5 切ない白猫
一直線にこちらに向かってくるカルトの金の髪が煌めく様子をベスはじっと見つめ待っていた。尻尾がパタパタと地面に打ち付けられその内心の喜びを表している。
「ベス、最近忙しくてごめんね。久しぶりに時間がとれたから遊ぼう」
「ガゥゥー! ジュルッ」
うわーい、やったっ! ご主人様、今日もかわいいなぁ、あ、やばい、よだれよだれっ。
カルトの美麗な顔に浮かんだ天使の笑顔に、うっとりと見惚れ危うく零れそうになった涎をすするベスの目前に何かが突きつけられた。
「ほぉら、これなーんだ?」
「ガゥゥー!」
きゃぁぁっ、それ何? それ何? それなにぃぃぃぃっ!? あれ? どっかでみたような? いや、気のせいよね、うん。
派手な羽でつくられた猫じゃらしに大興奮なベスは浮かびかけた不穏な記憶に無意識に蓋をした。
「ベスっ、こっちこっち!」
大興奮で猫じゃらしを追いかけるベスと笑顔で猫じゃらしを引っ張るカルト。
うわーんっ、ご主人さま、かわいいっ、舐めたいっ、押し倒したいっ!!
ほらほら、ご主人様、みてみてっ、取れたっ、取れたーーっ!
若干危ない発言を脳内で垂れ流し、カラフルなそれを両手で挟み取り口に咥えるとベスはカルトの元へ走り寄った。
「よーしよし、ベスすごいジャンプだったよ。」
んにゃぁぁっ、ご主人様っ、ご主人様っ、もっと褒めてっ。
飽きるまで何度も何度も猫じゃらしで遊んだベスは、優しく褒めつつ身体をなでてくれるカルトの手を、両手でギュッと抱きしめるようにしてしがみつく。
その手がわき腹をじんわり撫で上げると、たまらない気持ち良さに、ベスの喉はゴロゴロと音を発し両手はだらりとたれる。
ぅにゃぁ、ご主人様っ、気持ちぃ……ふにゃぁ……っ。
腰砕け状態のベスはそのまま仰向けの無防備な恰好のまま、お腹の柔らかい部分を優しく撫でられながらうとうとと微睡む。
お気に入りの大樹がさわさわと風にそよぐ音が心地よく、遊び終えればいつものようにブラッシングをしてもらい、その後は美味しいケーキを食べて、そしてまた遊ぶ。
ピーちゃんの湖で水遊びか、水鉄砲遊びもいいな。あー、迷うぅー……ぅん?
にまにまだらしない顔で遊びの予定を立てていると身体に手がかかり揺さぶられ、ふとベスは寂しさに囚われた。
「ガゥ?(ご主人様、まだ眠いぃー)」
寂しさを柔らかな布団に顔を押し付けることでごまかし、そのままイヤイヤと首を振り寝汚く布団にしがみついたベスは、キュプキュプと滅多に出さない甘え声をあげる。
「ほら、そろそろ起きろ、良い夢でも見ているのか? 笑いながら喉ゴロゴロいわせて……なんだこの可愛いの、キッ、キュプキュプだと!?」
あれ?芝生の上で転寝してたのに布団? ここベッド? あれ、あれ?
寝ぼけながらも現状を把握する為に見渡せば、なにやら悶えている暑苦しい筋肉が目にはいり、数日前まで当たり前の毎日であった幸せな光景が一気に遠のいた。
ああ、えっと、さっきのは夢か……私を起こしたこいつは馬鹿筋肉、勿論ご主人様じゃない。
朝も早くから上機嫌な男から目をそらしたベスは、夢にみたカルトの顔を思い浮かべ、切ない息を吐き出した。
「ベス?」
ベスの悲しげな声が聞こえた気がしてカルトは周囲を見渡した。
「カルト様?」
「いや、何でもない。ではあとは各自で最終確認をしておいてくれ。転移魔方陣もそろそろ完成だ。出発は近いぞ」
ベスを拉致した国へ潜入するべく入念な準備が行われているトライベン王国の魔術師団一階フロアでは大掛かりな転移魔法陣を囲み多くの人間が行きかっている。
居残り組への指示を終えたカルトは潜入組の最後の打ち合わせに向かう。
「ベス、俺が君を助ける」
夜明けの空を見上げカルトは誓うように呟く。潜入の時は刻一刻と近づいていた。
うぅ、こんなの耐えられない。馬鹿筋肉め、私の磨き上げた爪でガリッガリしてやる……。
力なく項垂れたベスは、心の中で恨みつらみを吐き散らす。
いつでもどこでも朝九時起きのマイペースベスにとって、今日与えられた六時起床という苦行は許容範囲を大きく超えていた。この苦行が明日も明後日も続くと聞かされたベスの表情は完全に死んでいる。
こんなところ、逃げてやる……ぐすっ。
朝の儀式に参加するためにやってきた堂々たる正装のロムルスの隣を歩くベスの首にある隷属の首輪に、神官達は怒りのあまり声を失っていた。
足を引き摺るように歩く哀れなベスの姿に、ついには神官達からすすり泣く声が漏れ始める。ただ早起きにへこたれているだけのベスの様子が周りに与える影響は膨大で、ピリピリとした殺気に似た空気が重い。
「なんということだっ、聖獣様に首輪を嵌めるとはっ!」
すすり泣く声に怒りの声が混ざり始め、その非難の視線はロムルスに集中した。
いつもは気弱な神官達の強い非難の声に顔を顰めたロムルスはジロリと周囲を見渡す。
ギチッギチッとロムルスの内心の怒りを表すように歯を噛み合わせる嫌な音が鳴り、それに気づいた数名の神官が怯えた表情で口を噤む。
その様子を睨め付けたロムルスは大きく口を開く。尖った犬歯があらわになりその獰猛な表情に空気が凍る。
「お前らの主は、誰だっ?」
凶悪な笑みの形に歪んだロムルスの顔に神官達は悲鳴をあげ、呪の込もったその言葉にねじ伏せられ、苦痛のあまり数名が白目を剥き意識を失う。
大勢の悲鳴が上がる中、大神官の正装に身を包んだアフリカナが駆けつけた。
「ロムルスッ、おねがいっ、やめっ、て、おねがいっっ!!」
アフリカナは苦しげに表情を歪めながらもロムルスの足元に縋り付く。美女が身体を投げ出し足元に縋り付く光景は男ならばそれだけで何でも許してしまいそうな威力だが、あいにくこの男にはそれは通じない。
「アフリカナ、邪魔だ、どけ。お前の願いであれば、たいていのことなら聞いてやるがな? 今日のこれは別だ。躾が足りてなかったようだ。たっぷり教え込んでやろう」
自分を除く全ての神官が首を掻き毟りながらジタバタと足掻く地獄のような光景から目をそらし、薄笑いを浮かべるロムルスの顔と力なく項垂れ周囲に関心を示そうとしないベスの首輪を交互に見つめたアフリカナの顔には何かを決意した厳しい表情が浮かんでいた。




