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foundation  作者: なみさや
嚆矢
3/81

醸される思い






「では二つだけ聞かせてくれ」

「後のことですか」

「うむ」

「応えうる限りでございますけど」

「一つ。徳川宗家はいかがなる」

「……さて。あと数百年は太平の御代が続きましょう。それは徳川宗家によって(もたら)されるものと」

「ふむ。未来永劫とは無理なことであるならば、それも如何ともし難し。では二つ目。会津はどうなる」

正之の問いに、真紀は黙った。

言葉を無くしたというよりも、どう応えてよいものか思案に暮れているようだった。

正之はまっすぐに真紀を見つめる。

幾ばくかの沈黙ののちに、真紀は口を開いた。

「正之どの」

「なんだ」

「正之どのの中で、会津とは如何なる場所ですか」

「……さて、問いの意味がはかりかねるが」

「正之どのは、徳川宗家の安泰を先君にお約束されたと聞いております」

正之は眉を顰めた。

兄と弟だけの席だったはず。

今わの際の苦しい息で、兄が告げた願いを正之は必ず果たすと約した。

「……それは、先の時代で見知ったことか」

「はい」

「……徳川宗家をお守りするのは、わが保科の家訓として、いやわしの遺訓として書き残した」

真紀は小さく息を吐いて。

「これを守らぬ者は、子孫にあらず。でしたね」

「うむ」

朝な夕なに家臣たちが『御家訓(ごかきん)』と呼ばれる十五カ条を暗誦しているのに行き合えば、さすがの真紀も覚えたのだが。

「それはまこと、必要なものでしょうか」

「なんと」

真紀の言葉に、正之が眉間の皺を深くする。

「いくら真紀といえども」

「分かっています。正之どのが宗家の守護者となった理由も、意味も。ですが、それは重すぎるほど、末代の会津に残りまする」

眉間の皺は消えない。

真紀は続けた。

「会津はいずれ、親藩となりましょう。それが宗家の守護者たる所以ともなります。したが、重すぎるのです。御家訓は。太平の御代がいずれ終焉の時、新たな御代が始まります。その時、会津は宗家の守護者として、(にえ)となりましょう」

一瞬、背筋を冷たい指で撫でられたような悪寒が走った。

正之は眼を閉じて、一つ息を吐いた。

「贄、か」

「数千のものが死にます。新たな御代に逆らった者たちと長く罵られます。それでも、よいと」

「……そうか」

宗家の守護者たるべし。

正之の思いが幾星霜経て、いずれ来るべき哀しき時を醸すのだと言われて、正之は黙然と座する。

時が、過ぎる。

中空高くあった太陽は、既に西空に沈みつつある。

黙然と座る正之の前で、真紀も静かに座っていた。

「……殿。夕餉の支度が整いましたが」

正之は密やかな侍従の呼びかけにも応えず、真紀がついと立ち上がり、障子を開けて廊下の侍従と何かを話している様子は聞こえていた。

やがて真紀が夕餉の膳を抱えて帰ってくる。

「お食べください。薬も間もなく届きます」

「……いや」

「お食べになりたくなくとも、少しはお食べください。薬を飲むならなおのことです。正之どの。昔、私が申したことを、お忘れですか」

正之が顔をあげると、穏やかな表情の真紀がそこにいた。

蒲柳(ほりゅう)の質だった正之は、幼い頃よく熱を出した。真紀が薬を処方し、飲ませてくれた。食欲がないから食べたくないとごねれば少しだけでも食べろ、薬を飲むのに空腹は良くないと、叱りつけられたものだった。そして、必ず薬のあとの甘い干菓子。

「……そなたは変わらぬの」

「はい」

夕餉を平らげるまでは無理だったが、なんとか口にして、届けられた薬を飲み、干菓子の甘さを舌に残したまま、正之が言う。

「真紀」

「はい?」

「家訓は、変えぬ」

「……」

真紀が黙って正之の前に座る。夕餉の間に侍従たちが蝋燭を灯してくれたので、夜とはいえ幾分明るいけれど、それでも真紀の表情は昼ほどは読み取れない。

「真紀、近う」

「はい」

促されて、真紀は正之の目前に座った。

「主の言う、贄とは惨いことよの。自らの子子孫孫がそのような憂き目を見ることになろうとは」

「はい」

「かつて、東照大権現様が豊臣様の後見であられた時のことを思い出したわ。結果として大阪城を落城させてしもうたが。その折、大阪の城に集いし、豊臣古参の大名たちは権現様が征夷大将軍になられた折、領地没収の憂き目を見た」

「ええ」

「それに似たことと、思うべきか」

領地没収、蟄居謹慎、家名断絶、一家離散。

真紀は思い出す。関ヶ原から大阪に続いた騒乱の日々を。

「似ている、かもしれませぬ」

「そうか。だがそれを知ってなお、わしは家訓を変えぬ」

「……」

正之は深く深く嘆息する。

「惨い、仕打ちやもしれぬ。だがの、真紀。いずれ親藩になるであろうが、保科は宗家を守護し奉る。そう決しておる。それは先の家光様に遺言された時からじゃ」

「……正之どの」

「真紀、頼みがある」

居住まいを正した正之をまっすぐに見つめて、真紀は小さく頷いた。

「なんなりと」

「ここ鶴ヶ城に、そなたの屋敷をかまえよう。子子孫孫まで桜枝丸紋を使えるようにしておく。気が向いた時でよい。訪のうてくれ。そして、そなたが知る末代の我が子孫に、渡してほしいものがある」






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