弐拾伍――心の闇
ようやく、この時がやってきた。
一体何年この日を待ち望んで生きてきたか。
これだけが生きがいだった。これだけが、私がこの洗礼教会で魔術師として存在する意義だった。
「お兄ちゃん……」
電球の光を反射するラミネートの中、私の兄、還崎洋と私が写っていた。
確か、私が還崎家に養子に入った直後に撮ったものだったと思う。物心がついた頃から親のいなかった私は還崎家に養子にもらった。兄は初対面で他人のはずの私にも優しく接してくれた。心に距離を感じず、本当の家族のように暖かかった。私がいじめられていたら助けてくれた。勉強も教えてくれた。ご飯も作ってくれた。私を守ってくれた。
私にとって兄は必要不可欠なもの。生きていく上でなくてはならないもの。
もう十分……一人生きたよ、私。だからもう、お兄ちゃんとずっと一緒にいてもいいよね?
その為に、何年も、何年も頑張ってきた。
お兄ちゃんを見つけ出す為に。何だって壊したし、誰だって殺した。
そしてようやく見つけたんだ。今度こそは絶対にお兄ちゃんを取り戻すんだ。誰にだって邪魔はさせない。あんな奴等には絶対に、お兄ちゃんを渡さない。絶対に。絶対。
「哉江。時間だぞ」
「はい」
我久が部屋に入ってきた。その言葉通り、もうすぐ始まる。
一般市民への影響も考えて渋られていた軋轢魔法の『掃討』が始まるのだ。該当する地域の市民の避難は既に完全に完了しており、礫砕同盟が潜伏する周辺は既に無人の状態となっている。これなら、どれだけ暴れても被害が及ぶ事はない。表だって活動する軋轢魔法の数も随分と減ってきた。ここで礫砕同盟の頭であるメルシィ・クレンドロスを叩ければそこから一気に崩れていくだろう。
既に私の身を包んだ魔導アーマーの最終チェックを行い。ベッドから腰を上げた。
拳を二度、三度握ったり開いたりして、深呼吸をする。
心臓の鼓動がどんどんと早くなっていく。戦場へ近づくにつれて私の心は喜びの産声を上げていた。思わず、口角が上がっていく。
「どうした?」
「戦う事に喜びを感じる事は、おかしな事ですか?」
私らしくもないが、何故かそう疑問が口をついて外に出ていた。
「……いや、おかしい事ではない。戦う事で高揚するのはある種自然な事だ」
「よかったです……問題ありません」
「分かった。では行こう」
部屋を出る。
長い廊下を歩き、玄関ホールのような場所に出る。そこには既に、他の魔術師達も集まっていた。みんな、年は私と同じくらいの少女ばかり。その先頭には雪れぎなの姿があった。
洗礼教会軋轢魔法対策本部の部長のお気に入りと言われている、軋轢魔法が現れる以前からも教会で魔術師として活動していた少女。私もあまり話した事はなかったが、言い噂は全くと言っていいほどに聞かない。ガキの癖に生意気だとか、口が悪いクソガキだとか。そんなので士気は大丈夫なのかと思ったが、どうやら彼女がグループを率いる訳ではなく、いつものように単独行動のようだ。
しかしあの姿……パンツ一丁で素肌の上にワイシャツを羽織っただけとは。幼い妖婦にしか見えない。あれも魔導アーマーだと言う話だが、それにしてはあまりにもデザインが尖りすぎているように感じる。
まあ、私にはどうでもいい事なのだが。
私はただ、お兄ちゃんの周りにいるモノを殺せばいいだけだ。
お兄ちゃんの為ならなんだって殺す。
そうして……絶対に、お兄ちゃんを。
扉が開かれた。
散らばっていく少女達。私も、外へ一歩踏み出した。
胸が高鳴る。拳に力が入る。殺せる……お兄ちゃんの為に、いっぱい殺すんだ。
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そんな姿を、我久真理は後ろから心配そうに眺めていた。
何か嫌な予感がしたのだ。
「やはり……何かが」
こんなところまで見送りにきているのは恐らく我久だけだろう。というのも、言ってしまえば少女達を徴兵して軋轢魔法と戦わせるこの計画。これほどまでに指導先に対して感情移入しているのは我久くらいだ。他はただの仕事だと割り切って少女達を指導しているだろう。
「何かがおかしい」
何がおかしいのだろうか。自分の頭の中でずっと考えていたが、ようやく答えが見つかりそうな気がしているのだ。
還崎哉江の兄への並々ならぬ思いは既にその目で見ている。あの私と兄に対する性格の変わりようは異常と言っても過言ではないだろう。それほどまでに兄に依存しているのか……いや、それだけならまだいい。それ以上の何かがあるのだ。あまりにも漠然としすぎていてなんとも言い難いのだが。
「どうかしたのかな。我久真理君」
「っ!? ご、ご機嫌麗しゅう御座います司令官殿! い、いきなりどうされたので?」
いつのまにそこにいたのか、我久の背後に亜木山将監が立っていた。司令官殿だ。
「彼女達の様子を見に来ただけだ。君こそ、こんな所まで見送りとは感心だな。還崎哉江の傷の方はもう完治したのだろう?」
「は、はい。それはもうお陰様で。しかし、何か様子がおかしくてですね……」
「様子が? 具体的にはどのようにだね」
「えーっとですねぇ、なんと言いますかこの……闘争心が高すぎるといいますか」
先の哉江の質問が、どうしても気になって仕方がない。
「おかしな事ではない。彼女は軋轢魔法だからな。壊す事に精神的に傾いていくのは自然な事だ」
「は……? 軋轢魔法?」
我久の思考は真っ白になった。
意味が分からない。
一体この男は何を言っているのか。
軋轢魔法を殲滅する為に彼女はここに来たのではないのか。だったら何故、その彼女が軋轢魔法なのだ。それなのにどうして、ここにいる?
「恐らくこれが最後だろう。もう彼女の体は限界に近い。相互理解を得られない軋轢魔法の精神は脆い。カルシウムの足りない骨のようにね」
「待ってください……どういう事ですか」
「安心しろ。感染はしない。彼女が、自身がそうであると気が付いていない限りは、軋轢魔法の感染はない。あれは単に精神的なものだからな。だが、もしもという事もある。おめでとう。君の仕事は完遂された。今日で、卒業だ」
「なんだよ……意味分かんねぇよ……」
我久は、向けられた銃口を、それを持つ亜木山を睨み付けるが、その目に力はない。死を怯える恐怖の目だった。
だが、我久は綺麗な人間ではなかった。
たとえどんな手を使ってでも、自分だけは生き延びる。そんな人間だった。そんな人間が、ただ簡単に殺される事を待つはずがない。
「さようなら、我久真理」
引き金が引かれた。
軋轢魔法図鑑Ⅵ
軋轢魔法
人間の他者に対するマイナス的な感情を自動的に魔力に変換し発動され、その効果は所有者の精神性に左右されるが、基本的には破壊的な現象を起こすものになる。
これを発現する者に特別な条件は必要ない。
決して心に一切の汚れもない本当の意味での聖人君子でない限り、軋轢魔法はいつか必ず発症する。




