八
淡い薄紅の羽織を着ているが、その下には見た事のある躑躅色があり、黒い髪の三つ編みが二つ揺れる。
「居待、ちゃん……?」
今、居待ちゃんの姿が見えたような気がするけど――どうして彼女が、こんなところに?
わたしの脳は上手く働かない。頭が鈍く重みを訴えてくる。圧迫されるような感覚は胸の奥にもあって、かすかに苦しいくらいだ。
薄目を開けたわたしの目には、確かに小柄な少女の姿が映りこんでいる。あの頭の上の韓紅のリボンも、二つに分けたきれいな三つ編みも、浅葱居待という名の少女のものだ。
「相手は一人なのに二人がかりなんて、男の風上にも置けませんわね?」
居待ちゃんが間に入ってくれた、って事だろうか。男性二人が相手だ、女の子の居待ちゃんがかなう相手ではない。わたしは何とか言わなくてはと思ったのに、いつの間にか地面にへたりこんでしまった。
男二人と居待ちゃんが何やら言い合う声が聞こえる。
その中に混じって風切り音のようなものが聞こえた気がする。そのうちに、言い合う声がなくなった。
「次は当てますわよ?」
「な、な、なん……」
誰かの言い諭すような声と、誰かのうろたえるような声がする。
「目玉を串焼きにしてほしいのかしら」
わたしはずっとは目を開けていられなくて、居待ちゃんが何をしていたか見ていなかった。頭が上手く働かなくて、周囲に気を配る余裕なんてなかったのもある。
気づくと男たちがいなくなっていた。しんとした静けさが訪れる。
顔を揚げると、ゆきの姿も見えなかった。そういえば、居待ちゃんも“相手は一人”とわたしの事を言っていた。
重い身体を持ち上げて立ち上がると、頭が少しぐらついた。わたしの正面に立った人が誰なのかも気付きもしないで、わたしはつぶやいていた。
「ゆき、どこに……」
「お前は、阿呆か」
途端にあふれるのは、突き放したような声音。耳に響く声はどこか低くて、まるで男の子みたいだった。怒気か呆れかがにじんでいたからだと思うけど、声の主は居待ちゃんのものだった。
「え……」
居待ちゃんを見ると、やっぱり呆れたような顔をしている。よく見れば羽織の上に丸いポンポンのついたかわいい襟巻きをしている。寒いもんね。かわいい防寒着の似合う居待ちゃんに、なんだか心もとない気持ちになる。やっぱり、わたしとは違っておしゃれでかわいい女の子なんだ。しかも、よく分からなかったけどあの二人も追い払ってくれた。かわいくって毅然としていて気概がある。それってなんだかずるくない?
重たい頭は意味の分からない事までぐるぐる考える。それにしても寒くて頭が重くて気分が悪い。
「顔色が悪いくせに何で外を出歩いてるのか、聞いているのです」
何か怒られたような気分になる。何で外を歩いていたかって、それはゆきが一人で出て行こうとするからつい、気になって。
「えっと、それは……ゆきが」
「雪が降ってるんだから尚更外出は控えるべきです」
お説教をするような居待ちゃんの口調は変わらない。どうやらわたしの探している女の子の名前と、降る雪を間違えているみたいだ。
「う、うんと、違くて……」
「女の子なんだから体を冷やしたら駄目ですわ」
居待ちゃんに腕を掴まれる。意外にも力が強かった。というより、わたしの方が力が出ないくらいふらついてるんだろう。手を引かれるままに歩かされて、連行されているみたいだった。
「……わたし、女って言ってたっけ」
さっきの二人にも“野郎”と呼ばれ“兄ちゃん”と間違われた。居待ちゃんには話していなかったのに、わたしが女だと気がついたのだろうか。
わたしの前を歩く居待ちゃんの顔は見えないけど、どこかで聞いたような呆れた吐息が聞こえる。
「言われなくても分かります」
年はわたしの方が上なはず――本人に確認はしていないけど――なのに、なんだか上の兄弟に面倒を見られているような錯覚に陥る。だって、下の兄弟のわがままに嘆息しているみたいに聞こえたんだもの。
「あの、居待ちゃん。ゆきっていう女の子がいて、その子の親? を探してて、その子もどこかに行っちゃって」
ゆきの探している人が親御さんかは知らないけど仮にそういう事にして、わたしはただ雪の日にふらふらとあてもなく歩いていたのではないと訴える。
くるりと居待ちゃんは振り返った。かちあった鶯色の瞳は、黄金に近い色をしていると、この時やっと気がついた。
「……ほんとにお人好しですのね」
一瞬、いたずらをする幼子を見る、呆れとたしなめの混じる眼差しが見えた気がした。
「え?」
なんだろう。わたしはお人好し性格はしていないつもりだし、居待ちゃんの前でそんな素振りを見せた事はないはずだ。最近になってお姉さんの立待ちゃんとよく話すようになったから、立待ちゃんの印象で話が居待ちゃんに伝わってしまったのだろうか。でも別に立待ちゃんの前でもお節介さを見せた事はないような。
濃いまつげに縁取られた瞳を少し寄せて、彼女は腰に両手をあてた。
「でも今はただの愚か者ですわ。自分が誰かの助け手になれる状況じゃないって分かっていないんですもの。あなたこそ誰かの助けが必要なのに」
あー、居待ちゃんの襟巻きのポンポンかわいい。埒もない事を思ってわたしは居待ちゃんの襟巻きの先をぼんやり眺めた。
「あなたはただの女の子なんだから、困ったら誰かに言うべきです」
そう言われるとそうかもしれない。わたしは町の自警団である狼士組の人たちのように何かと戦う力はない。ただちょっと、男の子っぽいからって女の子たちに頼りにされたり冷やかされたりするだけ。
もしかして、わたしは何にもしない方がいいのかな。今だって、居待ちゃんに間に入ってもらわなかったら、わたしは事態を悪化させていたのかもしれない。本当に、時々とんでもない間抜けをやらかすんだから、わたしは。
落ち込んでいるような気持ちさえも、熱っぽい頭では鈍くなってしまう。
今は何より横になりたい。歩くのだって億劫だ。
わたしの手首を掴む居待ちゃんの手は、わたしの手よりも冷たい。風邪気味のわたしの体温が普段より高いだけかもしれないけど。
わたしにしてみれば、居待ちゃんが何を考えているのか、ちっとも分からない。笑顔だって見た事ないし、かといってわたしに不機嫌な視線を送ってきた事もない。
でも今、こうして、体調不良のわたしを放っておかないでいてくれる。それはよろこんでいい事だろう。なのに何故だか、奇妙な気持ちになる。うれしいような、居心地の悪いような。くすぐったいような、困ったような。
苦手だと思っていた相手からの厚意だからか、どうしていいのか戸惑っているのかもしれない。
わたしの前をゆく居待ちゃんの背は、わたしより小さなものなのにどこか頼りあるものに見えた。
そうだ、お礼を言わなければ。
「……えっと」
でも、何て言ったらいいのかな。不思議な事に一番単純なお礼の言葉、ありがとうという五文字が思い浮かばなくて、わたしはただ彼女の後をついて歩いた。
いつしか、居待ちゃんの手がわたしから離れた。
「ほら、着きましたわよ」
そこにはいつもの爽亭。店は閉めているから暖簾や外の腰掛けはないものの、格子の窓や店名の看板など、当たり前だけど変わらない。
くしゅん、とくしゃみが出た。情けなく鼻水をすすり上げると、一瞬気が遠くなりかけた。これは本当に休息が必要だ。さっきからずっと、寒気が止まらない。自分を抱き締めるようにして二の腕をさすってみても何の効果もない。
とにかくここまで連れてきてくれた女の子に礼を言う必要がある。
「居待ちゃん」
振り返ると、そこには誰もいなかった。まるで彼女の存在そのものが幻だったかのように思えるほど、あっけなく姿を消していた。
さよならぐらい言いたかったけど、本当に親しく話をした相手同士ではないのにここまでしてくれた事を思えば充分だろう。
勝手に苦手に思ってたのはこっちだけど、まさか助けてくれるとは思わなかった。
思わぬ人の優しさに、わたしの頬はゆるんだ。




