22 腰掛温泉
最終日もいい天気だった。
「レイちゃん、お酒を買いに行こう。私はそこから病院に行くね。レイちゃんは温泉で降ろすから。温泉を楽しんで待ってて」
「はあい」
ママのお兄さんは「もう少し頻繁に帰ってこい」と言い、奥さんは「由紀ちゃん、何かあったら電話して。何もなくてもたまには電話して」と言って見送ってくれた。
ということで加藤酒造という所へ行った。
もしかしたらそうかな、とは思っていたが、そこは小さい人が霞がかかったかと思うほど飛んでいた。命のあるところにいる、とアキラ君が言っていた通り、造り酒屋は命が溢れている場所だった。
「ああ、お酒のいい香りがするわね、レイちゃん」
「ほんとですね。吸う息吸う息、全部お酒の香りです」
古くて小さい酒造メーカーの販売所は、東京のあのお団子屋さんのように板ガラスの引き戸だった。販売所の奥は茶の間らしく、テレビ番組の音が聞こえてくる。レイは日本酒の種類とその説明の貼り紙をじっくり読んだ。
「いらっしゃい」
「雪割草の一升瓶を六本と、四合瓶を五本お願いします」
「種類は」
「一升瓶は全部純米酒、四合瓶は大吟醸で」
「そちらのお嬢さんは」
「ええと、四合瓶を二本、どちらも純米酒で」
「少々お待ちください」
和紙のような白い紙で美しく包み、瓶の首と胴体に紐をかけて手渡してくれた。由紀子ママはそれを発泡スチロールの大箱二箱に手際よく詰めた。中には保冷剤も入っていた。相変わらず何をやっても手際がいい人だな、と思う。
「さあ、まずは温泉に行こうか」
「すみません、私のために」
「いいのよ。病院は気疲れするところだから、レイちゃんは温泉で待っててね」
「私、お母様にご挨拶しなくていいんでしょうか」
「ん-、実は母はあんまりよくないから。私だけでいいのよ」
「そうでしたか」
「お母様はおいくつですか」
「今年で八十。年に不足はないのよ。仕方ないわね」
レイは八十と聞いて小さくため息を漏らす。ウジェ王国では七十歳になると治癒魔法は使われず、医師による治療だけになる。たとえ相手が王族だろうが偉大な学者だろうが大将軍だろうが、特例は許されない。魔法使いがそこから先に手を出すことは神の領域に手を出すこと、とされていた。
「人は寿命がある生き物である」というのが神殿の考えで、それは国民もみな当然として受け入れていた。
由紀子ママのお母様を治癒させることはおそらくできるだろうが、それを本人と家族が心から望むかどうかはまた別なのだ。高齢者を治癒魔法で完全な状態にしてしまうと、老衰で亡くなる我が子より長生きする可能性さえある。
自然に任せるべきだと考えて、レイは温泉を楽しむことにした。
由紀子ママの車で連れて行ってもらったのは、山をだいぶ登ったところにある腰掛温泉というところだった。
立ち寄り湯で、プレハブっぽい造り。正直(ここ?)と思った。テレビで見る温泉とはだいぶ雰囲気が違う。隣に建っている温泉宿で三百五十円を払って「女性入浴中」と札をかけて鍵もかけて入るらしい。
効能書きを読むとペーハー九、八の強アルカリ一歩手前の湯だ。
スーパー銭湯の塩素の匂いがするお湯しか知らないレイは(どれどれ)と素早く服を脱いで浴室に入った。四畳半ほどの湯殿は全部タイル貼り。薄い水色の小さな四角いタイルが貼ってある。
窓は開いていて、「絶対に閉めないでください」とクリアファイルに挟まれた注意書きが貼ってある。
かけ湯をしてそろりと足先から入った。
「おお!」
蛇口もなく循環設備もなさそうなのに、どうやって湯の清潔を保つのだろうと思っていたら、湯船の底が傾斜していて、一番奥には隙間が空いている。そこから結構な勢いで温泉が沸き出していた。湧きだし口のあたりは、立っても胸のあたりまで深さがあった。
逆に脱衣所に近い場所は、腰掛けて入れるように段が作られている。
次々と浴槽の底から湧いてくる湯は、湯船の低くなっているところから、床を伝って静かに排水口へと吸い込まれていく。
貸し切りも初めてだし源泉かけ流しも初めてだ。都内のスーパー銭湯も天然温泉をうたっているが、(これは別物!)と感動した。
すぐに肌がぬるぬるしてきて、アルカリで溶けているのがわかった。
「いい。。。」
出たり入ったりした方がいいわよ、とママが言ってた気がするが、一秒たりとも無駄にしたくなくて、レイはずっとぬる湯に浸かっていた。そのうち猛烈に眠くなった。
ドンドンドン!ドンドンドン!と入口の引き戸を叩かれて、半分眠っていたレイは慌てて立ち上がった。
「今行きます!」
と返事をして湯船から出ようとした。なのに膝に力が入らない。自分の脚も腕もゴムのようにふにゃふにゃして力が入らず、その場にうずくまった。
目の前も暗くなり、(あれ?これなに?)と慌てる。
そのうちガチャガチャパシーン!と音がして、由紀子ママが飛び込んで来た。
「ああ、もう、やっぱり。出たり入ったりしなさいって言ったでしょうが」
「なんか、気持ちわる……」
「ここはね、ぬるいから初めての人はみんな油断して湯あたりするのよ」
由紀子ママが洗い場に倒れているレイにバスタオルをかけてくれて、脱衣所の扇風機を運んでレイに風を当ててくれた。
「良かったわ、早めに様子見に来て。そのまま湯の中に沈んで死ぬ人だっているんだからね!」
「ごめんなさい。あんまり気持ちが良くて」
「わかるけど。私も二回やったから」
「え」
そこで二人で笑って、いったん落ち着いた。
洗い場の床に横たわり、上を見ていたら、高い位置にある換気用小窓の枠に猫くらいの大きさの何かが座っていた。座ってこちらを見ているそれと目が合いそうになった。
レイはさりげなく視線を外した。
その何かは、レイの気分が良くなって上半身を起こすと、少し首を傾けて残念そうな顔をしていなくなった。実に人間くさい表情だった。
(なんだろ、あれ。私が具合悪くなるのを待ってたのかしら)
ママがスポーツドリンクを買ってきてくれて、それを一気飲みし、いきなり気分がきれいさっぱり良くなった。身体を拭き、様子を見ながらそろりそろりと服を着た。
「さあ、レイちゃん、帰ろう。麗しの東京に」
「はい」
「また来ましょう」
「はい、ぜひ」
こうしてレイの山形二泊三日の旅は終わりになった。
これ、ただひたすら自分が気に入っているとある温泉を懐かしく再現したくて書いてしまいました。すみません(;'∀')
もう二年半行ってない。。。





