第6話 光なき世界の道標【フォル視点】
焼け落ちそうなほど熱い体。内側から飛び散りそうなほどの痛み。苦しさや痛みから逃れようとすると、勝手に体が暴れそうになる。
ただでさえ迷惑ばかりかける厄介者でしかないのに、手を差し伸べてくれたノルンを傷つけたくなかった。彼女の大切な家や、物を壊してしまったら。彼女自身に痛い思いをさせてしまったら。惜しみなく与えてくれた善意ごと踏みにじって、粉々にしてしまったら。
どうして?
やめて……痛いよ、フォル。
まだハッキリとこの目でノルンの顔を見たことすらないのに、彼女の悲しそうな表情と涙が見えた気がして……怖くなった。
『フォルは一人じゃないよ。私が必ず、その呪いを解くから……だから、フォルも諦めないでね』
だというのに、この体に触れた彼女の体温は、ひんやりと冷たくて心地良かった。かけてくれた言葉の一つ一つが心強く、「もうダメなのかもしれない」と冷えた心に温もりをくれた。ぼんやりと明かりの灯る寝室の中、フォルティスを見下ろすノルンの色は、暗闇をあてもなく彷徨うフォルティスの小さな道標の光のようだった。
一緒にいると心が凪いで、呼吸が楽になる。
どうして君の隣は、こんなにも落ち着くんだろう?
信じられないほど距離が近いのに、嫌な感じはしなかった。むしろ今は、このまま隣にいてほしいとさえ思っていた。
ノルンの薬草水のおかげでだいぶ熱や疼きは落ち着いたとはいえ、まだ軋むように全身が痛む。それでも焦りも恐怖も、今はすっかりなくなっていた。こんなふうに穏やかでいられるのは、ノルンが瘴気の影響を受けにくい体質と何か関係があるのかもしれない。そう思いながら、フォルティスは眠りについた。
* * *
朝を迎え、先に目が覚めたのはフォルティスの方だった。すっかり体の痛みは引き、むしろおかしくなる前よりも調子が良いくらいだった。ノルンは眠る前と変わらず、フォルティスにもたれかかるようにして眠っている。たとえあと少しだけだとしても寝台でゆっくり休んでもらおう、そう考えてノルンを運ぼうと両手を伸ばそうとしたときだった。
片方はもう見慣れた触手なのに対し、右側はまだ真っ黒であるものの肩から指の先まで元の人の形を取り戻していることに気づく。フォルティスはノルンを横抱きにして寝台へ寝かせたあと、急いで家の隣にある泉へと向かった。
昇ったばかりの朝日が降り注ぎ、早朝の澄んだ空気が清々しくフォルティスを迎える中、近場の木陰になっている場所で泉の水面にぐっと顔を近づけて覗き込む。
そこに映ったのは、頭部と右側の上半身だけ人間の形を取り戻した真っ黒な姿だった。細かいところまでは視界が霞んでいて見えず、手で触れてみると、顔の造形までは戻っていないことがわかる。目も鼻も口もなくつるんとしていて、声を出すこともできなかった。
快方に向かっているはずなのに……中途半端過ぎて、逆に気持ち悪いな……
丸パンだった部分は減り、そこから少しだけ人間の頭部と右上半身だけ生えているような薄気味悪い姿。まだ完全に人の形を失った丸パン状態の方が、ギリギリ愛らしさがあって受け入れやすい姿だったように思う。
こんな姿をノルンが見たら、悲鳴を上げるかもしれない。怖がって、避けられるようになるかもしれない。もう今までのような、優しい彼女ではなくなるかもしれない。
元の姿に近づいて喜ばしいはずなのに、素直に喜べない。胸の奥に小さな引っかき傷ができたように、チクチクと痛んだ。
家に戻る勇気もなく、水面を眺めながら立ち尽くしていると、玄関の扉が開く音が微かに聞こえた。ノルンが起きて、身支度を整えに外に来たことは間違いなかった。
あ、外套……!
しまった……クッションのところに置いてきてしまった。
ノルンが、服代わりに貸してくれた外套。まだ日光を浴びると体が痛むとき、つらくないようにと出かけるたびに彼女が着せてくれていた。せめてあれがあれば、この姿の薄気味悪さも多少は緩和できたかもしれないのに。
あるのかないのかわからない、けれどどこかにある心臓が早鐘を打つ。見たところで表情も何もわからないはずなのに、ノルンの方を見る勇気はない。思わず体を隠すように右腕で肩を抱き、前屈みに体を丸めていた。
「フォル、だよね……?」
ノルンの足音。気配から、駆け寄ってきているのがわかる。ギュッと縮こまりかけた体に横からぶつかられるような衝撃が伝わり、腕が柔らかくフォルティスの体を包んだ。
「わぁ……すごい! 顔の形と右の上半身、形が戻ってきてるよ! 毎日頑張って耐えてきたからだよ! 良かったね、フォル!」
ノルン……君がいてくれたから、僕は──
顔はぼんやりと滲んでいてよく見えないが、弾むような息遣いと声色に、心の底から喜んでいることが伝わってくる。怖がられなかった。避けられなかった。それが何より、フォルティスの胸に響いていた。
「この調子なら、きっと呪いが解けるまで長くはかからないと思うよ。これだけ深い呪いなのに……さすが、もう一つ呪いを抱えてきただけのことはあるね」
もう一つ呪いを……抱えてきた?
どういう意味だ?
聞きたいのに、言葉どころか声も出ない。筆談も考えたが、まだ戻ったばかりの右手は指先が特に酷く痺れて細かな動きはできない。目も霞んでよく見えない以上、今はまだ無理だと諦めるしかなかった。
「また今日からも頑張っていこうね」
今考えても仕方ないことを頭の隅に置き、明るく優しく接してくれるノルンに応える。今日取り戻したばかりの頭で一つ頷くと、ノルンは「おぉー!」と高揚した感嘆の声を上げた。
「もう触手でぺちってやる必要もなくなったんだね。でも……そっかぁ。この感じ、フォルって男性だよね……もしかして大人だったりする?」
やっとだ。略称とはいえ、名前を伝えても伝わりきらなかった事実が、ようやくノルンへと伝わった。これでもう彼女が驚いて、傷つくようなこともない。傷が浅いうちで良かったと胸を撫で下ろす。
「ごめんなさい。つるんと丸かったときは、なんだか守ってあげなくちゃーって気持ちになって、ついついかわいがるような態度で接しちゃって。これからは気をつけるね」
フォルティスは、頷いて肯定すべきか、首を振って否定すべきか迷っていた。「謝らなくていい。助けてくれて、むしろ感謝してる」と首を横に振りたいのに、「大人だし、異性でもあるし、気をつけた方がいいのはその通りだね」と首を縦にも振りたくなる。結局三拍ほど反応が遅れ、「ノルンの気持ちはわかったよ」という意味で、一回だけ頷くことにした。
口が使えたら、ノルンと会話ができるのに。
聞きたいことも、話してみたいことも……たくさん……
言葉が使えないことがもどかしくてたまらない。触れられるほど近い距離なのに、絶対に届かない距離にいるような寂しさが、音もなく胸の奥底を撫でていった。
体の変化が、一つ……別れのときに近づいたことを告げている。王宮から排除されそうになったくせに、第一王子という肩書きが背中に貼りついて自由になることを許してくれない。
もっと近づきたい。少しでも長く一緒にいたい。そんな贅沢な願いを内側に抱えて、宙ぶらりんの心のまま、ぼやけた世界でノルンの色を追い掛けた。




