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※暴力表現を含みます。苦手な方はご注意ください※
人間、本当に恐怖を感じると、暴れることも叫ぶこともできないらしい。なにか麻袋のようなものに突っ込まれたらしい私は、いつもの自信たっぷりな調子なんてちっとも出せず、ブルブル震えながら担がれ、どこかに連れて行かれた。ギャーギャー喚いてじたばた暴れれば、もしかしたら近くにいた人が気付いてくれたかもしれないのに、そのことに気付いたのは、どこか地下室のような埃っぽい部屋に投げ出されて、目の粗い縄でぎゅうぎゅう縛られてからだった。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと」
情けない声が出た。「やだ、痛い!縛らないでよ!」
「うるせェ!ぶん殴られてえのか!」
私たちを連れてきたのは、柄の悪い二人組みの男たちだった。サラ様と並んで、手足を縛られてごろんと転がされる。
この部屋に来るまで、私はサラ様も一緒に連れてこられていることに気付かなかった。それだけ彼は、誘拐されたというのにいつもの物静かな調子を崩すことなく、そればかりかまるでこうなることが予想できていたかのように涼しい顔をしていた。
私はこの体格のいい男たちが恐ろしくなって、這いずりながらサラ様の元へと近づいた。彼は薄笑いさえ浮かべて二人組みに問うた。
「誰の差し金だ?」
「すぐに分かるさ」
にやにやしながら片方の男が言った。ヤニくさいにおいがした。
「こうなることは予想してたって顔だな、いいからそこでお行儀よく座ってな、お坊ちゃん」
「え」
私はサラ様を見た。
「そ、そうなのですか?サラ様、ど、どうなっているのですか?」
もはや半分泣いていた。普段外出なんてほとんどしないから、誘拐など初めてなのだ。こんな慣れた様子のサラ様とは違う。
サラ様はボロボロ涙をこぼしはじめた私を見て、濡れた目じりに口を寄せた。それから私の肩に頭を乗せてささやいた。
「大丈夫だよマリー、そろそろ君のところの従者が誘拐されたことくらいは突き止めている頃だろう」
「舐められたモンだ」
唾でも吐きそうな勢いでもう一人の男が言った。サラ様はくすりとした。それで気がついたのだ。彼のアイスブルーの瞳が、いつかのようにギラギラと熱を持って、酷薄に輝いていることに。
「あの路地から人目につかないルートで、僕たちを抱えて連れてこられる場所なんて限られているからな」
そんなことを言ったって、あの路地で誘拐に遭ったなど、はぐれたテオに分かるはずもない。ガタガタ震えている私を見て、サラ様は首をかしげた。
「気がつかなかった?君のイヤリングを片方落としてきたんだよ。もうテオは気付いてるはずだ」
「ええっ?」
耳に触れようとしたが、あいにくと後ろ手に縛られた状態では確認もできない。
「で、でも、あんな小さいもの、気付くはずないわ」
「君は自分のところの使用人をもう少し信用してもいいね」
なぜかサラ様のほうが得意げに言った。誘拐されたというのに、この余裕は一体なんなのだろう。
「彼は優秀だよ。いつも傍にいる君には分からないだろうけど。マリーの専属としてよく躾けられている」
淡々とうちの無礼な従者を褒めているサラ様の声を、私はなんだか不思議な心地で聞いていた。こんな状況でなければ胸を張れるのだが。
二人組みの男は、サラ様が誘拐の痕跡を残してきたと知った瞬間に挙動不審になった。それを見てちょっとだけ余裕が生まれてくる。私はきょろきょろと辺りを見回した。
狭い地下室だ。
どうやら空き家らしく、あちこち砂だらけの埃だらけ、窓一つない、明かりも備え付けのランプがひとつだけという殺風景な部屋だった。古い木箱が無造作にいくつか置いてあり、どうやら以前は倉庫として使われていたらしかった。
この部屋になんだか既視感を覚えて、私はもっとよく見ようと身を起こしかけると、奥の細い階段から誰かが下りてきた。入れ替わるように二人組みの男たちは地下室を出ていく。
「やあ、いい眺めだな」
ランプの光に反射してきらりと光る、その明るい赤毛を見て、私はあっと声を上げそうになるのをこらえた。
見たことがあるはずだ。これは「ドキロマ」で語られていた一場面だった。
公爵令息ルートで出てくる回想シーン。内容は流し読みしていたのでうろ覚えだが、確かサラディアが心の闇を抱える原因になった出来事だったはずだ。
いつもクールな公爵令息は、親と…特に父親と折り合いが悪く、次期公爵としての重圧に押しつぶされそうになっていた。父から親らしい愛を受けることがなく、立派な公爵様の背中を追いつつ、裏では彼のことを心底憎んでいる、という設定だ。
彼の憎しみの原因となったのは、昔起きた誘拐事件で、公爵様が誘拐に気付いていたにもかかわらず、助けの手を差し伸べてくれなかったという出来事だ。まるで自分でなんとかしてみろとでも言いたげに。サラディアはその時の誘拐の恐怖と肉親に裏切られたショックで、他人を簡単には信用しなくなった。
その時にサラディアが捕らわれている様子のスチルが登場していた。地下室のような窓ひとつない埃っぽい部屋に、手足を縛られた公爵令息、それから顔はあらわになっていなかったけれど、薄らと赤毛がのぞいていた、彼を誘拐したと思われる人物の影。そう、赤毛だったから、パトリックと関係のある人物かと論争が繰り広げられていたが、とうとう公式はその情報を明かさなかった。
まさか本人だったとは。
パトリック・フィオデニール侯爵令息は、悠然と腕を組みながら、実に気分よさそうに縛られた私たちを見下ろした。
「君が縛られているのを見られるだなんて俺はなんて幸運なんだろう、サラディア」
いびつに歪んだ笑み。引き上げた口の端から、むきだしになった犬歯が見えた。あのパーティの日の不器用でお人好しそうななりとは随分違う。凶暴な狼のようだった。
パトリックは視線を私にずらして、この状況には似つかわしくないほどお上品に一礼してみせた。ダンスのひとつでも誘ってきそうなしぐさだ。
「やあ、ご機嫌麗しゅう、マルティーナ嬢。俺の誘拐ごっこを楽しんでくれているみたいで嬉しいよ」
彼にとっては、私が情けなくもボロボロ泣いた跡を見るのはそれはもう痛快だったらしい。うっとりしながら私の濡れた頬に指を這わせた。気持ち悪い手つきだ。
「さ、触らないで!」
自分を誘拐した親玉が、たった2歳年上の少年だと知ったので、私は強気に出ることができた。
「アンタ、私たちをこんな目に遭わせて、ただじゃおかないわよ!」
「そりゃ結構」
しかし対するパトリックはひとつ大仰に肩をすくめただけだ。
「でも俺、用があるのはこっちのいけすかない坊ちゃんなんだよね。マルティーナ嬢はとりあえずそこで見ていなよ。この底意地の悪いお坊ちゃまが俺にやられるところを、さ!」
言いながら、パトリックは革靴をはいた足をサラ様の鳩尾にたたきこんだ。それから二度、三度踏みつける。
「サラ様!」
私は悲鳴を上げた。サラ様が咳き込んだ。パトリックがゲラゲラ笑う。
「あっははははは!!無様だなあサラディア・オーウェン!ああ、マルティーナ嬢、君にも罰を与えなくちゃいけないかな?二人して俺を嵌めてくれちゃって。今思えば、どうせ罠にかかるならもうちょっといい思いをしておけばよかったよ」
言うなりパトリックは、私の波打つブロンドを掴み上げて頭を持ち上げた。頭皮が引きちぎれんばかりに痛い。
「婚約者の前で君を奪ってしまうのもまた一興だな。心配しないでいいぜ、マルティーナ嬢。女を殴る趣味はないからな。でも、一生輿入れできないようにしてしまうのも俺にとっては簡単なんだよ?」
背筋が粟立った。誰だ、この男をお人好しで頼もしいなんて言った奴は!ゲームなんてまるっきり嘘っぱちじゃないか。私は縮み上がりそうになりながらも、この下種野郎に屈服するのがあまりにも悔しくて叫んだ。
「最低の男ですこと!アンタなんかに奪われるくらいなら舌を噛み切って死んでやるわ!」
「…へえ、俺が最低なら、お前は最悪だな。あんなはしたないまねをするご令嬢だから身持ちが相当ゆるいんだと思ってたよ」
声が不穏に低くなった。ひ、と息を呑んだところで、背後でくすくすと笑う声。
サラ様はどうして、こんな状況になってまで、そんな冷ややかな声で笑うことができるというのだろう。彼はしどけなくその場に倒れこみながらも、こんな楽しい喜劇はないとばかりにこちらを見上げている。
「…なにがおかしい」
パトリックは心底気味が悪そうにサラ様を見下ろした。この男が手を離すと、私は重力に従って床に崩れ落ちた。サラ様は明るくパトリックを嘲った。
「パトリック、君ってやつは、本当に僕の予想通りのことをしてくれて、僕はとても嬉しいよ」
まるで恋人に積年の思いを伝えるかのように甘い声だった。頭上のパトリックが狼狽して身を引きかけた。
「でも、あまりにも思い通りすぎてちょっぴり退屈だ。もっと面白いものを見せてよ。君は僕の愉快な遊び相手なんだから、僕を楽しませてくれなくちゃ」
邪悪でいて純粋極まりない言葉だった。彼の性格が非常に歪んでいるのは分かっていたが、サラ様にとってはライバルであるはずのパトリックも手のひらの上で踊るお人形のひとりに過ぎないらしい。
サラ様はパトリックがどんなに取るに足らない矮小な存在であるかを言って聞かせているかのようだった。縛られて身動きが取れないのはこちらの方なのに、誰が見てもパトリックよりもサラ様のほうが数段格上だった。
「さあ、時間がないよパトリック。急いでもっと僕を傷つけなきゃ。何をする?殴る?蹴る?それともマリーに手を出す?どれでも好きなものを選ぶといい。ああ、それに見合った報復を覚悟しておいたほうがいいと思うけど」
「こ、この」
パトリックはふたつ年下の少年を恐怖に染まる目で見ながら叫んだ。「気持ち悪いんだよ、この悪魔!」
「だっ、だめだめ、だめ!」
パトリックが腕を振り上げたところで、とっさに私はサラ様に激突した。彼の振り下ろされたこぶしは本来サラ様の顔にぶつかるはずだったが、それは勢いよく私の左頬に入った。
痛みというよりも衝撃だった。頬はビリビリしたし、口の中を切ったらしく血の味がした。生まれてこの方誰かに殴られたことがなかったのだがこれは不快だ。私はくらくらしながらも、呆然とした様子のパトリックを睨み上げた。
「サラ様の綺麗なお顔になんてことしようとしてるのよ!これ以上サラ様の大事なお肌に傷をつけてごらんなさい、この私がアンタの家を取り潰して末代まで呪ってやるんだから!」
「マリー」
私に押し倒されたまま、サラ様は珍しくちょっと焦ったような声を上げた。
「あ、もう、こんなに腫れて」
「しゃらしゃまにこんにゃ仕打ち、ゆるしぇましぇんわ!」
どうやら頬が腫れ上がってきたらしく、呂律が回らない。私はすっかり憤慨して、立ち尽くすパトリックの向こう脛を縛られた両足を揃えて蹴ってやった。
自分から割って入ったとはいえ、この私の美貌が損なわれたことももちろん最低最悪だが、こんなしまりのない口調でサラ様が話さなければならなくなっていたと想像すればなおさらパトリックへの怒りがこみ上げてきた。
「あーもう、うまくはなしぇないじゃない!」
「マリー、駄目じゃないか、危ないよ」
私が飛び出すことはサラ様にとっては本当に予想外のことだったらしい。それもそうだ、他の人間だったらかばっていないし、どんなにボコボコにされているのを見ても割って入ったりはしなかっただろう。侯爵令嬢の曇りのない肌の価値を骨の髄まで理解しているからである。
私が殴られたことはサラ様のご機嫌を少しばかり損ねてしまったらしい。一体どんな状態になっているのか、鏡を見るのが怖いが、彼はしばらく私の頬を眺めて、それからパトリックを見てにいと笑ってみせた。
「マリーに手を出してしまったね?」
「い、いや、俺は」
なんだかんだ言っても、パトリックだって侯爵令息として厳しい教育を受けてきた身である。女性に無体なまねをすることは固く禁じられているはずだ。彼は握りこぶしを解くこともできずに青い顔をしていた。サラ様は温度のないほほえみでパトリックを見上げた。
「じゃあ、僕も相応の態度でもって君に接することにしよう。…ああ、ところで時間は大丈夫かい?そろそろこの子の従者が僕たちを探しにここへ来る頃合だけど」
「くっ…」
パトリックはサラ様と私を交互に見た。さっきまでの勢いはどこへやら、侯爵令息は何か口汚い捨て台詞を吐きながら出て行った。ちょっと、縄をほどいて行きなさいよ!といおうとする声はモゴモゴして本人には届いていなかっただろう。私は地団太を踏んだ。
「あいちゅ、しゃいてーだわ!」
「ほら、また口の中を切ってしまうよ、マリー」
サラ様が優しく声をかけてくれたので、私はしゅんと大人しくなった。彼は身体を引きずって身を起こしながら、もう一度私の殴られたところを見た。
「君は僕が思っていたよりもずっと男前だね」
「だ、だって、しゃらしゃまが…」
「うん、ありがとう」
まさかお礼を言われるとは思わず、私はまじまじとサラ様のうつくしい顔を見つめた。腹を蹴られていたから無傷とはいかないが、少なくとも彼の肌の見えるところに傷が残らなかったことは不幸中の幸いだ。私は彼の冷ややかな顔が大好きなのである。
サラ様はそれからちょっとだけ眉尻を下げた。
「それからごめんね、まもってあげるって言ったのに」
「しょんな!」
私は声を上げた。「しゃらしゃまをおたしゅけできたのにゃら、私も怪我をした甲斐があったというものでしゅわ!」
しかしどうしたことか、話しながら私は大変なことに気がついてしまった。
本来この出来事で、サラ様は誰も信用しない人間不信になってしまうはずだった。しかも、本来この場に悪役令嬢マリーが登場するだなんて、ゲームでは一言も語られていなかったし、スチルにもその姿は見られなかった。
すでに、ゲームとは展開が変わってしまっている。
帰ったらテオに相談しなきゃ、そう思ったのに、彼がこの場を見つけて駆け込んできたのは、それから半刻も経ったあとだった。




