十
わたしは浅草寺を目指している事を二人に告げた。ちなみに女性隊士の方は炯さんといい、青年隊士の方は小鉄さんというそうだ。小鉄さんの方は終始黙ったままで、彼の紹介も炯さんがしてくれた。
炯さんはわたしよりも背は低かった――というか世の女の人と大抵がわたしより背が低い――けど、その容貌や落ち着いた雰囲気から、とても頼りになりそうだった。ふわんと揺れる、前髪の上で跳ねる髪が少しかわいらしかったけれども。
そうして少し話すうちに、何かあったら自分たちも浅草寺に向かうと炯さんは告げた。わたしは一応、自分の家の事も伝えて、わたしたちがどこでも見つからなければ爽亭に向かってほしいと伝えた。すると炯さんは思い当たる事があるような顔をした。
「もしかしたら、ウチその店行った事あるかも。あ、でも他の店やったかな? 覚えてへんけど、尾形町ならよく行くんやで」
「それじゃあよかったら、今度足を運んでください。今回のお礼もしたいし」
これは営業ではなくお礼の方が目的だ。相手が同じ女性だっていうのもあるし、単純に手助けを申し出てもらえた事がうれしかったのだ。言うと、炯さんは口角を上げる。
「そんなん、別に気にせんでもええのに。でもちょっと気になってた店やし、お言葉に甘えさせてもらうと思う」
「もちろん小鉄さんも」
小鉄さんはとっても寡黙だし感情の変化が顔に出ないために、爽亭に興味があるかは分からなかった。それでも炯さんと一緒に人探しを手伝ってくれると言うのだから、彼にもお礼がしたかった。
やっぱり小鉄さんは、首を動かすだけの動作で返事をしたのだけど、軽く頷いてはくれた。
途中までは一緒に歩いたけど、二人とは少ししたら別れた。人が数人いるなら、別行動で手分けした方がいいというのだろう。いざという時の合流場所とゆきの家の手がかりをもう一度確認すると、炯さんたちはわたしたちと違う方角へ向かった。
隅田川に沿って歩くと浅草寺の入り口、雷門が見えてくる。境内の外からでも、浅草寺周辺が賑わっているのがわかった。まだ年が明けて一月もたっていないせいか、数日遅れの初詣に来ている人もいるのかもしれない。参道には食べ物を売る仲見世があるから、浅草寺から人気がなくなる事はほぼないのもあるだろうけど。
そんな少しばかり賑わった浅草寺の手前で、わたしは見た事のあるような鮮やかな躑躅色を見つけた。
「居待ちゃん」
あのぬばたまの黒髪と、小柄ながらしゃっきりした歩き方は居待ちゃんのものだ。わたしは小走りになって彼女を追う。呼ばれた相手が、怪訝そうな顔で振り返ったのを見た時、人違いでなかった事を知る。わたしはついゆきの事を置いてきてしまったけど、彼女は一歩遅れてわたしの後についてきてくれていた。ゆきのために少し歩調をゆるめていたら、居待ちゃんの方でも立ち止まってくれていた。
少し駆けたために頬が上気していたのか、あるいはこの間見た時の顔がよっぽど顔色が悪かったのか。居待ちゃんはわたしの顔を眺めて少し目を細めさせた。
「すっかり顔色がよくなったみたいですね」
「うん、ありがとう。居待ちゃんにはほんとにお世話になったね」
いろいろと思うところはあれど、こうやって居待ちゃんにお礼が言える事が出来てよかった。
「あれに懲りて、雪と風邪の日には外に出ないことをおすすめしますわ」
「あはは。ほんと、そうするよ」
それを言われると苦笑するしかない。我ながら無茶をしたと思うのだから。
「ところで、そちらの方は……」
居待ちゃんの視線がゆきに移る。わたしはゆきとの出会いや身元探しの事を、この間男性二人に囲まれるに至った経緯も交えて居待ちゃんに話した。あの時居待ちゃんもゆきの姿を見てはいたそうだけど、すぐに立ち去ってしまったので関係のない人物だと思ったそうだ。
それで今でもゆきの親か友人か、とにかく知人を探しているのだと注げると、またあの呆れたような瞳と出会った。なんだろう、また居待ちゃんはわたしの事をお人好しだと思っているのか、下の兄弟にするみたいな態度を取られるんだろうか。
「まだ鼻をすすっているくせに、あてもなく歩き回ってどうするんですか」
「さっきも言ったけど、あては、あるよ」
ひとまずの目的地を浅草寺と決めたけど、大きな橋と寺と山茶花の木、それをたどれば江戸のどこかにゆきの住まいはあるはず。先の長い話だけど、まったくもって不可能な話でもない。そんなわたしの気の遠くなるような目標に居待ちゃんは眉を持ち上げた。
「……仕方ないですね。わたくし、姉上と茶屋で待ち合わせをしているんですけど、それまでならおつきあい致しますわ」
「え。いいよいいよ。悪いし」
いつの間にか居待ちゃんを苦手に思う事はなくなっていた。とはいえ、こんな申し出をしてもらえるとは思ってもみなかった。わたしは慌てて片手を振る。けれど居待ちゃんはゆきに一瞥を送る。たじろいだゆきは、少し悲しげな眉と瞳をわたしに向けていた。
「あなたとこのぼんやりした子供だけでは、また何かないとは言い切れませんし」
そう言われると、反論がしづらい。何しろわたしとゆきという組み合わせは、目つきの鋭い男性たちに睨まれた時何も出来なかった二人組だ。それにしても、居待ちゃんに助けてもらう二度目があるとは思わなかった。
「……居待ちゃんだって、お人好し、なんじゃないの」
少し拗ねたような声になってしまったのは、この子にはかなわないなと思わされてしまったから。わたしの方は苦手だと思って距離を置いていたのに、居待ちゃんはそんな事をしない。なんとなく、わたしの気まずさを感じていそうだと思ったのに。わたしなんかと違って大人だな、なんてさえ思える。
「あなたが病み上がりじゃなかったら、放っておくんですけどね」
冗談なのかからかいなのか、居待ちゃんは鶯色の瞳をいたずらっぽく光らせる。
「ええーひどいなー」
わたしも相手の冗談にのっかかって、軽口を返してみる。わたしより先に浅草寺に向かって歩き出した居待ちゃんは、くすくすと笑っていたようだった。
なんだろう。きっかけは何であれ、あまり話す事のなかった相手と少しずつでも打ち解けていけるっていうのは、かすかなくすぐったさと、うれしさがある。
わたしは立ち止まったままのゆきを招き寄せると、居待ちゃんの後を追った。
なんとなくいつもの道順で、雷門を抜けて仲見世のある参道を通り過ぎ、本堂までやって来てしまったが、ゆきが既知のものを見つけた表情を浮かべる事はなかった。
「おおきなてらじゃないって、いってた、かも」
ぽつりと言い出すゆきにわたしは目を剥きそうだった。それなら早く言ってくれないと。町中に埋もれるように立つ小さなお寺が目的地なら、浅草寺は該当しない。わたしたちは浅草寺を後にする事にした。雷門を出た頃に、居待ちゃんが尋ねてきた。
「最初は、爽亭の前にいたんですっけ」
わたしはうんと首を振る。
「それならやはり、尾形町近隣なんじゃありません?」
「そうかなあ……尾形町から離れすぎちゃったかな」
橋とお寺と山茶花の三つがわたしの目をくらませていたのかもしれない。最初、自分でも思ったはずだった。女の子一人が半日に行動出来る範囲なんて限られていると。
「あなたの通った道のりと、姉上との待ち合わせの場所がある道は違いますから、まだ探していないそっちを通ってみませんか?」
「それも、そうだね。立待にも会いたいし」
正月から会っていない人が多かった。朝陽とは顔を合わせたけど、胡桃ちゃんたちとだって会っていない。せっかくだから立待ちゃんと話せるのも悪くはない。
「……随分と姉上と仲良くなったようですね」
そう言った居待ちゃんの声の質が、どこか冷えたようなものだったのは気のせいだろうか――。
立待ちゃんとの合流地点は、尾形町の隣、酒井町にあった。浅草寺から歩けば近くはない。わたしはそのまま一度爽亭に戻るのもいいなと考えていた。もしかしたらだけど、長さんや四郎さんが何か見つけて戻っているかもしれない。
ゆきの覇気はどんどんなくなっていった。元々下がり気味の眉が基本の、覇気のなさそうな様子だったからこの表現はおかしいのかもしれないけど。
「……大丈夫?」
なんだかわたしは心配になってきた。ゆきは肌が白いから普段から顔色がよさそうには見えないけど、今は表情が曇っているせいか余計に元気そうには見えない。もしかして、わたしの風邪がうつってしまったのだろうか。
「はやくしないと……」
ぽつりとゆきはつぶやいた。何て言ったのか最後まで聞き取れなくて、わたしは少し立ち止まる。わたしがゆきを見つけてからもう四日ほどたった。やっぱり彼女も不安なのだろう。なんて言って励ませばいいのか。わたしは口を開けたけれど言葉が出てこなくて、視線を落とす。
気がつけば日も大分傾いていた。冬の淡いほどの日の光が、伏し目になったゆきの顔を照らす。わたしが再び顔を上げたその時。
ごおん、と思いの外近くから鐘の音が聞こえた。
時を告げるお寺の鐘だ。その鐘の音の数を数えようとしたわたしは、この近くに寺があるのを今更になって知った。
「山茶花……」
思わず、といったような声が居待ちゃんからこぼれ落ちる。顔を上げたわたしは、居待ちゃんの視線の先に白色の山茶花の花が咲いているのを見つける。その花びらのふちはうっすらと薄紅に彩られ、黄色の花粉を守っていた。お寺に、山茶花の木。わたしは居待ちゃんと顔を見合わせた。あと橋があれば、と互いに思っているのが分かった。
普段来ない場所だから、わたしは近くに何があるかは知らない。でも橋を探してみるべきだと感じて居待ちゃんに声をかけようとした。
「あ……」
その声は、ゆきのもので気がついた時には彼女が駆け出していた。
「ちょっと待ってゆき、そっちは……!」
ぎょっとしたわたしの視線の先には、大きな屋敷に向かって走るゆきの姿があった。何を考える余裕もなく、わたしはゆきの後を追った。
屋敷、といってもこの辺りは大店がいくつも立ち並ぶ地域だ。商いで財を築いた人たちが作った大きな家があるだけで、武家屋敷ではない。勝手に敷地内に入って冗談でしたでは済まされない武家の家ではないのがせめてもの救いだが、それにしたって無礼者と怒られるだけで済むだろうか。
突然のゆきの行動にわたしはうろたえるだけだったけど、ゆきがある生け垣の前で立ち止まっているのを見つけた時にはやっと一つの事を思いついた。
彼女の探している場所、あるいは人がいたのでは――?
生け垣は冬のために葉を落とし、屋敷の敷地内が見えていた。ゆきはそこに立って、声を上げる。誰かを呼んでいるようだけど、人が出てくる気配はない。生け垣の向こう側は、狭くない庭があってその奥に屋敷の縁側があった。誰かが通り過ぎたら気がついてくれる場所ではあるが、人は姿を見せない。ゆきはこの家の子供なのだろうか。だったら正面から顔を見せればいいのに――という事は、そうではなくてまた違った事情があるのだろうか。
彼女からはいくらか離れた場所でわたしはなんとなく、歩みを止めてしまっていた。あの、困ったような心配そうな表情ばかりのゆきが、とても真剣な横顔をしていたからだ。
隣に人の気配があって、居待ちゃんもついて来てくれているのだと分かった。
一瞬そちらに気をとられているうちに、縁側に人が出てきた。ゆきはその人に向かって呼びかけたけど、相手は彼女を不審がっているのか縁側をおりては来ない。
なんだか黙っていられなくて、気がつくとわたしはまた足を動かしていた。
「……ゆき」
ゆきに近づくにつれ生け垣の反対側の人の顔もはっきりしてくる。まだ若い男性だ。ゆきと同じく身なりはよくて、大きな屋敷に似合いの着物を着ていた。一体、ゆきと彼との間に何があったのだろうか。
「あのひと、わたしをつくったひと。きづいて、くれない……」
一人言のように言うゆきは、痛みを堪えるように眉を寄せる。
「すみませんが、ちょっと来てもらえませんか」
ゆきの肩に手をのせて、わたしはそう言っていた。こんな年端もいかない女の子の呼ぶ声を無視出来るなんて。そんなわたしのわだかまりが声に溶けたのだろうか、相手はむっとした顔をしていた。
けれど意外にも、彼はしばらくすると庭を横切ってこちらへ近づいてきた。
「……なんだい、君たちは」
高級そうな羽織を片腕だけ通して、怪訝というか不審者を見る目でわたしたちに眇めた目を向ける。
あれ。遠くで見るよりもっと若い。もしかするとわたしより少し上ぐらいかもしれない。だからといって、ゆきの事を無碍に扱っていい理由にはならないが。目前に迫った青年に何とか言ってやろうと思ったわたしより早く、ゆきが口を開いた。
「わたし、ゆき。あなたにつくってもらった」
「……は?」
突拍子もない言葉に、青年の目は丸くなる。わたしも最初聞いた時には疑問で頭がいっぱいになった。でも、人を作るのは何も自分だけじゃなくて、他者からの影響や経験が――
「ふゆのたびに、ゆきがふるとあなたはまるいうさぎをつくってくれた。なんてんのみと、はで、わたしを――」
青年ははっと顔を上げてゆきの顔をまじまじと眺めた。それから庭の片隅にある、南天の細い木に視線を移す。そこには冬でも生い茂る緑の葉と、小さな果実がついていた。
南天の赤い実と、緑の葉で作る、雪うさぎ。
――まさか。
「ことしのふゆも、わたしをつくってくれた。うれしかったから」
南天の実に似た赤い瞳。雪のような白い肌と髪の一部。冬でも枯れない緑の葉と同じ髪の色。その二つ結びの髪の毛は、うさぎの長い二つの耳にも似て――。
うそ、でしょ。
ゆきの言葉を信じるなら、彼女は元は――雪で作ったうさぎに似せた雪像という事になる。
信じられないのは青年の方も同じようで、見開かれた目も開いた口も閉じる事が出来ないようだった。わたしだって同じだ。雪が人間に転じるなんて事があり得るのだろうか。
でも、青年の方は思い当たる事があるのか、ゆきを驚いた目で見ながらも否定はしなかった。さっき南天の木を見ていたのも、心当たりがあるからか。
また彼は南天の木を見て、ゆきを爪先から頭の先まで見回した。どこからどう見ても人間にしか見えない存在が、元は空から降る雪だなんて。誰が信じられるだろうか。
「……本当、に……?」
青年の声はふるえていた。それでも、一心にゆきを見つめる姿から、彼が過去に雪うさぎを作った経験があって、ゆきの言葉を信じてしまいそうになっている事が推測出来た。
首をぶんと振って、ゆきは肯定した。いつも困惑したような不安そうな瞳が、今はきらきらと輝いていた。
「つぎのふゆも、そのつぎのふゆも、そのつぎも。またわたしをつくってね」
最初はあの赤い目には戸惑ったものだけど、ゆきの笑顔はとてもきれいであたたかいものだった。
青年の手が、ゆきに伸ばされる。生け垣が邪魔をして彼女に触れる事は出来ない。それでも彼はなんとか隙間に滑り込もうとした。
「あいにくるから……」
ふんわり微笑んだ、ゆきの笑顔が遠くなった気がした。じわり、人の熱に触れると溶けてしまう雪のように彼女の輪郭線が薄くなる。
ふいに冷たい風が吹き出した。ほんの僅かな間だけ、風に目をつむったその瞬間。ゆきの姿が薄らいで、消えてしまった。風が透き通った雪の結晶を舞い上がらせたように見えたけど、目の錯覚だったのか、空には何もなく、何も降ってはこなかった。
ゆきと名のった少女がいた場所には何もなくて、わたしたちはしばらく身動ぎ一つどころか、声を上げる事すら出来なかった。




