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番外編 恋人になる方法

 ユリスが「恋人」という言葉を意識したのは、ロイエンがきっかけだった。


 聖女ナツキが役目を終えて、旅に出てから三カ月。

 ユリスは現在、帰還魔法の研究に加え、王宮からの要請で国の結界強化にも協力している。

 どんな会話の流れでそうなったのかは忘れてしまったが、打ち合わせで顔を合わせた元同僚は、目をいっぱいに見開き、心底驚いたように

「えっ!? 二人って恋人じゃないんですか?」

 と言った。


 恋人――ではない。

 ユリスはミチハルとの関係に対して、それまで何も名前をつけていなかった。周りからは友人だとか同居人だとか仕事仲間だとか、いろいろ言われているようだが、別になんでもかまわなかった。

 大事なのは、ミチハルが自分の傍にいることだ。聖女ナツキが旅に出てからは、ミチハルの時間の大部分をユリスが独占できている。それ以外に望むものはないと思っていた。


 けれど「恋人」という言葉は、なぜか胸に引っかかった。甘く、あこがれの響きがする。

 今のミチハルとの距離感に不満はない。でももしも、二人の間に「恋人」という名前がついたらどうなるのだろうか。自分の心の奥に閉まっている、隠しきれない欲が顔を出す。もう少しだけでも、距離を近付けることが許されるのなら――

 想像すると、夢のように思えた。


「……どうしたら恋人になれる」

「いや知りませんよ。『好き』だと言えばいいんじゃないですか?」


 そうして、ユリスは引き気味のロイエンから無理やり聞き出したアドバイスに従い、計画を立てることにした。



「あ、ネリモチじゃん。お土産?」

 さっそく、ユリスは市街地の有名な菓子屋で、ネリモチを買って帰った。

 「星空の下での告白がロマンチックでいい」とロイエンが言ったからだ。ルナネリスには、月の綺麗な夜に外でネリモチを食べる風習があるので、それを利用する。

 案の定、ミチハルは「じゃあ庭にテーブル出そうか」とニコニコしている。


 ユリスはミチハルと出会うまで、古くから伝わっているというこの風習を知らなかった。ネリモチを食べたことも数えるほどしかない。味すら忘れていた。

 日が暮れるのを待ち、テーブルにお茶とネリモチを用意する。夕焼けから夜に移り変わる様子を、ミチハルと眺めた。ミチハルがいなければ、ルナネリスが美しい国だと気付くことはなかっただろう。そう思うと不思議な気分になる。生まれも育ちもルナネリスのはずなのに、ミチハルと出会ってから明らかに見える景色が変わった。

 今から自分はミチハルに告白をする。恋人になりたいからだ。嫌だと言われたら立ち直れないかもしれない。

 それでも、恋人になりたい。ミチハルと。


 夜空に星が瞬き始める。ユリスの家は、森の中にポツンと建っているため、あたりは木々のざわめきの音しか聞こえない。

 荒れ放題だった庭はミチハルのおかげで蘇り、月明かりの下、自らの手で育てた薬草が揺れている。

 はやる気持ちを抑えつつ、意を決してユリスは口を開いた。


「ミチハル」

「んー」

 なにも知らないミチハルが、ネリモチを口に含みながら首を傾げた。胸がきゅっと締め付けられた気がして、手で押さえる。

「あの……」

「なに?」

 喉がひどく渇いている。お茶を一口含んでみたが、なかなか言葉が出てこない。そして、自分がひどく緊張していることに、ようやく気付いた。


 ――告白は今じゃないかもしれない。


「……うまいな」

 ぽつりと呟いた直後、自分の手にまだ口を付けていないネリモチがあるのに気付いた。素知らぬ顔で、一口かじる。ミチハルは怪訝そうに眉をひそめたが、気にしないことにしたのか、素直に頷いた。

「うまい」

 その言葉にほっと息を吐く。

 ミチハルの細かいことは気にしない性格に、ユリスはいつも救われている。


「まだ食べるか?」

「あるなら食べたい」

 足りなかったら困るだろうと、念のために十個買っている。ユリスは袋からネリモチを出し、ミチハルの皿に置いた。

「……喉は乾かないか」

「大丈夫。お茶はまだ残ってるし」

「そうか」


 何を言ったらいいのか分からなくなり、とりあえず空を見上げた。

 青白い満月の光が辺りを照らす。いつか、ミチハルと図鑑で覚えた星座も見つけた。緊張はしているが、夜空は美しい。そのことが、心を勇気づけてくれた。

 タイミングを計りたくてそっとミチハルを窺うと、ばっちり目が合った。二つ目のネリモチを食べ終わったのか、頬杖をつき、楽しそうにユリスを見ている。


「……まだ食べるか」

「もういいや。てか、いくつ買ったんだよ」

「あと七つある」

 ユリスの答えに、ミチハルはきょとんと瞬きをしてから、おかしそうに笑った。

「あはは。買い過ぎ」

「余ったら、魔法で保存すればいい」

「それもそうか」

 ミチハルは納得したように頷くと、目を細めてユリスの淹れたお茶を飲んだ。


 ユリスは、ミチハルが自分の淹れたお茶を飲む姿を見るのが好きだった。

 茶葉や淹れ方にこだわっているのは、ミチハルが喜んでくれるからに過ぎない。ミチハルは、ユリスがお茶を淹れるのを、慈しむような目で見る。どうやら亡くなった祖父のことを思い出すらしい。

 いつもからりとしていて繊細な部分を見せようとしないミチハルだが、祖父の話をするときだけは違っていた。きっとミチハルにとって、とても大切な人なのだ。

 ミチハルが大事にしているものは、同じように大切にしたい。そんな思いから、ユリスは研究の合間を縫って、おいしいお茶を淹れる方法を研究している。 


 「恋人になりたい」と意気込んでいるものの、実際のところ、自分がミチハルに抱いている感情がなんなのか、はっきりとは分からない。ミチハルは特別な相手だ。今さら関係に名前をつけたところで、という気もする。


 ユリスが帰還魔法の研究を始めたのは、もともとナツキへの罪滅ぼしのためだ。

 魔力量を買われて孤児院から引き取られ、気付けば魔導士として生きていた。そこに疑問も不満も抱いたことはない。聖女を探せと命じられ、ナツキを見つけたときも、喜びや達成感はなかった。

 ただ周囲の評価や同僚の羨望、嫉妬といった視線が自分に向けられ、世界が変わっていくのをぼんやりと感じていた。

 ナツキの召喚直後、彼女の怒りを静めるために責任を取るよう言われたときも、心はほとんど動かなかった。そういうものかと思っただけだ。けれどそのナツキに命を救われた。ナツキは、ユリスを見て「弟を思い出す」と言った。


 元の世界に帰りたいと強く願う聖女のため、ユリスは帰還魔法の研究に励むようになった。

 その過程でミチハルを見つけた。ミチハルは、子供なのにどこか冷めた目をしていた。過去にミチハルを見たのは一度きり。けれど、周囲と距離を取っているその姿が、ユリスの目に焼き付いて離れなかった。

(……不思議だ)

 あのとき、絶対に家族をこの子の元へ帰すのだと誓ったミチハルが、今は自分とルナネリスの風習を楽しんでいる。それどころか、帰還魔法が完成しても、ずっと一緒にいてくれると約束してくれている。


 ふと、自分は不安なのかもしれないと思いついた。

 ミチハルが、本当にユリスと一緒に生きてくれるのか、まだ自信がないのだ。自信がないから「恋人」という言葉で縛ろうとしている。

 自分の考えに、胸の奥でぞわりと泡立つような不安が生まれた。「恋人」への期待が、甘いものばかりではないことに気付く。


 帰還魔法は、きっと、もうすぐ完成するだろう。

 ミチハルが貸してくれた「スマホ」のおかげで、保存されている写真を頼りに座標を特定することができた。魂を飛ばすことは成功したので、後は肉体だけだ。実験は順調に進んでいて、先日は複製魔法で作ったスマホをミチハルの祖父の家へ送った。短時間だが、母親との会話もできた。

 いつかきっと、確実にミチハルたちを帰せる。

 その前に、確約が欲しいんじゃないか。

(こんな気持ちで、恋人になりたいと思うのは図々しいだろうか)

 ミチハルは「一緒にいよう」と言ってくれた。それを信じればいいだけなのに、自分は今以上の関係を求めてしまっている。


「……その、月が綺麗だな」

 決心がつかず、ただ目に映る光景を口にする。そのとき、なぜか空気が緩んだ気がした。ミチハルが笑った気配に視線を向けると、案の定、わずかに口角を上げた顔とぶつかる。

「そうだね」

 月明かりに照らされた庭に、声が柔らかく響いた。 

 ミチハルは心から楽しそうにしている。それだけで憂いがあっという間に消えていき、純粋な「恋人になりたい」という願いだけが残る。

「ユリスと一緒だから、いつもより綺麗に見えるのかも」

 その言葉に、はっとした。

 いつもユリスが思っていることと同じだったからだ。

「お、俺もそう思う!」

 心を読まれたかと目を見開くユリスに、ミチハルが耐えきれないように息を漏らし、口に手を当てた。

 なにかおかしかっただろうか。おかしくてもいいから、ミチハルには笑っていてほしい。


「……ミチハルといると、いろんなものが美しく見える」

 ぽつりと言葉を零すと、ミチハルが嬉しそうに微笑んだ。その笑顔に勇気づけられ、言葉を続ける。

「一緒にいると、とても楽しい」

「うん。俺も」

 間髪入れずに、ミチハルが頷く。


 ――そんなことを言ってくれるのは、ミチハルだけだ。

 ユリスは、研究ばかりしてきた面白みのない魔導士だ。ルナネリスの風習も知らず、ミチハルに街を案内することもできない。ミチハルと出会うまで、景色や食事の楽しみ方すら知らなかった。

 そんなユリスでも、ミチハルは一緒にいて楽しいと言ってくれる。放っておけないと言って、見捨てないでいてくれる。ミチハルが褒めてくれるから、自分の魔導士としての腕を信じられる。

 ミチハルの顔を見ていたら、どうしても口から出てこなかった言葉がぽろりとこぼれた。


「……す、好きだ」


 一瞬、ミチハルは目を見開いたがすぐに口元を緩め頷いた。

「俺も好きだよ」

 さらりと返されて、心臓が激しく音を立てる。あっという間に耳まで熱が上がった。

「ほ、本当か」

「もちろん」

「……嬉しい」

 しみじみ呟くと、ミチハルが満足そうに「よかった」と言った。そうして、目線を空に向ける。

 静かで穏やかな空気が再び訪れた。

 

(……ん?)


 ふと我に返った。


 ――恋人には、なれていない気がする。


 ミチハルが「次は俺がお茶淹れようかな」と言って立ち上がったので、思わず手首を掴む。

「待て、そうじゃない」

「え?」

 引き止めたものの、どうしたらいいか分からない。

「……あの、だから、好きなんだが」

「俺も好きだけど……」

「ええっと、俺はミチハルのことが好きで……」

「俺もユリスのことが好きだよ」


 何度言っても伝わらないもどかしさに呆然とする。自分はなにか間違っているだろうか。

 混乱しながら、ふいに思い出した。すでに自分は何度かミチハルに「好きだ」と告げている。そして、ミチハルからも確実に言われている。

 恋人になるにはどうすればいいかという質問に、ロイエンは「好きだと言えばいい」と答えたが、そんなものはとっくに言っていたのだ。それなのに恋人になれていない。おかしい。

(ロイエン、どうなってる)

 頭の中で毒づいた同僚が、『知りませんよ』と答えた気がした。

 ぐるぐると動かした頭でようやく名案を思い付き、はっと顔を上げた。


「好きだから、ミチハルと恋人になりたい」

「分かった。恋人ね」

「……!?」

 あっさり頷くミチハルに、ユリスはガタンと音を立てて立ち上がった。その拍子に椅子が倒れる。


「……いいのか」

「うん」

 目を覗き込んで尋ねると、ミチハルははっきりと同意した。見間違いではない。ユリスの方が焦る。

「本当にいいのか? もっとちゃんと考えたほうがいいんじゃないか?」

「はあ? ユリスは俺と恋人になりたいんじゃないの?」

「なりたい」

「じゃあなろうよ」

 望んでいた答えのはずなのに、どうしてなのか素直に喜ぶことができない。

 嬉しさよりも不安が勝っている。ミチハルは「恋人」という意味を知らないんじゃないかなど、失礼なことまで考えてしまう。


「ロイエンに、ミチハルと恋人になったと伝えるぞ。おそらくロイエンは、そのことを報告書に書くだろう。そうすると、周りから俺たちは恋人だと思われることになる」

「オッケー。俺も姉ちゃんへの手紙に書いとくよ」

 逃げられなくなるぞという意味を込めるが、ミチハルの返事はまるで業務連絡かのように軽い。本当にこれでいいのか。動揺を隠せないユリスに、ミチハルが怪訝そうに眉をしかめた。

「どうしたんだよ、さっきから。ユリスが恋人になりたいって言ったんじゃん」

 当然の指摘だ。ミチハルの言っていることは正しい。

 もろ手をあげて喜んでいいはずなのに、なぜ、自分はこんなに不安なのだろう。


「いや……こんなに簡単に、『恋人』になれるのかと驚いて……」

 答えながら、たぶん、これだろうと納得する。

 断られたら立ち直れないとは思っていたが、こんなに簡単に受け入れられるのも想像していなかった。ミチハルは優しいので、ユリスが頼み込めば最終的に「恋人」という立場を受け入れてくれるのではという期待はあったものの、あまりにもうまくいきすぎている。逆に怖い。


「別に簡単じゃないだろ」

 ユリスの言葉に、呆れたように道春が肩を竦めた。

「どっちかだけが『恋人』になりたいと思っても無理なんだぞ。『恋人』っていうのは両想いで初めて成立するんだから」

 ――両想い。

 単純なもので、混乱の中にあってもその言葉にはときめきを覚えてしまう。

「……俺たちは、その、両想いなんだろうか」

「はあ!?」

 おそるおそるユリスが確認すると、ここで初めてミチハルが苛立ったように声を荒げた。びくりと肩を竦めるユリスに、ミチハルは両手をテーブルにつき、前のめりに訴えた。

「どっからどう見ても両想いだろ! 俺だってユリス以外のやつと恋人になろうとか思わないよ」

「そ、そうか」

 どこからどう見ても両思いなのか……。

 未だ確信は持てないが、ミチハルが言うのならそうなのかもしれない。


「もともと、俺はそういうの面倒くさいと思ってたんだ。誰かと付き合ったこともない。ユリスは?」

「俺もない」

「だろ?」

 ユリスの返事に、ミチハルが腕を組みながら機嫌よく頷く。

「でも俺たちは、お互いならいいかなって思い合ってるわけじゃん。これが両想いじゃないならなんなのって話」

「そ、そうか」

 ようやく納得しかけ、ユリスははっと顔を上げた。大切なことを忘れていた。

「だが……」

「だが、なんだよ」

 まだなにかあるのかと言いたげなミチハルの視線が痛い。

 希望通り「恋人」にはなれた。これ以上を望むべきではないかもしれない。だが、ユリスの中に押し隠してきた欲が、「恋人」という関係を得たことで、顔を出し始めている。


「俺は恋人になったら、キ、キスとかしたいんだが」

「すればいいじゃん」

「いいのか!?」

「いいよ」


 当然のように道春が答えたので、思わず固まってしまう。あまりにも自分に都合が良すぎる展開だ。凝視したまま動けないユリスに、ミチハルもさすがに照れたのか、少しだけ頬を染めて片眉を上げた。


「そりゃ恋人になるんならそれも含まれるだろ。てか、キスなら一回したよな」

「は?」

「…………覚えてない?」


 ミチハルの低い声に、さっと血の気が引く。まったく記憶にない。ユリスの様子で察したのか「まああのときのユリス、ちょっとおかしかったしな」とミチハルが言った。

 どうやら冗談ではないらしい。しかし、どれだけ頭の引き出しを開いても、それらしき記憶は出てこない。恋人になれた喜びは吹き飛び、不安で指先が震え始めた。


「……いつだろうか」

「えーっと、一年前くらいかな? ユリスが俺のこと避けるから、話し合ったときがあっただろ」


 言われて思い出す。一年前、確かにユリスは、ミチハルに嫌われるのが怖くて避けていた。研究に逃げ、心身ともにまいっていた。あの頃の記憶にはうっすらと膜がかかっている。

 

「そのときにキスされたんだけど……、まあ、ユリスならいいかなって思ったし」

 ミチハルの口調は信じられないほどあっさりしている。だがユリスにとってはとんでもない失態だ。避けていた挙句にキスをして、それを覚えてないなんて。嫌われても文句が言えない所業だ。恥ずかしくてどこかに埋まりたい。

「す、すまない……どう詫びればいいか……」

「いいってば。それに――」


 心の底から落ち込みかけたユリスだったが、続いたミチハルの言葉ですべてが吹き飛んだ。


「ユリスとなら、その先だってできるかもなって思ったんだよね」

「その先……」


 想像して、一瞬で顔が熱くなる。ユリスの表情で察したのか、ミチハルが気まずそうに頭を掻いた。

「そこらへんはさ、俺たち童貞同士で考えたってしょうがないじゃん。まずはキスでは?」

 その言葉に、息が止まる。じわじわと変な汗が出てきて、視線が宙を彷徨う。

 キスは、したい。

 最初のキスの記憶が消えてしまっていることについては一生後悔するだろうが、ミチハルが許してくれるならば、今キスがしたい。でもどうしたらいいのか。

 

 困り切って固まるユリスを見かねたのか、ミチハルから動いてくれた。

「とりあえず、恋人になった記念にキスはしとくか」

「き、きねん……」

 緊張で声が裏返る。

「嫌なの?」

「嫌なわけない」

 慌てて首を大きく振ると、ミチハルが満足げに頷いた。

「じゃあ俺が目を閉じとくから。ユリスからこい」

「……分かった」


 宣言通り、ミチハルが目を閉じる。その瞬間、緊張がピークを越えて、他のものが目に入らなくなる。

 そろそろと顔を寄せ、睫毛の本数まで数えられそうな距離まで近づいた。だいぶ時間をかけているはずなのに、ミチハルは急かすこともなくユリスを待っている。どこまでも無防備な顔だ。信頼と許しを感じ、胸をかきむしりたくなる。

 ゆっくりと、唇に触れた。

 柔らかな感触に驚いて、すぐに離してしまう。終わりだと思われたくなくて、慌ててもう一度重ねた。心臓が破裂しそうにうるさい。


 時間にすればたった数秒間だ。触れるだけのキスは、息苦しくなったことですぐに終わりを迎えた。

 顔を離すと、それまで閉じられていたミチハルの瞼が動く。自分の唇に、柔らかな感触と温度が残っている。

「……どうだった?」

 ミチハルが、照れくさそうにユリスを見上げた。その顔がかわいくて、目に焼き付けたくなる。唇を合わせただけで、こんなに世界は変わるのか。

「……ドキドキした」

 率直に感想を告げると、ミチハルは眉を下げて「俺も」と笑った。その表情の変化ひとつひとつを、見逃したくないと思った。


「もう一回する?」

「する」

 ミチハルの提案にすぐに飛びついた。

 うっすらと顔を赤くしたミチハルが目を閉じるのを待ち、もう一度キスをする。緊張のせいでよく分からなかった感触を、今度はもっと確かめるように。鼻で息をすればいいと気付いて、長めに唇を合わせた。


「もっとしたい」

 唇が離れた瞬間、再び要求する。遠慮しないユリスに、ミチハルは苦笑したけれど、まんざらでもなさそうに受け入れてくれた。


(……これが、恋人か)


 特別な存在として大切だったミチハルとの距離が、少しだけ変わった気がする。より近くなったような、お互いの一部を分け与えたような、不思議な感覚だ。初めて、名前で縛られる心地よさを感じた。美しい夜空も、今は目に入ってこない。

 ユリスは恋人の特権として何度もキスをねだった。キスの合間、無意識のうちに「好きだ」とこぼれる。


「お前、恋人になると豹変するタイプか」

 頬を赤くして呟いたミチハルの言葉に、きっとそうなのだろうと頷いた。甘い気持ちのままで触れることを、許されていたい。せき止められていたものが溢れていく。自分の中にこんな感情があったなんて知らなかった。


「そんなに恋人になりたがってたなんて気付かなかったな。もう少し早くなっとけばよかったか」

 申し訳なさそうにそんなことを言い出すミチハルに笑ってしまった。

 やはり、ミチハルはユリスに優しい。

「俺は、ミチハルと恋人になれて嬉しい」

 ミチハルの頬を両手で挟み、そう告げる。

「夢みたいだ」

 ユリスの言葉にミチハルは目を細め、今度はミチハルの方から唇を寄せてくれた。それだけで、他に何もいらなくなる。


 その日、ミチハルが「もう終わり」と言い出すまで、ユリスはキスを繰り返していた。 胸の奥で、自分たちは確かに恋人になったのだと実感しながら。

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