はちみつはやけに喉が渇く。
一度も立ち寄ったことのない部屋を前にして、さすがに逡巡する。月曜の放課後、「生徒会室」と書かれたプレートの下で林出と有村は顔を見合わせる。
「気が乗らねぇなぁ」
「はやく、いく」
朝から有村に「どれが虫で、どれが人間か当てるゲーム」をやらされて異様に疲労がたまっていた。よく見れば昆虫だと納得の相手もいれば、どっからどう見ても人間にしか思えない虫も、自信満々で指差して「あれは虫だろ!」「……人」というやりとりをしたりと、結局のところ人に擬態するタイプと一口に言っても千差万別で「わからん」という結論にしか辿り着けなかった。それどころか有村にも識別不能な相手が数名おり、殴って確かめようとするのを押し止めるのに無駄な体力を使わされた感がある。
いつまでも扉の前に立ち尽くしているのも間抜けだと、ノックする前に一度タメ息をつく。と、まるでその息が合図だったかのように横引きのドアが開いた。
「うおっ」
「待ってたよ、さあ入って入って」
ドアを開けた貝塚が生徒会室内に二人を招きいれる。渋々中に入るとキレイな長机には4人の役員が座ってキーボードを叩いたり、書類を整理したりと黙々と働いている。そして奥には学校に不釣合いな三人掛けをソファーが置かれており、でっぷりと肥えた体を横たえてその8割方を占拠し、口に棒つきキャンディーを咥えているのは生徒会長の尾藤だ。肉に埋もれて細い目をさらに細めながら、値踏みするように林出と有村を頭からつま先まで眺め回す。
「あんたが”女王”か」
不遜な姿にどうしても「女王」の部分が皮肉な声になってしまう。尾藤は音を立てて口から飴を出すと、それを手に持って林出を指す。
「貴様は名も名乗れんのか? ん?」
「そういうあんたは誰ですかぁ?」
「ほほっ、知っておるだろう? ならば名乗る必要はない」
聞こえるように舌打ちをする。
「有村」
言われたとおり素直に答える有村の脚を小さく蹴る。
「まぁまぁまぁまぁ、尾藤も林出も落ち着いて」
不穏さに耐え切れず割り込んできた貝塚を、まるで示し合わせたように尾藤も林出も睨みつけた。独特の体をくねらせる動きで後ずさりし口を噤む。
「まぁいい、林出だ」
「うむ。 私が女王だ……さて、おおよその話はハマグリから聞いておるが、そこの蟻」
「私、か?」
「他に蟻がいるか? 貴様は同族とたたか……殺しあうことになるが構わんのか?」
戦う、と言いかけて殺しあうに変えた尾藤を見て、林出は内心で舌を巻いた。生徒会長が蜂だとわざわざ尋ねたのは、こうやって本人の口から聞かないことには半信半疑だったからだ。有村とその妹たちしか虫とのコミュニケーションを知らない林出にとって、尾藤の人間と遜色ない話し方はとても蜂のものだと思えなかったからだ。それも相手の思惑を推し量るために言葉の選択を変えるとは……と関心しつつ、そういった細かい言語の機微を妙な皮肉っぽさにだけ発揮する、有村との日常会話を不思議に思う。
(アイツはもしかして単に性格が悪いだけなのか……?)
「問題、ない。 どんな、蟻、蜂、殺す、できる」
挑発するように手首の関節を回し外骨格をすり合わせて乾いた音を立てる。背後で椅子に座って作業していた役員の一人が立ち上がる音がする、と同時に尾藤が手を上げ、くるりくるりと独特の軌道を描く。立ち上がった役員がゆっくりと椅子に座り、作業を再開した気配がした。
「私のベイビーたちはここのところ少々ピリついていてな、驚かせたなら申し訳ない」
尾藤はニヤつきを隠そうともせずそう告げる。さっきの手の動きは恐らく蜂同士に伝わるサインなのだろう、有村の挑発にたいしてきっちり脅しをかけてくる様子を見ると、随分細かい指示が手の動きだけで出せるようだ。
「めんどうくせー!」
突然大声を出す林出に、生徒会室にいた全員が驚愕した。役員は脅しとして立ち上がる役目を忘れて林出の顔を見つめることしか出来ず、尾藤は口からキャンディーを取り落とした。
「そういう細かいやりとりやめようぜ? 大した意味ねーのに面倒くさいんだよ。 倒したい、協力します、それでいいだろ?」
有村は呆れて林出の顔を見る、まるで「お前、最初、仕掛け、した」とでも言いたげだ。空気が震える音が尾藤の背後から響き、口を開けて大声で笑う。
「あっはっはっは! 確かにな! 林出もっともだ!」
嬉しそうな声と共に空気の震える音も大きくなる。
「羽音」
さきほど立ち上がったのとは別の役員が、女王に向かって手の動きを加えつつそう言う。尾藤の背中で鳴っていた空気を震わせる音が止んだ。
「すまぬ、すまぬ、楽しいとどうもな。 林出、有村、気に入った!」
空気の震える音は背中の羽を動かした音で、それは尾藤の感情表現の一つだった。人間に擬態しながらあらわれてしまった蜂の部分に、恐らく隠しきれない感情の動きがあったことは間違いない。それが本人の言うとおり楽しくてなのか、あるいは口先で隠し切れなった怒りの表現かは解らない。だがしかし林出は尾藤を信頼することにした、正確にはいまの感情がどうであろうと信頼する姿勢を見せることで、それが口先の好意だったとしても本当に変わる可能性は高いと踏んだのだった。
「女王、すまなかった」
その場に片膝をついて、それでいて握手を求めて手を伸ばす。一瞬だけ羽音を立てて尾藤は横たわっていたソファーから体を起こし握手に応える。敬意を払いながら対等の関係を結ぶ、表面上だけかもしれないが、その意図を互いが了解し受け入れていた。それを子供たちの前でやったことで尾藤はその体面を守る必要を抱えることになる。
握手をしながら反対の手で娘たちにサインを送り、長机を空けさせる。
「そこに座るがよい、こっちでわかってることを伝えておこう……てかラインやってる?」
「おっ、おう」
急にくだけた口調に思わず尾藤を二度見する。特にふざけてるわけでもない様子に合点がいった、LINEに関するやりとりの定型を学習する際に参考にした人間同士の会話サンプルがそれしかなかったのだろう。どれだけ流暢に話していてもそれは「コピー」が優れているだけ、つまりさっきの笑い声も謝罪もそれが適切な場面に当てはめただけで、本心と言動が人間以上に乖離しているのだろう。喋りがスムーズなだけに油断できない、と林出は思い直す。有村は有村で、人間には聞こえていないだろう羽の動く音や、目立たないようにさりげなく出される手のサインを察知していた。とはいえそこでやりとりされるのは蜂の言語であり、有村にはメッセージの内容までは把握できない。だが「なにやら聞かせられないメッセージの交換を行っている」ことさえ解れば、いま表面上行われるコミュニケーションの信頼度が推し量れるというものだ。
「まず記憶を消す妖怪のことが知りたいのだろ?」
尾藤は貝塚をちらりと見ながら手で娘の一人に指示をだすと、その蜂は林出の前にLINEのQRコードを表示したスマホを差し出した。
「地図送る」
「居場所知ってんのかよ」
スマホを取り出してQRコードを読み込み登録しながら尋ねる。
「もちろんわかっておる。 だが私たちの行動は蟻に見張られておってな、簡単には攻め入れられぬ」
(だから私を利用する、ってか)
新しいキャンデーの袋を開けて口に咥える姿に悪態をつきかけて飲み込む、それ自体は利害が一致している範囲だ。
「蟻、いる、か?」
「この場所にということか?」
「そう」
「ここには1、2匹がいるだけだ……しかし私が動いてしまえば、すぐに手勢が集まってくるだろうよ」
送られた地図を見て林出が眉間に深い皺をよせる。あの廃ビルではないがそこからほど近い場所がマップにマークされている。
「蟻、巣、近い、か?」
自分を追い出した元家族かもしれない可能性がある以上、有村としてはそちらを気にせざるえない。
「蟻の出現場所は多岐に渡るゆえ、巣の特定まではできておらん」
「そう、か……」
「それと一つ不明なことがある」
その態度に似合わない申し訳なさ気な口ぶりで尾藤が告げる。
「蟻と蕩婆の間を繋いだものがいるようだ」
「どういうことだ? 聞いてねーぞ」
「不確定だから言ってはおらん、が恐らく間違いないだろう。 そもそも虫と妖が手を結ぶなぞ奇妙なこと、よほど追い詰められない限り考えられぬ」
「つまりあんたらは「よほど追い詰められた」のか」
部屋の中に居る蜂たちが殺気立つ気配に有村が身構える。
「林出、バカ」
同じ社会性昆虫として蜂たちが何で激昂するかよく解る。彼女たちにとってもっとも重要なのは、端的にその巣にいる家族の「数」だ。巣の構成員が膨大になろうとも、決められた役割を与えられ、それに粛々と従っているかぎり蟻や蜂の社会は崩壊することなく、むしろいくらでも代わりの生まれる環境が安定した巣の維持を可能とする。
それは逆に一定以下まで巣の構成員が減少したとき、いとも脆く瓦解することを意味している。巣のなかで決められた役割から逸脱する行動を簡単に取れない彼女らは、減った人員をカバーするような活動が不得意だ。さらには代わりがいることを前提とした、個の死よりも全体の利益を優先する思考は、数が減って巣における個の割合が高くなるほど全体の生存に寄与できないものになっていく。
それは今現在、有村自身が直面している問題でもある。彼女の現家族は自分と妹3匹のみ、しかも産卵が可能なものが一匹もいない。すでに家族としては形を成しておらず、残った寿命を使い果たせばそれで終わる集団だ。それは妹たちがついてくるのを拒まなかった自分の誤りとして深い悔恨となっている。
蜂たちも同じだろう。妖に頼り、人間に頼り、その原因となったものと同種の蟻にまで頼る。そこまで追い詰められたしまったことに対する焦燥と後悔。それ以上に数を減らしていることを指摘されるのは、家族の終わりを指摘されたのと変わらない。生き延びるために作ったシステムが崩壊したことを示唆されることは、もうすぐ生存競争から転げ落ちる弱い相手だと看破されたということだ。
そんなことを知られて、生きて帰す道理は無い。
尾藤が手を挙げた、攻撃の指示を出すつもりだろう。仲間を呼ばれる前にどれだけやれるか、と有村は前脚を床につけ力を込める。
「……その通りだ」
尾藤の口からは思っても見なかった言葉と共に手が下ろされ、周囲の蜂たちの今にも襲い掛からんとする強い殺意が引いていく。それでも殺気の篭った視線が突き刺さってくるのは変わらない、有村は戦闘態勢にすぐ入れるよう警戒を緩めずに様子を伺う。
「そうか、申し訳ない」
林出にとって蜂の巣が今後も維持できるかはどうでもよく、蜂からの十分な戦力を捻出するのが難しいということを確認しつつ、協力関係をはっきりさせておくための問いかけだった。元より妖怪退治に彼女たちの力を借りる気はなかったが、そのあとに控えている蟻との争いに対して「後がないのはそっちだ」と、釘を刺しておく必要がある。林出の目的でもある妖怪に対しては対等だが、蟻に対してはあくまで助力という立場を取らなければ危険度が高すぎる。
「いや、こう言うべきだった……頼む、私たちを助けてくれ」
蜂たちに動揺が走る。女王が頭を下げる、その姿自体が娘たちにとっては驚愕であり、その相手が人間と蟻だというのがさらに衝撃だった。
内心の動揺は林出も似たようなものだった。立場を表明する目的だったのが予想外の反応を受け、それで自分たちが逃げ道を塞がれたことを知る。「そっちが頑張ってね」と強調しようとしたら、「一緒に必死になれよ」と言い含められたようなものだ、しかも頭を下げるという形で。
だが林出の動揺はそれが原因ではなかった。「助けてくれ」と言われた瞬間、彼女に中を義務感が走った。「助けて」と言われたら助けなければならないと、無根拠に、勝算も無く、打算の入り込む余地もないほど、苛烈なまでの思いが生まれていた。その自分の心の動きが予想外すぎて、自分で自分に対して動揺していた。
「……わかった」
気がつけば尾藤の手をとり強く深くうなづいていた。周りの蜂たちの殺気も潮が引くように消えて、ようやく有村は緊張を解く。林出の様子は依然おかしいが、それを自分が考える必要はないとすぐに興味を失った。
「よろしく頼む」
「ああ……それで蕩婆と蟻、そのふたつの間を取り持ったヤツがいるってわけだな?」
「確証は無い。 しかしそうとでも考えねば納得できぬ、そもそも奴等に接点がない」
(それはあんたらとツナギ様たちも一緒だけどな)
と考えながら、確かにそこの連携をとっているヤツが邪魔なのはもっともだ。
「わかったよ、その間にいるヤツも見つけてぇってことだろ」
「……できればで良い」
尾藤の様子に胸が締め付けられる。助けなければという、まるでそうすることを自分が渇望しているような思いが強くなるばかりで、それを抑えるのが林出にはもう難しかった。
「有村」
「なに、か?」
「今日、行けるか」
またしても尾藤の口からキャンデーが落ちる。
「何を言っている」
「蟻に見張られてんだろ? だったら私たちがこうやって相談してんのもすぐ知られる」
「いま、近い、蟻、いない」
「協力関係がバレる前に殺る」
何かを言いかけてから尾藤はソファーにもたれかかり首を左右に何度も捻る。それから手を上げいくつかのサインを送ると、ようやく口を開いた。
「人間は恐ろしいな」
「そうかい?」
「林出の言うとおり、今が最適だ……だが私たちから手助けができないぞ」
そんなことは解ってんだよ、というセリフは胸の内に収める。
「蜂連れていくと見つかりやすいだろうからな、それでいい」
「そうか」
それならやっておきたいことがある、と林出は勢いよく立ち上がった。
「それじゃあ、任せろ」
「ああ、それが終わったら蟻の方だ。 よろしく頼む」
尾藤が頭を下げるのと同時に、他の蜂たちも頭を垂れる。それを見て慌てた様子で貝塚も礼をした。
「こちらこそ、頼んだ」
「協力、する、良い」
そう言って生徒会室から退出すると
「うぉっ! ビックリしたぁ」
待ち構えていた様子の三船にいきなり肩を掴まれる。そういえば貝塚に襲われた日からなんの連絡も取っていなかったことを思い出す。それが今日になってその貝塚と共に長時間、同じ部屋しかも生徒会室に篭っていたのだから気になるのももっともだろう。
「林出さぁん」
「おう、悪い悪い! それがぬあ」
手で口を塞がれる。顔を耳元に近づけ小声で三船が言う。
「ここで話すと聞かれちゃうじゃないですか! オカ研行きますよ」
声が出せないのでそのままコクコクとうなづくと、ようやく手が離れる。
「ちょっと待て……有村、妹たちにツナギ様のところいかせろ」
「なぜ、か?」
「蕩婆んとこ行く前に合流したい、そう伝えてくれ」
「わかる」
そういうと有村は駆け足で階段へと向かう。
「有村さん、妹さんがいるんです?」
「知らなかったっけ?」
「そもそも有村さん、自分の話しませんし……それよりも何があったか聞かせてください」
「わかったよ……」
早足でオカ研の部室へ行き、生徒会室とは大違いのボロボロな長机と錆びの浮いたパイプ椅子に座る。
「ていうか何か連絡くださいよ……」
「だからごめんて」
「ほんと怖くて怖くて、安全そうなところ転々として週末は逃げ回ってましたよ!」
「安心しろよ、お前を狙うやつなんていねぇから」
信じられない、といった顔で林出を凝視する。
「結局、貝塚はなんなんです?」
「んー……ハマグリのバケモノ?」
「なんですかそれ、あの蜘蛛の仲間みたいなもんですか」
「いやまぁそれとはまた別なんだが……蜘蛛よりは話通じるし、もう大丈夫だから、な」
詳しく聞いて不安を解消するか、これ以上は深追いしないほうが賢明なのか。どっちのほうがまだ恐ろしくないかを天秤にかけ、渋々といった様子で林出の「大丈夫」を信用することに決めたようだ。
「それで生徒会室で何してたんです?」
「舞菜を狙うなーって」
「絶対嘘ですよね」
「似たようなもんだ、それどころじゃねぇって話だよ」
三船は頭を抱えて首を左右に振る。
「最悪じゃないですか! 余計危ないことがあるってことですよね!?」
「だから舞菜には関係ないんだって」
「知らないのは余計怖いんですって……てかなんで生徒会室なんですか」
「貝塚と生徒会長に協力するから」
悲鳴代わりに息を吸い込む。
「学校が関係してるんですか!?」
「だから大丈夫だってーの……全部すんだら教えてやるから、それまでは大人しくしてるのが一番いい」
「済んだらって……さっき有村さんに言ってたのも、その関係なんです?」
「そうだよ、私だって時間かけたくないからさ、ちょっと我慢しててくれよ」
「私だって怖いのはすぐ終わって欲しいですよ……」
目線を下に落とし少し悩んでいたが、すぐに何かを決意した様子で顔を上げた。
「わかりました……」
「まぁ任せろって」
話を切り上げて帰ろうと椅子から立った林出に、暗い顔のまま三船が問いかける。
「何かあったら、助けてくださいね」
「わかってるって!」
(本当にコイツ、人一倍ビビりだな……)と思いながらも、わけわかんねぇヤツに襲われたりすればそうもなるか……と笑顔で答える。部室から出て三船に手を振って別れ、家路を急ぐ。正直なところ、他人の心配をしてる余裕なんてなかった。
幼い自分に降りかかった怪異への復讐。それがついに成されるのかと思うと、高揚とも緊張ともつかない胸の高鳴りを覚えていた。
つづく(04/14 20:00アップ予定)




