万喜御殿
「まあ、素敵な小袖」
「今年のお供え小袖は華やかだべなぁ? 万喜の御方がお喜びになればいいのだげっちょ」
聞き覚えのある右筆たちの声に、千世はその部屋を覗き込んだ。
「なんだべが?」
「千世さん。見てくなんしょ。今年のお供え小袖」
聞き慣れぬ言葉に、千世は首を傾げた。
「お供え小袖って、なんだべが?」
「あ、千世さんは初めてだべが。万喜の御方へのお供え小袖んだよ」
山川千世が鶴ヶ城に右筆として上がったのは、先月のこと。
会津では武家の娘を正室や側室の侍女である右筆として迎える習わしがある。
とはいえ、単なる城働きではなく、正室や側室の相手をするために高い教養や武芸の嗜みもなければならず、なおかつ一生涯結婚も許されないので、名誉な役職ではあるけれど、数が少ない。そんな右筆として千世に声がかかったのは、正直千世自身も未だに理解に苦しむ。確かに薙刀の腕前は城下でも評判らしいが、和歌などは決して褒められたものではないのだが。
年頃の女子にしては、背が高くつり合いが取れぬと、なかなか縁づかなかった折だったために、一も二もなく右筆の誘いを受けたものの。
城下にはないしきたりが多く、覚えるのに躍起になってきたこのひと月。
そして聞き慣れぬ『万喜御殿』に、千世はいた。
城内にある屋敷だが、さして広くもない、ただ二間だけの部屋しかない。
「次の朔日がお渡りの日で、その前の日までにここをすべてお清めしやす。お食事は御膳所が用意するのでかまわぬが、お供え小袖をお供えするまでが、私どものお勤めです」
先輩右筆の伊都の言葉に頷いた千世だったが、
「どなたがおいでになるのだべな?」
「したがら、万喜の御方んだよ」
それは藩祖・土津公の遺訓であるという。
万喜の御方と呼ばれる者がいつ現れてもよいように、準備を整えること。
季節の折々に小袖を仕立て、朔の日の夜、万喜御殿に明かりが灯れば夕餉を準備し、供すること。
藩主がおらねば、家老が参内し、近々の会津の様子をお伝えすること。
また、藩主代がわりの時は、必ず万喜御殿にて藩主自ら報告すること。
「つうことは、土津公と同じようにお取り扱いしなくてはなんねつうことだなし」
千世の言葉に、伊都は頷く。
「けれども土津公とちがぁのは、まことにいらっしゃることがあるってことです」
伊都の言葉に、千世は瞠目する。
「まことに?」
「私はまだお会いしたことはねえが、右筆頭の真咲さまはお会いになったことがあるとか。本妙院さまのことがあった頃のことです」
伊都の声はささやくように告げられた。
本妙院とは藩主・容貞の生母であるが、八男であった容貞が藩主になることは生誕の頃はまったく予想出来ず、本妙院は容貞が二歳になる前に家臣に拝領妻として嫁いだ。だが、実子が藩主になるのに、生母が家臣の妻では外聞が悪いと騒がれた挙句、離縁を拒否した婚家が取りつぶしになるなど、騒然とした雰囲気を城下が含んでいたことを、幼かった千世でも気づいていたことを、不意に思い出した。
「その頃さ、ふらりと関所に桜枝丸の手形を持った女人が現れて。関所は大騒ぎになったとか」
「桜枝丸?」
「ほれ、あそこにも」
伊都が指さす欄間に飾られた、一輪の桜枝が丸を描く紋。
千世はその珍しい紋に引き寄せられた。
「まあ、綺麗ですこと」
「珍しい家紋の上さ、会津では桜枝は禁紋したがら、それをお持ちの女人は間違いなく、万喜の御方なのだとか。でも現れる時もあれば、現れね時もあるとか」
「手形を見せてくなんしょ」
久方に聞く会津訛りに、懐かしさを感じながら真紀は懐から幾分古びた木簡を出した。
普通通行手形は書簡である。
差し出された木簡を訝りながら受け取った関所の役人は、そこに描かれた紋と名前に目を剥いた。
「な」
「いかがされた。この手形では通していただけませぬか」
「いや、しかし……桜枝丸紋のお方は、その、女人では」
頭の上から下まで眺められて、真紀は数回瞬いて。
「あ、なるほど。では、女人改めをお願いすればよろしいでしょう?」
「……よろしいだべが?」
本来、女人改めとは男性と偽って旅をする女人を取り締まるものなので、全裸で老女の前にたたねばならず、屈辱的ですらある。だが、桜枝丸紋を持つということは、会津では藩祖・土津公と同格に扱われるべき人物と認識している。
役人が畏まるのも無理はなかった。
「これは私の不始末、改めていただければよいだけのこと」
「ははぁ」
ひれ伏さんばかりの役人に誘導されて、老女によるおざなりな女人改めを受ければ、控えの間に通された。
「まこと、失礼いたしますた。万喜の御方」
「かまいませぬ。このような風体で訪れたのが失態ですから」
諸国を放浪するに、女人の姿では怪しまれることも多い。だから真紀の姿は総髪姿の羽織袴。これでは疑われようもないが、しかし会津に入国するのには間違っていた。
最後に訪れたのはもう十数年前。
ひれ伏す役人もまだ若く、前回の入国で見かけた役人の姿はなかった。
無理はなかろう。
真紀は静かに言った。
「いつもの入国と同じように。馬を用意していただければそれでよい。先触れはともかく、供は必要ありません」
「ですが」
「よいのです。先の入国の際、こちらにお出でた大倉どのと名乗られた御仁が書き残しておくと言われておった故に。同じようにしていただきたい」
「はい、先ほど調べさせていただきますた。確かに大倉孫衛門どのの書付がありますた、では……その通りに。先ほど、先触れを出しますた」




