が足を滑らせていなかったら、私ごと哉江も貫かれていただろう。
「我久さん……!? そんな……」
「いいから逃げろ!! ごぶッ……私は、後から行くから、ここから出ないと袋叩きだ……! これは命令だ!!」
「……分かり、ました。ではこれは約束です。絶対に、また会いましょう」
「ふ……憎いな。おっと、じゃあ、もう一つ命令を追加しよう。生き延びろ」
哉江は首肯した。
既に背を向けて哉江が入ってきた裏路地の入口とは反対方向に走り出したその背中を見送り、私は振り返る。
「おしいですね。楽に仕事が終われたかと思ったのに。ねえ? 我久さん」
「楽か……、今まで楽な人生を生きてきた私から忠告だ。楽をしようとすると失敗するぞ」
「余計なお世話ですね」
私らしくもない。
もっと、楽な生き方はあったはずだ。哉江を盾にして逃げる事だってできたはずだ。
私はそれをしなかった。あえて楽じゃない方を選んだ。
何故だろうか?
いいや、自分という犠牲で、大切な人間の幸せを護れるのなら、見捨てるよりかは心が楽か。
だが、まだ楽はさせてもらうつもりだ。哉江にな。
「誰一人ここは通さん……精々道連れにされて逝け」




