奥さまと野兎 ①
小説&コミカライズの情報解禁記念に、告知用掌編をしたためました。全四話予定です。
【小説書籍告知】
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【コミカライズ情報解禁】
・本作のコミカライズを、栗原先生(X ID:@syumeeenuma)にお願いし、スクウェア・エニックスさまにて連載企画進行中です!
・書籍の帯情報解禁です!
それぞれ詳細は、私の活動報告、およびGAノベル公式(X ID:@ga_novel)さまにて!
トリスタンが手綱を引いて、馬が屋敷の前で停まる。同乗している私の体は、慣性のままちょっと前に行くので、左手で鐙を掴みつつ、彼の背中に右手を置いて、バランスを崩さないよう耐える。
完全に馬が停止すると、トリスタンはぱっと体を浮かせて下馬し、一人馬上に取り残された私の膝元に手を伸ばして、
「ほら、お手をどうぞ」
と言ってくれる。
そのとおりに手を取って、片脚を上げて逆の足で鐙を踏みしめてしゃがみ、トリスタンの手にぐっと体重をかけさせてもらって、軽くジャンプするように、私も下馬する。
一苦労だけど、今となっては慣れた動作だ。
私たちはそのまま馬を執事のエルドに任せて、屋敷の前庭を、ともに並んで歩いていく。
今日はクズ山の再開発の帰りだ。少し距離もあるし、あの周辺地域は魔獣も出るので、時間があるときはトリスタンにもついてきてもらうことにしている。領主の息子夫婦が出張ってくれたということで領民の士気高揚を狙うという効果もある。状況は非常に良いけれど、干ばつの最中ということもあるし、人々の気持ちに敏感になっておくに越したことはないだろう。
そういうことを考えながらしずしずと歩いている私を隣から見下ろして、トリスタンがぽつりと言った。
「そろそろ一人で馬に乗れるようになろうか、ヴィヴィエンヌ」
「……うっ」
ずっと逃げてきた、痛いところを突かれてしまった。
そうなのだ。
私は乗馬ができない。乗せてもらう訓練はしているものの、一人で馬に乗ってちょっとした距離を移動するということはできないままでいる。
「お、おほほほ、トリスタン。私、部下たちから『貴人を運ぶ』という仕事を取り上げるつもりはなくってよ?」
一応、未来の公爵夫人であるのだから、馬車移動のほうが推奨されるし、落馬でもしたらたいへんだから、一人で勝手に馬に乗ってどこかで出かけるということは喜ばれないという事情はある。そのため今だって別に生活に困ってなどいない。
しかしトリスタンは言う。
「なにも今後は一人で移動しろと言っているわけじゃない。しかし、取り回しの良さというかな。やろうと思えば君一人で多少遠くまで行ける・帰れる、というのは便利だろう。前提としてできるできないの違いも大きいことだし」
「……うー」
「あと、非常時に君を逃がすことを想定したときに、正直馬に乗れるほうが助かる」
「非常時、ですか?」
「たとえば、野党に襲われたときだ。君を守りながらだといかんともしがたいときに、俺が足止めをして君には馬で逃げてもらう、という方法が取れる。それだと俺の戦い方も変わってくるしな」
「……うー」
それは、重大なことだ。
私はけっこう方々に出歩くし、守りについても、トリスタン以外の戦士が護衛をしてくれているときも一緒だと思う。
そもそも、ちょっと移動したくなるたびに絶対に人を呼ばねばならない、というのは窮屈な縛りじみていて性に合わなかったのだ。さらに、非常時のことを考えてということなら、翻って、いつかのような大立ち回りをもう一度したいのなら、もしものときに備えるのは必須ですらある。
「……うー」
「歯切れが悪いな。君にしては珍しい」
「……いえ、そのときが来たというのなら、やるつもりはあります。でもその、私も、いつか乗馬に向き合わねばならない予感を覚えつつ、生きてきたわけなのですけども」
一人で馬に乗れないという問題自体は今に始まったことじゃない。そして、私の実家は伝統と諜報のドルナク公爵家。危ない橋を渡るために、あらゆる技能を習得し、精通しているのは大前提ではあった。私もすべてのことに努力を厭わないよう、自分の心を鍛えてきた自負はある。
そのうえで、いまだに一人で馬に乗れないとはどういうことか。
「きっとあなたの想像より、苦労をさせますわよ?」
「……自信満々だなぁ」
私が凄んで言うと、トリスタンは呆れて目を細めた。
*
かくして、屋敷の中庭で、私の乗馬訓練が始まった。
まず最初は、うまい落馬の仕方の訓練だそうである。一応、二人乗りをするときに多少は練習したけれど、それはトリスタンの体を掴める状態だったから、改めてちゃんと手綱を握って、脚から落ちることに慣れたほうがいいらしい。
練習台になってくれるのは、トリスタンが見繕ってくれたランキエールの基準では小さめの馬(それでも十分大きいんだけど)である。彼はその馬の前に立って、ふと、私に聞いた。
「……ちなみに、共乗りのときに教えた、手綱を握るコツは?」
「肩と腕の力は抜くけれど、手の力は抜かない?」
「そうだ。一人で乗るなら、より意識してやったほうがいい。……えー、どうしたものか」
トリスタンはどうすべきか逡巡したあと、左手を掲げて、長い人差し指を横に向けて私の前に差し出した。
「握ってみろ」
「……え?」
「確認だ、ほら」
言われるがまま、右手でトリスタンの指を掴む。
「よし、そのまま腕の力は入れずにぐっと強く握って」
「はい。……ふん!」
「……肘が伸びているぞ」
彼はまあ予想通り、と言わんばかりに微笑んで、指は掴ませたまま、反対の手で、私の右肩にやさしく手を置いた。そうされると、自分の体がどうなっていたかわかって、腕の力はついでだったような気がしてくる。
「握ったまま、肘は下げて……そうだ。でも肩に力が入ってる」
そして次に彼は、私の二の腕を内側から、とん、と指の腹で打つ。
ちょっと感覚がわかったので、力を抜く。でも、トリスタンはすかさず注意をする。
「手の力が抜けたぞ」
「……あっ、はい」
握り直して、また二の腕をとん、と軽く打たれて力を抜いてを繰り返し、ようやく、形になった。
「そうだ。その体勢のまま、こっちを握るんだ」
トリスタンはそう言って、馬の首から垂れ下がった手綱を引っ張って差し出してきて、私の手から自分の指と手綱を差し替えた。
「手のみ力を抜かない範囲で、握ったり緩めたりする。やってみろ」
言われたとおり、握ったり、緩めたりする。
トリスタンは引き続き私の腕全体に触れながら脱力を促し、うんうんと頷いたあと、パッと体を横にどけて、それで私も手を離した。
「よし。もう大丈夫だろう。いったん馬に上がってみてくれ。まずは跳んで下馬するところから始めよう」
「わかりました。やってみます」
彼は横にずれて、私に、馬に跨るように促す。手綱を改めて持ち、鐙に足をかける。
でも、いつもと手の力の入れ方が違うせいでバランスを崩して、ちょっとふらついてしまった。すかさずトリスタンが駆け寄ってきて、支えてくれる。
「おっと危ない」
「ごめんあそばせ。やっぱり応用が利きにくいタチですから──」
お礼を言うために顔を見ようとして、さっきまでは互いの腕とか手とかに集中していた視線が合ってしまう。
そのときに流れた時間が、なぜだかゆっくりだった。目を合わせて話すだなんて、当たり前のことなのに。
急に恥ずかしくなって、私たちは視線を逸らし合ってしまった。
「ほ、ほら、鐙をちゃんと踏むんだ」
「え、ええ。気を付けなきゃ」
心なしか、こちらをちらりと振り返った馬の視線が、じとーっとしていた。





