40歳、無職。おっさん、ダンジョン配信を始める
この物語は、特別な才能を持った英雄の話ではない。
剣も魔法も知らない、ただの四十歳の男が――
ある日突然、ダンジョンという非日常に放り込まれたところから始まる物語である。
彼は強くなろうとしたわけではない。
世界を救おうとしたわけでもない。
ただ、生活のために。
ただ、生きるために。
ほんの少しの思いつきで、ダンジョン配信を始めただけだった。
だが世界は、そんな彼を放っておかなかった。
気づけば視聴者は増え、評価は変わり、
そして彼自身すら知らない“何か”が、静かに動き出していく。
これは、
「レベル1」と表示されたまま、
世界の理すら揺らしていく一人のおっさんの物語である。
――そして彼はまだ知らない。
自分が“普通”だと思っているその感覚こそが、
この世界で最も異常であるということを。
⸻
――人は、人生が終わる瞬間を意外とあっさり受け入れる。
「佐伯さん、今日で契約終了です」
その言葉を聞いた瞬間、佐伯直人(40)は、なぜか妙に冷静だった。
ああ、終わったんだな、と。
十八年勤めた会社。
毎朝同じ電車に乗り、同じ顔ぶれとすれ違い、同じような書類を処理してきた日々。
その全部が、たった一言で終了した。
会社の出口を出た瞬間、空気が少しだけ軽く感じた。
――自由だ。
そう思ったのも束の間。
スマホの通知が現実に引き戻す。
「口座残高:32万4,118円」
直人は無言で画面を閉じた。
「……八か月、もつか」
声に出してみると、妙にリアルだった。
そしてそのとき、駅前の巨大モニターが目に入る。
そこには、別世界のような光景が映っていた。
剣を振るう若者。
炎を放つ魔法使い。
歓声と爆発音。
『本日のダンジョン攻略ライブ!同時視聴120万人突破!』
直人はしばらく、それを見上げていた。
「……すごいな」
気づけば、口から出ていた。
そして次の瞬間。
なぜかこう思った。
「俺も、やってみるか」
理由はない。
才能もない。
経験もない。
ただ一つあるのは――
時間だけだった。
---
翌日。
探索者協会。
「戦闘経験は?」
「ありません」
「スキルは?」
「ありません」
「年齢は?」
「40です」
受付嬢の表情が一瞬止まる。
そして、営業スマイルに戻った。
「……初心者ダンジョンのご案内になります」
こうして、佐伯直人はダンジョンに入ることになった。
レベル1。
スキルなし。
装備はレンタルの安物ナイフ。
視聴者数――3人。
『誰このおっさん』
『大丈夫かこれ』
『絶対死ぬやつ』
直人はスマホを見て、少し笑った。
「まあ、記念だしな」
そして、ダンジョンの中へ一歩踏み出す。
その瞬間だった。
奥の暗闇から――
何かが走ってきた。
重い足音。
獣の息遣い。
赤い目。
「……ゴブリン?」
初心者ダンジョンのはずだった。
だが目の前の個体は明らかに異常だった。
コメント欄が一気に荒れる。
『待てそれ初心者じゃない』
『逃げろ!!』
『運営バグってる』
ゴブリンが吠える。
そして――突進。
直人は反射的に避けようとして、
足がもつれた。
「あっ」
転ぶ。
その瞬間。
――ドンッ!!
鈍い音。
ゴブリンが吹き飛んだ。
壁に激突し、動かない。
沈黙。
直人は床に手をついたまま呟く。
「……今の、転んだだけなんだけど」
コメント欄。
『????????』
『は?』
『今何が起きた?』
『レベル1だよな?』
視聴者数が跳ね上がる。
3人 → 128人 → 1,000人 → 5,000人
直人はまだ知らない。
この瞬間、世界が一人の“おっさん”に気づき始めたことを。
ダンジョンの奥。
誰もいないはずの場所。
一人の少女が目を開ける。
「……見つけた」
静かに微笑む。
「やっと、来たんだね」
⸻
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
気づいた方もいるかもしれませんが、この作品――
たぶん一番おかしいのはモンスターでもダンジョンでもなく、主人公です。
レベル1なのに殴ったら全部吹き飛ぶおっさんって何なんだ、と。
作者も書きながら何度か思いました。
「これ、普通に考えたらバグでは?」
と。
ですが、この物語ではあえてその“違和感”をそのまま残しています。
なぜならこの作品のテーマは、
「強さ」ではなく「気づかなさ」だからです。
本人だけが自分を“普通”だと思っている。
でも周囲から見れば、それはとんでもなく異常。
そのズレが、やがて世界そのものを揺らしていく。
そんな物語にしたいと思っています。
ちなみに、直人はまだ自分がバズっていることに気づいていません。
たぶん次回も普通にゴブリンを転ばせていると思います。
そしてコメント欄だけがまた騒がしくなります。
――「それ転んだだけじゃないだろ」
と。
この作品は、そんな“温度差コメディ”でもあります。
気楽に、ゆるく、時々「いやそれは無理だろ」とツッコミながら読んでいただければ嬉しいです。
それでは、また次回。
直人の“普通のダンジョン配信”をお楽しみに。
――作者より




