死線をくぐってきた彼は『塔』
「ごめん、さっきスマホ見てさ。すっ飛んできた」
申し訳なさそうに頭を掻くトワはスウェット姿で、確かにすっ飛んできた様であった。
「今あいつら二人と戦ってて、負けそう」
シンは顎で戦禍を指す。
「了解。だいじょぶ、だいじょぶ。慣れてっからさ」
誘拐犯二人を目視したトワは、歯を見せて笑う。
「さすがタロットが塔ってだけある。死にかけた回数が違うな」
「まぁな」
トワを戦禍へ見送る。安堵のため息をつくシン。
マッチョ男が繰り出す拳に、膝を着きそうなヒル。マッチョ男の背後に忍び寄るトワ。勢いを付けて膝蹴りを――男の股間にかます。
「卑怯!」
シンは唖然とする。
ぎろりとトワを睨むマッチョ男。へらへら笑っていることに気づくと、体を震わせ始める。
「……だあああああああ!」
怒りの雄叫びだ。トワの膝蹴りが股間に入ったにもかかわらず、もう動いている。
「――――ああああ! ワンオラクル、シャッフルうううう!」
地響きのような詠唱に、空気が震える。全身の筋がどんどん膨張していく。
ばつん!
男のTシャツが弾ける。トワに怖じ気づいている様子はない。
「俺が相手になるぜ! ヒル、あっちに参戦してくれ!」
「おう! ――お前ら避けろ!」
そう言ってヒルは助走を付けテンとミカミの間に入り、ハーフ女に跳び蹴りをかます。女は吹き飛ぶが、地面に手を着くとすぐに姿勢を立て直す。女とヒルは対等にやり合う。
「おおおお! てめえに負けてたまるかあああああ」
再びの怒声に、ヒルと女の戦いを見ていたシンの視線がもう一人の誘拐犯の方に引き戻される。タロットで強化された男の屈強な拳を、トワは受け止めきれない。尻餅をつくトワ。その上に、化け物のように筋肉の膨張した男が馬乗りになる。慌てて手足をばたつかせるトワ。シンの位置からは男が拳を振るう後ろ姿しか見えない。
「ワンオラクル、シャッフル!」
飛び出すシン。次いでミカミも男の元へ駆け寄り、二人がかりで引きはがそうと引っ張る。
「おいやめろ、離せよ!」
シンは叫びながら男の腕を押さえつけようとする。
「くそっ、馬鹿力が!」
男はシンとミカミなど見えていないかのように、一心不乱にトワを殴り続ける。
「離せ! 離せ! 離せ!」
男の腕を押さえつけるも逆に振り回されるシン。
「…………っ! ……っ!」
ミカミも息を荒くして男を押さえつけようともがく。
トワを殴り続ける男の肘が、二人に何度もぶつかる。隣では未だ金髪女とヒルの戦いが続いている。
「他に誰か……ノワ! ……は無理か」
ノワは両手を口元で握りしめ、体を縮こまらせて震えている。
「暴走してんじゃ……ないよ!」
突然ハイヒールが男の側頭部を蹴り飛ばし、男の動きが止まる。
「もう帰るぞ!」
ハーフ女はそう言うと、いつのまにか少し離れたところに止められていた別の車に向かって歩き出す。対峙していたヒルは地面に倒れている。マッチョ男は立ち上がると、シンは今まで男に殴られていたトワの姿に釘付けになる。
「……っ、と、トワ……?」
顔は血濡れて誰か分からないほどで、胸部は骨が折れ陥没している。死んでいることは火を見るより明らかである。
「警察を呼んだらあのガキは殺す」
地を這うような男の声。異常に膨張していた筋は元の姿に戻り、破れたTシャツを着たまま車へ乗り込む。トワの亡骸を連れて。
エンジン音を残し、車は路地の更に奥、荒廃した地へ去って行く。
無言。誰一人として一言も喋らず動かない。表通りの方――遙か遠くから、喧噪が聞こえるのみである。
どれだけそうしていただろうか。ふと見知らぬ声に顔を上げた。すると路地に面した裏戸が一つ開いていて、そこに壮年くらいの男が立っていた。
「こんな遅くにガキがいたら危ないぞ。入れ。金は取らないから」
シンたちが動き出すのを、その男はじっと待っている。
「あんがとな」
ヒルが沈んだ声でそう言うと、裏戸から中へ入っていく。続いて皆が入る。
「お前さんも入れ」
シンは地面をそっと触れていた。ちょうどトワが倒れていた、血で濡れた地面。シンは何も言わずに立ち上がると、無言で裏戸から入る。最後に男が戸を閉めると、シンの脇を通り抜けていく。和風の内装。宿屋である。シンたちは大きい和室に通される。
「飯は出ねえぞ」
店主と思わしき男はそう言って奥に引っ込んでいく。戸口にいたシンは入り口の障子を閉めると、何となく輪になって座っている彼らに混ざる。
その後、ミカミがやはり無言のまま全員の手当を行った。普段は無口でない他の人間も、誰一人として喋らなかった。
「うっ、うう。うううう……うっうっ……」
膝を抱えたフウが口を押さえ、大声を出すのを我慢して泣いていた。ヒルは床の一点を見つめ、あぐらを掻いて固まっている。シンは項垂れ歯を食いしばっていた。ミカミは仮面で感情が見えないが、他は皆外面も気にせず泣いていた。
そして落ち着いた頃、フウが「聞いてくれ」と言い出した。
「ここに来てない皆には、もう大丈夫だって言おう。来なくて良いって」
フウはそう話す間も顔を上げない。
「私たち、アジトまで行くの?」
消え入りそうな声でノワが言う。
「…………」
フウの沈黙。ノワは体育座りのまま、膝に顔を埋める。
「俺のツレを呼ぶ。朝には来る。あいつらがいたら勝てるかも知れない」
ヒルの言うツレとは、いつもヒルがつるんでいる仲間のことだ。シンがキッとヒルを睨付ける。
「どんなに強かろうと子供じゃ勝てないんだよ! もう助けに行こうが帰ろうが誰かしら死ぬんだ! もう帰ろう」
「私も帰りたい」
テイは涙をぼろぼろこぼしている。
「うわあああああああん! わあああ――――」
一番の大声でノワが泣き出す。しばらくそのまま、ノワが泣き止むまで皆黙った。そのうちノワはグスグスと鼻をすするだけになる。
「帰らない! トルカが可哀想だから、俺は帰らない!」
フウは泣くのをこらえていた。
「帰りたい人は帰るってのがいいんじゃないかな」
テンは疲れ切った顔をしていた。彼の一言で纏まったような雰囲気になる。その後、夜が明けても誰一人として声を出さなかった。結局テンがメッセージアプリに、もう来ないようメッセージを送った。ヒルも仲間と連絡を取る様子は見せなかった。
空が白ける。全員が、それぞれの思いを抱えて迎えた朝であった。




