第八章 リメインズ8
王妃の身体を包んでいた闇が、ゆっくりと薄れていく。
霧が晴れたその姿に、謁見の間の空気が凍りついた。
髪は夜のように黒く沈み、
肌は灰色の影を帯び、
額には二本の角のような影が浮かび上がっている。
瞳は獣のように光り、呼吸のたびに空気が震えた。
王妃は自らの手を握りしめ、
その力を確かめるように低く呟く。
「……悪くないわね」
モネは息を呑み、後退りして尻もちをついた。
「お、お母様……?」
教皇は恍惚とした笑みを浮かべ、王を指差す。
「さあ……あの男を倒し、あなたこそが王となるのです」
王妃はゆっくりと口角を上げた。
「その前に──邪魔なものを片付けないとね」
視線が、ルミナへ向けられる。
その瞬間、空気が重く沈んだ。
ソフィアが杖を強く地面に叩きつける。
「まずい……!」
床から太い木の枝が伸び上がり、
王妃の身体を絡め取るように包み込む。
王が叫ぶ。
「騎士たち! あいつらを捕らえろ!」
しかし王妃は、軽く手を払うだけで枝を砕き散らした。
その動きは、まるで風が吹き抜けたかのように滑らかだった。
そして──
王妃は一瞬でルミナの前に立つ。
影が落ち、冷たい気配が肌を刺す。
ルミナは息を呑み、思わず目を閉じた。
王妃は長い爪を振りおろすと鋭い金属音が響く。
ルミナが目を開けると、
彼女の前に立ちはだかっていたのは、アンの護衛である女騎士だった。
王妃はわずかに目を細める。
「次から次へと……虫けらが湧いてくるわね」
軽く腕を振ると、女騎士の身体が後方へ弾かれ、壁際へ倒れ込む。
衝撃の音が響き、騎士たちが息を呑んだ。
ソフィアが杖を構え、低く呟く。
「よくやった。あとは任せなさい」
閃光が走り、王妃の身体が後方へ吹き飛ぶ。
最奥の壁に影がぶつかり、王妃は膝をついた。
「……貴様……!」
王妃が睨みつけたその瞬間──
彼女の頭上に影が落ちた。
空気が震える。
次の瞬間、王妃の首が胴から切り離されて床に落ちた。
まるで存在そのものが断ち切られたように、
その場から煙のように消えた。
そこに立っていたのは──サンだった。
ルミナは息を呑む。
金色だった髪と瞳は、深い闇に染まり、
首元には黒い痣のような紋が脈打つように揺れている。
その姿は、かつてのサンとはまるで違っていた。
王の背後から、アリスとアンが駆け寄ってくる。
「ルミナ!」
アリスが急いで縄を解き、
アンは涙を浮かべながらルミナを抱きしめた。
「会いたかった……!」
ルミナはアンの傷だらけの姿を見て、
思わず涙がこぼれた。
「ごめん……私のせいで……」
「違うわ。あなたのせいじゃない」
アンは首を振り、ルミナの手を握りしめた。
その時、モネが震える声で囁く。
「勇者様……私のために……」
サンはモネを一瞥することもなく、
ただ静かにルミナへ向けて言った。
「……大丈夫か」
モネの顔が歪む。
「その魔族に……操られてるのね……!
騎士たち! あの魔族を殺しなさい!」
しかし、誰も動かない。
「なんでよ……!」
その叫びを遮るように、王の声が響いた。
「もうよい」
モネは震えながら王のもとへ歩く。
ルミナの横を通り過ぎる瞬間──
彼女は懐からナイフを取り出し、ルミナへ向けて振りかざした。
空気が裂けるような気配。
だが、ルミナに届く前に、アンが身を投げ出した。
血しぶきと鈍い音が響き、アンの肩に衝撃が走る。
「アン!」
ルミナが叫ぶ。
次の瞬間、乾いた音が鳴り響き、
モネの身体が床に倒れ込んだ。
アンが、モネの頬を叩いた音だった。
モネは頬を押さえ、泣き叫ぶ。
「お父様! この女が私を叩いたのよ!
罰を与えて!」
王は深くため息をついた。
「……こいつを捕らえろ」
モネの顔が凍りつく。
「え……? 違う……違うのよ……!
あいつよ! あの魔族が──!」
騎士たちはモネを拘束し、連れ出していく。
扉が閉まる直前、
廊下の奥から、モネの悲痛な叫びが響いた。
謁見の間には、
重い沈黙だけが残った。




