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ゼルフィリアはお世辞にも私のことを好いているとは思えなかったけれど、頼まれた役目をおろそかにするような少女ではなかった。とはいえ正式な婚姻を結ぶわけでもなし、介添人の仕事など大してないのだが、一応家の者にも紹介をしておかなければならない。私は彼女を我が家に招くことにしたのだ。
彼女を見てテオは心底衝撃を受けたような顔をした。
「お嬢様に…ご友人ができるなんて…!」
見ると背後に控えていたメイドや家令も似たような表情だ。中には感動してハンカチまで取り出している者までいる。なんて失礼な使用人たちだ!
「わっ、私にだって友達くらいたくさんいてよ!馬鹿にしないで頂戴!」
「はいはい。さあ、ゼルフィリア様。お部屋のほうにご案内いたします」
にまにまと生ぬるい笑顔で先導するテオの脚は踏んづけておいた。ゼルフィリアはサラ様とゼノンがいなければ止める者はないと思ったのか、不機嫌そうな姿を隠しもしないで言った。もともと隠してもいなかった気もするが。
「あなた、友達いなさそうだものね」
身内の使用人たちに言われるよりもぐさりときた。
ゼルフィリア・コールドレイクは、ゼノンルートでのみ登場するライバルキャラクターだが、いわゆる悪役令嬢マリーのように、なにかにつけてヒロインの邪魔をしてくる存在ではない。彼ら兄妹は双子ゆえの心理か、お互いのことを非常に大事にしており、ゼノンとハッピーエンドを迎えるためにはこの妹に認められる必要があるのだ。つまり、ゼノンルートでは彼よりもまずゼルフィリアのほうの好感度を上げなければならない。将を射んと欲すればなんとやら、というやつだ。
ゼルフィリアはツンツンしたひねくれ者の女の子で、そのくせ引っ込み思案で口下手。素直に自分の感情を表現できない、ブラコンでツンデレキャラだ。社交的な兄の後ろにくっついてはヒロインの威嚇をしてくる。まさに先日のお茶会の席の構図である。
ゼルフィリアと悪役令嬢マリーに接点があるという話は聞いたことがないが、この広いようで狭い貴族社会。一応どの家とも一定の繋がりはあるものだ。私は淑女の礼儀としてゼルフィリアにお茶をふるまってもてなし、最高級の茶菓子を提供した。
弱小伯爵家の娘は目の前に出された見るからに高級で繊細なケーキを見て絶句した。
「わ、私のようなものに、こんなものを出してもいいわけ?」
完全にうろたえている。私はなんだか気分がよくなって胸を張った。
「あなたの家ではとても出せないような一流菓子職人のものよ。精々味わって食べなさいな」
「まあ、用意したのは俺たち使用人ですけどね」
後ろに控えている従者がいらぬ口出しをしたので、一瞬むっとした様子のゼルフィリアは毒気を抜かれた様子でテオを見た。すると彼はいつもの爽やかな笑顔でゼルフィリアに一礼する。
「ゼルフィリア様、うちのお嬢様は口はこんなんですし性格もお世辞にもいいとは言えない性根の腐ったご令嬢ですけど、言うほど極悪人でもないはずなので、どうぞ仲良くしてくださいね」
「アンタ、従者のくせに何を差し出がましい口を利いているの!」
クッションを彼の顔めがけて投げつける。奴がうめいているうちにゼルフィリアには言い訳をした。
「べっ、別に私の教育が悪いわけではなくってよ!この誉れ高きアレッサンドロ侯爵家の使用人がみんなこうだとは思わないでちょうだい。私は私の寛大な心でもってこの無礼な従者を使っているのであって…」
「あなたって、使用人に慕われているのね」
「は?」
ゼルフィリアのほうも、思わずぽろりと口からこぼれてしまった言葉のようだった。心底嫌そうな声をあわせる私とテオを見て、しまったと言いたげな顔で口元に指先を置くと、視線をあちこちにさまよわせてからゼルフィリアは言った。
「う、うちには彼のような人はいないから…だ、だからよ」
「いや、俺は別にお嬢様を慕っているわけでは」
「いいからアンタは黙っていなさい!」
テオには二個目のクッションを投げつけておいた。その様子を見ながら、おずおずと紅茶に口をつけつつゼルフィリアが呟いた。
「…あなた、最初に会ったときと随分違うのね。そちらが素なの?」
最初、とは、件のパーティの日のことだろう。あの日は清楚スタイルで挑んでいたため、今の態度とは大きくギャップを感じるはずだ。私はフフンと得意げに言った。
「私の演技力も完璧でしょう。私ほどの者ともなれば、幾多もの仮面をかぶることなどへそで茶を沸かすよりも簡単なことでしてよ!」
「お嬢様、その用法は間違っています」
無礼な従者はもう投げつけるクッションが手元にないので無視した。
「それでわかったわ」
ゼルフィリアは肩をすくめた。「あんなご令嬢がサラディア様のお眼鏡にかなうとはとても思えなかったもの」
彼女の物言いがちょっと意外だったので身を乗り出すと、ゼルフィリアはくちびるをへの字にひん曲げたまま不機嫌そうに続けた。
「サラディア様は、ゼノンと一緒で悪戯がお好きでいらっしゃるもの。清楚で、お上品で、貞淑なご令嬢だなんて最も嫌いそうだわ、つまらないって」
「失礼ね、私はこの社交界の誰よりも清楚さも上品さも貞淑さも兼ね備えているわ」
「鏡を見てきたらどうかしら」
この完全無欠の淑女に対してひどい言い草だった。
「あの方はね、優等生を気取っているけれど、他人のことなんてぜんぜん、これっぽっちも考えちゃいないわ。人が苦しむのを見るのが大好きで、世の中の多くの人は自分の手のひらの上で踊ってるって思ってる」
それから、ゼルフィリアは腕を組んでそっぽを向いた。「私、あの人大嫌いよ」
「それは意外なことを聞いたわ」
私はちょうどケーキを口に含んでいたので、彼女の言葉を聞いてフォークを喉に突き刺しそうになった。
「あんたサラ様のことが好きなんだと思っていたもの」
「私が?冗談を言わないでちょうだい!」
憤慨するゼルフィリアはテーブルを叩こうとしたようだったが、チラリと高級ケーキを見てすんでのところでこぶしを止めた。
「わっ、私が!あんな自分勝手な殿方の、なにを好きになれというの!?」
ゼルフィリアはひとしきりにゃーにゃー喚いた。いわく、サラディア様と比べれば悪魔などかわいいものだとか、彼に目をつけられる人間はかわいそうだとか、大体はサラ様の悪口である。どうやらゼルフィリアは、自分の兄がなにやら悪い遊びに手を出しているのは、サラ様が誘ったせいだと思っているようだ。愛しのサラ様に出すぎた口を利くのは気分いいものではないが、私にとってはたいした問題ではない。ライバルは少なければ少ないほどいいからだ。
「ふうん、私にとってはどうでもいいわ。サラ様の楽しそうなお顔は素敵だもの」
「ああ、そう」
ゼルフィリアは勢いをそがれた様子で溜息をついた。
「まあ、いいわ…サラディア様があなたを気に入ってこちらに通っていれば、ゼノンのところに来る回数が減るもの」
「サラ様、あなたたちのお宅にも行ってるの?」
それは驚いた。今でこそ毎日のようにサラ様が通ってくださるが、以前だって週に三日、多いときは四日も我が家に訪れていたというのに、それに加えてゼノンの元に遊びに行くなど、サラ様は一体いつ勉強などをしているのだろう。彼はあっという間に難しい本を読んでは知識を吸収しているらしく、非常に賢くて知識が豊富だ。今だって毎日父の書斎から何冊か本を引っこ抜いているのに、次の日にはすべて読破してしまっている。ちゃんと寝ているのか今更心配になってきた。
ゼルフィリアは憮然として頷いた。
「ここ最近はいらっしゃっていなかったけれど…以前は週に一度くらいお越しになっていたわ。迷惑よ。お父様は喜んでいたけれど」
オーウェンほどの大貴族が跡取り息子と友人ともなれば、お父上もさぞ鼻が高いことだろう。妹心としては双子の片割れがその友人に取られるのはよほど腹に据えかねているようだが。私は呆れた。
「そんなにゼノン様にくっついてばっかりじゃ、ゼノン様も大変ね。おちおち恋人も作れやしないじゃない」
とはいえ、貴族に自由恋愛なんてほとんど望めないのだから、どっちにしろ適当な恋人なんて作ろうものなら一族総動員で反対されるだろうけど、というオチまで言うことはできなかった。がちん、と大きな音を立てて、ゼルフィリアがフォークを握り締め、クリームたっぷりのケーキに勢いよく突き刺したからだ。高級ケーキは哀れにもぐしゃりと形を崩した。
「ゼノンが恋人を作ったら…」
地を這うような声だった。
「その分をわきまえない女を徹底的に懲らしめてから二度とゼノンの前に姿を現せないようにしてやるわ」
ゲームでライバルキャラの一角を担っていた少女の片鱗を感じた。そんなこと言って、ヒロインに懐柔されても知らないわよ。私はケーキに舌鼓を打ちながら思った。
「あなたはいいわよね、好きな相手と結婚して、ずっと一緒にいられるじゃない?」
ゼルフィリアの口調に羨ましさが滲んだ。
私には一応兄がいるけれど、そんな風に彼を慕った記憶がなかった。妹をかわいがってくれる兄など幻想で、あいつはプライドばかり高くて私の好きな女の子らしい遊びには何も付き合ってくれなかったし、私が泣いても癇癪を起こしてもそ知らぬ顔だった。むしろテオとのほうがよほど兄妹らしい関係を築いていたような気がする。いや、テオはただの使用人なのだけれど。
だから純粋に疑問だった。一体どんなに心が広くて、優しい兄だったら、こんな風に兄を慕う妹というものが出来上がるんだろう。
「ゼノン様は、そんなにあんたに優しいの?」
「優しい?」
ゼルフィリアは首をかしげた。そのきょとんとした顔に、私も目を瞬いてなおも尋ねた。
「そんなに慕ってるんだもの。ゼノン様はよっぽどお優しいのよね?」
「いいえ、別に」
ちょっぴり沈黙が下りた。後ろのテオが小さく溜息をついていた。
ゼルフィリアはつんと顎をあげて言った。
「ゼノンは優しくなんてないわよ。悪戯ばっかりだし、私には意地悪だし。この間なんて私のお気に入りのドレスにジュースをひっかけるし」
ただ、と彼女は続けた。
「小さいときからずっと一緒だったんだもの。適当な相手とつるんでほしくないし、適当な相手と恋愛とか、結婚とか、してほしくないもの。ゼノンは子供っぽいんだから、私がちゃんと監督してあげなきゃ」
それはきっと彼女にとっての使命感なのだろう。けれど、なんとなくそれは彼女の兄への好意の言い訳のように聞こえた。だって、私は実の兄に対して、友人関係だって恋愛関係だってどうでもいいと思っているし、仮に妙な女に引っかかったとしても、あの兄にしてあの嫁ありね、だなんて嘲笑してしまうはずだ。兄が留学に出て行ったときはせいせいしたものだ。
そう言うと、ゼルフィリアはゆっくりと瞬きをして、じいっと私を見た。私もたぶん彼女と同じ顔をしている。全く別世界の生き物に出会ったような感覚だ。…けれど、不思議と不快ではなかった。




